「手紙、書状、費用の手配はあたしがやります、任せておいて。心おきなくルーヴシエンヌにいらして下さい。今日からは、王宮が一つ増えるんです」
「断る方法はあるかな、サルチーヌ?」
「あるとは思いますが、誰も知らぬでしょう」
「断り方が見つかるとしたら、見つけるのはサルチーヌ殿だろうね。間違いない」
「どうお思いになります、伯爵夫人?」警視総監は身震いした。
「それが陛下、三か月前にサルチーヌ殿にお願いしたことがありましたけど、無駄に終わりましたの」
「何を頼んだのだね?」
「サルチーヌ殿はご存じですわ」
「私が? 私は決して……」
「仕事上のことかね?」
「ご自身と警察の仕事に関することです」
「伯爵夫人、本当に何のことやらさっぱりです」
「何を頼んだんだね?」
「魔術師を見つけるように、と」
サルチーヌがほっと息をついた。
「火あぶりにするのかね? それは熱い。冬までお待ちなさい」
「違いますわ。金の杖を褒美に取らせようと思って」
「その魔術師は悪い予言をはずしてくれたのかね?」
「まるで逆。良い予言が当たったんです」
「一言違わず?」
「ほぼ正確に」
「聞かせて下さい」ルイ十五世は椅子に凭れた。果たして面白いのやらつまらないのやらわからぬが、一つ賭けてみようという口調である。
「喜んで。でも陛下、褒美の半分を持っていただかないと」
「必要とあらば、すべてを」
「それでこそ国王のお言葉ですわ」
「さあ聞きましょう」
「では始めましょう。ある時のこと……」
「お伽噺のような始まり方ですね」
「仰る通りです」
「それはいい! 余は魔法使いが大好きでね」
「さすが魔法の杖をお持ちの方のお言葉ね。ある時のこと、貧しい娘がおりました。小姓もなく、馬車もなく、黒人もなく、鸚哥もなく、尾巻猿もありませんでした」
「そして王も」
「まあ陛下!」
「その娘はどうなったんです?」
「歩いていました」
「何ですって、歩いていた?」
「ええ。パリの通りを、庶民のように歩いていました。ただ、随分と急ぎ足でしたけど。だって可愛いと評判でしたし、だから絡まれるのが嫌だったんです」
「その娘はルクレツィアというわけですね?」
「陛下はご存じでしょう。何年も前……ローマ建国がいつなのか知らないけど、それっきりそんな人いやしません」
「これは一本取られた! 学者になったらいかがです?」
「まさか。学者だったらとにかく何か適当な年数を口にしてますわ」
「ごもっとも」
「その娘は、チュイルリーを歩いて、歩いて、歩いていました。その時突然、尾けられていることに気づいたんです」
「その娘は立ち止まったんですね?」
「まあ陛下! ご婦人たちのおしゃべりに毒されていらっしゃるのね。陛下のお側にいるのがどんな方たちなのかすぐにわかってしまいますわ。侯爵夫人や公爵夫人に……」
「王女たち、ですね?」
「陛下のお言葉に反論は出来ませんわ。でも何より怖かったのは、突然靄が出て来たことです。あっという間に何も見えなくなってしましました」
「サルチーヌ、どうやって靄が出るのかわかるかね?」
急に声をかけられて、警視総監はびくりとした。
「存じません、陛下」
「余もそうだ。どうか続きを、伯爵夫人」
「その娘は一目散に逃げ出して、柵を越えました。そこは陛下のお名前を冠してらっしゃる広場でした。うまく撒いたと思ったのに、いきなり目の前に男が現れて、その娘は叫びをあげました」
「醜かったのですか?」
「いいえ、それどころか、二十七、八の美青年でした。日に焼けていて、目は大きく、よく響く声をしていました」
「なのに怖がった。随分と怖がりなのですね!」
「その人を見てそんなに怖がったわけじゃないんです。でも状況が恐ろしかったんですもの。靄のせいで、悪いことをされそうになっても、助けは期待出来なかったでしょうから。だから手を合わせたんです。
『お願い、やめて下さい』
男は感じのいい笑みを浮かべて首を振りました。
『何もするつもりはありませんよ』
『じゃあ望みは何?』
『約束をしてくれませんか』
『どんな約束?』
『お願いにあがった時には真っ先にお引き立て下さい。あなたが……』
『あたしが?』と娘は不思議そうにたずねました。
『あなたが女王になった時』」
「それで娘はどうしたのです?」
「何の実害もないと思ったので、約束しました」
「その魔術師は?」
「消えてしまいました」
「それでサルチーヌ殿は見つけるのを拒んでいるのですか? それはいけない」
「陛下、拒んではおりません。見つからないのです」
「あら、総監殿! それは警察の辞書にあってはならない言葉じゃありませんこと?」
「目下捜索中でございます」
「型通りの言葉ね」
「いいえ、真実でございます。しかしあまりに情報が少なすぎるのです」
「何ですって! 若くて、美男で、日焼けして、黒髪で、立派な目をして、声がいいというのに」
「随分な熱の入れようだ! サルチーヌ、その男を見つけてはなりませんよ」
「陛下は誤解なさってますわ。あたし、尋きたいことが一つあるんです」
「ご自身のことですか?」
「そうです」
「なるほど! だがこのうえ何をたずねたいと? 予言は当たったではありませんか」
「そうお思いですか?」
「違いますか。あなたは女王だ」
「似たようなものですけれど」
「ではこれ以上は教わることなどない」
「ええ。でもその女王がいつ正式に謁見を許されるのかを教えてもらえます。夜の政治がすべてではありませんわ、陛下。昼の政治だって大事じゃありませんこと?」
「魔術師の問題ではありませんよ」おかしな話になって来たことに気づき、ルイ十五世は口の端を歪めた。
「では誰の問題ですの?」
「あなたです」
「あたし?」
「ええそうです。代母を見つけて下さい」
「宮廷の淑女様たちの中から? そんなの無理だってことはおわかりでしょう。あの人たちはみんなショワズールやプラランの味方なんですから」
「おやおや、どちらの話もしないように決めていたと思いましたがね」
「そんな約束はしてませんわ」