翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』58-2

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 フォルチエ神父のところから辞したピトゥを、二十人ほどの集団が待ち構えていた。ピトゥがどんな恰好をしているのかという噂はもう村中を駆け巡っていたので、そのおかしな恰好はこの集団にもある程度は知られていた。ピトゥが暴動のあったパリから戻って来たのを見て、ピトゥも暴動に参加したものだと考え、最新の情報を知りたがっていた。

 ピトゥは情報を例の如く厳かに伝え、バスチーユ襲撃のことや、ビヨやマイヤールやエリーやユランの偉業を語った。如何にしてビヨがバスチーユの堀に嵌ったか。如何にしてピトゥが引っ張り上げたか。そして一週間ほど囚われていたジルベール医師を如何にして助けたか。

 ピトゥの話はほとんどがとうに知られていた内容だったが、詳しい話を何処で知ったかといえば新聞を読んだからであった。新聞記者がどれだけ興味深い記事を書こうとも、目撃者がじかに語る話には勝てない。遮られても続きを話すことが出来るし、質問されれば答えることも出来る。

 而してピトゥは話を続け、質問に答えた。遮られればにこやかに応じ、愛想良く答えを返して、詳しい事情を伝えた。

 こうしてソワッソン街には人が押し寄せ、フォルチエ神父の門前で話を聴いていた。一時間もした頃、一人がピトゥの顔に不安らしきものが浮かんでいるのに気づいて、言葉を発するまでに至った。

「この子は疲れてるじゃないか、可哀相に。こんなところに引き留めてないで、アンジェリク伯母さんのところに行かせてやろう。ピトゥが帰ったらあの婆さんも喜ぶぞ」

「疲れてるわけじゃありません。お腹が空いてるんです。疲れたことなんてないのに、何でお腹は空いてばかりなんでしょうね」

 このように正直に打ち明けられると、人々はピトゥの食慾に感心して、鄭重に道を開けた。斯くしてピトゥは人一倍好奇心の強い者たち数人にまとわりつかれたまま、プリューへの道――即ちアンジェリク伯母の家まで道をたどった。

 アンジェリク伯母は不在だった。ご近所づきあいのさなかと見えて、扉は閉まっていた。

 家まで食べに来いと言ってくれる人も何人もいたが、ピトゥは毅然として辞退した。

「でもピトゥ、伯母さんの家は閉まってるよ」

「伯母の家の扉であれば、飢えた素直な甥っ子を前にして閉じたままでなんかいないのです」ピトゥは仰々しく応えた。

 太刀を抜いたピトゥを見て女子供が後ずさったが、ピトゥは錠前の舌と受座の間に切っ先を入れて力を加えた。すると扉が開き、感嘆の声があがった。老嬢の怒りを恐れず敢行するのを見ては、誰もがピトゥのやったことを認めないわけにはいかなかった。

 家の中はピトゥがいた頃のままだった。例の革椅子が王様のように部屋の真ん中にましまし、脚の取れた数脚の椅子(chaises)や腰掛け(tabourets)がちんばの宮廷を作り出していた。奥にはパン入れ櫃(la huche)があり、右には食器棚、食器棚の向かいには暖炉があった。【※「例の椅子」…第2章参照。アンジェリク伯母は金貨を椅子のクッションの中に隠している】

 ピトゥはにこやかな微笑みを浮かべて家に足を踏み入れた。みすぼらしい家具には不満などない。それどころかどれも少年時代の友人たちだった。なるほど確かにアンジェリク伯母と同じくらい手強い相手ではあったが、戸棚をひとたび開けば中にはめぼしいものが入っている。アンジェリク伯母の中身を開いたところで心の中はいっそう冷たく厳しいのとは大違いである。

 こういったことが間違いないということを、すぐさまピトゥは実演して見せた。ピトゥを追いかけて来た人々は、そうした様子を窺い、アンジェリク伯母が帰って来たら何が起こるか知りたくて外から眺めていた。

 しかもこのうち何人かがピトゥに心から共感していたのは明白であった。

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『アンジュ・ピトゥ』58-1

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

第五十八章 語形間違い一つと構文間違い三つのせいで伯母に罵られ追い出されたピトゥが、今度は鶏飯(volaille au riz)のためにまたもや罵られ追い出された次第

 ピトゥはフザンドリ(la Faisanderie)と呼ばれている狩り場を通って緊張もせずヴィレル=コトレに足を踏み入れ、舞踏場を通り抜けた。三週間前にカトリーヌを連れ出した舞踏場もその週には無人になっていた。【※第7章、ダンスの日は1789年7月12日(日)。】

 この三週間の間、ピトゥにもフランスにもあまりにたくさんのことが起こっていた。

 西洋栃マロニエの並木道をたどり、城館前の広場に至った。ここに来たのはフォルチエ神父の学校(collège)の裏門(la porte de derrière)を叩くためだ。

 ピトゥがアラモンを去ったのは三年前のことだったが、ヴィレル=コトレを離れたのはほんの三週間前のことだった。だからアラモンに一人の知り合いもなくヴィレル=コトレにはいるのは単純明快なことである。

 情報は瞬く間に村中に広まった。ピトゥがセバスチャン・ジルベールと一緒に帰って来たことや、二人が学校の裏口から入ったことや、セバスチャンがほとんど変わっていないことや、ピトゥが兜と太刀を身につけていること。

 然るが故に正門(la grande porte)に人が群がっていた。ピトゥがくぐり戸(la petite porte)から招き入れられたのであれば、ソワッソン街(la rue de Soissons)の正門から出て来るのではないかと考えたからだ。

 その道の先にプリュー(Pleu(x))がある。【※プリュー/プルー(Pleux)には伯母が住んでいる。】

 実際のところピトゥがフォルチエ神父のところにいたのは、医師の手紙とセバスチャン・ジルベールと宿代の大型ルイ五枚を神父の姉(sa sœur)に預ける間にしか過ぎなかった。

 巨大な兵士が庭の門をくぐって来るのを見て、初め老姉は恐怖に囚われた。だが龍騎兵の兜の下から穏やかな真面目顔が覗いているのに気づいて、不安はだいぶ和らいだ。

 そして大型ルイ五枚を見るに及んで不安は完全に吹き飛んだ。

 老嬢が恐れを抱いたのもやむを得まい。フォルチエ神父が生徒(ses élèves)を連れて散歩に出てしまい、家には自分一人きりだと気づいてしまったのだから。

 ピトゥは手紙と大型ルイ五枚を預けると、セバスチャンを抱きしめ、軍人のように勇ましく兜をかぶって立ち去った。

 セバスチャンはぼろぼろと涙を流した。長い別れになるわけでもあるまいし、人づきあいが楽しくないわけでもあるまいに。それでもピトゥの笑い声や優しさや心遣いがジルベールの心には温かかった。ピトゥには大きなニューファンドランド犬のようなところがあった。時にうんざりさせられるものの、ぺろぺろと舐められると怒りも解けてしまうような存在。

 セバスチャンの悲しみを和らげたのは、何度も会いに来るというピトゥの約束だった。ピトゥの悲しみを和らげたのは、セバスチャンの感謝だった。

 ではここらで我らが主人公に倣い、フォルチエ神父の家からプリューの外れにあるアンジェリク伯母の家に移動しよう。

『アンジュ・ピトゥ』57-5

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 その間セバスチャンは十字架の足許にひざまずいて祈りを捧げていた。誰のために祈っていたのかは知るべくもない。

 恐らくは、森の木々の下に見つかればいいと願っていた幼少期の景色のために。恐らくは、見たことのない見知らぬ母のために。何となれば母なるものは、実際に乳を与えることがなくとも、九か月にわたって血で子を育てたのだから。【※血で子を育てた=母胎で育てた】

 ピトゥは神聖な行為を終えると、兜を頭に戻し、太刀をベルトに留めた。

 セバスチャンは祈りを終えると、十字を切ってからピトゥの手を取った。

 そうして二人は村に足を踏み入れ、ピトゥが生まれセバスチャンが育った藁葺きの家に向かった。

 アラモンをよく知っていたピトゥだったが、藁葺きの家を見つけられずにいた。仕方なく人にたずねてみると、教えられたのはスレート屋根のある石造りの小屋だった。

 庭は塀で囲われていた。

 アンジェリク伯母は妹の家を売り払っていたのだ。新しい所有者は当然ながら家をすっかり滅茶苦茶にしてしまった。以前なら壁は上から下まで何度も塗り直されていたし、以前なら扉には猫用の出入口が付けられていた。以前なら窓の半分にはガラスが嵌められ、もう半分に貼られた紙にはピトゥが棒で書いた拙い字が並んでいた。藁葺き屋根には緑の苔と、花を咲かせたサボテンが育っていた。

 それがすべてなくなっていた。何もかも。

 閉じた扉の敷居の上で太った黒猫がピトゥに牙を剥いた。

「ねえセバスチャン」ピトゥの目には涙が浮かんでいた。「行きましょう。あそこならきっと何も変わってませんよ」

 そう言ってピトゥは母の眠る墓地にセバスチャンを連れて行った。

 確かに何も変わっていなかった。雑草がはびこっていること以外は。雑草が墓地中にはびこっていたので、母の墓を見つけることさえ難しかった。

 墓地には幸いなことに雑草だけでなく枝垂れ柳の枝も生えており、枝は三、四年で大きく育っていた。ピトゥは柳に向かって進み、影の落ちている地面に口づけした。無意識に畏敬を覚えてキリストの両足に口づけしたように。

 立ち上がると、柳の枝が風に揺れてまとわりつくようにたなびいていた。

 ピトゥは腕を伸ばして枝を胸に掻き抱いた。

 それはまるで最後に抱きしめていた母の髪のようだった。

 二人がしばらく墓地で安らいでいるうちに、日は傾いていた。

 墓を後にしなくてはならない。ピトゥのことを忘れずにいたのはこの墓だけだろうというのに。

 ピトゥは立ち去る前に柳の枝を折って兜に挿そうとしたが、直前で思い留まった。

 この柳の根はきっと、遺体の眠っている剥げた樅の棺を包み込んでいる。その枝を折れば母が痛がるような気がした。

 だから改めて地面に口づけをしただけで、セバスチャンの手を取って墓地を後にした。

 誰もが畑や森で働いていたから、ピトゥの姿を目にした人自体が少なかったうえに、兜と太刀ですっかり変わって見えたから、気づいた者も皆無だった。

 ピトゥはヴィレル=コトレに向かった。道の大半が森を貫いているので、つらいことから気持を逸らすような生き物や動く物には事欠かなかった。

 セバスチャンも同じように物思いに耽りながら無言でついて行った。

 ヴィレル=コトレに到着したのは夕方の五時頃だった。

 

 第57章おわり。第58章に続く。

『アンジュ・ピトゥ』57-4

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 ピトゥは息が詰まるほどきつくセバスチャンを抱きしめ、手をつかむと、ヴュアラ(Wuala)谷に沿って伸びる近道を走り始めた。あまりの速さに百歩も行くとセバスチャンが息を切らしてこう言ったほどだった。

「速すぎるよ、ピトゥ」

 ピトゥは足を止めた。ピトゥにとってはいつもの速さだったから気づきもしなかった。

 ところがセバスチャンに目をやれば、真っ青になって喘いでいた。

 ピトゥはイエスを抱きかかえる聖クリストフォロスのようにセバスチャンを抱きかかえて先に進んだ。【※信仰のため川の渡し守になったレプロブスは、あるとき男の子を背負って川を渡った。男の子はみるみるうちに重くなった。それは罪の重さを背負ったイエスだった。以後「キリストを背負う者」という意味のクリストフォロスと呼ばれる。】

 こうしてピトゥは望み通りの速さで進むことが出来た。

 ピトゥがセバスチャンを運ぶのはこれが初めてではなかったので、セバスチャンも黙って運ばれていた。

 こうしてラニー(Largny)に到着した。ピトゥが胸を波打たせていることに気づいたセバスチャンは、もう充分に休んだからいつでもピトゥの歩く速さについていけると話をした。

 優しいピトゥは歩みを遅らせた。

 半時間後、ピトゥはアラモン(Haramont)村の入口に立っていた。大詩人の歌の調べに従えば、麗しの生まれ故郷に。けだし音楽の力は言葉よりも強い。【フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンによる小説『アバンセラージュ家末裔の恋(Les Aventures du dernier Abencerage)』(1826)より。「うるわしの我が故郷。素晴らしきフランスの日々。我が祖国よ永久に愛さん。/思い出さぬか、囲炉裏端の我らが母を。共に二人、胸に寄りかかり、白き髪に口づけしていたことを?/……」】

 二人はアラモンに着くと、辺りを見回し其処が目的地に間違いないか確かめた。

 初めに目に留まったのは十字架像だった。信仰の表れとしてよく村の入口に設置されているものだ。

 だがパリで進行しつつある無神論の波はアラモンにさえ影響を及ぼしていた。キリストの右手と両足を十字架に打ちつけていた釘が、錆びついて折れていた。キリストは左手だけで磔にされていたというのに、あれだけ触れ歩かれていた自由と平等と友愛の象徴を、ユダヤ人に突き上げられた場所に戻そうとするような敬虔な心の持ち主はいないようだった。

 ピトゥは信心深い方ではなかったが、子供の頃から説き聞かされていたので、打ち捨てられたキリスト像には心を痛めた。茂みの中から針金のように細く丈夫な蔓草を見つけると、兜と太刀を草の上に置き、十字架を上って殉死した神の子の右腕を結び直し、両足に口づけをしてから下に降りた。

『アンジュ・ピトゥ』57-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 もっとも、セバスチャンを連れて帰ることには自分でも自信があった。通り過ぎる村々には、パリの一件からこっち動揺と恐怖が満ちていたが、ピトゥは落ち着いて旅を続けていた。パリの一件がつい先日のことだったのを思い出されたし。何しろ、十月五日と六日の出来事まで物語を進めてしまっていたが、ピトゥとセバスチャンがパリを離れたのは七月終わりか八月初め頃だった、ということを思い出していただきたい。

 しかもピトゥは兜を帽子にし、大刀を護身具にしていた。七月十三日と十四日に手に入れたものはそれだけだったが、目的を叶えるためには戦利品はその二つで充分だった。それに恐ろしげな雰囲気が醸し出されていたので、身の安全のためにもそれで充分だった。

 もっとも、兜と龍騎兵刀の存在が恐ろしげな雰囲気に一役買っていたのは間違いないところだが、それに加えてピトゥ自身の力でもあった。バスチーユ襲撃に参加したからには、たとい協力しただけに留まっていたにしても、雄々しさが身についていないわけがなかった。

 さらに言うならピトゥはいっぱしの辯士にもなっていた。

 市庁舎の発議やバイイの演説やラファイエットの演説を聴いたからには、いっぱしの演説家にならないわけがない。ましてやラテン語の説教集les Concionesを既に学んでいたのだ。フランスの辯論術は十八世紀の終わりにはかなり色褪せていたとはいえまだまだ正確な原形を保っていた。

 逞しい両の拳や比類なく柔和な微笑みや驚異的な食欲に加えて、この二つの強固な力を備えることの出来たピトゥは、ヴィレル=コトレへの道のりを悠々と旅していた。

 ピトゥは政治に関心のある人たちに話せるような情報を携えていたし、請われればいつでもそれを伝えていた。何しろこの時代を境に政治情報の主要な製造元となるパリで暮らしていたのだ。

 ピトゥは語った。ベルチエ氏が莫大な埋蔵金を残していたことや、革命政府が何日かかけて掘り出すはずだということ。栄光の象徴でありフランス片田舎の誇りであるラファイエット氏がパリではもはやおんぼろの人形に過ぎないことや、ラファイエットの乗る白馬が地口のネタになっていたこと。ラファイエットが家族も同然の深い友情を注いでいるバイイ氏が、貴族政治主義者であったどころか、口の悪い者たちからはさらにひどいことを言われていること。

 こうしたことをピトゥが物語ると、怒りの嵐が巻き起こったが、ピトゥには暴風雨を黙らせるquos egoすべがあった。ピトゥはオーストリア女の知られざる逸話を話して聞かせた。

 巧みな話術のおかげで、ヴィレル=コトレの直前にあるヴォシエンヌ(Vauciennnes)の村までずっと、食事には事欠かなかった。

 セバスチャンはピトゥとは対照的に、ほとんど或いはまったく食べなかったし、まったくしゃべらなかった。それになまっちろい子供だったので、セバスチャンを見た人々は、ピトゥが父親のように愛情深く大事に世話しているのを感心して見ていた。それにまたピトゥの食べ方が、快適になれる機会を逃すまいとしているようにしか見えないことに感心していた。

 ヴォシエンヌまで来ると、ピトゥは躊躇うようにセバスチャンと見つめ合った。

 ピトゥが頭を掻いた。困惑している印だ。

 当然ながらセバスチャンはピトゥのこの癖を知っていた。

「ピトゥ、どうしたんだ?」

「もしよければだけれど、それにあまり疲れていないのならだけれど、このまま真っ直ぐには進まずに、アラモン(Haramont)に寄ってからヴィレル=コトレに帰りたいんです」

 うぶなピトゥは真っ赤になって希望を口にした。カトリーヌがあまり無邪気とは言えない希望を口にした時のように。

 セバスチャンはすぐに察した。

「そうか、ピトゥの母さんが亡くなったところだね」

「では行きましょう」

『アンジュ・ピトゥ』57-2

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「後は――」ジルベールが言った。「セバスチャンと君に、旅の仕方を伝えるだけだ」

「パリからヴィレル=コトレまでは十八里しかありませんから、着くまでずっとおしゃべりして行きますよ、セバスチャンもボクも」

 十八里の間ピトゥとおしゃべりするのがそれほど楽しいものかどうかを確認するかのように、セバスチャンが父を見つめた。

 ピトゥがそれを見咎めた。

「ラテン語で話して行けば、賢いと思われますよ」

 無邪気なことに、そう思われるのがピトゥの夢だった。

 ほかの人間であれば、大型デュブルルイ金貨を十枚持っていればこう言ったことだろう。

「ライ麦パンが買えますよ」と。

 ジルベールはしばし迷ったように、ピトゥとビヨを順番に眺めた。

「ああ、ピトゥの付き添いが不安で、息子さんを託していいものかどうか躊躇ってるんですね」ビヨが確認した。

「ピトゥに託すわけじゃないさ」

「では誰に?」

 ジルベールは上方に目を向けた。「神」という言葉を口にするには、些か懐疑主義に過ぎたのだ。

 こうしてすべてが決まった。セバスチャンに快適な楽しい旅を約束したピトゥの案はそのまま採用され、翌朝には出発することになった。

 ジルベールなら当時パリから地方まで運行していた駅馬車(voitures publiques)に息子を乗せてヴィレル=コトレに連れてゆくことも出来ただろうし、個人で馬車を用意することさえ出来たであろう。だがご存じのようにジルベールはセバスチャンのためにも一人きりで物思いに耽ってしまうことを恐れていたし、走る馬車の立てる轟音ほど人を物思いの中に閉じ込めてしまうものはない。

 そこでブルジェ(Bourget)まで二人を送って行くと、そこで陽光に照らされた並木のある道路を指さし、両腕を広げてこう言った。

「さあ行くんだ」

 その言葉に押されてピトゥは歩き出した。セバスチャンは何度も振り返ってジルベールに口づけを送った。ジルベールは息子と別れた場所で腕を組んで立ったまま、夢を追って来たように息子を目で追っていた。

 ピトゥは高々と胸を張っていた。国王の季節侍医(médecin du roi par quartiers)であるジルベールという重要人物から信頼されたことに鼻が高かった。

 ピトゥは傅育官と家政婦の役割をまっとうすべく丹念に準備していた。

『アンジュ・ピトゥ』57-1

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

第五十七章 ピトゥとセバスチャン・ジルベールの出立と道中と到着

 しばらく前のことになるが、如何なる状況の下でピトゥとセバスチャン(Gilbert)の帰郷が決まったのかをお伝えしたことを覚えているだろうか。

 ここらで主人公たちからしばし離れて、若い二人の旅におつきあいいただき、出立の様子から、道中、そしてヴィレル=コトレ到着までを詳しくお話しさせていただこう。ピトゥとしては二人がいなくなったことでヴィレル=コトレに大きな穴が開いているはずだと考えていた。

 ピトゥはジルベールから頼まれて、セバスチャンに会いに行き連れて戻ることになった。斯くしてピトゥは辻馬車に乗せられた。セバスチャンがピトゥに託されたように、ピトゥは馭者に託されたのである。

 遂に一時間後、辻馬車に連れられて来たピトゥが、セバスチャンを連れて来た。

 ジルベールとビヨはサン=トノレ街(rue Saint-Honoré)に借りていた部屋で待っていた。ノートル=ダム=ド=ラソンプション教会(l'Assomption)から少し上に行ったところに位置する。

 ジルベールから息子に説明があり、ピトゥと同じ晩に出かけることになっていると伝えられ、恋しい森に再会することが出来たら嬉しいかとたずねられた。

「ええ。お父さんがヴィレル=コトレに会いに来てくれるか、僕の方からパリに会いに行くことさえ出来るのなら」

「心配いらない」ジルベールは息子の額に口づけをした。「今ではおまえに会わずに過ごすことなど出来やしないよ」

 一方ピトゥはその晩故郷に向けて出発するのだと考えるにつけても、楽しみで楽しみで顔を紅潮させずにはいられなかった。

 ジルベールがピトゥの片手にセバスチャンの両手を握らせ、もう片方の手に四十八リーヴル=ルイ金貨ばかりを十枚ほど入れた時には、感激のあまり血の気が引いた。

 主として健康に関するジルベールからの長々とした忠告に、ピトゥは神妙に耳を傾けていた。

 セバスチャンの伏せた目には涙が滲んでいた。

 傅育官を任じられていたピトゥが大きなポケットの中でルイ金貨の重さを量って鳴らしていると、ジルベールから手紙を渡された。

 それはフォルチエ神父に宛てた手紙だった。

 ジルベールの忠告が終わると、今度はビヨの番だった。

「ジルベール先生がおまえさんに託したのはセバスチャンの心だが、俺が託すのは身体の方だ。その拳の使い方はわかっているな?」

「もちろんです。それに剣もあります」

「むやみに使うもんじゃない」

「慈悲を忘れません」ピトゥが答えた。「そうなりたいものですclemens ero

「なりたけりゃ英雄にだってなれるさ」ビヨの言葉にからかうような響きはなかった。

PROFILE

東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 本好きが高じて翻訳小説サイトを作る。
  • 翻訳が高じて仏和辞典Webサイトを作る。

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