アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
「素晴らしいご記憶力をお持ちの陛下のことですから、あの当時のことも覚えていらっしゃるかと存じます。間違っていなければ、あれは一七七二年のことでした。陛下のお話になったその庭師の青年は、たつきを得るべくトリアノンの花壇を耕していました。今は一七八九年ですから、陛下が仰ったことが起こったのは十七年前のことです。何年もの時間を生きているのです。無学な者を博識に変えるには充分ではありませんか。心も頭脳もある条件の下ではすくすくと育つものです。温室で育てられた草花のように。革命とは智性にとって温室なのです。陛下がものをご覧になるその明晰な眼差しをもってしても、十六歳の青年が三十三歳の男になったことがおわかりにならないのです。ですから、無学でうぶなジルベールが、二つの革命の息吹に触れて科学者と哲学者になったことに驚くには当たりません」
「無学なのはわかりますが……うぶだったと言うのですか?」王妃は「若い頃のジルベールがうぶだったと仰るのですか?」
「自分のことを勘違いしていたり、その青年のことを不相応に褒めたりしていると仰られても、その青年が持っている正反対の欠点を陛下が如何にして本人よりも詳しく知り得たのかわかりません」
「そんな話をしているのではありません」王妃が眉をひそめた。「そうした話は後日にしましょう。今話したいのは、目の前にいる学のある人間、進歩した人間、完成された人間のことです」
「完成された」という単語にもジルベールは反応しなかった。それもまた侮辱の言葉だということはわかり過ぎるほどわかっていた。
「ではそういたしましょう」ジルベールは素っ気なくそう答えた。「その男にお部屋に参るようお命じになったのはどのような事情によるものでしょうか?」
「国王の侍医に志願したそうではありませんか。夫の健康を気に掛けるのは当然のことです。見も知らぬ人間に委ねることは出来ません」
「確かに志願いたしましたし、王妃陛下から能力や熱意に対する疑いを解いていただかぬうちに採用されたことも確かです。実を申しますともっぱらはネッケル氏の推薦を受けた政治上の医者なのですが、それに加えて国王陛下から医学の智識を所望された暁には、人間の智識が創造主の御業の助けになれる限りにおいて、肉体の医者としてもお役に立つつもりです。けれど何よりも、国王陛下にとって良き助言者であり良き医者であるうえに、良き友人でありたいのです」【j'ai été accepté sans que Votre Majesté puisse concevoir justement le mo
「良き友人?」王妃が再び蔑みを爆発させた。「あなたが国王の友人ですって?」
「その通りです」ジルベールは平然として答えた。「何か問題でも?」
「当たり前です。秘密の力を用いたり神秘学を利用したりするような人間が」王妃が呟いた。「どうなってしまうのでしょう? フランスはこれまでジャックリー(Jacques/Jacquerie)やマイヨタン(les Maillotins)を経験して来たというのに、このままでは中世に戻ってしまうではありませんか。あなたは媚薬と魔法を甦らせたのです。魔術によってフランスを支配し、ファウスト(Faust)やニコラ・フラメル(Nicolas Flamel)になろうとしているのです」
「そのような大それた意図は露ほどもございません」
「意図がないですって? アルミーダの園(jardins d'Armide)にいる魔物よりも冷酷で、ケルベロス(Cerbère)よりも残虐な怪物を、地獄の入口に何匹眠らせていることやら!」
この「眠らせている」という言葉を口にした時、王妃はこれまでにも増して探るような目つきを医師にぶつけた。
今回はジルベールも知らず赤面した。
これがマリ=アントワネットには何とも言えない喜びを与えた。今回の攻撃が紛れもなく相手を傷つけたことを感じ取った。
「確かに人を眠らせてますものね。あらゆるところであらゆることを学んだそうですもの。同時代の催眠術師や、眠りを裏切りに変えて他人の眠りから秘密を読み取る人たちと、机を並べて催眠磁気の智識を学んだに違いありません」
「確かに、長い間にわたって幾度となくカリオストロ先生の許で学びました」
「今お話ししたように、人の心を盗み、弟子たちに盗ませた人ではありませんか。魔術による眠り、わたしに言わせれば汚らわしい眠りの助けを借りた人ではありませんか。他人から魂を奪い、またある人たちから肉体を奪った人ではありませんか」
ジルベールはまたも当てこすりを理解したが、今度は赤くならずに青くなった。
王妃は心の底から喜びに震えた。
「惨めな人」王妃が呟いた。「これであなたを傷つけることが出来た。勝手に血を流せばいいんです」