第三章 伯母の家のアンジュ・ピトゥ
伯母の家に長逗留することにアンジュ・ピトゥが難色を示したのはお読みになった通りである。アンジュ・ピトゥは宿敵である動物に匹敵するどころか動物を凌駕しかねない本能に恵まれていた。ゆえに、滞在すればどのようなものがのしかかってくるのかをすっかり悟っていた。失望ではない。一瞬たりとも思い違いするような人間ではないのだから。それは苦しみであり、試練であり、嫌悪であった。
これは申し上げておかねばなるまいが、ピトゥが伯母を嫌っていたから、というわけではない。ジルベール医師が去ってしまうと、ピトゥを奉公に出す話など吹き飛んでしまった。公証人は正式な契約の言葉を述べたが、アンジェリク伯母ときたら、甥はまだ若く身体も弱いので体力が足りなくなるような仕事には就けない、と言い出した。これを聞いた公証人はアンジェリク伯母に心から思いやりがあるのだと思い込み、奉公を一年先延ばしにした。まだ時間はある。アンジュ・ピトゥはまだ十二歳になったばかりなのだから。
家に着くと、アンジェリク伯母は甥を最大限利用する方法に頭を巡らせ、アンジュはアラモンの頃と同じような暮らしをヴィレル=コトレで送るために、森の地形をほぼすっかり頭に入れていた。
散策の結果、最適な水たまりはダンプリュー、コンピエーニュ、ヴィヴィエール(Dampleux, Compiègne, Vivières)の路上にあり、獲物が多いのはブリュイエール=オー=ルー(Bruyère-aux-Loups)の村だということがわかった。
ピトゥはこうして手筈を整えた。
手に入れるのが容易で、軍資金がいらないのは、鳥もちともち竿である。柊の樹皮をすりこぎで挽き、水で洗えば、鳥もちが完成する。もち竿の方は近くの樺の木の上に幾らでも生えている。ピトゥは誰にも言わずにもち竿と最高級の鳥もちを幾つも作り、伯母のお金でパン屋でパンを買ったその翌朝、夜明け前に家を出て、一日中外で過ごし、すっかり陽が落ちてから帰宅した。
ピトゥは何も先の見通しをつけずにこうしたことを決めたわけではない。嵐は予想していた。ピトゥにはソクラテスのような叡智こそなかったものの、かのアルキビアデスの主人(=ソクラテス)が妻クサンティッペの機嫌を察知できたように、アンジェリク伯母の機嫌を察知することが出来た。
部屋に入るなり雷が落ちた。
アンジェリク嬢は甥を見逃すまいとして扉の陰で待ち伏せていた。ピトゥは部屋に足を踏み入れた途端、後頭部にばちんと一撃を喰らった。忘れようとしても忘れられない干涸らびた手による一撃だ。
幸いなことにピトゥは石頭だったのでさして揺らぎもしなかったのだが、手加減なく叩いたせいで指を痛めて怒りを募らせている伯母の同情を引こうとして、倒れそうなふりをして部屋の反対側までよろめいて見せた。ところが伯母が糸紡ぎ棒を手にして追って来たものだから、ピトゥは慌ててポケットからお守りを取り出し、家を抜け出ていたのを大目に見てもらおうとした。
お守りとは鳥が二ダース。駒鳥一ダースと鶫半ダースも含まれていた。
アンジェリク伯母は目を見開きながらも、形だけは小言を繰っていたが、小言を繰りながらも、手は獲物をつかんで明かりにかざしていた。
「何だい、これは?」
「それはですね、そのう、鳥です」
「食べられるのかい?」老嬢は信仰篤き人間の常として食欲が盛んであった。
「食べられるに決まってるじゃないですか! 駒鳥と鶫ですよ!」
「どっからくすねて来たんだい、タコ助?」
「くすねたんじゃなくて、捕まえたんです」
「どうやって?」
「水たまりでです!」
「水たまり? 何だい、それは?」
ピトゥは驚愕を浮かべて伯母を見た。水たまりが何なのかを知らないまま生きている人間がいるとは信じられなかった。
「水たまりですよ? 水たまりです」
「だから水たまりがどうしたんだい」
ピトゥは憐れみを浮かべていた。
「水たまりですから、水が溜まっているところです。そんなのが森の中に三十個くらいあって、周りにもち竿を仕掛けておけば、鳥が水を飲みに来たら、罠に気づかずに捕まってしまうんです」
「どんな風に?」
「鳥もちです」
「ああ、そういうことかい。でもお金はどうしたんだい?」
「お金ですか?」そこまで金に取り憑かれていたとは信じられなかった。
「そうだよ」
「誰からももらってません」
「だったらどうやって鳥もちを買ったんだい?」
「自分で作ったんです」
「もち竿は?」
「もち竿もです」
「じゃあこの鳥を……」
「何ですか、伯母さん?」
「捕まえるのに何の苦労もないんだね?」
「しゃがんで拾うだけです」
「水たまりにはいつでも行けるのかい?」
「毎日だって行けます」
「えらい!」
「でも無理ですけど……」
「何が無理なんだい?」
「毎日は行けません」
「何でだい?」
「だって駄目になってますから」
「何が駄目なんだい?」
「水たまりですよ! 鳥は捕まえたら……」
「ふん?」
「いなくなってしまいますから」
「その通りだね」
ここに来てから伯母に認められたのは初めてのことであり、前代未聞の事態にピトゥはすっかり参ってしまった。