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『ジョゼフ・バルサモ』27-2 「マダム・ルイーズ・ド・フランス」 アレクサンドル・デュマ

アレクサンドル・デュマ『ジョゼフ・バルサモ』 翻訳中 → 初めから読む

「そなたが出て行くと言っていたが? ピカルディに行くのかね?」

「そうではございません、陛下」

「では恐らく」と国王は声を大きくした。「ノワールムティエに巡礼に行くつもりだな」

「違います、陛下。わたくしはサン=ドニのカルメル会修道院に隠遁いたします。そこでなら修道院長に就くことが出来ますし」

 国王はぎょっとした。だが心は揺れ動いていても、顔は平静を装っていた。

「まさか余の許を去ったりはせぬのだろう? そんなことはあり得んよ」

「父上、わたくしはずっと以前から決意しておりましたし、陛下はお許しを下さいました。どうか拒否なさらないで下さい」

「うむ、確かに許しはしたが、随分長いこと悩んだのだぞ。許しを与えたのも、いざ出発という時になって気持が萎えてくれるのではと思ったからではないか。修道院なぞに埋もれてはならぬ。そのような引き籠もった暮らしなど。修道院に入るのは、悲しい目に遭ったり運命に裏切られた人間だけだ。フランス王の娘には惨めなことなどないし、仮に不幸だとしても誰にも気取られてはならぬのだ」

 国王の言葉と気持は、王であり父であるという役割に熱が入るにつれて、だんだんと高まっていた。或いは誇りが耳打ちし、或いは無念が胸に生じたために、これまでに一度も上手く演じたことのない役柄ではあったが。

 ルイーズ王女も父が興奮していることに気づいた。自分勝手なルイ十五世が珍しく心を動かされているのだ。期待以上の効果が現れていた。「陛下、そのような優しいお言葉で、わたくしの気持を挫かないで下さいませ。わたくしの悲しみはありふれたものではありません。わたくしの決意は、この時代の習わしとは別のところにあるのですから」

「ではそなたは悲しんでいるのか?」国王は敏感に反応した。「悲しんでいるというのか!」

「辛く大きな悲しみでございます!」

「何故聞かせてはくれぬのだ?」

「人の手では癒せぬ悲しみだからでございます」

「たとい王の手であっても?」

「王の手であっても」

「父の手であっても?」

「同じでございます」

「だがそなたは信仰心が篤いではないか、ルイーズ。そなたなら信仰の力で……」

「それもなりません。それ以上のものを見つけたくて修道院に入るのですから。沈黙の中で主は人の心に語り給い、孤独の中で人は主の御心に語り奉るのです」

「だがそなたは主のために、何物にも代え難い大きな犠牲を払っているのだぞ。玉座の影が厳かに、膝元の御子たちを覆っておるのだ。そなたはそれが不満なのか?」

「修道院の小部屋の影はそれ以上に深いのです。心を癒し、強きも弱きに、謙遜も驕りに、大も小の如く和らいでおります」

「いったいどのような危険が訪れると思っておるのだ? ルイーズ、どうあろうと、ここで王が守ってみせる」

「陛下、そもそも王が主に守られているのです!」

「ルイーズ、繰り返すが、そなたはおかしな考えに凝り固まって迷うておるのだ。祈るのはよいが、そういつもいつも祈らずともよい。そなたは善良だし、信仰心も篤い。そこまでして祈る必要が何処にある?」

「ああ、父上! 祈りはまだとても足りません! 今後わたくしたちに襲いかかる不幸を避けるためには、まだとても足りないのです。主がお与え下さった善意も純真も、二十年間つとめてそそいで来た無垢も純心も、ずっと恐れていたことですが、贖罪に必要なまでにはまだ至らないのです」

 王は一歩退き、驚いた目でマダム・ルイーズを眺めた。

「そんな話は初めて聞く。やはりそなたは気が迷うておるな。修道が過ぎるせいだ」

「陛下、必要とされるべき時に臣下が王に身を捧げること、娘が父に身を捧げることは、当然のことですし、絶対に必要なことです。それを犠牲などと当たり前の名前で呼ぶのはおやめ下さい。先ほど陛下は胸を張って玉座の影をお示し下さいましたが、その玉座がぐらついているのです。陛下はまだその衝撃に気づいてらっしゃいませんが、わたくしは前々より感づいておりました。何かが人知れず深い穴を掘り、君主制を飲み込んでしまえるような深淵を穿っております。陛下のお耳に真実は届いてらっしゃいませんか?」

 マダム・ルイーズははばかるように辺りを見回し、声の聞こえるほど近くには誰もいないことを確認して、話を続けた。

「ええ、わたくしは気づいておりました。ミゼルコルドの修道服を纏って、薄暗い路地、ひもじい屋根裏、呻きであふれた辻に、何度となく足を運んだのです。路地や辻や屋根裏では、飢えや冬の寒さ、渇きや夏の暑さが原因で何人もの人が命を落としています。陛下は地方をご覧になったことがございませんね。お出かけになるのはヴェルサイユからマルリーまでと、マルリーからヴェルサイユまでの間だけですもの。地方にはもう穀物がございません。民に施しをせよとは申しません。畑に種を蒔いてほしいのです。如何なる因縁か知りませぬが、呪われた畑には貪り尽くされるだけで、何ももたらしてはもらえません。皆、パンに飢え、陰では不平を洩らしております。それというのも、何処からとも知れぬ風の噂が、宙を、黄昏を、夜中を経巡り、枷や鎖や圧政の話を囁いているのです。その言葉を聞いて目覚めた民は、苦痛を忍ぶのを止め、不平を洩らし始めました。

「高等法院が建議する権利を――こっそり口にしていたことを、陛下に対しはっきり口にする権利を、求めております。『我らを虐げし国王よ! 我らを見逃し給え、さもなくば我らの方で逃れるのみ……』

「兵士たちは無用の剣を地面に埋め、そこからは、百科全書派が山ほど蒔いていた自由の種が芽吹いております。作家たちは――どうしたというのでしょうか? 使っているのは同じ目だというのに、見えなかったものを見い出し始めたのです。作家たちは、わたくしたちの行いがよくないことを知り、それを国民に知らせました。そのため、今や国民は主人の通るのを目にするたびに眉をひそめております。陛下はこれから王太子殿下の縁組みをなさいますが、かつてアンヌ・ドートリッシュ皇太后が国王陛下の縁組みをなさった時には、パリ市からマリ=テレーズ王女にたくさんの贈り物がございました。ですが今や町からは何も用意してもらえぬうえに、カエサルの娘を聖ルイの息子の許に運ぶ四輪馬車の代金さえ、税を徴収しなくてはなりませんでした。聖職者は久しく主への祈りを怠っておりましたが、土地は三文、特権はすり減り、箱の中身は空っぽであることに気づいて、国民の幸福のためと称して再び主に祈り始めました。ですが陛下ご自身よくご存じのことを、お耳に入れなければなりませんか? 苦々しい気持で眺めながら、誰にもお話しなさらなかったのでしょう。同胞の国王たちは、かつてはわたくしたちを羨んでいたというのに、今では顔を背けておいでです。陛下の姫御子四人は――フランス王の姫御子が四人とも結婚してはおりません。ドイツには二十人の御子が、イギリスには三人、États du Nordには十六人の御子がいるというのに。そのうえ親戚であるはずのイスパニアのブルボン家もナポリのブルボン家も、わたくしどもを忘れるか、他国同様に見捨ててしまわれました。わたくしたちがキリスト教の信仰篤いフランス国王の娘でなければ、トルコが興味を示していたことでしょう。陛下、わたくしはわがままを申しているのでも愚痴を申しているのでもございません。この境遇が幸せなのでございます。こうして自由なまま、家族から干渉されることもなく、隠遁、瞑想、清貧の中で主に祈りを捧げに参ることが出来るのですから。あちらこちらで嵐が、空でうなりをあげているのが見えます。陛下と我が甥の未来のために、嵐が逸れてくれるようわたくしは祈りを捧げに参ります」

「ああ、そなたは――」国王が口を開いた。「不安のあまり、必要以上に未来を悲観しておる」

「陛下、あの古代の王女、王家の預言者を思い出して下さい。あの者もわたくしのように父と兄弟に戦争、破滅、動乱を予言し、気違い沙汰だと笑われました。わたくしをそのように扱うのはおやめ下さい。どうか父上、陛下、よくお考え下さいませ!」

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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