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 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 33-4

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 ジルベールが話を続けた。

「申し上げようとしていたのは、私がパリを見て来たこと、王妃陛下がヴェルサイユを見もしなかったということです。今のパリが望んでいることをご存じですか?」

「わからぬ」国王は不安そうだった。

「二度とバスチーユを襲いたくないということではありませんか」王妃が蔑みを浮かべた。

「まったく違います。国民と国王の間には別の要塞があることをパリは承知しているのです。パリ四十八郡の代表を一つにまとめて、ヴェルサイユに送り込もうとしているのです」

「来てみるがいい!」王妃は狂喜して叫んだ。「存分に出迎えてみせようではありませんか」

「お待ち下さい。代表は単独ではありません」

「では誰と一緒だというのです?」

「国民衛兵二万人の後押しを受けているのです」

「その国民衛兵とは?」王妃がたずねた。

「この組織を軽んじてはなりません。いずれ一つの勢力となりましょうし、つなぐことも解くことも出来ましょう」[*1]

「二万人か!」国王が嘆じた。

「叛徒十万人に匹敵する一万人がここにいると言うのなら」今度は王妃が応じた。「二万人のごろつきを呼ぶなら呼んでみせればいい。革命という汚泥に必要な罰と懲戒をここで受けることになるでしょうから。一時間だけ耳を貸してもらえれば、一週間後にはそんな汚泥など掃き清めてみせましょう」

 ジルベールは悲しげに首を振った。

「お間違えになっています。それとも騙されていらっしゃるのでしょうか。ご想像なさって下さい。内戦は一人の王妃が引き起こしたものであり、たった一人で戦っていたのだと。そして余所者という非難の言葉を墓場まで抱えて行ったのだと」

「わたしが引き起こした? 何を仰っているのです? 挑発でも何でもなく、バスチーユに向かって引き金を引いたのはわたしだとでも言いたいのですか?」

「暴力を語ろうとする前に、理性に耳を傾けようではないか」国王が言った。

「何と弱気なことを!」

「耳を傾け給え、アントワネット」国王がぴしゃりと言った。「銃弾を浴びせなくてはならない人間が二万人ここに来るというのは、つまらない出来事ではないのだぞ」

 それからジルベールに向かい、

「続けてくれ」と言った。

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『アンジュ・ピトゥ』 33-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「それでは王妃陛下にお答えいたしましょう。今朝ヴェルサイユに参上したのには如何なる目的があったのか。国王陛下にパリに赴くよう助言に参ったのです」

 市庁舎に保管されている四万キロの火薬に雷が落ちたとしても、今の言葉が王妃の心に着火したような爆発を引き起こすことは出来なかっただろう。

「国王をパリに? 国王がパリに?」

 王妃のあげた恐怖の叫びに、ルイ十六世は震え上がった。

「だから言ったではないか」国王がジルベールを見つめた。

「国王を叛乱のさなかの町に?」王妃はやめなかった。「国王を熊手と鎌の真ん中に? スイス人衛兵を殺戮した者どもの中に国王を? ローネー殿とフレッセル殿を殺した者どもの中に国王を? 国王に市庁舎広場を渡らせ、国王を守った者たちの血の中を歩かせろというのですか!……頭がおかしいのではありませんか、そんな話をなさったなんて。何度でも言いましょう、あなたは頭がおかしいのです」

 ジルベールは敬意を抑えている人間のように目を伏せただけで、何も言い返さなかった。

 国王は心底感動して、拷問官に鉄の網を押しつけられたように、椅子の上で身体を捻った。

「いったいどうしたら、分別のある頭を持ったフランス人の心にそのような考えが入り込むのです? 聖ルイの末裔、ルイ十四世の曾孫に口を利いているということがわからないのですか?」

 国王が絨毯の上で足を踏み鳴らした。

「わかりません」王妃はなおも続けた。「衛兵や軍隊の守りから国王を引き剥がそうとなさっているとは思いませんし、要塞たる宮殿から引っ張り出して一人きりで敵に晒そうとなさっているとも思いません。国王を暗殺させようとなさっているわけでもないのでしょう? ジルベールさん」

「いま仰ったような裏切りをしかねない人間だと一瞬でも思われているとしたなら、自分のことを頭がおかしい人間なのではなく極悪な人間だと考えたことでしょう。ですがありがたいことに、王妃陛下はこの私以上にそんなことは信じていらっしゃいません。国王に先ほどの助言を申し上げに参ったのは、それが役に立つと考えているうえに、何にも増して優れた助言だと考えているからです」

 王妃が胸の上で指を震わせた。その激しさに、布地が音を立てた。

 国王が軽く肩をすくめて苛立ちを示した。

「頼むから先生の話を聞いてくれぬか。否定する時間は話を聞いてからでもたっぷりある」

「国王陛下の仰る通りです」ジルベールが言った。「何しろこれから申し上げなくてはならないことを、王妃陛下はまだご存じないのですから。あなたのためにならいつでも死ねる、信頼のおける忠実な軍隊に守られているとお考えなのでしょうが、勘違いも甚だしいと言わざるを得ません。フランス軍のうちの半数は革命という思想に憑かれて改革者たちと陰謀を企てております」

「軍隊を侮辱する気ですか!」

「それどころか称讃しているのですよ。祖国を愛し、自由に身を捧げていながら、王妃を敬い、国王に身を捧げることが出来るのですから」

 王妃がジルベールに向かって稲妻の如く燃え上がる眼差しを放った。

「今の言葉は……」

「今の言葉が王妃陛下を傷つけたことは承知しております。普通に考えれば、初めて耳にされたでしょうから」

「慣れなくてはなるまい」ルイ十六世は妥協すべき点をわきまえており、それが力の大部分を形作っていた。

「嫌です! 絶対に嫌です!」

「聞き分け給え。先生の言っていることは正しいことばかりではないか」

 王妃は身体を震わせながらまた腰を下ろした。

『アンジュ・ピトゥ』 33-2

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 王妃は腰を下ろして、話を聞く姿勢を取った。

「ではこちらに、先生」国王が戸口に向かった。

 ジルベールは王妃に恭しくお辞儀をして、ルイ十六世に倣おうとした。

「どちらに? どうしたんです? いなくなってしまうのですか?」

「これからする話は楽しい話ではないのだ。王妃にこれ以上心配をかけたくはない」

「この苦しみを心配と呼ぶのですか?」王妃が重々しく声をあげた。

「それならなおのことだ」

「どうかここにいて下さい。ジルベールさん、よもや歯向かったりはなさいませんね?」

「ジルベール殿!」国王が苛立った声を出した。

「どうしたのです?」

「ジルベール殿は良心に従って、余に助言を与えてくれるはずだったし、気兼ねなく話をしてくれるはずだったのに、もはやそれも適わないようだ」

「どうしてですか?」王妃がたずねた。

「そなたがいるからだ」

 ジルベールが合図のような動きをしたのを見て、王妃はすぐにそれに重要な意味を見出して飛びついた。

「良心に従ってジルベールさんがどういう話をしたら、わたしの機嫌が悪くなるというのですか?」

「簡単なことだ。そなたはそなたで政治に対する考えがあろう。それがいつも余らの考えと同じとは限らぬ。つまり……」

「はっきり仰って下さい。つまりジルベールさんは、わたしとはまったく正反対の考えを持っているのですね」

「そうなるでしょう」ジルベールが答えた。「私の考えはご存じのはずです。とは言えご不審は抱いてらっしゃいますまい。王妃陛下の御前であろうと国王陛下と二人きりであろうと、私は同じように忌憚なく真実を口にいたします」

「それだけでもたいしたものです」マリ=アントワネットが言った。

「いつも真実を口に出すべきとは限らぬぞ」ルイ十六世が慌てて呟いた。

「それが役に立つとしてもでしょうか?」ジルベールが言った。

「或いは好意的であれば」王妃がつけ加えた。

「それに関しては否定すまい」ルイ十六世が意見を添えた。「だがな、そなたが賢ければ、先生にすっかりお任せすべきであるぞ……余の聞きたい話を」

「失礼ですが、王妃ご自身が真実をお求めになったのですし、王妃のお心が気高く、真実を恐れぬ強さをお持ちなのも明白ですから、お二人の御前でお話ししたいと考えております」

「是非そうなさい」王妃が言った。

「ご賢明な方だと信じておりました」ジルベールが王妃に頭を下げた。「話は国王陛下の幸福と栄光のことなのです」

「信じて当然です。話を始めなさい」

「どれも結構なことだがね」国王は普段と変わらず頑固に言い張った。「非常に難しい問題なのだ。余としてはそなたにいてもらうわけにはいかぬ」

 王妃は苛立ちを隠すことが出来なかった。立ち上がってからまた坐り直し、医師の考えを読もうとするように鋭く冷たい目を向けた。

 ルイ十六世はこのありきたりで異常な問題から逃れるすべは残されていないと悟り、深い溜息をついてジルベールの正面にある椅子に腰を下ろした。

「何が問題なのです?」王妃がその忠告めいた言葉を聞いてたずねた。

 ジルベールが改めて国王に向かい、率直に発言する許可を求めるかのような目を向けた。

「構わぬ」国王が答えた。「王妃が望むのだ」

『アンジュ・ピトゥ』 33-1

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

第三十三章 助言

 国王はいつものようにせかせかどしどしと部屋に入って来た。

 せわしなく酔狂な様子が、王妃の堅く冷え切った立ち居振る舞いとは対照的だった。

 瑞々しい顔色は何もうわべだけのことではない。早起きして、健康的に朝の空気を吸い込んだので気分がよく、大きな音を立てて呼吸し、力強く床を踏んでいた。

「先生はどうしたかな?」

「おはようございます。ご機嫌いかがですか? お疲れではありませんか?」王妃がねぎらった。

「六時間眠ったよ、時間通りだな。調子はいい。頭も冴えている。顔色が悪いようだぞ、そなたが先生を部屋に呼んだと聞いたのだが」

「ジルベール先生はこちらです」王妃は窓の前からどけて、それまで隠れていた医師の姿を見せた。

 国王の顔がぱっと明るくなった。

「おおそうだった。先生を呼んだということは、具合が悪いのではないかね?」

 王妃が顔を赤らめた。

「おや顔が赤くなったね」ルイ十六世が言った。

 王妃は真っ赤なままだった。

「また何か秘密にしているのかね?」

「何のことでしょうか?」王妃が態度を硬化させた。

「わからぬかね? 自分の医者がいるというのにジルベール先生を呼んだということは、意図があったのだろう。余にはちゃんとわかっている……」

「どのような意図だと?」

「苦しんでいるのを隠しておきたかったのだ」

「そういうことですか」王妃の顔色がわずかばかり元に戻った。

「うむ。だが気をつけるがよいぞ。ジルベール先生は余の腹心だからな。先生に話したことは余の耳に入ってくると思え」

 ジルベールが苦笑した。

「そのようなことはいたしません」

「まいった、王妃に買収されてしまったか」

 マリ=アントワネットが引き攣ったような笑いを洩らした。会話を遮ろうとしたり、会話にうんざりしている人があげるような笑い声だった。

 ジルベールはそれに気づいたが、国王にはそれがわからなかった。

「では先生、王妃と何を楽しくお喋りしていたのかを聞かせてくれるかね」

「先生におたずねしていたんです」マリ=アントワネットが口を挟んだ。「とても朝早くから陛下に呼ばれたのはどうしてなのか。だって朝から陛下がヴェルサイユにいらっしゃるなんて、不思議でしたし、心配だったものですから」

「先生を待っていたのだよ」国王が顔を曇らせた。「先生と政治の話をしたかったものでね」

「そうですか」

PROFILE

東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 本好きが高じて翻訳小説サイトを作る。
  • 翻訳が高じて仏和辞典Webサイトを作る。

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