翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 39-1

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

第三十九章 帰還

 夜が訪れていた。不安と不吉な予感をお供に引き連れて来た頃、突如として宮殿のはずれに大声が響き渡った。

 王妃はぎょっとして立ち上がり、手許の窓を開けた。

 間髪を入れず、歓喜した使用人たちが王妃の部屋を訪れて声をあげた。

「伝令です、陛下! 伝令です!」

 それから三分後、軽騎兵が控えの間に飛び込んで来た。

 シャルニー氏が自分の代わりに派遣した将校だった。全速力でセーヴルからたどり着いたところである。

「国王は?」王妃がたずねた。

「十五分後にこちらにいらっしゃいます」将校は息を切らせて答えた。

「お怪我はありませんね?」

「お怪我なくにこやかでいらっしゃいます」

「そなた自身の目で確認したのですね?」

「そうではありません。シャルニー殿がそう仰って本官を派遣いたしました」

 国王の名前に加えて図らずもその名前を聞いて、王妃は改めて身体を震わせた。

「ありがとう。休んで下さい」

 若い将校はお辞儀をして退出した。

 王妃が二人の子供の手を繋ぎ、大階段に向かうと、そこには既に使用人と廷臣が集まっていた。

 階段の一段目に白い服の女がいることに王妃は目敏く気づいた。女は手すりに肘を置き、夜の暗闇に貪るような目を向けている。

 アンドレだっだ。王妃が姿を見せても、不安な眼差しを逸らすことが出来ずにいた。

 王妃のそばに行きたい気持は山ほどあっても、王妃のことが見えていないのか、そうでなければ見ないようにしようとしているらしい。

 要するにアンドレは王妃の激情を疎んでいた。激情のせいで一日中苦しまなければならなかったことを恨んでいた。

 それとも強い感情に駆られて、アンドレなりにシャルニーが戻って来るのを待っていたのだろうか。あれほどの愛情を露わにしてシャルニーのことを不安がっていたのだから。

 まだ血を流している王妃の傷口を、重ねて抉ったナイフの一突きだった。

 友人や廷臣たちの挨拶や歓声にもぼんやりとしか耳を貸すことが出来なくなっていた。

 強烈な苦しみに一晩中苛まれてふとぼんやりとしていたことに自分でも気づきさえした。不安が途切れることもあった。敵の多い国王のパリ行きにあれほど不安を掻き立てられていたというのに。

 だが王妃は気持をしっかり持って、適切な愛情とは言い難い感情をすぐに心からすっかり追い払った。嫉妬を神の足許に置き捨て、怒りと秘めた喜びを夫婦の聖なる誓いに捧げた。

 何よりも夫たる国王を愛するというこの健やかな能力を、安らぎや支えとして王妃に送り届けていたのは、恐らく神であった。

 少なくとも今、王妃はそれを感じた。強く感じていると信じた。王位に就いているという自惚れによって王妃は地上のあらゆる情熱よりも高く舞い上がっていた。国王に愛されていれば満足だった。

 だから護衛の松明が並木道の向こうに見えた時、王妃は妻としてのささやかな復讐心も恋人のような安っぽい媚びも、完全に何処かに追い出してしまった。松明の火は馬車の走る速度に合わせてだんだんと大きくなって来る。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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