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 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『ジョゼフ・バルサモ』23-6

 伯爵夫人は手を叩いて喜んだ。「警視総監の顔を赤らめさせたって自慢しなくっちゃ!」

「伯爵夫人……」サルチーヌが口ごもった。

「あのね! あたしが言いたかったのはこういうこと。馬車の中にいたはグラモン公爵夫人だったんでしょ?」

「グラモン公爵夫人ですか!」

「ええ、そう。陛下のお部屋にお邪魔できるようにお願いしてたんじゃない?」

「参りました」サルチーヌが椅子の中でたじろいだ。「総監の地位はお返ししますよ。私なんかより、あなたの方がよほど警察の仕事に向いていらっしゃる」

「実はサルチーヌさん、お察しの通りあたし用のを持ってますの。お気をつけあそばせ!……ねえ! グラモン公爵夫人が真夜中に警視総監と辻馬車に乗って、並足で走らせていたなんて! あたしが何をさせたかおわかり?」

「わかりませんが、怖いですな。幸いだいぶ遅い時間でしたが」

「ふふ、そんなの無意味よ。夜は復讐の時、ですから」

「それで、何をなさったのです? 教えて下さい」

「秘密警察はもちろん、一般文芸だってあたしのものなんです。三文文士ですわ。襤褸のように汚くて、鼬のように飢えてるんです」

「するとあまり飲み食いさせてないのですか?」

「それどころかまったくさせてませんの。だって太ってしまったら、スービーズさんみたいなおたんちんになっちゃうじゃない。お腹の脂肪には悪意が溜まる、って言いますでしょ?」

「続きをお願いします。嫌な予感がします」

「ショワズールがあたしに何をしたってあなたがだんまりを決め込んでいたのを、ちゃんと覚えていますから。そんなのかちんと来るでしょ。それで、アポロンたちにこんな台本を考えてもらいましたの。その一、サルチーヌ氏は検事に変装してラルブル=セック(l'Arbre-Sec)通りの五階を訪れ、毎月三十日、そこに住んでいる少女に三百リーヴルの手当を与えてるんです」

「人を貶めるのがお上手ですな」

「こんなの序の口よ。その二、サルチーヌ氏は伝道師に変装してサン=タントワーヌ(Saint Antoine)通りのカルメル会修道院に忍び込んだ」

「マダム、それは東方からの便りを修道女たちに伝えにいったのです」

「Du petit ou du grand ? その三、サルチーヌ氏は警視総監に変装して真夜中に町中を駆けまわり、辻馬車の中でグラモン公爵夫人と密会しました」

 サルチーヌは震え上がった。「警察の評判を滅茶苦茶にするおつもりですか?」

「あら、あたしの評判を滅茶苦茶にさせてるくせに!」伯爵夫人が笑い出した。「でも話には続きがあるの」

「わかりました」

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『ジョゼフ・バルサモ』23-5

「オーストリア警察が捜索中の泥棒の居所を伝えにやりました」

「何処にいたの?」

「ウィーンです」

「じゃあパリの警察だけではなく、外国の宮廷のためにも働いていらっしゃるの?」

「時間が空いている時だけです」

「わかったわ。使いを送った後は、何をしてらしたの?」

「オペラ座におりました」

「ギマールに会いに? お気の毒なスビーズ公!」【※Marie-Madeleine Guimard はオペラ座の女優。Soubise 公(スービーズ公)の愛人だった。】

「そうじゃありません。巾着切りを捕まえに行ったのです。農夫にちょっかいを出すだけなら大目に見ておいたものを、厚かましいことに貴族を二、三人カモったものですから」

「賢明とは思えないわね、総監……それでオペラの後は?」

「オペラの後ですか?」

「ええそう。ちょっとぶしつけな質問かしら?」

「とんでもない。オペラの後は……今思い出しますから」

「うふふ! どうやらそこの記憶がないみたいね」

「待って下さい。オペラの後は……ああ、わかりました!」

「よかった」

「ある家に踏み込んで――もといお邪魔して、賭け事に耽っているさるご婦人を、この手でフォール=レヴェクにお連れしました」

「その方の馬車で?」

「いえ、辻馬車です」

「それから?」

「それからですか? これでお終いです」

「あら、終わりじゃないでしょう?」

「それはまあ辻馬車に戻りましたが」

「そうしたら、馬車にどなたがいたのかしら?」

 サルティーヌは赤面した。

『ジョゼフ・バルサモ』23-4

「作者が一人しかいないのであれば、バスチーユに放り込む必要もございません。これだけの仕事を一人でこなしていては、力つきるのも時間の問題でしょうから」

「随分とお口がお上手じゃないこと?」

「敵ならこんなことは言いますまい」

「かもね。その話はいいわ。仲良くしましょ、ね、これでいいわ。だけどまだ問題が残ってるの」

「何でしょうか?」

「あなたがショワズール家のお友だちってこと」

「マダム、ショワズール閣下は宰相です。閣下の命令には従わなければ」

「ふうん。だったら、ショワズール閣下があたしをいじめなさいだとか、嫌がらせしなさいだとか、悲しみのあまり死なせてしまいなさいだとかお命じになったとしたら、あたしがいじめられり嫌がらせされたり死なせたりされるのを黙って放っておくってことね? どうもご親切に」

「説明いたしましょう」と言ってサルティーヌは勝手に腰を下ろしたが、咎められることはなかった。なにせ自他共に認めるフランス一の事情通。「私は三日前に何をしたでしょうか?」

「教えてくれたわね。伝令がシャントルー(Chanteloup)を発ち、王太子妃のお着きを急がせたって」

「それが敵からの情報だと仰いますか?」

「でもそんなことより、あたしが謁見式(présentation)に威信を賭けてるのはご存じでしょ。そのことで何かしてくれた?」

「出来る限りのことはいたしました」

「サルティーヌさん、正直に仰いな」

「何を言われますか!……宿屋の奥で、それもほんの二時間前にお会いしていたのはどなたでしたでしょうか? 奥さまはジャン子爵に、どこか私の知らない場所に向かうよう命じていませんでしたか? いやむしろ、私の知っている場所と言いかえましょうか」

「あら! 義兄《あに》のことは放っておく方がよくなくて?」デュ・バリー夫人がころころと笑った。「何てったってフランス王家の親戚なんですから」

「そうは仰いますが、それも仕事でございます」

「三日前ならそれでもいいわ。一昨日もね。でも昨日は何をしてくれたの?」

「昨日、でございますか?」

「あら、随分と考えてらっしゃるわね……昨日は別の方のために働いてらっしゃったでしょ」

「あなたの仰ることはさっぱりわかりませんよ」

「自分の言っていることくらいわかっているわ。さあ総監、昨日は何をしていて?」

「朝でしょうか、夜でしょうか?」

「まずは朝から」

「朝はいつものように仕事をしておりました」

「働いていたのは何時まで?」

「十時までです」

「その後は……?」

「その後、リヨンの友人を夕食に誘いました。こっそりパリに来ると言っていたので、従僕を外に待たせておいたんです」

「夕食後は?」

『ジョゼフ・バルサモ』23-3

「作者が一人しかいないのであれば、バスチーユに放り込む必要もございません。これだけの仕事を一人でこなしていては、力つきるのも時間の問題でしょうから」

「随分とお口がお上手じゃないこと?」

「敵ならこんなことは言いますまい」

「かもね。その話はいいわ。仲良くしましょ、ね、これでいいわ。だけどまだ問題が残ってるの」

「何でしょうか?」

「あなたがショワズール家のお友だちってこと」

「マダム、ショワズール閣下は宰相です。閣下の命令には従わなければ」

「ふうん。だったら、ショワズール閣下があたしをいじめなさいだとか、嫌がらせしなさいだとか、悲しみのあまり死なせてしまいなさいだとかお命じになったとしたら、あたしがいじめられり嫌がらせされたり死なせたりされるのを黙って放っておくってことね? どうもご親切に」

「説明いたしましょう」と言ってサルティーヌは勝手に腰を下ろしたが、咎められることはなかった。なにせ自他共に認めるフランス一の事情通。「私は三日前に何をしたでしょうか?」

「教えてくれたわね。伝令がシャントルー(Chanteloup)を発ち、王太子妃のお着きを急がせたって」

「それが敵からの情報だと?」

『ジョゼフ・バルサモ』23-2

 控えの間に詰めていた従僕に侍女から命令が伝えられるや、黒服姿の警視総監が現れた。灰色をした鋭い目や強張った薄い唇を和ませて、愛想よく見せようと微笑んでいる。

「おはようございます、宿敵さん」伯爵夫人は直視せず鏡越しに声をかけた。

「宿敵と仰いましたか?」

「だってそうじゃない? あたしにとって世界には二種類の人間しかいないの。敵と味方。どちらでもない人は、敵に入れちゃう」

「もっともですな。ですが、あなたのために働いているのはご存じでしょうに、どうしてどちらにも入れていただけないのでしょうか?」

「あたしのことを詠んだ戯れ歌や諷刺小冊子《パンフレット》や諷刺文を、自由に印刷させて、配らせて、売らせて、王のもとに送りつけるがままにさせてらっしゃるじゃないの。くだらない! 忌々しい! !」

「ですが私のせいでは……」

「どっちでもいいわ。誰がやったのかご存じなんでしょ」

PROFILE

東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 本好きが高じて翻訳小説サイトを作る。
  • 翻訳が高じて仏和辞典Webサイトを作る。

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