アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
「共和党? まさか!」
「お疑いですか……?」
「妄想だ!」
「ええ、
「私だって共和主義者になれる。いや、今だってそうだ」
「ジュネーヴでなら申し分ない共和主義者だったでしょうけれどね」
「はて、共和主義者は共和主義者ではないのか」
「違うんです。この国の共和主義者はほかの国とは別物なんです。初めに特権階級を喰らい、次に貴族を喰らい、それから王権を喰らい尽くすことでしょう。スタートこそあなたと一緒でしたが、あなたなしでもゴール出来る。あなただって後を追うつもりはないでしょう? そういうことです、ネッケルさん、あなたは共和主義者ではありません」
「そういうことなら私は違う。国王に好意を抱いている」
「僕もですよ。今はみんながそう思っています。こうしてお話ししているのがあなたほど立派な人じゃなければ、罵られたり馬鹿にされたりするようなことかもしれませんが、どうか僕の言うことを信じて下さい、ネッケルさん」
「本当の話なのであれば、そう願いたいが……」
「秘密結社のことをご存じですか?」
「そんな話を聞いたことは何度もある」
「信じていらっしゃいますか?」
「存在は信じている。正しいものとは信じていない」
「何処かに入会なさっていますか?」
「いや」
「フリーメーソン支部に所属しているだけでも?」
「ない」
「そうですか。僕は入ってますよ」
「会員だと?」
「ええ。気をつけて下さい。巨大な網が玉座という玉座を覆っているんですから。目に見えぬナイフが君主制を狙っているんです。三百万近い同胞が全国に広がり、ありとあらゆる階級や社会に散らばっているんです。庶民にもブルジョワにも貴族にも王族にも君主の中にも味方がいます。気をつけて下さい、腹の立つ王族が会員かもしれないんです。お辞儀をしている家来が会員かもしれないんです。あなたの命も運命もあなたのものではありません。名誉さえそうです。どれもこれも目に見えぬ権力のもの。あなたには抗うことも見ることも叶いませんが、向こうにはあなたを滅ぼすことが出来るんです。だって向こうからは丸見えなんですから。この三百万の同胞が、既にアメリカに共和制を樹立して、今はフランスに共和国を作ろうとし、いずれ欧州を共和制にしようとしています」
「だが合衆国の共和制にはさほど脅威を感じない。私なら喜んでその計画を受け入れるが」
「そうですね。でもアメリカと僕らの間には深い溝が横たわっています。アメリカという九つの州には、偏見も特権も王権もなく、豊饒な土地も肥沃な大地も手つかずの森もある。海に囲まれているアメリカには、貿易のために開いている口があるし、住民が財産を貯め込むしかないような孤独がある。ところがフランスと来たら!……フランスをアメリカと同じ水準にするために前もって破壊しなくてはならないことがどれだけあるか!」
「では結局のところどうなさりたいのですか?」
「やらねばならないことをやるまでです。そうは言っても邪魔されることなく目的を達したいですからね、先頭には国王に立ってもらいます」
「旗として?」
「いいえ、楯として、です」
「楯?」ネッケルは吹き出した。「あなたは国王をご存じない。そんな役を演じさせようとは」
「知ってますよ。ようく知っています。アメリカの小さな町でああいった指導者を何人も見て来ました。人が良く、威厳に欠け、立ち向かう力もなければ、積極性もありませんが、どうしろと言うんです? 肩書きのおかげでしかないのだとしても、さっき申し上げた人たちに対する壁の役目は果たしてくれます。弱っちい壁でも、ないよりはマシですから。
「覚えていますよ、アメリカ北部の蛮族と戦っている最中、葦の茂みの陰で幾晩も過ごし、川の向こう岸にいる敵から銃撃を受けたものです。
「葦なんて頼りないと思いますよね? それが違うんです。身を隠している緑の茎が銃弾によって糸くずのように細切れにされているというのに、丸見えの原っぱにいるのと比べれば、どれだけ心が安らいだことか。つまり国王とはその壁なんです。国王のおかげでこっちからは敵を見ながらも、向こうからは見られずに済むんです。僕がニューヨークやフィラデルフィアでは共和派でありながら、フランスでは王党派でいるのは、こうした事情です。アメリカでは独裁官の名はワシントンと言いました。ここフランスでどう呼ばれることになるのかは神のみぞ知ることです。ナイフかもしれませんし死刑台かもしれない」
アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
「そういうことでしたらお気をつけなさい。あなたは政治的陰謀の玩具だったんです。カリオストロ伯爵の話をしたことはありませんでしたか?」
「あります」
「お知り合いですか?」
「友人でした。友人というよりも師、師というより救世主です」
「そうですか。投獄を命じたのはオーストリアか教皇庁でしょう。パンフレットをお書きになったのでしょう?」
「ええ、その通りです」
「それですよ。あなたの身の上に起こったささやかな仕返しのどれもが元をたどれば王妃を指し示しているのです。
ジルベールは反芻してみた。
思い出した。ピスルー(Pisseleux。ヴィレル=コトレにある村)のビヨの家から盗まれた小箱には、王妃やオーストリアや教皇庁の欲しがるようなものは何も入っていなかったのだ。危うく間違えるところだった。
「違うんです、そんなわけはない。でも構いません。別の話をしましょう」
「何の話を?」
「あなたの話です」
「私ですか? お話しするようなことがあるとは思えませんが?」
「誰よりもよくご存じじゃありませんか。三日も経たずにあなたは再任されるでしょうから、そうなればお好きなようにフランスを支配できるはずです」
「本気でそんなことを?」ネッケルは吹き出した。
「あなただって同じことを考えていたのでは。ブリュッセルに行かなかったのがその証拠です」
「いいでしょう。その結果は? 必要なのは結果だ」
「結果ですか。あなたは今フランス人に愛されていますが、すぐに崇拝されるようになるでしょう。王妃はあなたが愛されているのを見るのにうんざりしていますが、国王はあなたが崇拝されるのを見て苦々しく思うことになるはずです。あなたの努力が実って二人は支持されることになりますが、あなたはそれに耐えられなくなります。その頃あなたの方は支持が下がるでしょうね。民衆は飢えた狼なんです。餌をくれさえすればどんな手であろうと舐め回すものなんですよ」
「それからどうなる?」
「それからあなたは再び忘れられます」
「忘れられる?」
「ええ」
「なぜだ?」
「大きな出来事が起こるからです」
「何を言う。あなたは予言者なのか?」
「悲しいことに或る程度は」
「いったい何が起こると?」
「予言するのは難しくありません。現に議会には兆しが芽吹いているんですから。今は眠っていますが、いずれ或る党が立ち上がることでしょう。間違った。眠っちゃいません。起きているけど身を潜めているだけです。信念を旗印に、思想を武器に掲げて」
「わかりました。オルレアン党のことですね」
「はずれです。オルレアン党のことなら、人間を旗印に、人気を武器にしていると言いますとも。今まではその党の名前が口にされたことさえありません。共和党です」
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「ネッケルさん」ジルベールは微笑んだ。「バスチーユから出て来た人間に怖いものなどありませんよ」
「バスチーユから出て来たですって?」
「今日この日のことです」
「どうしてバスチーユに?」
「それを伺いに来ました」
「私に?」
「あなたでしょうね」
「またどうして私に?」
「投獄させたのがあなただからです」
「私があなたのことをバスチーユに投獄させたと言うのですか?」
「六日前のことです。そう古い話ではありません。よもやお忘れではありますまい」
「馬鹿な」
「ご署名に見覚えは?」
そう言ってジルベールはバスチーユの囚人名簿とそれに添えられてた封印状を見せた。
「封印状には見覚えのある気がします。出来るだけ署名はしない方だが、それでも年に四千通はしているし、馘首になった時に白紙のものに何通か署名させられた覚えがありますから。慚愧に堪えないが、お持ちなのはそのうちの一通だったようだ」
「僕の投獄には無関係だと仰りたいのですか?」
「恐らくは」
「そうは言ってもこうやって詮索している事情もご理解いただけますよね。僕を閉じ込めたのが誰なのか知りたいんです。ですからそれを教えていただくぐらいのことはしてもらえませんか」
「お安いご用です。もしもの時に備えて、書類を職場に置きっぱなしにはせず、毎晩ここに持ち帰っていますから。今月の分は書類棚のBの抽斗の中です。Gの束を探してみるとしましょうか」
ネッケルは抽斗を開け、ゆうに五、六百通はある大きな束をめくって行った。
「保管してあるのは、身を守るためのものばかりです。逮捕させれば敵が出来る。だから敵の攻撃をかわさなくてはならなかった。何もなければむしろ驚くところですが。ええと、G……G……あった、ジルベール。王妃の許から出されていますね」
「王妃のところから?」
「ええ。ジルベールなる者に関する封印状の請求。職業、なし。瞳、黒。髪、黒。以上の特徴。ル・アーヴルからパリに向かいし。因って件の如し。このジルベールというのがあなたかね?」
「僕のことです。その封印状を渡してもらえませんか?」
「出来ません。誰の署名なのかなら申し上げましょう」
「教えて下さい」
「ド・シャルニー伯爵夫人」
「シャルニー伯爵夫人? そんな人知りません。恨まれるようなことはした覚えもない」
ジルベールは記憶を探るようにじっくりと天井を睨んだ。
「余白に書き込みがあります。署名はないが、筆跡に見覚えがある。ご覧なさい」
ジルベールは顔を近づけ、余白の文字を読んだ。
『シャルニー伯爵夫人の請求は遅れずに実行のこと』
「わからないな。王妃の署名だというならまだわかる。覚書に書いた王妃とポリニャックのことだろうから。でもこのシャルニー夫人というのは……」
「ご存じない?」
「きっと名義を貸しただけなのでしょう。そもそも、当然ながらヴェルサイユの貴人方など存じ上げませんしね。十五年もフランスを離れていて、戻って来たのは二回だけで、この間戻って来てから約四年になりますから。このシャルニー伯爵夫人というのはどんな方なのですか?」
「王妃の友人であり、話相手であり、側近です。シャルニー伯爵の愛妻であり、美と徳を持ち合わせた、言うなれば奇跡のような方です」
「そんな奇跡とは知り合いじゃありませんね」
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