翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 01-3

 やんちゃな生徒は(悪名高い広場に面している数少ない窓から、隣人たちに囃し立てられ)、誰も彼もが膝の擦り切れたキュロットを履き、肘に穴の空いた上着を着て、広場にたむろしている、その一方で、賢いと呼ばれるような生徒たち――おばさん連中が言うところの、親を喜ばせていい気にさせる生徒たちは、人垣から離れ、各人各様の道を取って、とぼとぼと後ろ髪を引かれながら、籠を手に、自宅に戻っていた。家に帰れば諦めて来た遊びの代わりにバターやジャムのついたパンが待っていた。この子らが着ているのはまずいい状態の上着であったし、履いているキュロットもけちのつけようがないものだった。そのことが、大人受けする賢さに加えて、見劣りする服を着ている利かん坊たちから嘲りやなかんずく憎しみすら受ける理由になっていた。

 やんちゃな生徒と賢い生徒と呼び分けたこの二種類の生徒のほかに、名づけて怠惰な生徒と呼ぶべき第三の生徒たちがいた。城館広場で遊ぶためであろうと自宅に帰るためであろうと、ほかの子らと交わることは滅多にない。連日のように居残りさせられていたからである。それは即ち、学友たちが翻訳と作文を終えて独楽を回したりパンを食べたりしている間も、椅子や机に釘付けになって、授業中には出来なかった作文と翻訳に休憩時間いっぱい取り組んでいた。もっとも、間違いがあまりにひどいと、居残りに加えて鞭打ちやへら打ちの罰を与えられていた。

 だからもし誰かが教室に戻るために小径をたどったなら――生徒たちがその小径を通って入れ違いに教室から出て行ったばかりであった――、そして路地づたいに進んだなら――その路地は果樹園の傍らを控えめに通り過ぎ、娯楽用の中庭に通じていた――、そして誰かがこの中庭に入ったなら、大きく厳めしい声が階段の上から聞こえて来るのに気づいたことであろう。そして歴史的客観性から第三種に分類した生徒――即ち怠惰な生徒が、肩を動かしながらどたばたと階段を降りて来るのが見えたはずだ。その姿はさながら騎手を振り落とそうとする驢馬のようでもあり、鞭打ちを喰らったばかりの生徒が痛みを振り払おうとしているようでもあった。

「この不信心者め! 出て行きなさい! 三年間我慢したが、こんな愚か者には父なる神も音をあげてしまう。今日で終わりです。栗鼠も蛙も蜥蜴も蚯蚓も黄金虫も持って、伯母さんと伯父さんのところに帰りなさい。行きたいところがあるのなら何処へなりとも行けばいい。顔を見なくて済むところなら何処へでも行ってしまいなさい!」

「フォルチエ先生、ごめんなさい」階段から懇願する声が聞こえた。「先生が仰るみたいに、たいしたことない破格が一個に間違いが何個かあるからってそんなに怒るのはひどいじゃないですか!」

「二十五行の作文の中に、文法の破格が三つに誤りが七つだ!」怒鳴り声がひときわ大きくなった。

「それは今日だったからです、神父さん。ほんとのこと言うと、木曜日は調子が悪いんです。でももし――もしも明日ちゃんと作文できたら、今日の不運は許してくれませんか?」

「三年だ。作文の日はいつもおんなじことばかり繰り返しているじゃないか! 試験は十一月一日だともう決定している。アンジェリク伯母さんに頼まれて仕方なく、ソワッソンの神学校の奨学金候補に君を入れておいたがね、自分の教えた生徒が落とされるのは見るに忍びないし、ましてやアンジュ・ピトゥは馬鹿だ、アンゲルス・ピトヴィウス・アシヌス・エスト、と言われるのを聞くのは御免だよ」

 何よりもまず親愛なる読者に興味を持っていただけるように、急いで申し上げておくが、フォルチエ神父が生き生きとラテン語化したばかりのこのアンジュ・ピトゥというのが、この物語の主人公なのである。

「フォルチエ先生!」ピトゥが絶望に駆られて声をあげた。

「先生?」神父にはその呼び名が煩わしかった。「ありがたいことに、もう生徒でもなければ先生でもない。君のことなどもう知らないし、二度と会いたくはない。名前を呼ぶのも挨拶するのもやめてもらおう。さあ、行きなさい!」

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『アンジュ・ピトゥ』 01-2

 裏側しか見えないと言っていいほど小さな家である。だがある種の人間にとっては、その裏側こそがこの家でもっとも大切な特徴であった。正面玄関は町の大通りの一つであるソワッソン街に面しており、ひん曲がった扉は二十四時間のうち十八時間はむっつりと閉ざされていたが、扉を開ければ向こう側には明るい景色が現れる。向こう側には庭が広がっており、塀の上にはさくらんぼや林檎やプラムの梢が見えた。さらには小さな扉があり、その広場の出口側と庭の入口側には、それぞれアカシアの古木が一本ずつ聳えていた。春になれば塀の上に腕を伸ばし、枝葉の届くかぎりに花の香りを地面に撒き散らそうとしていた。

 この家は城館の礼拝堂を受け持つ司祭のものであった。教会の維持管理だけではなく、主人が不在だというのに毎週日曜日には弥撒を執りおこなっていたし、小さな寄宿舎も持っており、特別な計らいによる収入が二つあった。一つはプレシ(Plessis)の中学校のために用い、一つはソワッソンの神学校のために充てられていた。言うまでもなく、この二つの金の出所はオルレアン家であった。神学校のお金は摂政の息子が用意し、中学校のお金は大公の父が用意したものである。この二つの財源こそ二親にとっては希望の素であり、生徒にとっては絶望の種であった。毎週木曜日におこなわれる作文の元となっていたからだ。

 斯くして一七八九年七月の木曜日、曇天、強い風が東から西へ吹き荒れ、風下にあるアカシアの木からは春の装いはとうに剥ぎ取られ夏の暑さで色づいた葉を吹き飛ばしていた。踏み固められた地面に舞い散る葉の葉擦れや、地面をかすめる虫を追いかける雀の囀りで、静寂が破られてからしばらく後、スレート葺きの尖った鐘楼の鐘が十一時を告げた。

 すると、槍騎兵隊があげたような歓声と、岩から岩へとぶつかる雪崩のような響きが、鳴り響いた。二本のアカシアの間にある扉が開く――というよりは扉が破られ、子供たちが広場にほとばしると、すぐに五つ六つの集まりに分かれて騒ぎ出した。輪の周りに集まって独楽を取り囲む子らもいれば、白いチョークで線を引いて石蹴り遊びをしている子らや、規則正しく空いた穴の前でボールを突いて穴に入れて勝ち負けを競っている子らもいた。

『アンジュ・ピトゥ』 01-1 アレクサンドル・デュマ

 ようやく『アンジュ・ピトゥ』の翻訳に取りかかりました。今回は舞台となるヴィレル=コトレの紹介部分。面白い部分になるまではもうちょっとお待ちください。

 

第一章 読者がこの物語の主人公及びその生まれ故郷と顔見知りになる次第

 ピカルディとソワッソネ(Soissonnais)の国境《くにざかい》、我らが王たちの忘れ形見であるイル=ド=フランスと名づけられた国土上、南北に広がり五十アルパンの森を形作っている巨大な三日月の中央に、聳えているのが、フランソワ一世とアンリ二世が造らせた大庭園の陰に埋もれている、ヴィレル=コトレという小都市だ。その都市出身の著名人シャルル=アルベール・ドゥムースチエは、この物語の始まる時代には、刊行と同時に奪い合う当時のご婦人たちを満足させるために、その地で『神話についてのエミリーへの手紙』を執筆していた。

 王家の城館があろうとも二千四百人の住民がいようとも町と呼びたがる人々よ、この小都市の文化的側面をさらにはっきりさせておこう。この小都市はラシーヌが生まれたラ・フェルテ=ミロンから二里、ラ・フォンテーヌが生まれたシャトー=チェリー(Château-Thierry)から八里のところにある。

 さらには『ブリタニキュス』と『アタリー』の著者【※ラシーヌのこと】の母親もヴィレル=コトレの出身だと書き留めておくことにしよう。

 王家の城館と二千四百人の住民に話を戻そう。

 この城館はフランソワ一世によって着工され、アンリ二世によって完成された。(フランソワ一世の紋章である)火蜥蜴《サラマンダー》を戴き、カトリーヌ・ド・メディシスの頭文字と組み合わされディアーヌ・ド・ポワチエの三つの三日月【アンリ二世の愛妾ディアーヌの紋章】に囲まれたアンリ二世の頭文字が掲げられている。デタンプ夫人と騎士王(=フランソワ一世)に密かな逢瀬を提供し、モンテソン夫人とルイ=フィリップ・ドルレアン【オルレアン公ルイ=フィリップ一世】の密会を助けもしたが、オルレアン公が亡くなってからは人の気配もめっきり減った。その息子フィリップ・ドルレアン、後のフィリップ・エガリテによって、君主の住まいからただの狩猟小屋に格下げされてしまったからだ。

 ルイ十四世の弟ムッシュー【オルレアン公フィリップ一世。ルイ=フィリップ・ドルレアン(ルイ=フィリップ一世)の曾祖父】即ちアンヌ・ドートリッシュ【ルイ十三世妃、ルイ十四世とフィリップ一世の母】の第二子がチャールズ二世の娘マダム・アンリエット・ダングルテールと結婚した際に、ルイ十四世から与えられたのがヴィレル=コトレの城館と森だというのは周知の通りである。

 二千四百人の住民についても、約束通り一言申し上げるならば、二千四百の個人が寄せ集められた町の例に洩れず、それは一つの集合体であった。

 一、少数の貴族たち。夏は周辺の城館で過ごし、冬はパリで過ごしていた。王家の真似をして町には仮住まいしか持たなかった。

 二、多数の有産者たち。天候にかかわらず夕飯を終えると傘を手に家から出て散歩するのが日課だった。町から四分の一里のところにある森と、公園との境にある、大きな堀が、分け隔てなく散歩道の終わりを告げている。その景色を見た喘息持ちが、さして息切れもせずに長い道のりを端から端まで歩き通したことに感激し、胸から喜びの声を絞り出したからでもあろうか、そこはル・ハハと呼ばれていた。

 三、大多数の職人たち。一週間休みなく働いているため、財産に恵まれた同郷者が毎日たしなんでいる散歩を楽しむのは日曜だけだ。

 四、最後に、少数の貧乏な無産者たちには、日曜日すらない。貴族はたまた有産者さらには職人にまでも雇われて六日にわたって働いた後には、森に分け入り枯れ木や折れ枝を拾い集める。無一文にとっては木楢も麦穂に等しい。嵐が過ぎれば、(公の素晴らしい領地である森の)暗く湿った大地に木片がばらまかれている。

 万が一ヴィレル=コトレ(仲介網の村Villerii ad Cotiam-Retiæ)が歴史的に重要な都市であったならば。村から町へ町から都市へと移り変わるその変容を、考古学者が引きも切らずに追い求めるような都市であったならば。既にお伝えしたような最前の変化を追うような都市であったならば――。この村の始まりがパリ-ソワッソンを結ぶ道の両端に建てられた二列の家であったという事実を、考古学者たちも正確に書き留めていたはずだ。さらにはこうも伝えていたであろう――美しい森のはずれという立地条件のために住民が増え、初めの道から伸びて星の光のように拡散しているほかの道は、連絡を絶やしてはならないような近隣の小村に連なり、中心地――即ち地方でラ・プラスと呼ばれるような場所、やがて町となる村に聳える立派な家並の周辺地――そんな中心地になることになる地点に向かっている、と。そしてその中心地には今では四組の文字盤のある噴水が設置されている。最後に考古学者は正確な日付を明らかにすることだろう――住民にとって何よりも必要なささやかな教会のそばに、国王にとって最後の気まぐれの産物であるあの大きな城館の煉瓦壁が現れ始めた日のことを。前述した通り持ち主が王族から大公家へと移り変わったその城館は、今日では醜く侘びしい、セーヌ県に暮らす乞食の溜まり場となっていた。

 だがこの物語のあった時代には、王制はぐらついてはいたものの現在(倒れている)ほどにはまだ倒れてはいなかったし、城館にはもはや大公が住んでいなかったのは事実とは言えまだ乞食の住処にもなってはいなかった。完全な無人状態といってよく、いる人間といえば維持管理に不可欠な門番、ポーム教師、礼拝堂の司祭といった面々だけであった。城館の窓の一面は公園に面しており、ほかの面は貴族的に城館広場と呼ばれている第二広場に面している。閉められた窓が侘びしさと寂しさを倍増させていた。そのはずれに建っている小さな家について幾つか言葉を費やすことをお許しいただきたい。

PROFILE

東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 本好きが高じて翻訳小説サイトを作る。
  • 翻訳が高じて仏和辞典Webサイトを作る。

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