アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
「言ったはずだ。私は軍人、命令を実行するのみ」
「見てみろ」ビヨはローネーを銃眼まで引っ張り、フォーブール・サン=タントワーヌと大通りを交互に指さした。「これからあんたに命令を下すのはあいつらだ」
ビヨが指さしたのは遠吠えをあげる黒い塊だった。大通りに沿って進むしかないために槍のような形になり、巨大な
全身が光る鱗に覆われていた。
二つの部隊が約束通りマラーとゴンションに率いられてバスチーユ広場にやって来たのだ。
あっちでもこっちでも、武器を振り上げ、絶叫している。
それを見たローネーが杖を上げた。
「撃ち方、用意!」
それからビヨに詰め寄り、
「生憎だったな。話し合いに来たふりをして、ほかの奴らに攻撃させる魂胆だったのか? 死ぬ覚悟は出来てるんだろうな」
それを見たビヨは稲妻の如き素早さでローネーの襟首とベルトをつかみ、床から持ち上げた。
「そういうあんたは、手すりから放り出されて堀の底で粉々になる覚悟は出来ているんだろうな? 安心しろ! 俺には別の戦い方があるんだ」
その瞬間、上から下まで、どよめきが広がって嵐のように通り過ぎ、バスチーユの将校、ド・ロスム氏が砲台に現れた。
「君、君、お願いだから姿を見せてやってくれ。君の身に何か起こったと思った人たちが、君を返せと喚いているんだ」
なるほどピトゥが人々に伝えたビヨの名がどよめきの中から聞こえている。
ビヨが手を離すと、ローネーは杖を鞘に押し戻した。
三人がにらみ合う。怒号が聞こえて来る。
「姿を見せてやり給え」ローネーが言った。「こんな怒号に屈したわけではないが、私が政府の人間だと知らせる必要がある」
そこでビヨは銃眼に頭をくぐらせ、手を振った。
それを見た人々の間から喝采が起こった。庶民で初めて堂々と砲台に足を乗せたことは、ある意味では、バスチーユの額から庶民の身体の中に生じた革命であったのだ。
「ではこれでお終いだ。もうここでやることはなかろう。向こうから呼ばれているんだ。降り給え」
ビヨは責任者と思しき人間の口から発せられた譲歩の言葉を理解し、上って来たのと同じ階段から降り始めると、司令官も後に続いた。
ロスム将校は司令官から小声で指示を受け、その場に留まった。
ローネーの望みは一つだけ。和平の使者が一刻でも早く敵になってくれることだった。
ビヨは何も言わずに中庭を横切った。砲手が見える。導火線が砲身の先からくすぶっている。
ビヨはその前で立ち止まった。
「覚えておいてくれ。俺は流血を避けるためにあんたらの大将に会いに来た。断ったのは向こうだ」
「国王の名に於いて告げる。ここから立ち去るがいい」ローネーが足を踏み鳴らした。
「言ったな。そっちが王様の名に於いて追い出すというのなら、こっちは人民の名に於いて戻って来てやる」
ビヨはスイス人衛兵たちを見た。
「あんたらは誰の味方だ?」
スイス人たちは答えない。
ローネーが鉄門を指さした。
ビヨはそれでも諦めきれなかった。
「国民の名に於いて! あんたの兄弟の名に於いて!」
「私の兄弟だと? おまえが兄弟と呼ぶのは、『バスチーユをぶっ壊せ! 司令官をぶっ殺せ!』と叫んでいる連中のことか。おまえの兄弟の間違いだろう。断じて私の兄弟などではない」
「人類の名に於いて!」
「十万人で寄ってたかって百人の兵士たちを塀の内側に閉じ込めて、喉を掻き切るそのために、おまえを送り込んだ人類の名に於いて、か?」
「だからこそ、バスチーユを人民に明け渡せば、兵士たちの命は助かるんだ」
「そして私の名誉は地に落ちる」
ビヨは言い返せなかった。軍人の理屈には勝てなかったのだ。だがそれでもスイス人衛兵と傷病兵にはなおも訴え続けた。
「降伏してくれ、まだ時間はある。十分後では遅すぎる」
「今すぐここを立ち去らないのなら、貴族の名に懸けて、おまえを撃ち殺す」
ビヨは一瞬立ちすくんだが、受けて立つように腕を組むと、最後にもう一度ローネーの目をねめつけてから、その場を後にした。
第17章に続く。