翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 39-2

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 馬のいななきと息切れが聞こえて来た。夜のしじまの中、規則正しい騎兵隊の足並みの下で大地が震えている。

 門が開き、各部署の者たちが歓声をあげて国王の御前に駆け寄った。四輪馬車が中庭の敷石の上でけたたましい音を立てた。

 王妃はこれまで感じていたことすべてに、改めて感じたことすべてに、幻惑され、歓喜し、魅了され、陶酔し、階段を駆け降りて国王の許へ急いだ。

 ルイ十六世は馬車から降りて、将校たちに囲まれながら出来る限り急いで階段を上っていた。将校たちがその日の出来事や凱旋に感動して階段を上っている間、下では衛兵たちが馬丁や楯持ちに混じって、熱狂したパリっ子が植えつけた徽章を馬車や馬具からもぎ取っていた。

 国王と王妃は大理石の踊り場で顔を合わせた。王妃は喜びと愛情に満ちた声をあげ、何度も国王を抱きしめた。

 王妃は泣きじゃくっていた。いざ再会することが出来るまでは、二度と会うことはないと考えていたのだろう。

 王妃はすっかり心を動かされ胸が一杯になっていたために、シャルニーとアンドレが暗がりで静かに交わした握手に気づかなかった。

 それはただの握手でしかなかったが、階段の下に到着したのはアンドレが最初だったし、シャルニーが最初に顔を合わせ手を触れたのもアンドレだった。

 王妃が子供たちを国王のところに連れて行って口づけをさせた時のことだった。王太子が父親の帽子についていた新しい徽章を見つけた。松明が発する血のような光に照らされている徽章を見て、王太子が子供らしい驚きの声をあげた。

「父上! その徽章は? 血ですか?」

 それは国民の赤だった。

 王妃も声をあげて目を瞠った。

 国王は娘に口づけするため下を向いたが、実際のところは恥ずかしさを隠すためだった。

 王妃が嫌悪も露わに徽章をもぎ取った。気高き者たちの心を傷つけていたこともわからずに。怒りに燃えた国民がいつの日にか恨みを晴らすことになろうとも知らずに。

「捨てて下さい」

 王妃が階段から徽章を放り投げると、国王を部屋に連れてゆくお付きの者たちがその上を踏んで行った。

 国王のこの不可解な心変わりを見て、王妃の心から夫婦の情熱が消えてしまった。王妃は目を彷徨わせたが、軍人として持ち場に就いているシャルニー氏を探しているようには表向き見えなかった。

「ありがとうございます」二人の視線が出会うと王妃が口を開いた。シャルニー伯爵が一瞬だけ躊躇いを見せた。「感謝しております、約束を守っていただいて」

「誰と話しておるのだね?」国王がたずねた。

「シャルニー殿です」毅然として王妃が答えた。

「うむ、シャルニーか、余のところにはなかなか来られなかった。それにジルベールには会ってないな」

 王妃は夕べの祈りを終えてからというもの神経質になっていた。

「夕食になさいまし、積もる話もございます。シャルニー殿は伯爵夫人を見つけて一緒にお過ごしなさい。わたしたちは家族だけで夕食をいただきますから」

 まさしく王妃は王妃であった。だが先ほどまでは悲しんでいたシャルニーがまた元気になったことを考えると溜息が出た。

 
第39章終わり。第40章に続く。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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