翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』63-4

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「では説明してもらいましょうか」それでもピトゥはそう言った。

「今から話すさ。もっと寄りな、デジーレ、生粋の密猟者なら、昼だろうと夜だろうと野っ原だろうと森ん中だろうと知らねえ物音は無えな。尾けられてねえか目ん玉ひん剥いて、見張られてねえか耳を押っ立てておくんな」

 デジーレはうなずくと、ピトゥとクロードの周りをぐるりと巡った。羊小屋の周りをうろつく狼のように音もなく巡っていた。

 やがてデジーレが戻って来た。

「話せ。俺たちだけしかいない」

「まあ聞きな」クロードが言った。「おめえに言われたけどな、ピトゥ、フランスの町はみんな、武装して国民衛兵のところに馳せ参じたいんだよ」

「もちろんそうですとも」ピトゥがうなずいた。

「だったらアラモンも武装しようぜ。ほかの町みたいに」

「昨日クロードが言ってたじゃありませんか。ボクが武装を呼びかけたけど――アラモンは武装できない、アラモンには銃がないからって」

「銃なら心配いらん。おめえが在処を知ってんだから」

「そりゃ知ってますよ」ピトゥはクロードの意図を察し、危険を感じた。

「今日みんなで話し合ったんだ。愛国心のある若えのみんなで」

「凄い」

「三十三人いた」

「百引く一の三分の一ですね」

「演習(l'exercice)したことは?」クロードがたずねた。

「まさか!」ピトゥは武器の持ち方さえわからなかった。

「わかった。演習を指揮(la manœuvre)したことは?」

「ラファイエット将軍が四万人の演習を指揮しているところなら何度も見たことがあります」ピトゥは自慢げに答えた。

「いいじゃねえか」デジーレが黙っているのに耐えきれなくなって、さほど押しは強くないながらも、口を挟もうとした。

「だったら指揮するつもりはあるか?」クロードがピトゥにたずねた。

「ボクがですか?」ピトゥは驚いて飛び上がった。

「ほかに誰がいる」

 二人の謀反人がピトゥを凝っと見つめた。

「ふん、尻込みしてるな」クロードが断じた。

「だけど……」

「愛国心は無えのか?」デジーレがたずねた。

「冗談じゃありません」

「じゃあ何を怖がってる?」

「怖がる? バスチーユで勝利を収めた受勲者ですよ」

「受勲者だ?」

「勲章が出来たらそうなります。ビヨさんが約束してくれました、ボクの名前で一つ引き取っておいてくれるって」

「受勲者か。勲章持ちの指揮官ってわけだな」クロードが昂奮のあまり声をあげた。

「で、受け取るのか?」デジーレがたずねた。

「受け取るのか?」クロードもたずねた。

「もちろん受け取りますとも」ピトゥの声はうわずっていた。昂奮のせいと、恐らくは虚栄心という感情に目覚めたせいだ。

「決まりだ」クロードが言った。「明日、出発しよう。指揮してくれ」

「何の指揮でしょうか?」

「演習(L'exercice)だよ」

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『アンジュ・ピトゥ』63-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 だがねぐらに向かっていると十時の鐘が鳴ったのだが、いつもなら蝋燭は消えて村人も眠っている時刻だというのに、家の前には驚くべき光景が待ち受けていた。坐っている者たち、立っている者たち、歩いている者たちがいた。

 誰もが普段とは違う様子をしていた。

 ピトゥはわけのわからないまま、自分が話題になっているのだろうと考えた。

 ピトゥが街路まで来ると、人々ははじかれたように顔を上げてピトゥが来たと囁き合った。

 ――どうしたんだろう?とピトゥは考えた。――そう言えば兜をかぶってないや。

 ピトゥは人々と挨拶を交わしておずおずと部屋に戻った。

 建て付けの悪い扉を閉めてもいないうちに、扉を敲く音が聞こえた気がした。

 ピトゥは布団に入る前も蝋燭を点けない。蝋燭は贅沢品だ。粗末な寝台一つしかないのだから寝床を間違えようもないし、本もないのだから読みようもない。

 だが確かなことはあった。誰かが扉を敲いている。

 ピトゥは掛け金を外した。

 アラモンの若者二人が遠慮なく入って来た。

「何だ蝋燭もないのか、ピトゥ」

「ありません。あったってどうするんです」

「そりゃものを見るんだよ」

「夜目が利くんです。昼盲症ですから」

 それを証明するようにピトゥが挨拶をした。

「今晩は、クロード。今晩は、デジレ」

「おお、確かに俺たちだ」

「ようこそ。何のご用でしょう?」

「灯りのあるところ行こうや」クロードが言った。

「灯り? 月もないのに」

「空の灯りがあるさ」

「話があるんですね?」

「ああ、是非とも話さなくちゃなんねえ、アンジュ」

 クロードは意味深にその言葉に力を込めた。

「では行きましょうか」ピトゥが答えて言った。

 三人は外に出た。

 森の中の開けた場所まで来ると三人は立ち止まった。ピトゥは未だ用件を聞かされていない。

「どうしたんです?」二人が立ち止まったままでいるのを見たピトゥがたずねた。

「なあピトゥ、俺たち二人、俺とデジーレ・マニケでこの村(le pays)を動かすつもりなんだよ。おめえは来るか?」

「目的は?」

「そこだ。目的は……」

「目的は?」ピトゥが背筋を伸ばしてたずねた。

「叛乱さ」クロードがピトゥの耳に囁いた。

「パリの真似ですね」ピトゥは冷やかに応じた。

 森の奥だというのに、その言葉とその言葉のこだまを恐れていたのは事実だ。

『アンジュ・ピトゥ』63-2

 実際ピトゥはこう考えていた。人一人が食事をするのに三リーヴルやら十八スーやら掛ける必要はない。ルクッルス(Lucullus)ではないのだ。野兎代の十八スーがあればまるまる一週間は暮らしていける。

 つまり週の初めに野兎一羽を捕えたとするなら、残り七日で三羽は捕えられる計算になる。正確に言うなら七日ではなく七夜である。ということは一週間で一か月分の食料が手に入るということだ。

 その計算で行けば、四十八羽いれば一年を賄える。残りはまるまる純利益だ。

 ピトゥは仔兎を食べながらそんな計算結果をはじき出していた。仔兎は十八スー儲かるどころかバター代一スーと脂身代一スー掛かってしまった。玉葱は村有地から拾って来たものだ。

 食事の後は暖炉か散歩、と諺にある。ピトゥは食事を終えると心地よい寝床を探しに森に出かけた。【※「「Après le repas, le feu ou le pas.」または「Après le repas, le feu, le lit ou le pas (le mouvement). (食事の後は暖炉か寝床か散歩)」。古い諺】

 言うまでもなく、政治の話が済んでまた一人きりになるとすぐに、イジドールがカトリーヌといちゃついていた光景が脳裡に浮かんで来た。

 木楢と椈がピトゥの溜息に震えた。普段なら満腹した胃袋に微笑みかける自然も、ピトゥには当てはまらなかった。それどころか真っ暗で広大な砂漠のようにしか見えず、白兎と野兎とノロジカを除いて何もいないように感じられた。

 祖国の森の大樹の下に寝そべると、木陰の涼しさにいざなわれて、きっぱりと決意を固めた。カトリーヌの目の前から姿を消そう、カトリーヌを束縛するのはよそう、選ばれなかったからといって馬鹿みたいに悲しんではいけない、イジドールと自分を比べてむやみと卑屈になるのはやめだ。

 もうカトリーヌと会わない(ne plus voir)ためには身を切るような努力がいる。だがそれでも、男たるものは男でなければならないのだ。

 もっとも、問題はまったく別のところにある。

 正確に言うなら問題なのはカトリーヌをもう見つめない(ne plus voir)ことではなく、カトリーヌからもう見つめられなくなる(n'être plus vu)ことだ。

 何となれば、巧みに身を潜めた執念き男が通りしなにつれない想い人を時折り目にすることは誰にも防げまい。

 アラモンからピスルーまでの距離は? たった一里半。ほんのひとっ飛びだ。

 ピトゥからしてみればあんな場面を目撃した後でなおもカトリーヌを追いかけ回す勇気はない一方で、カトリーヌの様子や言動を把握し続けることには抜け目がなかった。そのために身体を動かすのはピトゥのような健康児にはうってつけだった。

 そのうえピスルーの向こうに広がる森林一帯は、ブルソンヌに至るまで野兎の宝庫だった。

 夜には罠を仕掛けに行き、翌朝には丘の上から平地を眺めてカトリーヌが出て来るのを待てばよい。それがピトゥの権利であったし、ビヨ氏直々の代理人であるピトゥにとって、ある意味では義務であった。

 こうして自分で自分を励ませば、溜息もやむと考えた。持ち歩いていたパンをたっぷり一切れ食べ、夕方になると罠を十個ばかり仕掛け、陽射しの温もりが残るエリカ(des bruyères)の上に寝転がった。

 そこでピトゥはあらゆる希望を失った人間のように眠った。つまり死んだように眠ったのである。

 夜の冷え込みに目が覚めると、罠を見に行ったが、まだ何も掛かってはいなかった。だがピトゥが当てにしていたのは朝狩りの方だった。今はとにかく頭が重いので、ねぐらに帰って翌日戻って来くることにした。

 だがこの日は、ピトゥにとっては何の異変も騒ぎもなく過ぎた一日であったが、村人にとってはいろいろと考えて様々に頭を巡らして過ごした一日であった。

 この日の中頃、即ちピトゥが森の中で夢を見ていた頃、木樵がまさかりに凭れ、農夫が殻棹を振り上げたまま固まり、建具師が板を削る鉋の手を止めた。

 こうした無為な時間の原因はピトゥにあった。ピトゥこそ雑然と揺らぎ始めた麦わらの中に投じられた波瀾の一吹きだった。

 ところが騒ぎの大元たるピトゥはそんなことをすっかり忘れていた。

『アンジュ・ピトゥ』63-1

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

第六十三章 陰謀家ピトゥ

 人の身に起こって幸運や名誉をもたらすものは、大抵の場合、今の今まで強く望んでいたことか非道く軽蔑していたことと相場が決まっている。

 この原理を歴史上の出来事や人物に当てはめてみれば、その奥底だけでなく真理も見えて来ることだろう。

 我々としては個々の事例にかかずらうことなく、主人公であるアンジュ・ピトゥの物語に当てはめるに留めておこう。

 さてピトゥが許してくれるならば、我々としては何歩か後戻りしてピトゥの胸の真ん中に空いた傷に話を戻そうと思う。つまり森の外れであの場面を目撃してからというもの、ピトゥはこの世のすべてに軽蔑を感じずにはいられなかった。

 ピトゥが夢見ていたのは愛という名の世にも珍しい貴重な花を心に咲かせることだった。ピトゥは兜と剣を身につけ故郷に帰って来た。著名な同郷人ドムスチエ(Demoustier)が『神話に関するエミールへの手紙』の中でいみじくも書いたように、マルスとウェヌスをめあわせた誇り高き武具を身につけて来たというのに、ヴィレル=コトレにいて愛すべきにもほどがある隣人たちに囲まれていることに気づいて、落胆と悲嘆を覚えた。【※Charles-Albert Demoustier(1760-1801)。フランスの作家。『Les Lettres à Émilie sur la mythologie』は神話に材を取った諷刺に満ちた散文・韻文集。「マルスとウェヌスをめあわせた誇り高き武具」の該当箇所は不明。第一巻第27章「Mars et Vénus」には、マルスがウェヌスの気を引くため兜と剣を身につけて馬車を曳かせたが、ウェヌスが怯えて逃げたのを見て、自尊心と武器を置いて愛を詠んだ、とある。】

 ピトゥは貴族に対するパリの抵抗運動の中でもかなり積極的な役割を担っていたというのに、今ではちっぽけな存在として田舎貴族を前にしていた。例えばイジドール・ド・シャルニーのような。

 美男子。一目で好印象を与えるような人間。革製のキュロットと天鵞絨製の上着を身につけた貴族。

 そんな相手とどう勝負しろというのか!

 拍車のついた乗馬用長靴を所有し、閣下(monseigneur)と呼ばれるような兄のいる相手と。

 そんな恋敵とどう太刀打ち出来ようか! 嫉妬で苦しむ胸の痛みを何倍にもする、屈辱と崇拝という二つの感情をどう共存させられようか! 自分より上か下の恋敵を好きかどうかもわからぬほどの苦しみに襲われているというのに。

 だからピトゥは嫉妬というものをよくわかっていた。うぶでお人好しなピトゥには、痛くてたまらないその不治の傷にそれまで縁がなかったとしても。嫉妬とは毒性の強い草花であり、どんな悪意も芽吹かないような土地からも、不毛な土地を覆い尽くす自惚れという雑草さえも芽吹かない土地からも、種も蒔かれずに生えて来るものなのだ。

 そんな荒んだ心に落ち着きを取り戻すためには深い哲学が必要だった。

 もしもピトゥが哲学者だったなら、そんなつらい感情を覚えた翌日にドルレアン公の白兎(lapins)や野兎と一戦交えようと考えたり、翌々日にはあの素晴らしい演説をおこなおうと考えたりするだろうか?

 ピトゥの心はぶつかると火花を散らす火打ち石のように硬いのだろうか――それとも海綿のように柔らかく抵抗するだけで、災難に遭っても涙を吸収して傷つきもせずしぼむのだろうか?

 それがわかるのはまだ先のことだ。予断を下さず物語を続けるとしよう。

 ピトゥは村人に受け入れられ演説も終えると、卑しい家事に身を投じたいという気持に突き動かされて、仔兎を調理し、それが成兎ではないことを残念がりつつ平らげた。

 果たしてそれが成長した野兎であったなら、食べずに売っていたことだろう。

 どうでもよい話ではない。野兎は大きさによって十八スーから二十四スーまでの価が付く。ピトゥにはジルベールから預かったルイ金貨がまだ何枚かあったし、アンジェリク伯母のような吝嗇家でないとはいえ、母から節制の志を受け継いでいたので、十八スーあったなら散財せずに虎の子に加えて懐を暖めていたことだろう。

『アンジュ・ピトゥ』62-7

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 するとボニファスの顔が怒りに染まった。

「俺たちを間抜け呼ばわりするとは随分と偉くなったもんだな、ピトゥ」

君は間抜けだゝゝゝゝゝゝ」ピトゥが重々しく告げた。

「お前はどうなんだ?」ボニファスが問い返した。

「いくら顧みたところで、きっと君のように醜いだろうけれど、絶対に君ほど愚かではない」

 ピトゥの言葉が終わりもせぬうちに、ピカルディ人のように短気なボニファスから拳固を見舞われかけたが、ピトゥは見ただけで難なくかわしてパリっ子直伝の蹴りを繰り出した。

 続けてもう一蹴り喰らわして、ボニファスを地面に這いつくばらせた。

 ピトゥが前屈みになってボニファスを見下ろした。とどめを刺そうとしていると感じた村人たちがボニファスを助けに入った頃にはピトゥは身体を起こしていた。

「覚えておき給え。バスチーユの勝者は拳で殴り合ったりはしない。剣なら持っている。そっちも剣を取れ、終わりにしよう」

 そう言ってピトゥは剣を抜いた。ピトゥの剣を除けば、アラモンにあるのは一クデ(約50cm)も短い防人の剣しかないことを失念していたのかどうかは定かではない。

 公平を期すために兜を脱いだことだけは確かである。

 懐の深さに歓声があがった。ボニファスが頭の悪い間抜けなごろつきであり、国政に関する議論に相応しくないのはわかり切ったことだ。

 ボニファスは連れて行かれた。

「『パリの革命』の喩え話をお読み下さい。プリュドム(Prudhomme)さんかルースタロ(Loustalot)さんはこう言いました――ルースタロさんだったと思いますが……いえ、間違いなくルースタロさんでした。【※Louis Marie Prudhomme(1752-1830)はフランスのジャーナリスト。『パリの革命』発行人。バスチーユ襲撃を報じた。Élisée Loustalot(1761-1790)はフランスのジャーナリスト。『パリの革命(Les Révolutions de Paris)』編集者。ルースタロの名は第40章にも見える。】

「『大きなるものが大きく見えるのは、我々がひざまずいているからに過ぎない。今こそ立ち上がろう』」

 その金言と今の状況とはまったく繋がりがなかった。だが絶大な効果が上がったとすれば、まさにそのためだった。

 離れたところにいたボニファスも、その言葉に打たれてへこへこしながらピトゥに近づいて来た。

「怒んないでくれよ、ピトゥ。お前ほど自由ってもんを知らなくても勘辨してくれ」

「自由ではなく人権です」ピトゥが言った。

 その一撃によって、村人たちは再び打ちのめされた。

「やっぱりお前は物識りだよ、尊敬するわ」ボニファスが言った。

 ピトゥが頭を下げた。

「そうですとも、教育と経験のおかげでみんなより長けてますからね。多少きついことを言ったとしても、友情のためなんです」

 喝采が起こったのを見て、ピトゥはいつでも話が出来ると感じ取った。

「仕事の話の途中でした。では仕事とは何ですか? あなた方にとって仕事とは、薪を割り、穀物を刈り、木の実を拾い、刈り穂を束ね、石を積み重ねてセメントで固めること……それがあなた方の仕事です。その考えに従えば、ボクは仕事をしていないことになります。違いますよね? ボク一人だけであなた方みんなの何倍も仕事をしているんです。だって皆さんの解放を考え、皆さんの自由と平等を夢見てるんですから。ボクの一瞬は皆さんの百日と同じだけの価値があるんです。畑を耕す牛にはどの牛も同じことしか出来ません。でも頭を使う人間には肉体の力以上のことが出来るんです。ボク一人だけであなたがた全員分の価値があるんです。

「ラファイエットさんをご覧なさい。痩せていて、白茶けた髪をして、背はクロード・テリエとさほど変わりません。鼻は尖っているし、脛はみすぼらしいし、腕はこの椅子の桟のようです。手と足は言わずもがなでしょう。無い方がましなくらいです。そんな人が両の肩に二つの世界を背負っているんです、アトラスよりも一つ多く。あの小さな手で、アメリカとフランスの足枷を引きちぎったんです。

「あの腕でそんなことが出来たんです、椅子の桟のような腕で。どうかボクの腕で何が出来るか見定めて下さい」

 そう言ってピトゥは柊の幹のようにゴツゴツした腕を見せた。

 腕を確かめさせたところでピトゥは話をやめた。最後まで話を続けなくとも絶大な結果をもたらしたことに気づいたからだ。

 ピトゥは結果を手に入れていた。

 
 
 第62章おわり。第63章につづく

『アンジュ・ピトゥ』62-6

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「俺はね、働かないのは願ったりだよ。だがそんならどうやって食べてくんだ?」ボニファスがたずねた。

「食べるですって?」

「アラモンの人間は今でも物を食っとるよ。パリの人間は食うのをやめたのかね?」

「圧政を倒した暁には、食べることだってしますとも。七月十四日に物を食べた人がいましたか? あの日に食べ物のことを考えていた人がいましたか? いませんでした。そんな暇はなかったんです」

「そうだ! そうだ!」熱狂した人々が和した。「たいしたもんだったに違いない、バスチーユ襲撃は」

「食べるですって?」ピトゥは蔑むような態度を続けた。「もちろん飲み物は別ですよ。とても暑いですし、黒色火薬はえぐいですから」

「飲むって何を?」

「何を飲むかですか? 水に葡萄酒にブランデーです。そうしたことを引き受けてくれたのはおかみさんたちでした」

「おかみさん?」

「そうです。洋服の前の部分で旗を作ってくれたのもあの人たちでした」

「たいしたもんだ!」感嘆の声があがった。

「だがね、次の日には食わにゃなるまい」懐疑的な者が口を挟んだ。

「違うとは言いません」

「てことはあれだ」ボニファスが勝ち誇ったように言った。「食べるためには、仕事をしなくてはならんね」

「ボニファスさんはその辺りの事情をご存じありませんからね。パリは田舎町じゃないんです。古くさい村人が暮らしてるわけじゃありませんし、毎日胃袋のことばかり考えているわけじゃないんですよ。我らが学者のラテン語で言えば『Obedientia ventri(胃袋への服従)』じゃないんです。ミラボーさんの言葉に倣えば、パリは国民の頭であり、全世界のことを考える脳みそなんです。脳みそは食べ物なんか食べません」

「その通りだ」と誰もが思った。

「けれど」とピトゥが続ける。「ご飯を食べない脳みそだって栄養は摂るんです」

「どうやって?」ボニファスが疑問を呈した。

「少しずつ肉体の養分から」

 こうなるともう村人たちの理解を超えていた。

「説明してもらえるかね」ボニファスが請うた。

「パリが脳みそだと言いましたよね。地方の町が手足です。地方が手足を動かし飲み食いし、パリが考えることになるんです」

「だったら俺ァ田舎を離れてパリに行くよ。お前らも一緒にパリに行かねえか?」ボニファスが声をかけた。

 笑いが巻き起こったことから察するに、村人はボニファスに同意見であるらしい。

 このままでは立場が悪くなると感じたピトゥは声をあげた。

「だったらパリに行けばいい。あなた方みたいな間抜け面に会ったら、一羽一ルイでこんな仔兎を買ってあげますよ」

 ピトゥは片手で仔兎を掲げ、もう片方の手でルイ金貨をカチャカチャと鳴らしてみせた。ジルベールから預かったままのものだ。

 ピトゥが笑い出す番だった。

『アンジュ・ピトゥ』62-5

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「銃が百挺以上ある場所を知っています」

「何処だ?」

「フォルチエ神父の学校の教室(salles)です」

「フォルチエ神父が百挺の銃を? 聖歌隊に武装でもさせる気かね、あの坊さんは?」クロード・テリエが疑問を呈した。

 ピトゥはフォルチエ神父に深い愛情を抱いているわけではなかった。それでもかつての恩師を罵倒されて深く傷ついた。

「クロード!」

「何でえ?」

「フォルチエ神父が銃を持っているとは言ってません。フォルチエ神父のところに銃があると言ったんです」

「そいつん家にあるのならそいつのモンだろう」

「その論法は間違ってますよ、クロード。ボクはバスチャン・ゴディネ(Bastien Godinet)の家にいますけど、バスチャン・ゴディネの家はボクのものではありません」

「そうだな」バスチャンがピトゥにわざわざ呼ばれるまでもなく応えた。

「ですからその銃はフォルチエ神父のものではありません」

「だったら誰のなんだ?」

「この村(la commune)のものです」

「村のものがどうしてフォルチエ神父のところにあるんだ?」

「フォルチエ神父の家が村のものだからです。神父がその家に住んでいるのは、弥撒を執りおこなったり、貧しい家庭の子供に無償で勉強を教えたりしているからです。そういうわけで、フォルチエ神父の家が村のものであるからには、村には神父の家に銃を保管する充分な権利があるのです」

「違えねえ! 村にはそうする権利がある」

「それでどうすんだ? どうやってその銃を手に入れりゃあいい? 教えてくれ」

 その質問にピトゥは困り切って耳を掻いた。

「そうだ、早く教えてくれ」と別の声がした。「仕事に行かなきゃならねえんだ」

 ピトゥはほっと息をついた。今の言葉のおかげで逃げ道が見つかった。

「仕事ですって? 祖国を守るために武器を手に入れようって話をしている時に、仕事のことを考えているんですか!」

 ピトゥはそれだけ言うと、皮肉に満ちた蔑むような笑い声をあげたので、アラモンの村人たちは恥じ入って顔を見合わせた。

「せいぜい二、三日だよ、いくら自由のために時間を取れるとしても」また別の者が言った。

「自由のために時間を取るなら一日では足りません。毎日を当てなければ」

「てことはあれだね」ボニファスが言った。「自由のために立ち上がろうと思ったら、仕事を休まにゃならんのだね」

「ボニファス」ピトゥの態度は、まるで苛立ちを抑えきれなくなったラファイエットのようだった。「予断を捨てられないような人には、一生かかっても自由を手に入れることなんて出来ません」

PROFILE

東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 本好きが高じて翻訳小説サイトを作る。
  • 翻訳が高じて仏和辞典Webサイトを作る。

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