アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
やがて熱狂は高まり、口づけに押し潰されたり寝転がっている人間を踏んづけたりしないように、フランドル聯隊の栄えある招待主たちがそれぞれ部屋に戻らなくてはならないまでになった。
もしもこの馬鹿騒ぎが馬鹿騒ぎのままで留まっていれば、フランス人ゆえの熱狂に過ぎないと見なされて、何もかもが見過ごされていたはずだ。だが馬鹿騒ぎは早々と一線を越えた。
善き王党派であれば、国王のことを撫でた手で国民をちょいと引っ掻いてはならないのだろうか?
その国民の名に於いて国王に多くの痛みをもたらしていたのだから、楽団にはあの曲を演奏する権利もあろうというものだ。
『愛する者を苦しめられようか?(Peut-on affliger ce qu'on aime !)』
国王と王妃と王太子が退席したのは、この曲が奏でられていた時だった。
退席と同時に会食者たちの誰もが羽目を外し始め、晩餐会場は掠奪に遭った町へと姿を変えた。
デスタン氏(M. d'Estaing)の副官であるペルスヴァル氏(M. Perseval)の合図をもとに、突撃の喇叭が鳴らされた。
誰を攻撃するというのだ? ここにはいない敵を。
民衆(le peuple)を。
この突撃の喇叭という、フランス人の耳に心地よい楽の音は、ヴェルサイユの劇場を戦場だと錯覚させるだけの幻影の力を備えていたし、ボックス席からこの害のない劇を見ていた貴婦人たちを敵だと錯誤させるだけの幻術を備えていた。
「突撃!」と叫ぶ幾つもの声が轟き、ボックス席によじ登り始めた。実際のところ、詰めかけた方も何ら怯えは見せず、詰めかけられた方も手を差し出していた。
初めにバルコニー席にたどり着いたのはフランドル聯隊の擲弾兵だった。ペルスヴァル氏(M. de Perseval)は自分の勲章を外してその擲弾兵に授けた。
実際のところは、それはランブール勲章(une croix de Limbourg)という、勲章とも言えないような勲章であった。
こうしたことがオーストリアの徽章の許、国民の徽章に牙を剥くような形でおこなわれていた。
不穏なことにそこかしこでくぐもった囀りが洩れ聞こえていた。
だが歌手の朗唱や詰めかけた人々の歓呼や喇叭の轟きに覆われながらも、こうした刺すようなざわめきは、劇場の外で聞き耳を立てていた民衆(peuple)の耳にまで押し流され、驚きと憤りを生み出した。
黒い徽章が白い徽章を席巻し、三色徽章が踏みにじられたことは、外の広場からやがて路上にまで知れ渡った。
国民衛兵の将校が圧力に屈せず果敢にも三色徽章を守り抜き、こともあろうに王宮の中でひどい暴行を受けたことも知れ渡った。
そしてまた噂になったところによれば、暴徒の乱舞する狂宴の場と化した劇場の入口に、痛ましい顔をして微動だにせず立ち尽くしていた一人の将校が、その様子を眺め、耳を澄まし、大衆という絶対権力に従い、他人の過ちを我がこととし、フランドル聯隊がその日おこなったような軍隊による行き過ぎた行為の責任を負うような、誠実な心を持った勇敢な兵士の姿を見せていたと云う。だが狂人のただ中にあってただ一人正気だったその男の名前は口の端に上ることさえなかった。仮にその名前を聞いたところで、それが王妃の寵臣であるシャルニー伯爵だとは誰も信じなかっただろう。王妃のために命を賭けた男が、王妃の行為にもっとも心を痛めていたその男と同一人物だったとは信じられなかったことだろう。