アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
ベルチエが市庁舎の玄関階段を落ち着き払って上っているのを目にしたビヨは、思わず嗚咽を洩らして髪を掻きむしった。
ピトゥは土手(le berge)から河岸(le quai)に戻って来ていた。フーロンの虐殺は終わったものだと思っていたからだ。確かにベルチエのことは憎かった。ピトゥの目から見れば、非難されているような悪事はもちろん、カトリーヌに金の耳飾り(boucles d'or)を贈ったという罪を犯した人間だった。それにも関わらず、ピトゥは土手の陰にうずくまってしゃくり上げた。
そうしている間にもベルチエは、他人事のように会議室に足を踏み入れ、今は選挙人たちと話をしていた。
選挙人のほとんどと顔見知りだったし、親しくしている者さえいた。
だが選挙人たちはベルチエと接触すると、とてもではないが恐ろしくなって遠ざかって行った。
こうして、間もなくベルチエの近くにはバイイとラファイエットしかいなくなった。
ベルチエはフーロンが拷問の末に殺された経緯を聞かされ、肩をすくめた。
「ええ、わかってますよ。みんな我々のことが憎いんでしょう。庶民を苦しめる王権の道具だったからです」
「あなたも重大な罪を犯した、と非難されています」バイイが厳めしい顔で言った。
「市長さん(Monsieur)」ベルチエが答えた。「もし仮に、非難されているような罪を犯したのだとしたら、この私は人間以下の存在か人間以上の存在、獣か悪魔のどちらかですよ。これから裁きにかけられるのでしょうから、その際に明らかになるでしょう」
「その通りです」
「それこそ望むところです。手紙を持って行かれましたから、それを見れば命令に従っただけだとわかるはずです。そうすれば責任の所在が実際には誰にあるのかも明らかになるでしょう」
選挙人たちが広場に目をやった。狂おしいどよめきが漂って来た。
ベルチエはその返答の意味を理解した。
その時、ビヨがバイイの周りにいる選挙人たちを掻き分けてベルチエに近づき、大きな手を差し出した。
「こんにちは、ソーヴィニーさん」
「まさか! ビヨじゃないか」ベルチエは笑顔になって、差し出された手をしっかりと握った。「パリまで暴動をしに来たのかい? ヴィレル=コトレ(Villers-Cotterêts)やクレピー(Crépy)やソワッソン(Soissons)の市場で小麦を売っていた善良な農夫が?」
ビヨ自身のものの考え方は庶民的な方であったが、自分の命が糸一本でぶら下がっている時に冗談を言えるような、落ち着き払った態度に感嘆せずにはいられなかった。
「諸君、着席し給え」バイイが選挙人に命じた。「只今より被告人に対し予審をおこなうものとする」
「それはそれとして」ベルチエが言った。「一ついいですか、もうへとへとです。まる二日も寝ていない。今日はコンピエーニュからパリまで、小突かれて殴られて引っ張られて、散々でした。お腹が空いたと言っても、干し草しかくれないので、ちっとも元気が出ません。何処かで寝かせてくれませんか、一時間だけでいい」
ラファイエットがすぐさま確認しに部屋を出ると、憔悴しきって戻って来た。
「バイイ、連中の我慢も限界だよ。このままベルチエ氏を匿っていれば我々も包囲されてしまう。市庁舎を守れば、暴徒に口実を与えてしまうし、市庁舎を守らなければ、暴動のたび言いなりになるという慣例を作ってしまうことになる」
その間にもベルチエは長椅子に腰を下ろして横になっていた。
眠りに就こうとしている。
窓から怒号は届いていたが、まったく動じていなかった。顔つきは穏やかなまま、すべてを忘れて頭を休ませようとしていた。
バイイは選挙人たちやラファイエットと議論をしていた。
ビヨはベルチエを見つめていた。