アレクサンドル・デュマ『ジョゼフ・バルサモ』 翻訳中 → 初めから読む。
「通りかかればみんなが振り返るのでしょうね? 尊敬されていて、人類の保護者として指を指されるんでしょう?」
「そんなことはありません。両親にけしかれられた子供たちに後ろから石を投げられていました」
「何ですって!」ジルベールは愕然とした。「それでも裕福ではあるのでしょう?」
「今朝のあなたと同じように感じることも多いようですよ。『何処で朝食を食べよう?』」
「でも、貧しくたってみんなから尊敬されて慕われているんでしょう?」
「毎晩床につく時には明日のこともわからない状態です。バスチーユで目を覚まさずに済むのかどうか」
「そうなんですか! さぞかしみんなを憎んでいるのでしょうね?」
「愛しても憎んでもいません。嫌気が差しただけです」
「自分を迫害する人たちを憎まないなんて、信じられません!」
「ルソーはいつも自由でした。ルソーは自分一人で生きていけるほどには強かったし、強さと自由は人を穏やかで善良にさせます。奴隷状態と弱さだけが人を辛辣にさせるのですよ」
「だから自由に憧れていたんです」ジルベールは胸を張った。「今お話し下さったようなことは見当がついていましたから」
「人は牢獄の中でも自由です。明日ルソーがバスチーユに入れられたとして――いつかはそうなるでしょうが――それでもスイスの山にいた時とまったく変わらず自由に書いたり思索したりするでしょう。わたしだって人間の自由とは欲することを行うことにあるとは思ったことはありませんし、欲しないことを行うよう無理強いさせないことにあると思っています」
「つまり、ルソーがそう書いているのですか?」
「そのはずですよ」
「『社会契約論』ではありませんよね?」
「ええ、『孤独な散歩者の夢想』という新作です」
「失礼ですが、僕らはある点で見解が一致するのではないでしょうか」
「というと?」
「二人ともルソーを敬愛しているという点です」
「こうして錯覚の時代に生きているあなたは、どうお考えなんです?」
「物事については誤っているかもしれませんが、人間についてはそんなことはありません」
「ああ! いずれわかるでしょうが、誤まっているのはまさしく人間についてなんですよ。ことによればルソーはほかの人々よりはいくらか正しいかもしれません。でもいいですか、彼には欠点があります。大きな欠点が」
ジルベールは納得していないように首を振った。だがそんな不作法な態度を見せられながらも、老人は同じように丁寧に応じ続けた。
「出発点に戻りましょう。先ほどあなたに、ヴェルサイユで主の方と喧嘩でもしたのかとたずねましたね」
ジルベールもいくらか落ち着いて答えた。「主人などいない、と僕は答えました。さらにつけ加えるなら、大きな力を手にするかどうか決めたのは僕自身でしたし、ほかの人たちが羨むような条件を拒んで来たんです」
「条件ですか?」
「ええ、暇をもてあましている大貴族を楽しませるという条件でした。だけど僕はまだ若いのだし、学ぶことも上を目指すことも出来るのだから、貴重な若盛りを無駄にしたり人間の尊厳を自ら危うくするようなことはしてはならないと思ったんです」
「仰る通りです」と老人は深くうなずいた。「ですが上を目指すに当たってはっきりとした計画があるのですか?」
「僕は、医者になりたいと思っています」
「慎ましやかで犠牲を伴う真の科学と、メッキで塗りたくられた恥知らずなペテンを見わけることが出来る、立派な良い仕事です。真実を愛するのなら、医者におなりなさい。輝きを愛するのなら、医者をおやりなさい」
「でも学ぶには大金が必要ではないでしょうか?」
「お金は必要ですが、大金というのは言い過ぎでしょう」
「確かにジャン=ジャック・ルソーは何も費やさずに学んだそうですね」
「何も費やさずに……ですか!」老人は悲しげに微笑んだ。「神が人間に与え給うた大切なものを『何も』と言うのですか。純心、健康、睡眠。あのジュネーヴの哲学者はそれだけのものを費やして、ほんの僅かなことを学んだだけでした」
「ほんの僅かなですって!」ジルベールは露骨に嫌な顔をした。
「そうですよ。人にたずねてみて、ルソーのことを何と言うか聞いてご覧なさい」
「まずは偉大な音楽家でしょう」
「ルイ十五世が情熱的に『尽くしてくれるひとを失った』と歌ったからといって、『村の占い師』が良いオペラだとは限りません」
「偉大な植物学者です。『植物学についての手紙』をご覧下さい。僕は部分的にしか手に入れてませんが、あなたならご存じでしょう、こうして森で植物を集めてらっしゃるんですから」
「植物学者扱いされながら、実際には……」
「最後まで言って下さい」
「実際には、単なる植物屋でしかないのもよくある話です」
「ではあなたはどうなんですか……? 植物屋ですか、植物学者ですか?」
「ああ! 草や花と呼ばれる神の驚異を前にした、しがない無知な植物屋です」
続く

