アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
それからフーロンに向かって、
「いいですか、事態は深刻です。ようくお考え下さい。まだ時間はあります。市庁舎の裏から抜け出たいとお考えですか?」
「まさか。顔を知られているんだ、殺されてしまう!」
「それとも我々と一緒に残りますか? 私もこの方々も人間として出来る限りのことをしてあなたを守ろうとは思いますが。いいですね、皆さん?」
「心得ました」選挙人たちが声を揃えて答えた。
「あなた方と残ります。皆さん、見捨てないで下さい」
「言ったはずですよ」バイイの声には威厳があった。「人間として出来る限りのことをしてあなたを助けると」
その時、広場で大きな咆吼があがり、空中を漂って、開いた窓から市庁舎に入り込んで来た。
「何だ? あれは何だ?」フーロンが青ざめて呟いた。
果たして、怒号をあげた見るも恐ろしい群衆が、市庁舎に通ずる道という道を埋め尽くしていた。中でも多いのがペルティエ河岸とヴァンリー街(du quai Pelletier et de la rue de la Vannerie)だ。【※現在の Quai de Gesvres と avenue Victoria】
バイイが窓に駆け寄った。
眼、庖丁、槍、大鎌、マスケット銃が、太陽の光に爛々と光り輝いていた。十分もしないうちに、広場は人で満ち溢れた。ピトゥが話していた、フーロンを追いかけて来た人々だ。声を聞きつけた野次馬が、施設にでも行くようにグレーヴ広場の方に向かっていたので、人数はさらに増えていた。
二万人以上にもなる声が一斉に叫んでいた。
「フーロンだ! フーロンだ!」
この怒号を目印にして、フーロンの消えた扉に向かって、すぐさま人々が喚きながら殺到した。扉を足で蹴り、銃床で殴り、棒で打った。
すると突然、扉が開いた。
市庁舎の衛兵が現れ、近づいて来る。人々は銃剣を前にして尻込みし、そこでようやく恐怖に囚われて、建物の前に大きく場所を空けた。
衛兵は階段の上に毅然として立っている。
もっとも、衛兵たち(Les officiers)は威圧しに出て来たわけではなく、人々に優しく語りかけ、約束をして落ち着かせようとしていた。
バイイはすっかり度を失っていた。荒れ狂う人々の前に居合わせたのは初めてのことだった。
「どうすればいい?」と選挙人にたずねた。「どうすれば?」
「裁判を!」応える声は大きかった。
「無理に脅された裁判など出来ない」バイイが言った。
「身を守れるだけの兵士はいないんですか?」ビヨが尋いた。
「二百人しかいない」
「だったら援軍が要る」
「ラ・ファイエット氏に知らせることが出来れば」バイイが弱音を吐いた。
「だったら知らせて下さい」
「どうやって? どうやって人込みを越えるんだ?」
「俺が行きます」ビヨが答えた。
そして出かけようとした。
それをバイイが止めた。
「馬鹿な真似はよせ。この大海原を見ろ、たった一波で溺れてしまう。どうしてもラ・ファイエット氏のところに行くと言うのなら、身の安全は保証できないが、せめて裏から出かけなさい。さあ」
「わかった」
ビヨは一言だけ答えると、矢のように飛び出した。
第40章終わり。第41章に続く。