アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
ジルベールとスタール夫人とネッケル氏との間でおこなわれた話し合いは、一時半近くに及んでいた。九時十五分にパリに戻ると、ジルベールは真っ直ぐ宿駅に向かわせ、馬と馬車を手に入れた。ビヨとピトゥはチルー街(rue Thiroux)の宿屋で疲れを癒すことにした。ビヨがパリに来た時よく泊まる宿屋だ。ジルベールは一路ヴェルサイユに向かった。
時刻は既に遅かったが重要ではない。ジルベールのような人間には、身体を動かすことが必要なのだ。十中八九無意味な遠出になるだろうが、一箇所に留まるよりは無意味な遠出を選ぶ。活動的な人間には、最悪の事態よりもどっちつかずの状態の方が辛い。
ヴェルサイユに着いたのは十時半だった。普段であれば誰もが床に入ってぐっすり眠っている時間だ。だがその夜のヴェルサイユには寝入っている者などいなかった。この時になっても衝撃の余波がパリを揺るがしていた。
近衛兵や護衛(gardes du corps)やスイス人衛兵が、主要な道路の出口に団子状に群がって、仲間内で話を交わしたり、王党派から信頼できると判断された市民たちと談論を深めたりしていた。
ヴェルサイユは今も昔も王党派の集落であった。君主はともかく君主制に対する信仰が、伝統として住民の心に根ざしている。国王のそばで、国王によって、その威光に守られて暮らし、日頃から百合の花の芳香を吸い込み、金襴たる衣装の輝きやまばゆい尊顔の微笑みを見ていたために、国王に大理石や斑岩の集落を作ってもらったヴェルサイユの住人たちは、少なからず自分たちが国王であるかの如く感じていた。大理石の隙間に苔が生し、敷石の継ぎ目から草が生えた現在に於いても、金箔が家具や壁から剥がれ落ちようとし、庭園に落ちる影が墓場より物寂しい現在に於いてさえも、ヴェルサイユにとっては本当の姿ではないのだろう。或いは滅びた王権の欠片として振る舞い、今や権力と財産という自慢の種を失いながらも、後悔という詩情と憂愁という至高の魔力だけは失っていないに違いない。
※いつもお読みくださっている皆さま、ありがとうございます。ここ数週間、更新が遅れ気味で申し訳ありません。おまけに今週は量も少なく、汗顔の至りです。。。