アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
「ジルベール先生とはどなたでしょうか?」
「昨日任命された新しい季節侍医(médecin par quartie)よ、アメリカ帰りの」
「仰ることはわかります」侍女の一人が口を挟んだ。
「どういうこと?」
「先生は国王陛下の控えの間にいらっしゃいます」
「ジルベールを知っているの?」
「はい、陛下」侍女は口ごもった。
「どうして知っているのです? 一、二週間前にアメリカから戻って来て、昨日バスチーユから出て来たばかりですよ」
「それは……」
「仰いなさい。何処から知ったのです?」王妃は追求をゆるめなかった。
侍女は目を伏せた。
「ご本を読んだことがあって、お書きになった人に興味を持っていましたものですから、今朝、教えてもらったのです」
「そうですか」王妃は威厳と遠慮が一緒くたになった、何とも言い難い表情を浮かべた。「それで知っているのですね。では先生のところに行って、わたしの具合が悪くて会いたがっていると伝えて来なさい」
待っている間、王妃は侍女たちを部屋に入れ、部屋着を纏い、髪を整えさせた。
第三十二章 国王の侍医
数分後、王妃が侍女に伝えていた願いは叶えられようとしていた。ジルベールは驚きと僅かな不安と強い戸惑いを感じながらも、決してそれを表には出さずにマリ=アントワネットの御前に姿を見せた。
堂々と自信に満ちた挙措、気品のある白い肌は、智識と想像力という、勉学によって後天的に培われた資質を持つ人間に特有のものだ。第三身分の黒服のおかげで白い肌がいっそう目立っている。第三身分の議員だけではなく、革命の主張に同意している者たちも黒服を着用する決まりになっていた。皺の寄ったモスリンの下から覗く細く白い手、細く綺麗で均整のとれた足は、牛眼の間(l'Œil-de-Bœuf)にいる目利きたちにも、これ以上のものを宮廷から探すことは難しかろう。それらに加えて、女性に対する敬意と遠慮、病人に対する頼りがいのある図太さを持ち合わせていたが、王妃だからといって特別な態度を見せたりはしていない。以上のことが、ジルベール医師が寝室の扉を開けた瞬間に、その外見からマリ=アントワネットが読み取った、目に見えてすぐにわかる印象であった。
ジルベールが控えめな振舞をすればするほど、王妃の怒りはますます高まった。王妃はジルベールのことを恥ずべき人間だと見なしていたから、当然のことながら、ほとんど無意識のうちに、周りでちらほら見かけるような破廉恥な人間と同じように考えていたのだ。アンドレを苦しませた張本人、ルソーに親炙した弟子、成人した未熟児、医師になった庭師、哲学者と心の医者になった害虫駆除係に、王妃は我知らずミラボーの顔を重ね合わせていた。ミラボー、即ち、ロアン枢機卿やラ・ファイエットの次に憎んでいる人間だった。
ジルベールを見るまでは、その巨大な意思を仕舞い込むためには巨大な肉体が必要だと考えていた。
だが目の前にいたのは若く姿勢がよく、すらりとした優雅ななりをした、穏やかで柔らかな顔立ちの男だった。王妃にはそれが、見た目で嘘をつくという犯罪を新たに犯しているように見えた。庶民で、卑しく名もない生まれの、ジルベール。農夫で、田舎者で、平民のジルベール。王妃の目には、貴族や名門の外見を盗み取るという罪を犯しているように見えた。他人の家で嘘をつくような人間を許せない、誇り高いオーストリア女である王妃は、憤慨し、幾つもの不満の種を撒き散らした不幸な欠片に対して急に激しい憎しみを抱き始めた。
親しい者たちなら、目に宿っているのが凪なのか嵐なのかを読み取ることに慣れている者たちなら、王妃の心の奥底で暴風雨が吹き荒れ雷鳴が轟いているのを、容易に見抜いたことだろう。
だが一介の人間、一介の女に、情熱と怒りが渦巻くそのただ中で、胸中でぶつかり合っている相反する奇妙な感情の跡をたどることなど出来るだろうか? ホメロスが描いたような恐ろしい毒で胸を満たしている感情をたどることが出来るだろうか?