アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
「人が来たようだ。ちょっと待ってくれ」
国王の命令は遺漏なく実行に移されたようだ。シャルニー邸で見つかった小箱は、警官(exempt)パ=ドゥ=ルーの手によって、伯爵夫人の目の前で――と言っても見えてはいなかったが――国王の部屋(cabinet=閣議の間)に持ち込まれた。
国王は小箱を運んで来た士官に満足の意を示して立ち去らせた。
「これか!」
「これが、盗まれた小箱です」
「開けてくれ」
「陛下の仰せとあらば喜んで。ただし、一つお伝えしなくてはならないことがあります」
「何だね?」
「先ほど申し上げましたように、この小箱に入っているのは何枚かの紙切れだけです。読むのも触れるのも容易いことですが、さるご婦人の名誉がこれに懸かっているのです」
「その婦人というのが伯爵夫人かね?」
「仰る通りです。その名誉も、陛下の良心に委ねられたからには、危険に晒されることもないでしょう。お開け下さい」ジルベールは小箱に近寄り、国王に鍵を差し出した。
「構わぬ」ルイ十六世は素っ気なく言った。「持って行きなさい。この小箱はそなたのものだ」
「ありがとうございます。伯爵夫人はどういたしましょう?」
「ここで起こすのはやめてくれ。ひどい衝撃や痛いのはご免こうむる」
「陛下がお連れになりたいとお考えになった場所にたどり着くまで、伯爵夫人が目を覚ますことはありません」
「では王妃のところにやり給え」
国王がベルを鳴らすと、士官が現れた。
「大尉殿、伯爵夫人が気を失ってしまわれた。パリの現状を聞いたのがこたえたのだろう。王妃のところに運んでくれないか」
「移動にどのくらいかかりますか?」ジルベールが国王にたずねた。
「まず十分といったところだろう」
ジルベールは伯爵夫人に手を伸ばした。
「十五分後に目を覚ますがいい」
士官の命令を受けた兵士が二人、二脚の椅子に伯爵夫人を乗せて運び去った。
「ではジルベール先生、ほかに望みはあるかね?」
「陛下のおそばに控え、陛下のお役に立てる機会を、同時に満たすことの出来るお計らいを」
国王が怪訝な顔をした。
「説明してくれ」
「国王陛下の季節侍医(médecin par quartier du roi)になりたいのです。誰からも反感は買いません。名声という名誉ではなく信頼という名誉を担う地位ですから」
「いいだろう。さよなら、ジルベール先生。そうそう、ネッケルによろしく。さよなら」
国王は部屋を出ると、
「夜食を!」と声をあげた。如何なる出来事があろうと、国王に夜食を忘れさせることなど出来はしない。
第25章に続く