アレクサンドル・デュマ『ジョゼフ・バルサモ』 翻訳中 → 初めから読む。
「主の方と喧嘩でもしたのですか?」老人は問いかけるような視線をジルベールにぶつけながら、箱の中の植物をきれいに並べていた。
「主人なんていません」
「いけません、そんな大それた答えは」老人は帽子をかぶった。
「でも嘘偽りのないことですから」
「誰もがこの世に主人を持っているのですよ。『主人などいない』と口にしては、自尊心を正しく理解しているとは言えません」
「どうしてです?」
「だってそうではありませんか? 老いも若きも誰もが皆、一つの力によって支配されているのですから。人間によって縛られている者もいれば、信条や原理によって縛られている者もいるでしょうが、主人と言っても声や手で命令したりぶったりする人間たちとは限らないということです」
「だとしたら、僕は信条に縛られているんです。精神に苦痛なく主人として受け入れられるのは、信条だけですから」
「どのような信条でしょうか? 見たところまだお若い、既存の主義を持つには早すぎるようですが」
「人間はみな兄弟であり、生まれながらにして一人一人が互いに一つの義務を負っているということです。ちっぽけなものとはいえ僕も神から何らかの価値を授かりましたが、僕が他人の価値を認めるのと同じように、僕の価値も認めてくれるよう他人に要求する権利があります。行き過ぎない限り。不当なことや不名誉なことさえしなければ、人間としての性質に沿う場合に限って、尊敬を分かつ権利が僕にもあるということです」
「教えを受けたのでしょうか?」
「生憎ですが。でも『不平等起源論』と『社会契約論』を読んだんです。この二冊の本から学んだことが、僕の知識のすべてだし、恐らく希望のすべてです」
この言葉を聞いて、老人の目がきらりと光った。箱の仕切りに並べ損ねて、美しい花びらをした常盤花を危うくばらばらにしてしまうところだった。
「それがあなたの信条ですか?」
「あなたは反対なさるかもしれませんが、これはジャン=ジャック・ルソーの信条なんです」
老人ははっきりと疑念を表したが、ジルベールの自尊心を傷つけないように気をつけていた。「しかし、正確に理解なさったのでしょうか?」
「これでもフランス語は理解しています。特に論理的で詩的であれば……」
「そういう意味ではありませんよ」老人は微笑んだ。「今は詩についておたずねしているのでないことは、おわかりでしょう。お尋きしたかったのは、哲学を学ばれてその全体系の本質を把握できたかということです、つまりル……」
老人は言葉を止めて赤くなった。
「ルソーの体系を。僕は学校で学んだわけではありませんが、読んだ本が何を教えてくれたのかは直感的にわかります。『社会契約論』は、有益で素晴らしい本でした」
「若い人には退屈なテーマでしょう。二十歳の夢にとっては無味乾燥な考察、春の想像力にとっては苦くて香りのない花ですよ」老人は悲しげにそっと口を利いた。
「不幸は人の成長を早めますし、それに好き勝手に夢を見ていれば苦しいことも出て来ますから」
老人は目を半ば閉じて考え込んだ。これは考える時の癖なのだが、それが老人の顔に何らかの魅力を与えていた。
「それは誰に対する皮肉でしょう?」老人は赤くなってたずねた。
「誰のことでもありません」
「しかし……」
「断言できます」
「ジュネーヴの哲学者のことを学んだと仰ったように聞こえましたが、彼の人生を皮肉ったのでは?」
「本人のことは知らないんです」ジルベールは率直に答えた。
「知りませんか?」老人は溜息をついた。「不幸な人間ですよ」
「何ですって! ジャン=ジャック・ルソーが不幸? それじゃあ正義なんて何処にもないんですね。不幸ですって! 人間の幸福のために人生を捧げた人が?」
「まあまあ。確かに本人のことを知らないようですね。それよりあなたのことを聞かせてもらえませんか?」
「よければこのまま話を続けたいのですが。だって僕みたいな誰でもない人間の話を聞いてもしょうがないでしょう?」
「それにわたしのような見ず知らずの人間を信用するのは不安ですからね」
「そんなつもりじゃありません! 不安なわけがないでしょう? 誰が何をしようと、今よりひどい目に遭わせられられるわけがないんですから。僕がどんな状態で現れたか思い出して下さい。独りぼっちで、惨めで、飢えていました」
「行き先は何処でしょうか?」
「パリに向かっているところですが……
「そうです……いえ、違います」
「ああ! どっちなんです?」ジルベールは笑い出した。
「嘘はつきたくないので、口を開く前によく考えてはならないと常々気をつけているんですよ。長年パリに住んでいてパリで生活して来た人間をパリジャンというのであれば、わたしはパリジャンです。ですがもうパリにはおりません。何故そんな質問を?」
「僕にとっては今まで話していたことと関係があるんです。つまりこういうことです。あなたがパリにお住まいなら、きっとルソー氏をご覧になったことがあるはずです」
「確かに何度か見たことはあります」
続く