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翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

ラージャグリハの鬼神のこと。

ラージャグリハの鬼神のこと。子どもに法衣をかけて首につなぐこと。食事の際に名を唱えて敬意を表すこと。

 これは覚者がラージャグリハの竹林園に住んでいたころの話である。町の山辺にサータという鬼神が居を構えており、ビンビサーラ大王、中宮、妃后、王臣、宰相、その他多くの人々を守護していたので、誰もが安心して暮らしていられた。恵みの雨を降らせて穀物を実らせ、どこに行こうとも花も果実も泉も池も枯れることがなかったので、飢えもなく、欲しいものを手に入れるのもたやすかった。ために僧侶や司祭、貧乏人や独り者、それに商人たちがこぞってマガダ国に集まって来た。鬼神サータはこうした人々もまた愛情を込めて守護していた。そのサータがついに親族のなかから妻を娶って一緒に暮らすことになった。同じころ、北方のガンダーラ国にもパンチャーラという鬼神がいた。サータ同様その国を守護していたので、マガダ地方に劣らず穏やかで過ごしやすい豊かな国であった。そのパンチャーラも同じように親族から妻を娶り一緒に暮らした。

 後日のことである。全国中の鬼神が一同に会した折り、この二人の鬼神もねんごろに言葉を交わし、親友となった。別れを告げて地元に帰ってからも、鬼神サータがマガダ国の果実を摘んでパンチャーラに送れば、北国からもサータに果実が送られて来るようにして、久しく交友を深めていた。

 ふたたび集会があり友情を確かめる機会のあったとき、サータがパンチャーラに言った。

「ほかでもない、我々が死んだあとも子孫同士が親しくして、疎遠にならぬようにしたいものだ」

「名案だ。心得た」とパンチャーラも言った。

 サータが続けて、「ではお腹にいる子どもを許嫁と為そう。両家に男女が産まれたときには、娶り娶わせる約束だ」

「異存ない」

 そうこうしているうちにいよいよサータの妻が身ごもり、月満ちて女児を産んだ。容姿端麗にして気高く、一目見たものはたちまち心を奪われた。鬼神たちが揃って歓喜祝福したため、人呼んで「歓喜」と名づけた。

 これを聞いたパンチャーラも大いに喜び、「鬼神サータは我が親友。あやつに女が産まれたからには、こちらに男が産まれれば、愛しい妻と為そう」と美しい産衣を贈るとともに、使いには以下のような親書を持たせた。

『女児が産まれたと聞いて非常に愉快だ。着物を送るから受け取ってもらえたら幸いだ』

 サータはこの手紙を受け取って、さっそく返礼を書いた。

 こういう事情があったので、パンチャーラはただひたすら男児の産まれるのを望んでいた。すると幾日も経たぬうちに妻が身ごもり、月満ちて男児を産んだので、すぐにあざなを決めて、パンチャーラの子ゆえにパンチーカと名づけることにした。

 パンチャーラに男児が産まれたと聞いて、鬼神サータにも思うところがあった。「親友に男児が産まれたとあっては、こうしてはいられぬ。きれいな産衣を贈って祝福せねば。必ずや我が娘の夫となる男子なのだからな」

 やがて手紙をしたためた。『子どもが生まれたと聞き、祝福と喜びのこもごも感じることかぎりない。つまらないものだが産衣を贈る。以て祝辞とさせてもらいたい。よければ受け取って、どうか気持を無駄にしないで欲しい』

 読み終わったパンチャーラがこれに返事を書いた。『家族ぐるみの交友を約していたが、とうとう願いが叶った。二人の成人を待って婚姻を結びたし』

 そのうち鬼神サータの妻がふたたび身ごもり、山という山が声をあげるさまはあたかも巨大な象が吠えているかと思われるほどであった。月満ちて赤子の産まれた際にもまた山が吠えたため、親類一同は話し合ってこう言った。

「この子が授かった日にも産まれた時にも山という山が鳴動したではないか。しかもサータの子であるのだから、サーター山サーターギリと名づけよう」

 成人したころにとうとう父が身罷り、サーターギリが家長となった。

 すでに成人していた歓喜が言った。「弟よ、わらわはラージャグリハに出かけて、町中の子らを喰ろうてしまいたい」

「姉者、聞くところによると父上はこの町の王や住人たちを守護し、誰もが安心して悩みもなく暮らせるようにしていたそうではありませんか。今度はみどもがこれまでにも増して守護するつもりです。そこが守るべき区域なのですから。もし誰かが害を為そうものなら、黙ってはおれません。なぜそのような邪念を持ったのですか? そんな思いなどどうか捨てて下さい」

 だが前世に忌まわしい望みを持った報いが長く続いていたために、歓喜は同じことを繰り返しただけであった。

 姉の気持ちが動かしがたいことを知り、サーターギリは考えた。「みどもの力ではこの邪念を防ぐことは不可能。だが父上が在りし日に許嫁の約束を交わしていた。今こそその婚姻を結ぶべきか」

 そこで速やかに書をしたためて鬼神パンチャーラに送った。『我が姉歓喜も無事成人いたしまし候。かくなるうえは縁を結びたく思い候ゆえ、なにとぞ近いうちにお越し下されたく候』

 パンチャーラは手紙を受け取るとすぐに儀式を済ませ、ラージャグリハを訪れ、嫁を娶らせ故郷に戻った。

 歓喜は主家に入ってしばらく過ごすうつに、夫とも心を通わせ合うようになり、とうとうこんなことを打ち明けた。「のう、聞いてくれぬか。わらわはラージャグリハに暮らす住人どもの子らを一人残らず喰ろうてやりたいのじゃ」

「あそこにはそなたの家族が暮らしているではないか。余人が来て蛮行するのさえ捨ててはおけぬのに、そなたが残酷なことをしようとするのを黙って見ておられようか。そのような邪悪な考えを起こすでない。二度と口にするな」

 この悪念は前世に由来し、それが染みついていたので、歓喜は我慢することもならずに、怒りを抱いてしばらく黙り込んでいた。

 後日。歓喜は一人の子を産み、やがて引き続き同じように五百人の子を産んだ。末の子を名づけて「愛児」と呼んだ。

 やがて五百人の子らが力をつけるころになると、母はその威力を借りて禁忌を犯そうと考え始めた。夫であるパンチーカが何度も心を尽くして諫めたものの結局聞き入れられず、妻の心を知りながらも何も言わぬことにした。

 こうして歓喜はラージャグリハをくまなく闊歩し、住人の子らを次々に喰らっていった。ついに町には子どもがいなくなってしまったため、町の人々は団結して王に訴えた。

「臣らの子どもは一人残らず連れ去られてしまいましたが、いったい誰がこのような悪事を働いているのかわからぬため、悲しみ極まり思いを晴らそうとしても、どうすることもできません。閣下、どうかお慈悲をたまわり、調査していただけないでしょうか」

 王はただちに勅令を発し、町の各所や四方の町門に兵を配備させた。ところが兵士たちも連れ去られてしまい、日に日に頭数が減ってゆくだけで、どこに攫われたのかは誰にもわからなかった。身ごもった女たちも一人残らず攫われてどこか別の場所に連れ去られてしまった。さらにはラージャグリハのいたるところでさまざまな災禍が起こったため、国司も廷臣も次々に王に報告を入れ、現在この国の随所で大きな災害が発生していることを、詳細に説明した。

 王は話を聞いて不思議に思い、すぐに占者を呼んで事の起こりをただした。

「申し上げます。一連の災厄はすべて鬼神の仕業にございますので、急ぎ供物を用意して祭祀を執り行うのがよろしいかと存じ上げます」

 王は勅令を発し、鼓を打ってふれを出し、臣民に告げた。「主客を問わずこの国にいる者は飲食献花の供物を用意し、町中、城内、集落を浄め、さまざまに飾りつけ、鼓を打ち声をあげ鐘を鳴らし幡幢を立てよ」

 勅令を聞いたラージャグリハの住人たちは、心を込めて供物を捧げ花を供え、町を天国のように飾り、さまざまな場所で祭祀をおこなった。こうして最善を尽くしたものの災厄は去らず、人々は呻吟するもののどうするすべもなかった。

 このとき、ラージャグリハの守護神が夢に現れ人々に告げた。「汝らの子は一人残らず鬼神歓喜に取って喰われたと知れ。尊者のもとを訪れよ。汝らの苦悶も和らげてくださろう」

「神よ、子らはみな取って喰われたと申されるか。それではまるで悪鬼ではありませんか。なにゆえ歓喜などと呼ばれているのですか」

 ゆえに、これよりのちこの鬼神を青い悪魔ハーリティーと呼んだ。

 ラージャグリハの住人は神のお告げを聞いて覚者のもとを訪れ、地面に額ずき直訴した。

「鬼神ハーリティーと申すはラージャグリハの住人に対し長らく危害を加えております。こちらからはいっさい敵意を表してないと申しますのに、あちらが一方的に悪心を抱いて、我らの子を攫って喰ろうているのでございます。このうえはなにとぞお慈悲を賜り、彼奴めを調伏していただけませぬか」

 尊者は無言のまま答えなかったが、訴えを聞き入れてくれたことは誰の目にもわかったので、人々は足許にひれ伏し供物を捧げて退出した。

 明くる朝、覚者は衣をまとい鉢を手にしてラージャグリハに向かい、托鉢をおこなった。やがて托鉢を終えて自宅に戻り食事を済ませてから、鬼神ハーリティーの住まいを訪れた。鬼神は出かけており、幼い愛児が家にいるだけであった。そこで尊者は鉢を愛児にかぶせ、タターガタの法力を用いて愛児には兄たちが見えるが兄たちには愛児が見えないようにしてしまった。

 やがて鬼神が帰宅したが、末っ子の姿が見えぬ。大いに慌てて、考えられるところはすべて探した末に、ほかの子どもたちにも愛児はどこにいるのかとたずねた。ところが誰も見ていないという。

 鬼神は胸を叩いて号泣した。口唇は乾き、思いは乱れ、心をさいなむ痛みを胸に、ただちに都に出かけて、家並みという家並み、往来という往来、田畑、森林、池沼、天廟、神殿、旅籠、空家をくまなく探したが、愛児は見つからない。とうとう苦しみにこらえきれずに正気を失い、衣服を脱ぎ捨て大声で叫びながら「愛児はどこじゃ。どこにおじゃる」と繰り返した。

 とうとう町の外に飛び出し町はずれを駆け回り、村中を探し回ったが成果はない。陸といわず海といわずあらゆる場所に足を運んだが見つからぬ。髪を振り乱して姿を顕すや地面に転げまろび、肘と膝を突いていざり進んだ。そうしているうちにやがてジャンブードゥヴィーパにたどり着いたので、黒山という黒山、金山という金山、雪山という雪山、アナヴァタプタ池、ガンダマーダナ山を探したが愛児はいない。胸は苦しみに悶え空気さえ喉を通らなかった。そこで今度は東はヴィデーハ、西はゴーダーニヤ、北はクルまで探しに行ったが見つからない。いよいよサンジーヴァ、カーラスートラ、サンガータ、ラウラヴァ、マハーラウラヴァ、ターパナ、プラーターパナ、無間アヴィーチ、アッブダ、ニラッブダ、アタタ、ハハヴァ、フフヴァ、ウッパラ、パドマ、プンダリーカの十六地獄にまで探しに行ったがやはり見つからなかった。そこで次にスメール山に行き、一層目から始めて二層三層と登り、ヴァイシュラヴァナの神殿を越えて山頂まで行くと、チャイトララタ庭園を始めミシュラーカ、パールシャカ、ナンダーナ庭園を次々と訪れるものの、やはり見つからない。パーリジャータの木の下からシュダルマ堂の中まで進み、インドラ神のおわしますシュダルサナ城に入り込んでヴァイジャヤンタ殿に入ろうとした。

 鬼神たちとともに門を守っていたヴァジュラパーニ大神がこれを見咎め、城外へ追い出した。

 そこでいよいよ苦しみを深くしてヴァイシュラヴァナ神殿まで行くと、大石の上に身を投げて慟哭した。

「将軍様、わらわの末息子・愛児が何者かに攫われてしまい、いずことも行方が知れぬのじゃ。なにとぞ、なにとぞ導いてたもれ」

 ヴァイシュラヴァナ神は答えた。「女君よ、あまり悩んで正気を失うてはならぬ。ひとまず自宅のそばの休憩所に出向き、誰がいるのか確認せよ」

「将軍様、僧侶ガウタマがござりました」

「ならば急ぎ尊者に相談せよ。ふたたび愛児に会う手だても教えてもらえよう」

 この言葉を聞くや鬼神は歓喜し、死から甦ったような勢いで家に戻った。すると遠くからでも間違えようのない尊者の特徴が陽射しよりもきらびやかにまるで宝の山のように輝いているのが見えた。これを見るやたちまち尊敬と信仰の念が生じ、すでに我が子を見つけたような気持になって苦しみなどすっかり消えてしまった。ただちにおそばに寄って足許に額ずき、退いてかたわらに座して訴えかけた。

「尊者よ、末の子の愛児が長いこと見えのうなってしもうたのじゃ。どうかただただお慈悲を賜べて、また会わせてたもれ」

 覚者は鬼神ハーリティーにたずねた。「子どもは何人お持ちかな?」

「子なら五百人おる」

「ハーリティーよ、五百人もいれば一人くらい欠けても苦しむには当たるまい」

「尊者よ、今日愛児に会えのうては、わらわは血を吐いて息絶えてしまいそうじゃ」

「ハーリティーよ、五百人のうちの一人がいなくなってもそのように苦しんでいるのであろう。たった一人の子をそなたに攫われ食われてしまった苦しみがどれほどのものか考えてみなさい」

「幾層倍の苦しみでござろうな」

「愛するものを失くす苦しみを知っているなら、なにゆえ他人の子を喰らう」

「なにとぞ尊者よ、なにとぞ教えを施してたもれ」

「では今から戒を受け、ラージャグリハの住人が安心して暮らせるようになさい。さあらばここを出ずして愛児にも会えましょう」

「尊者よ、わらわはこれより町に出でて、教えと御言葉を守うてラージャグリハの住人どもが安心して暮らせるようにするつもりじゃ」

 その言葉を聞くや、覚者はハーリティーを愛児に会わせたのであった。

 こうしてハーリティーは尊者の教えを受け、町の人々も安心してつらいことなく暮らしたのだった。

 やがてハーリティーは覚者のところで洗礼および五戒(不殺生や不飲酒)を受け、たずねた。

「尊者よ、わらわと子らはこれから何を喰ろうてゆけばよい」

「案ずることはない。ジャンブードゥヴィーパにいる弟子たちが食事時になれば順を追って生飯サバを出す。その折り、末席に一膳用意してそなたと子らを呼ぶゆえ、腹を満たすまでもう少しだけ辛抱なさい。今も暮らしている住人や山海の鬼神たちがいて、腹を空かせていれば、一人一人に心を寄せて満足させなさい。加えて、一門の寺院や僧侶・尼僧の住まいを、昼夜問わず心を込めて守護し、身体を壊さず健やかでいられるよう努めなさい。今後とも我が教えの滅びぬうちは、言った通りのことをジャンブードゥヴィーパでなさい」

 この言葉を聞くや、ハーリティーと五百の子らと鬼神たちは、みな歓喜してひれ伏し、遵法を誓った。

 以上の話を覚者から聞いて、僧侶たちは不思議に思ってたずねた。

「ハーリティーが五百人の子を産み、人の精気を吸いたさにラージャグリハの子どもを喰らったのは、如何なる前世の業によるものでござりましょうか」

「では話して聞かせよう。この鬼神の行いも、町の住人の受難も、いずれも前世からの因縁によるものにほかならぬ。遠い昔、ラージャグリハに住んでいた牧人が妻を娶り、間もなく妻は身ごもった。当時は正式に悟りに至ったものもなく、独自に悟りを開いた独覚者がいただけであった。質素な生活を旨としてそれに応じた最低限の持ち物で満足していたので、人々が功徳を施そうにもほかに施す相手がなかった。

 あるときこの独覚者が人里を行脚してラージャグリハにたどり着いたところ、折りしも縁日が催されている最中で、五百人の男女が集まってお洒落や飲み食いや音楽に興じながら庭園に向かっていた。その道すがら、牧人の妻が牛乳壜を売りに歩いているところに出会ったので、口々に『お姉さん、一緒に踊って楽しもうよ』と誘った。妻は声をかけられてその気になり、一緒になって踊って大いに楽しんだ。それでとうとう具合を悪くして流産してしまった。人々はそのまま庭園に向かってしまったので、女は一人悲嘆に暮れて頬に手を突いて座り込みながらも、牛乳を売った代金でマンゴーを五百個購入した。そこに通りかかったのがあの独覚者であった。遠くからでも身なりたたずまいともに泰然として落ち着いているのを見て、たちまち敬意を覚えて足許にひれ伏し、瑞々しい果物を聖人に捧げたのであった。

 悟りを独自に開いた者は、教えを行動で示すことはできるが、口で伝えることはできない。どうにか牧人の妻に恵みをかけてやりたいと思い、神鳥ハンサが翼を広げるようにして虚空に舞い上がり、その法力を明らかにした。ただの人間が奇跡を目の当たりにしたときのつねで、妻は大木の倒れるごとくにたちまち独覚者に傾倒し、地面にひれ伏して手を合わせて願を掛けたのであった。

『口惜しや。どうかどうか、ただいままことの功徳を施しましたご利益に、後の世でもラージャグリハに生まれ変わらせていただき、この町の住人の子を残らず平らげられるようにしてくだされ』

 みなの衆よ、これがどういうことかわかるであろう。この牧人の妻がほかでもない、鬼神ハーリティーその人なのだ。前世さきのよで独覚者にマンゴー五百個を施してよこしまな願を立てたばかりに、現世でラージャグリハに生まれて鬼神となって五百の子を産み、人の精気を吸わんとして町中の子どもを貪り喰らったのだ。いつも教えている通り、悪いおこないには悪い報いが、雑多なおこないには雑多な報いが、良いおこないには良い報いがあるものと思いなさい。修行によって良いおこないを積み、悪いおこないや雑多なおこないを慎むことです……そうすれば報いはおのずから返ってくるであろう」

 これを聞いた僧侶たちは深く心に感じ入り、尊者の足許に額ずいていとまを告げて立ち去った。

 舞台は同じくラージャグリハ。ハーリティーはすでに覚者の教えと戒を受けていたので、ほかの鬼神たちからは嫌なこともされた。そこで子らを連れて僧侶たちに布施しに行ったところ、僧侶が托鉢をおこなっているのを見て、子らは人間の子どもの姿に変じてとことこと後をついていった。ラージャグリハの女どもがそれを見て愛おしさを覚え、近寄って抱き寄せるとたちまち掻き消えてしまった。

 女たちは僧侶にたずねた。「今のはどなたの子どもでしょう?」

「ハーリティーの子です」と僧侶は答えた。

「すると今のが残酷な憎き鬼神の子どもでしたか」

「あの者はもう残酷な心を捨てました。そのためほかの鬼神に恨まれてしまい、こうしてここに来てわたくしどもに施与しているのです」

「鬼神の女ですら邪心を捨てて子を連れて布施したんだもの、あたしらだって子を布施しなくては」と女は考えた。

 そこでとうとう子どもを連れて僧侶たちのところに布施しに行ったが断られてしまった。

「お坊さま、残酷な鬼神の子どもはちゃんと預かりなさったのに、あたしらの子どもを拒むのはどうしてでござりましょう?」

 僧侶たちはこれをきっかけに覚者にたずねた。

「引き取りなさい」というのが覚者の答えだった。

 僧侶たちはお言葉にしたがったものの、手綱を締めていなかったので、子どもたちは好き勝手にどこにでも遊びに行く。

 そこで僧侶たちが覚者に相談したところ、「一人の男子を施与されたなら、一人の僧侶が預かって、法衣の一部をその子の頭に結びつけて番をなさい。何人もの子どもを施与されたなら、僧階ごとに預かって、同じようにして番をなさい。疑ってはなりません」と言われた。

 やがて父母たちが財産を手に戻って来て、それと引き替えに子を連れ戻した。僧侶たちは受け取らなかったが、覚者は「受け取りなさい」と助言した。

 後日、子らが愛着に引かれて僧侶たちに着物を布施した。恩に報いたかったのだ。僧侶たちは気持を汲むだけに留めて受け取らなかっが、覚者は今度も「受け取りなさい」と助言した。

 尊者のお言葉どおり、子どもたちの代価は受け取るのが正しいものと思え。

 そこで今度は六人の僧侶が父母に対価をそっくり要求した。すると覚者は「対価を要求してはならぬ」と戒めた。「本人が自発的に施与するものを受け取って満足なさい」と。

 ところは変わらず。鬼神ハーリティーが子らを連れ出し僧侶たちに布施していたことはすでに述べた。子らは夜中に腹を空かせては泣きじゃくったまま朝を迎えていた。そこで僧侶たちはこれをきっかけに覚者にたずねた。

「朝課の折りに食事を与え、母の名を唱えて敬意を表しなさい」と覚者は答えた。

 またあるときにはとんでもない時間に空腹を訴えることもあった。

「与えてやりなさい」と覚者は言った。

 またあるときには、僧侶の托鉢用の椀に残った食べ物を欲しがった。

「与えてやりなさい」と覚者は言った。

 不浄なものを食べたがるときもあった。

「与えてやりなさい」と覚者は言った。

 
 

※『根本説一切有部毘奈耶』雑事より、鬼子母神の部分です。

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W・F・ハーヴィー「真夜中亭」

真夜中亭ミッドナイト・ハウス

 測量地図でちょくちょくその名前を目にするたび、いったいどんな家なのかつねづね不思議に思っていた。

 自分だったら、水の涸れた深い谷底にある松林のなかに建てていただろう。あるいは緩やかに満ち引きする川沿いの沼沢地を選んでいただろうか。そして毒々しいほどの常緑樹で埋まった庭にはポプラがささやいているのだ。

 大聖堂のある街の、物寂しげな小径にあるのもいい。打ち捨てられた教会のせせこましい墓地の一画を見下ろせる場所だ。尖塔と鐘楼に囲まれているため、そこで眠る人たちは、騒々しい鐘の報せで真夜中に目を覚ますことになる。

 だが冷たい現実の『真夜中亭ミッドナイト・ハウス』は――頭のなかだけで徒歩旅行の計画を練っているあいだに、地図上で目にしていた真夜中亭の現実は――どの空想とも違っていた。目にしたのは古い馬車道にある宿屋に過ぎなかった。馬車道が丘のてっぺんからてっぺんまで矢のように真っ直ぐと荒野を貫いているところを見ると、おそらくローマ街道だろう。

 人というのは名前に合った生き方をするものなので、土地についても同じことを期待する人もいるが、うまくいかない。ポグソンという家からは決して詩人は生まれないだろう。法律家、新聞記者、衛生技師としてどれだけ名声を得ようとも、詩人は生まれない。だが先週通り過ぎたモンクトン=イン=ザ=フォレストには、何もない原っぱの真ん中に鉄道連絡駅があるきりで、かつて名の知れた小修道院があって地名の由来となったということを示すような石もなかった。

 だからどうせがっかりするだろうとは思っていたものの、宿屋から二十マイル以内にでも寄る機会があれば真夜中亭で夜を過ごそうと、どういうわけか決心していたのである。

 その日以上に絶好の日などなかっただろう。それは十一月末の暖かい日で――あまりに暖かかったので、最後の五マイルは荒野をてくてくと歩いていた。昼から誰にも会っていない。地平線の彼方で番人が、立入禁止だから出て行けと合図していたのだが、何のことだかわからなかった。日も暮れかけてきたので道路に戻ると、盆地の下に真夜中亭が見下ろせた。

 これ以上に物寂しい景色を描き出すのも難しかろう――左右には何も生えていない丘がどんよりとした鉛色の空まで聳えている。ふもとにはヒースが、今年の春の野焼きで焦げて黒くなり、鮮やかな緑の継ぎ接ぎがところどころを寸断して沼があることを教えている。

 それは石造りの建物で、屋根を覆っているどっしりとした板石は苔むし、コの字型の家屋に囲まれている場所は、明らかに農家の庭として使われていたようだ。

 生活の印はどこにもない。窓の半数は閉まっており、午後の薄明かりは急速に翳り出しているというのに、道路に面した入口近くのバーには明かり一つ見えなかった。

 ノックしたが答えはない。待っているのにもいらいらし始めたので、家の裏手に回ったが、そこで出くわしたのはコリーが吠える乱暴な挨拶だけだった。狂ったように鎖を引っ張り、犬小屋として使われている空き樽に繋がれていた。何はともあれこの騒ぎは、家から女性を引っぱり出すのには充分だったようだ。夜中に泊めてほしいという頼みを女性は上の空で聞いた挙げ句、驚いたことにそれを断った。

 忙しくてお客さんの相手ができない、という返事だった。こんな答えは予期していなかった。宿屋に寝床があるのはわかっている。猟場を借りる人たちが少なくとも一年に一回は使っているはずだったし、これからまた見知らぬ道を十マイルも歩くつもりはさらさらない。この問題にけりをつけたのは、頬に落ちた雨粒だった。女性はしぶしぶこちらの言い分を認め、ようやくなかに入れてくれた。食堂に案内して火を入れると、ハム・エッグなら三十分で用意できるというありがたい言葉が飛び出した。

 案内された部屋はかなり大きく、天井近くまで化粧板が張られていたが、木材本来の美しさは最近になって茶緑色に塗られているせいで台無しにされていた。

 窓は例のごとくぴったりと閉められている。かび臭い匂いからすると、ほとんど使われていないようだ。狩りの写真が五、六枚、壁に掛けられている。暖炉の上にはイサクの死を描いた安っぽいドイツ版画があった。食器棚サイドボードのガラスケースには、青鷺が一羽とまだらブラックバードが二羽、出来そこないの剥製にされて陳列されていた。そのぞっとするようなヴィクトリア様式の家具の上では、ヨーク公夫妻の誇張された肖像画が二幅、にこやかに家長を見下ろしている。

 全体としてその部屋は陽気とは言えなかったので、馬素織りのソファの上に『イースト・リン』の一冊を見つけたときにはほっとした。たいていの宿屋には本が置いてあるものだ。初めの十四章には、路傍の旅館で一人寂しく幾晩も過ごしたことが描かれていた。

 六時ちょっと前に女性が食事を運んでテーブルに並べに来た。わたしは炉辺の陰にあった椅子から、それをこっそり観察した。女性はゆっくりと動いている。よほど単純な動作でも不思議なほど慎重におこなっているものだから、心が半ばよそに行って、以前には当たり前だったものに新しいところが見つかりでもしたのかと思うほどだ。表情からは考えていることは窺えない。わかるのは、顔立ちが力強く鋭いということだけだ。

 食事をテーブルに並べ終えると、言葉を口にすることもなく、すぐに部屋から出て行ってしまった。わたしはいつになく寂しさを感じて、せいぜいのところハム・エッグを平らげて、『イースト・リン』の十五章目に取りかかることにした。

 食事は思っていたよりだいぶ美味しかった。だが食事が片づけられたあとで、暖炉まで椅子を引っ張りパイプを詰めていても、どういうわけか気持が明るくならなかった。

「この家がとっくに祟られているんでなければ、そろそろ祟られる頃合いというところかな」そんなふうに独り言ちて、一連の幽霊譚を思い出してみたが、この場所に相応しいと思えるものは見つからなかった。

 九時半過ぎ、遅くもなく早くもないころ、女性が蝋燭を持ってふたたび姿を見せ、ぶっきらぼうに寝室まで案内するのをついて行った。階段のてっぺんから左に伸びている廊下の、突き当たりの戸口で立ち止まると、「窓を開けておやすみなさるんでしたら、楔で留めた方がいいですよ。ばたばたすると、よく苦情が来るものですから」という話だった。わたしは礼を述べて就寝の挨拶をした。

 部屋の四分の一はある緋色の天蓋つきの四柱式寝台からは、一目見てあまりいい感じを受けなかったものの、少なくともおぞましい感じは受けなかった。衣装戸棚ワードローブはなく、その代わりに扉が一つあったのだが、壁と同じ材質の紙が張られていたので、初めに見たときは壁と見分けがつかなかった。なかはクローゼットになっており、ハンガーだけがずらりとぶらさがっていて、一つきりの窓から明かりが差し込んでいる。

 どちらの扉にも鍵がなく、枕元にある赤いビロード製の呼び鈴の紐はワイヤーに結びつけられてはおらず、天井の梁に打ち込まれた釘からぶら下がっているだけだった。

 外に泊まるときにはドアにしっかりと錠を降ろすのが癖だった。夢遊病者にぞっとさせられて以来、二十年前からおこなっている用心の一つだ。

 今回はそうすることはできないので、どっしりした箪笥を通路側のドアまで引きずり、夜中に風が吹いて開かないように、室内の扉の前には水差しを置いておいた。そのあとで折り畳みナイフを窓の楔にしてからベッドに入ったが、まだ寝つけずにいた。外の時計が正時を告げるのが二度、半時の報せが二度聞こえたが、そんな遅くだというのに、家からはまだ人の起きている気配がしていた。遠くで石の通路に足音が響いている。一度だけ陶器の割れる音も聞こえた――声は一切しない。日没以来ずっとつきまとっていた重苦しさを感じながら、いつしか眠りに落ちていた。(

 実際の話その日はあまりにも歩きづめだったため、疲労に身を委ねることもできず、何も感じずにまどろむこともできなかった。代わりに夢のなかでまたもや荒野を歩き、旅行案内片手に幻の谷をあてどなく求めていた。

 ようやくたどり着いた池には、茶色い泥水が溜まっていた。岸には大きな連絡船が停まっており、男や女や子どもたちが何人も乗っている。満員になるのを待って、船が出た。水面にはさざ波一つないというのに、大きな帆はいっぱいに風をはらんでいた。誰かが声をあげて、まだ人がいる、と言って指さす方を見ると、岸辺で老人が狂ったように腕を振り回していた。話し合いがおこなわれた。引き返すにはもう遅すぎると言う人もいれば、休む場所もない荒野に置いてけぼりにしては凍え死んでしまうと言う人もいた。だが結局は、早く幻の谷を見たい人たちばかりだったので、舵取りは針路を変えなかった。すると置き去りにされた途端に、老人の顔つきが変わった。にこやかな仮面は剥がれ落ち、現れたのは悪意そのものの顔でしかなかった。それを見て子どもたちは泣きながら母親のもとへと駆けて行った。

 船の上では老人の名前がささやき交わされていた。曰く、あれはこれまでにも何度も船に乗り込もうとしていた人間だ。曰く、何か恐ろしい目的があってそれを遂行していたかもしれない。逃げおおせたことを祝って奇妙な歌が始まり、流れる川のせせらぎのように大きくなるかと思えば小さくなったりを繰り返していた。

 窓に雨が当たる音で目が覚めた。外を流れる小川がいつの間にか水位を増して水音を響かせていたが、子守唄のように落ち着いた調べだったので、すぐにふたたび眠りに落ちていた。

 また夢を見た。夢のなかで今度は大きな同盟市の市民になっていた。市壁から遙かな地平線まで広がっている肥沃な平野が、軍隊に一掃され、荒らされていた。太陽が沈みかけたころ、飢えかけた人々が西の門に押し寄せ、入れてくれと訴えていた。それは農夫の集団だった。軍隊に取り囲まれ、余分な食糧などない市からも冷たく壁を閉ざされて、進退きわまっていた。正門の右手にある小門の辺りに仲間たちと立っていると、一人の男が近寄って来たのに目を惹かれた。それは若盛りの大男で、木のように聳え、牡牛も抱えられそうな力に満ちていた。男は代表者のところまで近づき、なかに入れてくれるように訴えた。「十二か月にわたって休みなく旅をして来たんです。あなたがたの味方になって戦えたらいいと思って」 最後の一撃が決め手だった。ここには彼のような男が不足していたのだ。「入ってくれ。歓迎しよう」ついに番兵の長がそう言った。すでに胸元から鍵を取り出し、小門の錠をはずしているとき、わたしは声をあげた。男の顔に気づいたのだ。それは船に乗り込もうとしていた老人の顔だった。「回し者だ! 門を閉じてくれ! 窓を閉めないと、よじ登ってくるぞ!」

 自分の声で飛び起きた。まだ耳に残っている。何はともあれどこかの窓を閉めなくてはいけない。それは部屋続きのクローゼットの窓だった。風が雨とともに入り込み、窓枠がゆるんでいた。もう空気は湿気っておらず、雲が晴れて月の上を流れていた。首を伸ばして冷たい夜の空気を肺一杯に吸い込んだ。そうすると、路上に四角い光が映っているのに気がついた。建物の反対端にある上階の窓の光だ。ときどき光の枠のなかを影が横切る。宿の人間がどういうわけか徹夜をしているらしい。

 すぐにベッドには戻らずに、さんざ苦労して椅子を窓際まで引きずり、枕と毛布二枚を連れにたっぷり三十分ねばっているあいだじゅう、犬の吠える声が聞こえていた。それは月を寝かせないためだけにしてはあまりに陰鬱な、何もかもにうんざりしたような嘆きだった。不意に吠え声がうなり声に変わり、遠くから蹄の音が聞こえるのに気づいた。さらには人影がブラインドにふたたび姿を現して窓を引き上げると、そこから険しい顔つきをした女将さんが暗闇を覗き込んだ。

 どうやら人が来るのを待っていたらしい。一分後に馬が、かなりの勢いで走って来て、白い息を吐いて玄関の前に停まった。馬上の人物はそのまま降りずにいる。

「馬はまかせてください」と女性が窓からささやき同然の声をかけた。「馬小屋にちゃんとさせておきますから。真っ直ぐ上に来てください。右から三番目の部屋です」

 男は重い鞄らしきものを手に、馬を離れて階段を上まで進んだ。踊り場でつまづいて、小さく毒づくのが聞こえた。そのとき時計が三時を打った。いったいいかなる悪事が真夜中亭ミッドナイト・ハウスで起ころうとしているのだろうかと、だんだんと気になり始めた。

 そのときから明け方にかけて起こったことは漠然としか覚えていない。眠ろうとは試みたものの、意識を失い始めた途端に取り憑いた恐ろしい悪夢から自由になろうとする努力の方が大きかった。わかったのは家の外に邪悪な悪鬼がいて、その醜く恐ろしい悪鬼が家に入ろうとしていたということだ。そして誰もその真の性質に気づいてはいないらしく、みすみす目的を達せさせてしまったらしい。それがぞっとするような夢の背景だ。はっきりと覚えているのは一つだけ、尾を引くような叫び声だった。現実であって、いい加減な空想ではない。それが夜のどこかから現れ、無へと消えて行った。

 九時過ぎに目が覚めると、頭が割れるように痛い。慣れぬベッドや宿屋を試すようなことはもうすまい。

 食堂に降りると自分以外にも人がいた。背の高い中年の男が、穏やかな夜を過ごしたとは言い難いようななりで、食卓に着いていた。朝食を食べ終えて、わたしと入れ替わりに立ち上がって出て行くところだった。よい一日を、と一言だけ言って、部屋を出て行った。わたしは急いで食事を済ませ、相変わらず無表情な女性に勘定を払って、リュックを背負って道なりに歩き出した。この女性のほかには住人を一人も見かけていない。一、二マイルほど歩いて険しい坂道のてっぺん付近までたどり着き、三叉路のいずれに行こうか迷ってきょろきょろしていたところ、あの人物が近づいて来るのが見えた。

 馬が追いついて来るのを待って、道をたずねた。

「ところで、あの宿屋のことを何かご存じではありませんか? あんなに薄気味悪い家で泊まったことはありませんでした。幽霊屋敷なのでは?」

「そうは思いませんがね。幽霊など出ないのにどうして幽霊屋敷だなどと?」

 答えた声にどことなく威厳が感じられたので、もっと近くで確かめてみたくなった。男はわたしの考えを読み取ったらしく、「ええ、医者をやってます」と答えた。「ほんとうの話、休む暇もありませんよ。鄙びた田舎の医者仕事など気にならんでしょう? 昨晩のような仕事に興味をお持ちだとは思いませんが」

「何があったのか知らないんですよ。ただ想像を言わせてもらえるなら、極悪人か誰かが昨夜あの宿屋で息を引き取ったんじゃありませんか」

 医者は声をあげて笑った。「見当外れもいいところですよ。実を言いますともう一つの方の魂をこの世まで案内する手助けをしていたんです。結果的には赤ん坊は三十分とは生きていませんでしたが、必ずしも母親にとって残念なわけではなかったと考えるべきでしょうな。田舎ではみんなおしゃべりですからね。ほかにすることがありませんから。お互いのことなら何でも知っています。確かにもっとよい状況でこの世に生まれて来る可能性だってあったわけです。しかし何だかんだ言っても、出生率の低下を食い止めることができるのなら、さして文句も言いますまい。去年はどのくらいだったと思います? とんでもなく低かったんですよ、正確な数字は覚えていませんがね。つねづね統計に気をつけているんです。たいていのことに説明がつけられますからね」

 わたしにはそうだとは言い切れなかった。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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