オリヴァー・ディアドラ卿は、書物や辞書にある〈神〉という単語を〈力〉に置き換えるべしという提案をしてイギリス国内にその名を知られた。無神論者だったというわけではなく、ようは信徒というものに疑いを持ち、心霊現象を実証科学的に説明することに全力を傾けているのであった。卿によれば死者というのは屈折率が変化してはいるが生きている【生者】にほかならず、卿が発明した諸々の機器を使えば検知可能な振動体【浮動体】の形を取るのだという。
もっとも、オリヴァー卿は学者とは正反対の顔をしていた。大きくてごつくて、スコットランドのご先祖様から受け継いだ真っ青な双眸は仮面に空いた双穴と呼ぶにふさわしいうえに、ぼんやりとした印象や、時として腹に一物あるような計り知れない雰囲気をも与えている。だが立派な白い山羊髭が顎から延び、思いもよらずぶるぶると震えて、あらん限りの情熱が心を動かしていることを知らせてくれる。いつもオペラハットを――書斎の中でさえ――かぶっていたが、それでもなお卿の発言(言葉)にはひとかたならぬ重みがあった。多くの精神科医や超自然学者たちがベヴァリッジ・ヒルまで長旅に繰り出すのも、卿と話したり実験室を訪れたりしたいがためである。オリヴァー卿の昔なじみフレッチャー夫人のプディングを味わった者であれば、再訪することさえ珍しくない。フレッチャー夫人は髪も肌も服も真っ白な、やせっぽちの老婦人で、幽霊のような浮動体かとまがうほどにひょろりとしていた。だがその手から生まれたケーキやシャトリ[※原註1・原文フランス語(訳註)]たるや、フランボウのようにこの世の現実に夢中な野暮天の味覚をも魅了してしまうのであった。なにゆえにこの探偵がベヴァリッジ・ヒルにおびき出され、また友人であるだんご頭のちび司祭がくっくいてきたのであろうか? プディングの魅力というのでは――とりわけブラウン神父の単純な味覚を知っているものにとっては――まったく説明がつかない。ただ一人、フレッチャー夫人の娘マギーなら説明し得るであろう。マギーは若々しさにあふれ、乙女特有の黄金色の詩情を湛えており、ベヴァリッジ・ヒルではつとに知られた女丈夫であった。産毛の生えた薔薇色の顔は、肩口を覆う白い襟のせいで熟した苺のようであった。大きなるものが小さきものから生まれたことを生物学的に説明しがたい以上は、かかる突然変異が転生説になにがしかの説得力をもたらしたことを認めざるを得ないし、その学説がディアドラ氏の口から吐き出されたとあってはなおさらである。よくあることだが大柄な人ほど極度に内気で繊細であったので、オリヴァー卿が態度を表明すると、規律と従順に心をいたす若い魂が脅えるのももっともであった。こうしたわけで、名高いディアドラ卿と形而上学的論争をかまえるというもっともらしい口実のもとにベヴァリッジ・ヒルに何日か滞在してほしいと、寄宿舎の友人を通してブラウン神父に求めたのであった。ブラウン神父は、言葉の正確さ(?)に不利益なばかりで真理にとって無益なことを言い交わすその種の議論があまり好きではなかった。そのうえ、このちびの神父ときたらひどくぼんやりしていたから、相手の顔を見つめるのに一生懸命なあまり議論のテーマをあっというまに忘れてしまったし、相手の怒声を聞き取ろうと夢中なあまり、言うことは間が抜けて、答えることは的外れな愚答になる始末であった。オリヴァー・ディアドラ卿はすぐさまそこに飛びついて、カトリック教徒たちがブラウン神父ごとき雑輩(ちび)司祭に告解するのは見込み違いだと考えた。いったいどんな宗教的利点があれば、不格好な蝙蝠傘をしょっちゅう手から滑り落としたかと思うと、腹の立つほど不器用に詫びながら足で受け止めることにわずらわされているような人間の忠告に期待しうるというのだろうか? というわけで、ディアドラ卿がフランボウの方を気に入っていたのは、長身と礼儀正しさゆえであった。フランボウは主人の話をしっかり聞いていたので、フレッチャー夫人が忘れずにお茶を注ぎ足しケーキを手元にたっぷり置いておきさえすれば、突拍子もない理論にも肯定的な答えが返ってきたのである。そのおかげでフランボウは、ブラウン神父の無言の叱責をとっさに避けるはめになった。とどのつまりは涅槃なるものは仮説として優れているし、肉体の復活という子どもっぽい信仰よりはよほど愉快だと友人が認めるのを耳にするや、神父は大粒の汗をかいていたのだ。もちろん、ベヴァリッジ・ヒルで瘴気に侵された空気を吸い込んでみれば、マギー嬢の正統性は鉄網を前にした聖ラウレンティウス(三世紀の殉教者。あぶった鉄網の上で焼かれた)の勇気以上に立派なものであった【もちろん、ベヴァリッジ・ヒルで瘴気に侵された空気を吸い込んでみれば、マギー嬢は鉄網を前にした勇気ある聖ラウレンティウス以上に立派であり、異端性のかけらもなかったのである】。ブラウン神父はベヴァリッジ・ヒルがあまり好きではなかったし、そもそもウォルター・スコットの城館めいた中世的な邸宅があまり好きではなかった。小説めいた生活や版画めいた家には、悪魔が跋扈する。神父はそう考えていたが、さほど合理的なものではなかった。
どこに通ずるともない小径で線を引かれた、禿げ山を想像してもらいたい。禿頭の上には鐘楼・砲塔・尖塔・石落としが、荒れ狂う空に姿を消している。目の前に現れるのは厳めしくも笑える姿をしたこの奇妙な住まいであるが、あからさますぎる外観は夢見がちな思い込みのたまものであった。城館の内側も外側といい勝負である。薄暗い大部屋の数々、不気味でこそないが不敬な響きを増幅させる廊下、宗教判事なら(国教徒の空想中にでも)探したがるような暖炉、そして、部屋から部屋へと音も立てずに滑り歩く召使い頭、ジョン・フリンの不気味な影。前から見るとずんぐりした小猿のよう。横から見ると痩せた哀れな傴僂だった。それゆえ主人の気分に応じて見せる向きをかえることができるのであった。疑わしそうなそぶりを見せられて、ブラウン神父はひどく心を痛めていた。ジョン・フリンとしては、ミス・ハリカンに対し育んでいる感情を、ブラウン神父が知らぬはずがないとでも思ったのであろうか? ぺしゃんこの鼻をしたこの小男にしてみれば、たとえロミオが悪魔のようにどす黒く歪んでおり、お相手が五十路過ぎの入れ歯だったとしても、恋愛それ自体は罪でないと思ったのであろうか? つまるところ召使い頭が雇われ女と結婚したがること以上にまっとうなことがあるだろうか? とはすなわち、ベヴァリッジ・ヒルではまっとうなことなど何一つないということであるのだが、そうはいってもブラウン神父が当地で地下道や地下牢、果ては砕けた骸骨を見つけたという話は寡聞にして知らぬ。しかしオリヴァー卿の山羊髭が顎の先で妖精のように踊るのを防ぐことはできなかったし、フレッチャー夫人の言動が吹きゆくそよ風のごとく希薄であるのを防ぐことも、マギーの怯えが不安に変わることを防ぐことも、ジョン・フリンの影がルイス・キャロル産のキノコそっくりなのを防ぐこともできはしなかった。そのうえフランボウまでが、フレッチャー夫人の名料理の甲斐なく、むっつりと押し黙ってしまった。放心している一同の気を晴らそうと、オリヴァー卿が交霊会への参加を呼びかけた。プロディコスなる十五世紀のアテネ人から告白を引き出そうと目論んでいるのだそうである。
トーマ・ナルスジャックによるミステリ贋作、今回はブラウン神父です。とにかく語り口がチェスタトンにそっくりで舌を巻きます。トリッキーな真相や逆説など、いたるところにチェスタトンのブラウン神父ものらしさが散りばめられておりますが、そこらへんはやはり本家には一歩ゆずります。やはり一番そっくりなのが文体でした。というわけで、できるだけチェスタトンっぽく訳せるように頑張ります。