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『ジョゼフ・バルサモ』「マダム・ド・ベアルン」 29-1 アレクサンドル・デュマ

アレクサンドル・デュマ『ジョゼフ・バルサモ』 翻訳中 → 初めから読む

第二十九章 マダム・ド・ベアルン

 宮廷中が望んでいた、或いは恐れていたこの嵐の一番の原因、この騒ぎの躓きの石は、ションが兄に伝えたように、ベアルン伯爵夫人が大急ぎでパリに向かっていることであった。

 これこそは、苦境に陥っていたジャン子爵が考え出した解決策の一つであった。

 代母なしではデュ・バリー夫人の謁見式を行うことが出来ない以上、是が非でも代母が必要なのだが、宮廷では見つけることが出来なかったため、地方に目を向け、各地を探り、町や村を探し回り、ムーズ(Meuse)の外れにある古めかしいが小ぎれいな家で、遂に必要な人物を探し当てたのである。

 探し当てたのは、年経た訴訟を起こしている年経た婦人だった。

 訴訟を起こしている老婦人の名は、ベアルン伯爵夫人という。

 その訴訟には全財産がかかっており、全財産はモープーにかかっていた。つい最近デュ・バリー夫人側に納まったこのモープー、そうなった途端に実は遠い親戚だったとかで、それ以来デュ・バリー夫人を従姉妹と呼んでいる。法務省を狙っているモープーは、この寵姫のため今日は友情、明日は献身(?)と余念がなかった。その甲斐あって国王からは副大法官《vice chancelier》に任命されたが、人からは縮めて「Vice(※「副」のほかに「悪徳」という意味もある)」と呼ばれている。

 ベアルン夫人は、エスカルバニャス伯爵夫人やパンベシュ夫人【それぞれモリエール『エスカルバニャス伯爵夫人』、ラシーヌ『裁判きちがい』の登場人物】そっくりそのままの年老いた訴訟人だった。二人ともこの当時の典型的人物であり、さらにはご存じのように世に知られた人物であった。

 矍鑠として、痩せ形、骨張った身体つき、警戒心が強く、白い眉の下で猫が驚いたような目をぎょろつかせている。若い頃の服を今も着ていたが、ファッションとは気まぐれなもので、一七四〇年に若い娘が着ていた服を一七七〇年の老婦人が身につけても、時にはしっくり来てしまうこともあった。

 ゆったりとしたギピュール、ぎざぎざのケープ、大きな帽子《コワフ》、大きなポケット、大きなバッグ、花柄の絹のネッカチーフ。デュ・バリー夫人の最愛の姉妹でもあり忠実な友人でもあるションが、辯護士の娘のフラジョだと名を偽ってベアルン夫人を訪れた時、夫人はこのような恰好をしていたのである。

 老伯爵夫人がそんな恰好をしていたのは――言うまでもなく服装の話だが――趣味の問題はもちろん経済的な問題も大きい。夫人は貧乏を恥じるような人間ではなかった。貧しいのは自分のせいではないのだから。ただ一つ心残りなのが、息子のために肩書きに相応しい財産を遺してやれないことだった。娘のように素朴で控えめなこの若者は、名声や評判よりも、実生活に実りをもたらす甘露の方を愛していたのである。

 もっとも、「我が土地」と呼べる財産が残ってはいたが、その土地は辯護士がサリュース家と係争中であった。無論、もののわかったご婦人であるが故に、以下のことはよく理解していた。土地を元に金を借りようと思えば、高利貸しは不適切だ。当時のフランスでは恥知らずで通っていたのだから。代理人も論外だ。どの時代でもあくどいものと決まっている。担保に見合った金額を貸してはくれぬだろうし、あるいは返済額上の最低限の金額しか貸してくれまい。

 それ故に、収入や使用料は訴訟とは無関係の土地からのものに限られることとなり、年収が千エキュほどになったベアルン伯爵夫人は法廷に近づかなかった。というのも、判事や辯護士の許へと請願者を運んでゆく四輪馬車の借り賃には、一日当たり十二リーヴルが必要だったのだ。

 四、五年前から順番待ちの関係書類を開くのも諦めてしまったのだから、なおさらだった。昨今の訴訟がいくら長いとはいえ、族長の年齢までは生きなくとも、終わりを見届ける目処は立つ。一方、かつての訴訟は二、三世代を跨いでいた。千一夜物語に描かれたあの植物のように、花をつけるまでに二、三百年かかるのである。

 ところでベアルン夫人は、費やされた十二分の十ほどを取り返すために財産の残りを使い果たすつもりはなかった。既に見てきた通り、どの時代にも古い女と呼ばれるような、言いかえるなら賢明、慎重、強靱、倹約家なのである。

 もちろん、自分自身で訴訟に取り組んでいたなら、召喚、辯護、執行にしても、検事や辯護士、諸々の官吏などより上手く行えたはずだ。だが夫人の名前はベアルンであり、それ故の障碍が多々あったのである。その結果、無念と苦悶に呻吟した。聖アキレウスが死ぬほどの悲痛に苦しみ、喇叭の響きも聞こえぬふりをして天幕に引き籠もったときの如く、ベアルン夫人は鼻眼鏡越しに古い羊皮紙を読み取って一日を過ごしていた。夜にはペルシアの部屋着を羽織り、灰色の髪をなびかせ、サリュース家の言い分に対し枕頭で辯護した。いつも辯舌さわやかに満足すべき勝利を収めていたため、辯護士にも同じような状況を求めていた。

 このような事情であったので、ションがフラジョと名乗って現れた時、ベアルン夫人の胸に温かい気持が生まれたのもご理解いただけよう。

 若き伯爵は軍務に就いていた。

 人は信じたいものを信じる。ベアルン夫人もションの話に至極あっさりと引っかかってしまった。

 だが疑いの影はいくつかあった。伯爵夫人はフラジョ先生のことを二十年前から知っていた。プチ=リヨン=サン=ソヴール(Petit-Lion-Saint-Sauveur)街まで何百回も訪問させられていたが、部屋の広さわりには小さすぎるように見える四角い絨毯には一度も注意を払わなかった。絨毯の上、客たちに飴玉をせしめに来る子供の目には一度も注意を払わなかった。

 だが辯護士の絨毯のことはよく考えるべきであった。その上で遊んでいるはずの子供のことをちゃんと思い出すべきであり、つまりはしっかりと記憶を掘り起こすべきであった。フラジョ嬢はフラジョ嬢。それだけではないか。

 そのうえ彼女は結婚しているというし、様々な不安に対して決定的だったのは、わざわざヴェルダンに来たわけではなく、これからストラスブールで夫と落ち合う予定だったということだ。

 恐らくベアルン夫人はフラジョ嬢に身元を保証するような手紙を求めるべきだったのだろう。だが、父が娘を、それも己が娘を責任者(代理人?)として遣わす時に、手紙が必要だろうか? それに、重ねて記すが、このような恐れを抱いて何になろう? そんな疑いを持ってどうなるというのだ? どんな目的があって、こんな話をしにわざわざ六十里もの道をやって来るというのだ?

 夫人が裕福であったなら、銀行家や徴税請負人やパルチザンの妻のようにお供や食器や宝石を持ち出さなければならなかったとしたら、泥棒が何か企んでいると考えたかもしれない。だが自分を狙うようなあまり利口とは言えない泥棒のことを考えるとふと落胆を覚え、ひどく可笑しくなった。

 というわけで、ションがブルジョワ風の服装をして、一頭立てのみすぼらしい二輪馬車で――馬輿は二つ前の宿駅に置いてきたのだ――立ち去ると、ベアルン夫人の方でも此処を先途と確信し、古い四輪馬車に乗り込んで、御者を急がせた。その甲斐あって王太子妃より一時間早くラ・ショセを通過し、ション・デュ・バリー嬢に遅れること四、五時間でどうにかサン=ドニの市門にたどり着いた。

 手ぶら同然のベアルン夫人にとって、真っ先に欲しいのは情報だったため、プチ=リヨン街のフラジョ先生の門前で馬車を止めた。

 ご想像の通り、野次馬が来ない訳がない。パリっ子はこぞって、アンリ四世の厩舎から抜け出たような、この古くさい馬車の前で立ち止まった。がっしりしたところといい、馬鹿でかい図体といい、しなびた革の窓掛といい、青錆の浮いた銅の車軸の上で恐ろしい軋みをあげて走るところといい、かの尊敬すべき車を思わせるではないか。

 プチ=リヨン街は広いところではない。馬車がそこを堂々と占領していたため、ベアルン夫人は御者たちに代金を支払い、いつも降りているサン=ジェルマン=デ=プレの旅籠『時の声(Coq chantant)』まで移動させた。

 夫人は油で汚れた綱につかまり、フラジョ家の暗い階段を上った。冷え冷えとした空気に満ちており、急ぎ逸った旅でくたくたの老人には随分とこたえた。

 女中のマルグリットが伯爵夫人の来訪を知らせた時には、フラジョ氏は暑さのせいでずり落ちた半ズボンを引っ張り上げ、常に手元に置いている鬘をかぶり、綾織の部屋着を羽織っていた。

 こうした恰好のまま微笑みを浮かべて戸口に歩み寄った。だがこの微笑みにはっきりと驚きが含まれているのを感じ取り、伯爵夫人は声をあげずにはいられなかった。

「まあどうしたんですか、フラジョさん! 私ですよ!」

「ええ、わかってますとも、伯爵夫人」

 弁護士は部屋着の前を合わせ、部屋の一番明るい場所にある革椅子まで伯爵夫人を連れて行った。夫人の好奇心を承知しているが故に、そうやってさり気なく事務机の書類から遠ざけたのだ。

「それでは伯爵夫人」とフラジョは紳士的に切り出した。「ようこそおいで下さいました。驚きましたよ」

 ベアルン夫人は椅子に深く腰かけ、今は足を上げていた。マルグリットが革のクッションを用意して、床と繻子織り靴のあいだに入れる隙間を作っていたのである。それがフラジョの言葉を聞いて、急いで身体を起こした。

「何ですって! 驚いた?」夫人はフラジョをもっとよく見ようと、ケースから眼鏡を取り出し鼻に挟んだ。

「地所にいらっしゃるものと思っておりましたから」お世辞が口から出て、わずか三アルパンの菜園をこう呼んだ。

「その通りですとも。でもあなたから報せがあったから、飛んで来たんじゃありませんか」

「私から報せが?」

「報せでも通知でも助言でも、何とでもお好きなように」

 フラジョ氏の目が、伯爵夫人の眼鏡のように大きくなった。

「こうして急いでやって来たのも、嬉しい報せがあるんじゃないかと期待したからですよ」

「お会い出来たのは嬉しいのですが、どういうことでしょうか。私にやれることがあれば仰って下さい」

「やれることですって?……全部ですよ。というか、あなたが全部やったんじゃないんですか」

「私が?」

「あなたですよ……じゃあ何か新しい出来事は?」

「ええ、ありましたよ。国王が議会に対しクーデターを計画しているそうです。それより何かお出ししましょうか?」

「国王のことも大事ですし、クーデターのことも大事でしょうけどね」

「ではほかに何が?」

「私の訴訟じゃありませんか。新しいことが何もないんでしたら、訴訟のことが知りたいんですよ」

「ああ、それでしたか」フラジョ氏が残念そうに首を振った。「何も。何もありません」

「何もないというのはつまり……」

「何もないってことです」

「ありませんか。お宅のお嬢さんが話してしまいましたものね。お話を聞いたのは一昨日でしたからね、あれからでは、まだ新しい情報もないと思ってましたよ」

「私の娘ですか?」

「ええ」

「私の娘と言ったんですか?」

「娘さんですよ。あなたのお使いでいらした」

「ですが伯爵夫人、娘を使いにやるのは不可能です」

「不可能ですって?」

「火を見るよりも明らかです。私には娘がありませんから」

「まさか?」

「伯爵夫人、私は花の独身ですよ」

「おやおや!」

 フラジョ氏は不安になった。マルグリットを呼んで、伯爵夫人に冷たいものを持ってくるよう言いつけたが、実は伯爵夫人を見張って欲しかったのだ。

 ――可哀相に。頭がおかしくなってしまったんだな。

「それじゃあ、お嬢さんはいないんだね?」

「おりません」

「ストラスブールで結婚している娘さんが?」

「おりません。何度聞かれても同じですよ」

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『ジョゼフ・バルサモ』 28-2

「いい?」マダム・アデライードが続けた。「ルイーズが何よりも恐れているのはね、礼儀作法にうるさいあの子が嫌がっているのは……」

「何だね……? 口に出した以上は最後まで言いなさい」

「新参者に押し入られることです」

「押し入られるだと?」どんな答えが飛び出すかと勘繰っていたのに、この一言には納得しがたい。「押し入るとは? 余の宮殿にそんな者がいるというのか? 余が会いたくもないのに無理矢理押しかける奴がおると?」

 会話の矛先を変えるには、なかなか効果的なやり方だった。

 だがマダム・アデライードの方も一筋縄ではいかない。悪意を嗅ぎつけるのはお手のものである。

「言い方が悪かったわね。不適切な表現でした。新参者に『押し入られる』ではなく、新参者を『招き入れる』と言うべきでした」

「結構だ! 良くなったぞ。実を言うと先ほどの表現には戸惑っておった。『招き入れる』の方が良い」

「でも陛下、」とマダム・ヴィクトワールが言った。「それでもまだ最適とは思えませんけど」

「では何と言えばいい?」

「新参者に『謁見する』です」

「それだわ!」二人の妹が姉に同調した。「今度こそ間違いありません」

 国王が口を歪めた。

「ほう、そう思うかね?」

「勿論です」マダム・アデライードが答えた。「ですから、妹が恐れているのは新参者の謁見だと申しましょう」

「なるほど! それで?」さっさとけりをつけたかったのである。

「それで? 父上、ですから宮廷でデュ・バリー伯爵夫人に会うのが嫌だったんですってば」

「そう来たか!」国王は悔しさの余り声をあげた。「こんなに遠回りをせずに、とっとと言えば良いものを! 時間を無駄にしおって、この真実娘め!」

「陛下、こんなに時間を掛けたのは、ひとえに畏敬の気持からです。ご命令がなくてはこんなこと口に出せませんもの」

「そうであろうな。そうしてずっと口を閉ざしておるのだろう。欠伸もせぬし、話もせぬし、ものも食べぬというわけだ……!」

「ルイーズが隠棲する本当の理由に気づいたのは間違いありませんからね」

「それはそなたの勘違いだ」

「陛下!」マダム・ヴィクトワールとマダム・ソフィが揃って首を振った。「絶対に間違いありません」

「ふえっ!」ルイ十五世が腰を折った。モリエールの芝居に出てくる父そのものである。「みんな同じ意見のようだな。陰謀は家庭内にあったか。謁見式が行われぬのも、そなたたちへの接見が許されぬのも、請願書や謁見許可に返事がないのも、それが原因というわけか」

「どの請願書、どの謁見許可のことですか?」マダム・アデライードがたずねた。

「あら、知ってるくせに。ジャンヌ・ヴォベルニエ嬢の請願書でしょう」マダム・ソフィが答えた。

「そうそう、ランジュ嬢の謁見許可」マダム・ヴィクトワールも続けた。

 国王は猛然と立ち上がった。普段は優しく穏やかな眼差しも、三人娘のせいで随分と物騒な光を放っている。

 こうなると、父の怒りに立ち向かえるような女丈夫は三人の中にはいなかった。三人とも顔をうつむけ嵐をやり過ごそうとした。

「これだ。余は正しかったではないか。四人のうち一番いい子がいなくなってしまうと言ったであろう」

「陛下」マダム・アデライードが口を開いた。「あまりにひどすぎます。それではわたくしたちが犬以下ではありませんか」

「あながち違うとも言えまい。だが犬なら家に帰れば飛びついてくれる。犬こそ真の友だ! というわけで、さらばだ、諸姉。余はシャルロット、ベルフィーユ、グルディネに会いに行く。可愛い奴らだからな。とりわけ、真実を喚かぬところが気に入っておる」

 そう言って国王は猛然として立ち去った。だが控えの間に四歩も踏み出さぬうちに、三人が声を揃えて歌うのが聞こえて来た。

パリの町
兄さん、奥さん、娘さん
心は虚ろ
悲しけり! ああ!ああ!ああ!ああ!

ブレーズ公のお妾さんは
気分があまりすぐれません。
すぐ、すぐ
すぐれ、すぐれません
今もベッドに寝たっきり。ああ!ああ!ああ!

 これはデュ・バリー夫人を当てこすった喜劇の一幕で、ラ・ベル・ブルボネーズといって大変に流行っていたものだ。

 国王はきびすを返そうとした。まさか戻って来るとはマダムたちも思っていないだろう。だが思いとどまって先へ進み、歌声を遮ろうと声を張り上げた。

「猟犬隊長! おい、猟犬隊長!(Monsieur le capitaine des levrettes !)」

 この奇妙な肩書きを持つ士官が馳せ参じた。

「猟犬部屋を開けさせよ」

「陛下!」士官がルイ十五世の前に飛び出した。「ここから先はお入りになれません!」

「何だと? 何かあるのか?」国王は戸口で立ち止まった。主人の匂いを嗅ぎつけた犬たちが息を吐くのが、戸口からは洩れている。

「陛下、お許し下さい。ですが、どうか犬にお近寄りになってはなりません」

「ああ、そうか。部屋が滅茶苦茶なのだな……よし、グルディネを出してやれ」

「それが陛下……」士官の顔に愁いが浮かんだ。「グルディネは二日前から何も口にしていないのです。狂犬病の恐れがございます」

「ああ、そうであったか! 余は世界一の不幸せ者だ! グルディネが狂犬病とは! これ以上の悲しみはあるまい」

 ここは涙を流さなくてはなるまい。猟犬隊長はそう思った。

 国王はきびすを返して部屋に戻り、従者が来るのを待っていた。

 国王が狼狽しているのを目にして、従者は窓の陰に隠れてしまった。

「そうか、よくわかった」ルイ十五世は従者を気にも留めずに――というのも人間扱いしていないからだが――部屋をずかずかと歩きまわっていた。「そうだ。ショワズールは余を馬鹿にしておるし、王太子も今からもう半ば主人顔をしておる。あのオーストリア娘を玉座に着かせる頃には完全にそうなるだろう。ルイーズは余を愛しておったが、道徳を押しつけて随分と厳しかったし、もう行ってしまった。ほかの三人は余のことをブレーズと詠んでいるような小唄を歌っておる。プロヴァンス伯はルクレティウスを翻訳しておるし、ダルトワ伯はほっつき回っておる。犬たちは狂犬病にかかって、余に咬みつきたくてうずうずしておる。つまるところ、余を愛してくれるのは伯爵夫人しかおらぬのだ。伯爵夫人を苦しめるような輩はくたばってしまうがいい!」

 ルイ十五世は絶望に打ちひしがれて卓子に着いた。その卓子こそ、ルイ十四世が署名を記し、重要な条約や壮麗な手紙の重みに耐えていた場所であった。

「ようやくわかった。揃いも揃って王太子妃の到着を待ち望んでいるのは、そうなれば余は下僕に成り下がり、蹴落とされると考えているからであったか。まあ良い、たとい妃が新たな厄介ごとを引き起こすとしても、観察する時間はたっぷりある。落ち着いて過ごすことだ。それも出来るだけ長く。そのためには、途中で長居してもらわなくては。ランス(Reims)とノワヨン(Noyon)は止まらずに通り過ぎるであろうから、コンピエーニュ(Compiègne)まではすぐ着いてしまうな。では儀礼にかこつけてしまおう。ランスで歓迎会を三日、それから一……違う、二……いや、ノワヨンで祝宴を三日、それでどうにか六日稼げる。よし、六日だな」

 国王は羽根ペンを取り、ランスで三日、ノワヨンで三日、足止めするよう、スタンヴィル宛に自ら命令を記した。

 書き終えると伝令を呼んだ。

「これを届けるまでは全力で飛ばせ」

 同じペンを使い、次はこう書いた。

『伯爵夫人。本日ザモールを長官に任命しましょう。余はマルリーに発ちます。今考えていることを今夜ルーヴシエンヌで申し上げましょう。――ラ・フランス』

「よしルベル、この手紙を伯爵夫人に届けてくれ。

 従者は一礼して部屋を出た。

『ジョゼフ・バルサモ』27-3 28-1「ぼろ、ぞうきん、からす」 アレクサンドル・デュマ

アレクサンドル・デュマ『ジョゼフ・バルサモ』 翻訳中 → 初めから読む

 ルイ十五世は腕を組んでうつむいた。

「厳しい言葉だな。すると、そなたが咎めている問題とは、余がしでかしたことなのか?」

「そうでなければよいのですが! 何しろわたくしたちが生きている時代の問題なのですから。陛下もわたくしたち同様に流されているのです。王権を野次った些細な仄めかしに、桟敷がどっと湧くのをお聞き下さいませ。上機嫌の人々が中二階の小階段を大きな音を立てて降りているというのに、大理石の大階段は薄暗く人気がないのをご覧下さいませ。国民も廷臣も、わたくしたちとは別のところで楽しみを見出しているのです。あの者たちはわたくしたち抜きで楽しんでおります。いえむしろ、あの者たちが楽しんでいるのを知って、わたくしたちが悲しんでいるのです」王女の声が愁いに沈んだ。「ああ! 哀れな人たち! あなたたちは愛することも、歌うことも、忘れることも出来るのです。どうか幸せに身を委ねて下さい! わたくしはここで皆さんを苦しめていましたが、向こうではきっとお役に立ちましょう。ここでは皆さんがわたくしの機嫌を窺って楽しげな笑いを引っ込めていますが、向こうではわたくしが祈りを――心からの祈りを捧げるつもりです。王のために、姉君たちのために、甥たちのために、フランス国民のために、あなたたちみんなのために。尽きることなき情熱の限り心から愛するもののために」

「お願いだ」打ち沈んでいた国王が口を開いた。「どうか何処へも行かないでくれ――せめてしばらくは……。余はひどく傷ついておる」

 ルイーズ・ド・フランスは父王の手を取り、愛を込めてその気高い顔を見つめた。

「いいえ、いけません。宮殿には後一時間もいられません。今は祈るべき時なのですから! 陛下が味わう喜びを、わたくしの悲しみであがなうことが出来ましょう。陛下はまだお若く、優れた父親でございます。どうかお許し下さいまし」

「ここに残ってくれ、ルイーズ、お願いだ」国王は娘をぎゅっと抱きしめた。

 王女は首を横に振った。

「わたくしの国はこの世にはございません」国王の抱擁から逃れて、悲しげにそう答えた。「お別れです、父上。二十年間心に溜め込んで来たことを今日申し上げることが出来ました。これまでは心の重荷に息が詰まりそうでした。お別れです。わたくしは心満ちております。ご覧下さい。わたくしは笑っておりますでしょう? 今日ほど幸せな日はございませんでした。惜しむものなど何一つございません」

「余のことさえもか?」

「もう会ってはならないのであれば、名残を惜しみもいたします。ですが時にはサン=ドニにいらして下さい。覚えていて下さればそれでいいのです」

「無論だ、忘れるものか!」

「待ちわびたりはなさいますな。永い別れではないと信じましょう。姉君たちはまだ何も知らない――と思います。侍女たちにしか打ち明けておりませんから。八日前から準備をして参りました。後はただどうか、別れを騒ぎ立てるのは、サン=ドニの重い扉の音が聞こえてからにして下さいまし。そうすれば扉の音にかき消されて、ほかには何も聞こえませんから」

 その意思の堅いことは目を見ればわかった。もっとも、ひっそりと発つのならその方がよい。泣き明かされて決心が鈍るのをマダム・ルイーズが恐れているというのなら、王の方は神経がすり減るのをそれ以上に恐れていた。

 それに、マルリーに行きたかった。ヴェルサイユでは大変なことが多すぎて、しばらく何処へも行けそうにない。

 ようやく悟った。王としても父としても相応しくない愁嘆場が終わってしまえば、もうこの厳しげで悲しげな顔を見ることはないのだ。あの顔を見るといつも、暢気で怠惰な生活を非難されているようだったというのに。

「では望み通りにするがよい。だがせめて父の祝福だけは受け取ってくれ。これまではそなたが幸せを与えてくれたのだからな」

「ではどうかお手を。口づけをいたします。祝福はお心の中でお与え下さい」

 王女の決意を知らされた者たちにとって、それは崇高で厳粛な光景だった。王女は一歩、また一歩と、祖先たちに近づいて行った。王女が生きながら墓の中で落ち合おうとしていることに、祖先たちは金の額縁の奥から感謝しているようだった。

 戸口で王は娘に一礼し、一言も言わずに引き返した。

 作法に倣って廷臣がその後に続いた。


第二十八章 ぼろ、ぞうきん、からす

 国王はle cabinet des équipagesに向かった。狩りや散歩の前にそこで時間を取り、その後の一日に必要な下働き(?)について殊に命令を出すのが習慣なのである。

 回廊の端で廷臣たちに挨拶し、一人になりたい旨を伝えた。

 一人きりになったルイ十五世は、l'appartement de Mesdamesに通ずる廊下を歩き続けた。タペストリーで塞がれた戸口に着くと、立ち止まって首を振った。

「いい娘は一人だけだったが」と洩らした。「もう行ってしまったな!」

 今もそこに残る娘たちにとっては随分と不愉快なこの金言に答えて、声がはじけた。タペストリーが上がり、三重奏の挨拶が飛んで来た。

「それはどうも、お父様!」

 ルイ十五世はほかの三人の娘たちに囲まれていた。

「ああ、そなたか、ぼろ」国王は年上の娘マダム・アデライードに声をかけた。「残念だが、怒る怒らぬは別にして、余は事実を言ったまでだ」

「そうね!」マダム・ヴィクトワールが口を聞いた。「今に始まったことじゃありませんものね。陛下はいつだってルイーズがお気に入りでしたもの」

「これは一本取られたな、ぞうきん」

「でも何だってルイーズの方がお気に入りなのかしら?」マダム・ソフィーの声には棘があった。

「ルイーズは余を困らせたりはせぬからな」ルイ十五世はわがままを言う時には、ものの見事に無邪気さを見せる人間なのである。

「そのうち困らせられることになりますから、ご安心を」マダム・ソフィーの声には棘があったため、おのずから国王の目が引き寄せられた。

「何故わかる、からす? ルイーズが出がけに打ち明けたのか? 驚いたな。あの娘はそなたのことがあまり好きではないと思っておった」

「それはそうでしょうけど、お互い様よ」

「見事だ! 憎め、嫌え、苛め、というわけか。余をわずらわせないでいてくれるなら、アマゾン族の国を平定しようと一切構わぬ。だが教えてくれぬか、何故あの可哀相なルイーズが余を困らせるのだ?」

「可哀相なルイーズですって!」マダム・ヴィクトワールとマダム・アデライードが揃って声をあげ、思い思いに口を歪めた。

「ルイーズが困らせる理由ですか? わかりました。今から申します、父上」

 国王は戸口近くの椅子に坐った。これでいつでも逃げ出せる。

 ソフィーが続けた。「マダム・ルイーズは、シェルの修道院長をそそのかした悪魔に取り憑かれて、いろいろなことをしたくて修道院に入るのよ」

「さあさあ、お願いだから、妹の貞節を当てこするようなことはやめてくれ。誰一人として表立っては何も言わぬというのに、言葉だけは溢れておる。そなたももうやめよ」

「わたくしが?」

「さよう、そなただ」

「貞節の話などしておりません」マダム・ソフィーは『そなた』という父の言葉にひどく気分を害した。そこだけが強調されていたうえに、わざとらしく繰り返されていたのだ。「いろいろなことをするだろうと言っただけです」

「そうかね? 化学の実験をしたり、剣を習ったり椅子の車輪を作ったり、フルートを吹いたり太鼓を叩いたり、チェンバロを奏でたり弦を掻き鳴らしすることの、どこが悪い?」

「政治に手を出すと申し上げてるんです」

 ルイ十五世は震え上がった。

「哲学と神学を学び、ウニゲニトゥス勅書に註釈を加えるのでしょう。そうやってあの娘が政治学に観念体系、神学の教えを受けてしまえば、わたくしたちは役立たずに見えますけど……」

「それで妹が天国に行けるのなら、良いではないか?」そうは言ったものの、からすの非難とマダム・ルイーズの激しい弾劾との間に共通点があることに、随分と驚いていた。「あの娘の至福を妬んでおるのか? それでは良いキリスト教徒とは言えまいに」

「まさか!」マダム・ヴィクトワールが声をあげた。「天国に行きたいのなら行かせてあげます。でもついて行く気はありませんから」

「わたくしも」マダム・アデライードが言った。

「わたくしも」マダム・ソフィーも言った。

「だいたい、わたくしたちは嫌われてたんですもの」マダム・ヴィクトワールが続けた。

「そなたたちがか?」

「ええ、わたくしたちが」「わたくしたちが」と残りの二人がそれに答えた。

「つまり、ルイーズが天国を選ぶのは、二度と家族に会いたくないからだと言いたいのか!」

 この軽口に三人の娘は作ったような笑いを見せた。

 マダム・アデライードは頭を絞り、これよりもさらに辛辣な攻撃を与えようとした。鎧をかすめるだけではなく、貫いてやろう。

 だらしないせいで父から「ぼろ」という名を頂戴した時のような声を出した。「皆さんは、マダム・ルイーズが出て行った本当の理由に気づいていないし、わざわざ口に出したりもしてませんから」

「また何か企んでおるな。よかろう、ぼろ、言い給え!」

「もしかすると陛下を困らせてしまうかもしれませんから」

「困らせたいというのが本音だろう」

 マダム・アデライードは唇を噛んだ。

「でもこれから申し上げることは真実です」

「それは結構。真実か! ではあんなことを言うのはよすがいい。余はそんなことを言ったかな。真実? ありがたいことに、余はそれほど耄碌してはおらぬ」

 そう言ってルイ十五世は肩をすくめた。

「早く仰いよ」二人の妹が、競うように口を開いた。必ずや王が傷つくに違いないというその話の内容を、知りたくてたまらないのだ。

「こやつらと来たら――」ルイ十五世は呟いた。「父親を何だと思っておるのだ!!」

 だがまんまと意趣返ししてやったのが、せめてもの慰めだ。

『ジョゼフ・バルサモ』27-2 「マダム・ルイーズ・ド・フランス」 アレクサンドル・デュマ

アレクサンドル・デュマ『ジョゼフ・バルサモ』 翻訳中 → 初めから読む

「そなたが出て行くと言っていたが? ピカルディに行くのかね?」

「そうではございません、陛下」

「では恐らく」と国王は声を大きくした。「ノワールムティエに巡礼に行くつもりだな」

「違います、陛下。わたくしはサン=ドニのカルメル会修道院に隠遁いたします。そこでなら修道院長に就くことが出来ますし」

 国王はぎょっとした。だが心は揺れ動いていても、顔は平静を装っていた。

「まさか余の許を去ったりはせぬのだろう? そんなことはあり得んよ」

「父上、わたくしはずっと以前から決意しておりましたし、陛下はお許しを下さいました。どうか拒否なさらないで下さい」

「うむ、確かに許しはしたが、随分長いこと悩んだのだぞ。許しを与えたのも、いざ出発という時になって気持が萎えてくれるのではと思ったからではないか。修道院なぞに埋もれてはならぬ。そのような引き籠もった暮らしなど。修道院に入るのは、悲しい目に遭ったり運命に裏切られた人間だけだ。フランス王の娘には惨めなことなどないし、仮に不幸だとしても誰にも気取られてはならぬのだ」

 国王の言葉と気持は、王であり父であるという役割に熱が入るにつれて、だんだんと高まっていた。或いは誇りが耳打ちし、或いは無念が胸に生じたために、これまでに一度も上手く演じたことのない役柄ではあったが。

 ルイーズ王女も父が興奮していることに気づいた。自分勝手なルイ十五世が珍しく心を動かされているのだ。期待以上の効果が現れていた。「陛下、そのような優しいお言葉で、わたくしの気持を挫かないで下さいませ。わたくしの悲しみはありふれたものではありません。わたくしの決意は、この時代の習わしとは別のところにあるのですから」

「ではそなたは悲しんでいるのか?」国王は敏感に反応した。「悲しんでいるというのか!」

「辛く大きな悲しみでございます!」

「何故聞かせてはくれぬのだ?」

「人の手では癒せぬ悲しみだからでございます」

「たとい王の手であっても?」

「王の手であっても」

「父の手であっても?」

「同じでございます」

「だがそなたは信仰心が篤いではないか、ルイーズ。そなたなら信仰の力で……」

「それもなりません。それ以上のものを見つけたくて修道院に入るのですから。沈黙の中で主は人の心に語り給い、孤独の中で人は主の御心に語り奉るのです」

「だがそなたは主のために、何物にも代え難い大きな犠牲を払っているのだぞ。玉座の影が厳かに、膝元の御子たちを覆っておるのだ。そなたはそれが不満なのか?」

「修道院の小部屋の影はそれ以上に深いのです。心を癒し、強きも弱きに、謙遜も驕りに、大も小の如く和らいでおります」

「いったいどのような危険が訪れると思っておるのだ? ルイーズ、どうあろうと、ここで王が守ってみせる」

「陛下、そもそも王が主に守られているのです!」

「ルイーズ、繰り返すが、そなたはおかしな考えに凝り固まって迷うておるのだ。祈るのはよいが、そういつもいつも祈らずともよい。そなたは善良だし、信仰心も篤い。そこまでして祈る必要が何処にある?」

「ああ、父上! 祈りはまだとても足りません! 今後わたくしたちに襲いかかる不幸を避けるためには、まだとても足りないのです。主がお与え下さった善意も純真も、二十年間つとめてそそいで来た無垢も純心も、ずっと恐れていたことですが、贖罪に必要なまでにはまだ至らないのです」

 王は一歩退き、驚いた目でマダム・ルイーズを眺めた。

「そんな話は初めて聞く。やはりそなたは気が迷うておるな。修道が過ぎるせいだ」

「陛下、必要とされるべき時に臣下が王に身を捧げること、娘が父に身を捧げることは、当然のことですし、絶対に必要なことです。それを犠牲などと当たり前の名前で呼ぶのはおやめ下さい。先ほど陛下は胸を張って玉座の影をお示し下さいましたが、その玉座がぐらついているのです。陛下はまだその衝撃に気づいてらっしゃいませんが、わたくしは前々より感づいておりました。何かが人知れず深い穴を掘り、君主制を飲み込んでしまえるような深淵を穿っております。陛下のお耳に真実は届いてらっしゃいませんか?」

 マダム・ルイーズははばかるように辺りを見回し、声の聞こえるほど近くには誰もいないことを確認して、話を続けた。

「ええ、わたくしは気づいておりました。ミゼルコルドの修道服を纏って、薄暗い路地、ひもじい屋根裏、呻きであふれた辻に、何度となく足を運んだのです。路地や辻や屋根裏では、飢えや冬の寒さ、渇きや夏の暑さが原因で何人もの人が命を落としています。陛下は地方をご覧になったことがございませんね。お出かけになるのはヴェルサイユからマルリーまでと、マルリーからヴェルサイユまでの間だけですもの。地方にはもう穀物がございません。民に施しをせよとは申しません。畑に種を蒔いてほしいのです。如何なる因縁か知りませぬが、呪われた畑には貪り尽くされるだけで、何ももたらしてはもらえません。皆、パンに飢え、陰では不平を洩らしております。それというのも、何処からとも知れぬ風の噂が、宙を、黄昏を、夜中を経巡り、枷や鎖や圧政の話を囁いているのです。その言葉を聞いて目覚めた民は、苦痛を忍ぶのを止め、不平を洩らし始めました。

「高等法院が建議する権利を――こっそり口にしていたことを、陛下に対しはっきり口にする権利を、求めております。『我らを虐げし国王よ! 我らを見逃し給え、さもなくば我らの方で逃れるのみ……』

「兵士たちは無用の剣を地面に埋め、そこからは、百科全書派が山ほど蒔いていた自由の種が芽吹いております。作家たちは――どうしたというのでしょうか? 使っているのは同じ目だというのに、見えなかったものを見い出し始めたのです。作家たちは、わたくしたちの行いがよくないことを知り、それを国民に知らせました。そのため、今や国民は主人の通るのを目にするたびに眉をひそめております。陛下はこれから王太子殿下の縁組みをなさいますが、かつてアンヌ・ドートリッシュ皇太后が国王陛下の縁組みをなさった時には、パリ市からマリ=テレーズ王女にたくさんの贈り物がございました。ですが今や町からは何も用意してもらえぬうえに、カエサルの娘を聖ルイの息子の許に運ぶ四輪馬車の代金さえ、税を徴収しなくてはなりませんでした。聖職者は久しく主への祈りを怠っておりましたが、土地は三文、特権はすり減り、箱の中身は空っぽであることに気づいて、国民の幸福のためと称して再び主に祈り始めました。ですが陛下ご自身よくご存じのことを、お耳に入れなければなりませんか? 苦々しい気持で眺めながら、誰にもお話しなさらなかったのでしょう。同胞の国王たちは、かつてはわたくしたちを羨んでいたというのに、今では顔を背けておいでです。陛下の姫御子四人は――フランス王の姫御子が四人とも結婚してはおりません。ドイツには二十人の御子が、イギリスには三人、États du Nordには十六人の御子がいるというのに。そのうえ親戚であるはずのイスパニアのブルボン家もナポリのブルボン家も、わたくしどもを忘れるか、他国同様に見捨ててしまわれました。わたくしたちがキリスト教の信仰篤いフランス国王の娘でなければ、トルコが興味を示していたことでしょう。陛下、わたくしはわがままを申しているのでも愚痴を申しているのでもございません。この境遇が幸せなのでございます。こうして自由なまま、家族から干渉されることもなく、隠遁、瞑想、清貧の中で主に祈りを捧げに参ることが出来るのですから。あちらこちらで嵐が、空でうなりをあげているのが見えます。陛下と我が甥の未来のために、嵐が逸れてくれるようわたくしは祈りを捧げに参ります」

「ああ、そなたは――」国王が口を開いた。「不安のあまり、必要以上に未来を悲観しておる」

「陛下、あの古代の王女、王家の預言者を思い出して下さい。あの者もわたくしのように父と兄弟に戦争、破滅、動乱を予言し、気違い沙汰だと笑われました。わたくしをそのように扱うのはおやめ下さい。どうか父上、陛下、よくお考え下さいませ!」

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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