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 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 13-2

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 それからの王国の運命は、小姓の拍車のような、取るに足らないものに左右されることもあった。

 ルイ十五世は死んだ。デギヨン氏の後釜は誰だ?

 ルイ十六世はマショー(Machaut)を重用した。ぐらつき始めている玉座を支えていた大臣の一人である。王の叔母に当たるマダムたちは、ド・モールパを推した。極めて愉快な人物にして面白い歌を作りもし、ポンシャルトラン(Pontchartrain)で三巻から成る回想録を書いた。

 これはみな障害物競走のようなものだ。一着は誰か? 国王と王妃がアルヌヴィル(Arnouville)に着くのが先か、マダムたちがシャルトランに着くのが先か?

 国王には権力があり、ツキは国王にあった。国王は急いで手紙をしたためた。

『すぐにパリに発て。パリで待つ。』

 封筒に手紙を入れて表書きをした。

『アルヌヴィル、ド・マショー伯爵殿』

 厩舎の小姓が呼ばれて文書を手渡され、直ちに発つよう言い渡された。

 小姓が出発したからには、王もマダムたちに会うことが出来る。

 マダムたち、とは、父王が『ジョゼフ・バルサモ』の中で呼んでいたように、ぼろ、ぞうきん、からす、なる極めて高貴な名前を頂戴していたあの三人のマダムたちだ。小姓が出てゆくのを、反対側の戸口で待っていたのだ。

 小姓が出て行ったので、今度はマダムたちの入る番だった。

 三人はド・モールパを登用するよう迫った――問題は時間だけだ――国王はマダムたちを拒むつもりはなかった。国王は極めて優しいのだ!

 小姓が遠くまで行く時間だけが欲しかった……誰かに捕まえられないだけ遠くに。

 国王はマダムたちに抗い、振り子時計に目を遣った――三十分ればいい――時計は嘘をつかない。時計の整備をしているのは国王自身なのだ。

 二十分後、国王は遂に折れた。

「小姓を捕まえるといい。すっかり白状するだろうさ」

 マダムたちは駆け出した。馬に鞍をつけさせ、馬を一頭、いや二頭、いや何頭乗り潰そうとも、小姓を捕まえさせるだろう。

 だがそこまでする必要はなく、一頭も乗り潰さずに済んだ。

 小姓は階段を降りる際につまずいて拍車を壊してしまった。拍車一つでどうやって全速力を出すというのか!

 それに厩舎長のダブザック騎士が馬に乗せてはくれまい。伝令の検査を請け負っている厩舎長が、王家の騎手に相応しくない恰好の伝令を出発させてくれるはずもない。

 拍車を二つ揃えなければ出発できない。

 斯くして、小姓は全速力で走っているはずのアルヌヴィルの路上ではなく、宮殿の庭で捕えられた。

 鞍に跨り、非の打ち所のない恰好で出発しようとしているところだった。

 封書は取り戻されたが、手紙には手がつけられなかった。どちらにとってもその方がいい。ただし、「アルヌヴィル、ド・マショー殿」とあった表書きを、マダムたちは「ポンシャルトラン、ド・モールパ伯爵殿」に書き替えた。

 王室厩舎の名誉は守られたが、王権は失墜したのである。

 モールパとカロンヌがいればすべて上手く行く。モールパは詩を詠み、カロンヌは金を出す。斯かる廷臣たちに加えて、徴税請負人たちもいた。彼らも彼らなりに良い仕事をした。

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『アンジュ・ピトゥ』 13-1

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

第十三章 国王は極めて優しく、王妃は極めて優しい。(Chapitre XIII (3310)

 さて先日の連載でフランス宮廷を見捨てるに至ったわけだが、ここらでそれからの政情のあらましをお話ししよう。

 当時の歴史を知る方々や、露骨で率直な歴史が苦手な方々は、この章を飛ばして頂いても構わない。この章は先の章とぴったり一致しているので、あらゆることを知りたいという貪欲な方のみお読み頂きたい。

 一、二年前から、誰一人知らぬ途方もない出来事が――過去より訪れ未来を訪う出来事が、大気中に蠢いていた。

 革命である。

 ヴォルテールは死の間際に起き上がり、枕頭に肘を突いて、眠りに就くその夜まで、この曙光の輝きを見つめていた。

 レス枢機卿曰く、アンヌ・ドートリッシュが摂政になった際に人の口に上ったのは一言だけだったという。「王妃はお優しくいらっしゃる!」

 かつてド・ポンパドゥール夫人の主治医ケネー(Quesnay)が寝室にいたところにルイ十五世がやって来るのを見て、畏れのあまり真っ青になって震え出した。

「どうなさいましたの?」デュ・オーセ(du Hausset)夫人が尋いた。

「国王を見るたびに思うことだよ。あの人には私の首をちょん切ることが出来るのだと」

「あら、心配なさることはありませんわ。国王はお優しくていらっしゃいますもの!」とデュ・オーセ夫人は答えた。

 フランス革命を生み出したのは「国王は極めて優しく、王妃も極めて優しい」というこの二つの言葉である。

 ルイ十五世が死んだ時、フランスも生まれ変わった。国王、ポンパドゥール、デュ・バリー、鹿の園は同時に息を引き取った。

 ルイ十五世の贅沢は国に大変な負担を掛けており、それだけで年に三百万フラン以上が費やされていた。

 ありがたいことに新王は若く、節度があり、博愛主義者で、おまけに哲学者然としたところもあった。

 新王はジャン=ジャックのエミールのように職を学んだ。正確に言えば三つの職を。

 錠前屋、時計屋、修理工である。

 斯くして、覗き込む淵の深さに怖じ気づいた国王は、頼まれごとを片っ端から断るという挙に出始めた。廷臣たちはぎょっとしたが、あることを知って一安心した。断っているのは国王ではなく、チュルゴーだ。王妃もまだ王妃ではなく、故に将来勝ち得ることになる影響力を現時点ではまだ持ち得ていないのだろう、と。

 やがて一七七七年、王妃は期待通りの影響力を手に入れた。王妃は母となり、良き王にして良き夫となっていた国王も、やがて良き父となるに違いない。

 今や王位の継承者を産んだ王妃に抗えるものがあるだろうか?

 さらに。国王は良き兄でもあった。ド・プロヴァンス伯に対するボーマルシェの献身はよく知られたところであるが、それでもやはり国王は学者肌のプロヴァンス伯を好いてはいなかった。

 だがその代わりに、機智に富み、洗練された、フランス貴族そのものであるダルトワ伯をこよなく愛していた。

 王妃の頼み事を断ることはあっても、ダルトワ伯に王妃の味方をされれば頼みを聞かざるを得ないほどの慈しみぶりである。

 当然政府には寵臣を登用した。寵臣の一人であったド・カロンヌ氏は財務総監であり、王妃に向かって「出来そうなことであれば実現します。出来そうになければそのうち実現します」と言った人物である。

 この素晴らしい言葉がパリとヴェルサイユを駆け巡ってからというもの、閉じられたと思われていた赤い本が再び開かれた。

 王妃はサン=クルーを購入。

 国王はランブイエを購入した。

 寵姫を従えているのは今では王ではなく王妃であった。ディアーヌとジュールのポリニャック兄妹も、ポンパドゥールやデュ・バリー同様フランスを食い潰した。

 王妃は極めて優しいのだ!

 この浪費に節制を求める声もあった。断固たる意思を固めた者もあった。だが懇意にしている者の中には、倹約をかたくなに拒む者もいた。ド・コワニー氏である。廊下で国王と出くわし、扉の間で一悶着あった。国王は逃げ出し、その夜、笑いながらこう言ったと云う。

「余が引かなかったら、コワニーに殴られていたところだ」

 国王は極めて優しいのだ!

今週はお休みします

今週はお休みです。あしからずご了承ください。

『アンジュ・ピトゥ』 12-4

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 セバスチャンはビヨを見つめ、その言葉が心の底からのものだと認めて態度を和らげた。

「リルボンヌでは本に書き込みするだけの時間があったのです。

『セバスチャン、私は逮捕されてバスチーユに連行される。我慢だ。希望を忘れず、勉学に励みなさい。

 リルボンヌ、一七八九年七月七日

 追伸 罪状は「自由」だ。

 パリのルイ=ル=グラン学校に息子がいます。この本を見つけた方はどうか、息子に届けて下さい。息子の名はセバスチャン・ジルベールといいます。』」

「その本はどうなった?」ビヨは待ちきれずに叫んだ。

「金貨を紐で結んで、窓から投げられたんです」

「それから……?」

「村の主任司祭がそれを見つけて、教区の若者に伝えたのです。『十二フランで家族にパンを買ってやりなさい。残りの十二フランで、父親を逮捕されたばかりのパリのこの子のところまで、この本を届けてやりなさい。人を愛し過ぎたがゆえに逮捕されたこの方のために。』若者が到着したのは昨日の昼でした。そうして僕に父の本を手渡してくれました。こういう経緯で父が逮捕されたことを知ったのです」

「なるほどなあ! これで司祭の連中とも仲良く出来そうだ。もっとも、全部が全部その司祭みたいな人じゃないだろうが。で、その若者は何処に?」

「昨晩帰りました。持っていた十二リーヴルのうち家族に五リーヴル渡したがっていました」

「いい話だな!」ビヨが歓喜の涙を流した。「人間ってのはいいもんだ。さあ続きだ、ジルベール」

「でも、後はご存じです」

「そうだな」

「話してあげたら、父を取り返してくれるって言いましたよね。こうして話したんですから、約束は守って下さい」

「俺が言ったのは、お父さんを助けられないのなら死んだ方がましだってことさ。それはともかく本を見せてくれないか」

「これです」セバスチャンはポケットから『社会契約論』一巻を取り出した。

「お父さんの書き込みは何処に?」

「ここです」

 ビヨはそれに口づけし、

「もう安心していいぞ。俺がバスチーユまでお父さんを捜しに行ってやる」

「そんな! いったいどうやって政治犯に会うのです?」校長がビヨの手を握った。

「バスチーユを占拠すればいい」

 これを聞いて笑い出す近衛兵がいたと思う間もなく、嘲笑はあっと言う間に広がっていた。

「おいおい」ビヨの目に怒りの火が灯った。ぐいと睨みつけ、「だったらバスチーユとは何なんだ? 教えてくれ」

「岩だよ」兵士が言った。

「鉄だ」別の兵士が言った。

「それに火。燃やされないように気をつけ給え」三人目の兵士も言った。

「そうだ、燃やされてしまうぞ」怯えた群衆が繰り返した。

「パリの人々よ! つるはしを持っていながら岩を恐れ、鉛を手にしながら鉄を恐れ、火薬を掌中に収めながら火を恐れるとはどういうことだ。臆病者、卑怯者、奴隷根性の野郎どもしかいないのか? 俺やピトゥと一緒に国王のバスチーユを襲う勇敢な奴らはいないのか? 俺の名はビヨ、イル=ド=フランスの農夫だ。行くぞ!」

 ビヨの勇気は気高さの域に達していた。

 ぐつぐつと煮えたぎった人々が叫んだ。「バスチーユへ!」

 セバスチャンはビヨにしがみつこうとしたが、やんわりと押し戻された。

「なあ、お父さんは手紙の最後に何て書いていた?」

「勉学に励みなさい、と」

「だったらここで勉学に励むといい。俺たちは向こうで一励みしてくる。勉学じゃなく殺し合いにだけどな」

 セバスチャンは黙り込んでしまった。顔を両手で覆い、抱きかかえたピトゥの指をつかむことさえ出来ずにひきつけを起こして倒んだため、医務室に連れて行かれた。

「バスチーユへ!」ビヨが叫んだ。

「バスチーユへ!」ピトゥも叫ぶ。

「バスチーユへ!」人々も和した。

 そして一同はバスチーユへ向かった。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 本好きが高じて翻訳小説サイトを作る。
  • 翻訳が高じて仏和辞典Webサイトを作る。

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