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 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 48-2

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 やがて熱狂は高まり、口づけに押し潰されたり寝転がっている人間を踏んづけたりしないように、フランドル聯隊の栄えある招待主たちがそれぞれ部屋に戻らなくてはならないまでになった。

 もしもこの馬鹿騒ぎが馬鹿騒ぎのままで留まっていれば、フランス人ゆえの熱狂に過ぎないと見なされて、何もかもが見過ごされていたはずだ。だが馬鹿騒ぎは早々と一線を越えた。

 善き王党派であれば、国王のことを撫でた手で国民をちょいと引っ掻いてはならないのだろうか?

 その国民の名に於いて国王に多くの痛みをもたらしていたのだから、楽団にはあの曲を演奏する権利もあろうというものだ。

 『愛する者を苦しめられようか?(Peut-on affliger ce qu'on aime !)』

 国王と王妃と王太子が退席したのは、この曲が奏でられていた時だった。

 退席と同時に会食者たちの誰もが羽目を外し始め、晩餐会場は掠奪に遭った町へと姿を変えた。

 デスタン氏(M. d'Estaing)の副官であるペルスヴァル氏(M. Perseval)の合図をもとに、突撃の喇叭が鳴らされた。

 誰を攻撃するというのだ? ここにはいない敵を。

 民衆(le peuple)を。

 この突撃の喇叭という、フランス人の耳に心地よい楽の音は、ヴェルサイユの劇場を戦場だと錯覚させるだけの幻影の力を備えていたし、ボックス席からこの害のない劇を見ていた貴婦人たちを敵だと錯誤させるだけの幻術を備えていた。

 「突撃!」と叫ぶ幾つもの声が轟き、ボックス席によじ登り始めた。実際のところ、詰めかけた方も何ら怯えは見せず、詰めかけられた方も手を差し出していた。

 初めにバルコニー席にたどり着いたのはフランドル聯隊の擲弾兵だった。ペルスヴァル氏(M. de Perseval)は自分の勲章を外してその擲弾兵に授けた。

 実際のところは、それはランブール勲章(une croix de Limbourg)という、勲章とも言えないような勲章であった。

 こうしたことがオーストリアの徽章の許、国民の徽章に牙を剥くような形でおこなわれていた。

 不穏なことにそこかしこでくぐもった囀りが洩れ聞こえていた。

 だが歌手の朗唱や詰めかけた人々の歓呼や喇叭の轟きに覆われながらも、こうした刺すようなざわめきは、劇場の外で聞き耳を立てていた民衆(peuple)の耳にまで押し流され、驚きと憤りを生み出した。

 黒い徽章が白い徽章を席巻し、三色徽章が踏みにじられたことは、外の広場からやがて路上にまで知れ渡った。

 国民衛兵の将校が圧力に屈せず果敢にも三色徽章を守り抜き、こともあろうに王宮の中でひどい暴行を受けたことも知れ渡った。

 そしてまた噂になったところによれば、暴徒の乱舞する狂宴の場と化した劇場の入口に、痛ましい顔をして微動だにせず立ち尽くしていた一人の将校が、その様子を眺め、耳を澄まし、大衆という絶対権力に従い、他人の過ちを我がこととし、フランドル聯隊がその日おこなったような軍隊による行き過ぎた行為の責任を負うような、誠実な心を持った勇敢な兵士の姿を見せていたと云う。だが狂人のただ中にあってただ一人正気だったその男の名前は口の端に上ることさえなかった。仮にその名前を聞いたところで、それが王妃の寵臣であるシャルニー伯爵だとは誰も信じなかっただろう。王妃のために命を賭けた男が、王妃の行為にもっとも心を痛めていたその男と同一人物だったとは信じられなかったことだろう。

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『アンジュ・ピトゥ』 48-1

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

第四十八章 歓迎会

 王妃と国王と王子が現れた瞬間、爆音のような歓声がボックス席のお座敷からオペラ劇場のホール上に届いた。

 酒に酔い乱れた兵士や将校が、帽子や剣を上げて叫んでいた。「国王万歳! 王妃万歳! 王太子万歳!」

 音楽が始まった。『リチャードよ! 我が王よ!』【※アンドレ・グレトリによるオペラ『リチャード獅子心王』(1784)より】

 曲に込められた意図は明白だった。全員の思いが詰め込まれ、宴席の気持を忠実に表現したこの曲が始まった瞬間、一斉に歌が始まった。

 王妃は昂奮していて、酔客ばかりのただ中にいることも忘れていた。国王は驚きながらも平素通りに分別を働かせて、自分の居場所はここにはないし理念からも外れていることをはっきりと感じていた。だが国王は弱い人間だった。とうに人心から離れていた人気と熱狂を取り戻したいという幻想を夢見て、その場に蔓延していた狂乱を少しずつ受け入れていた。

 水しか飲まずに宴を過ごしていたシャルニーは、王妃と国王の姿を見ると、顔色を変えて立ち上がった。国王夫妻のいない間にすべてが終わってくれれば、たいしたことにはなるまいと考えていた。国王と王妃が現にいる間は、何が起こっても何が否定されてもおかしくはない。

 ところが困ったことに、よりにもよって弟のジョルジュ・ド・シャルニーが王妃に近寄り、笑顔を返されて自信をつけたのか、言葉を掛けるのが見えた。

 声を聞くには離れすぎていたが、身振りから見て頼み事をしているのがわかった。

 頼み事を聞いた王妃がうなずいて、帽子についていた徽章(la cocarde)を外してジョルジュに手渡した。

 シャルニーは震え上がり、腕を伸ばして悲鳴をあげようとした。

 王妃がジョルジュ(son imprudent chevalier)に差し出したのは、フランスの国章である白い徽章ですらなかった。それは敵国オーストリアの国章である黒い徽章であった。

 たった今の王妃の行動は、軽率というより裏切りと言った方がいい。

 だがそれでも、神に見捨てられた哀れな狂信者たちは気持の高ぶるあまり、ジョルジュ・ド・シャルニーにその黒い徽章を見せられると、白い徽章を着けていた者たちはそれを放り投げ、三色の徽章を着けていた者たちはそれを踏みつけた。

『アンジュ・ピトゥ』 47-4

 至るところで「国王万歳!」「王妃万歳!」の声が聞こえた。幾百もの花と光と炎がきらびやかな穹窿を虹色に輝かせ、幾百もの喜ばしい思いで顔が照らされ、忠実な光がその顔から放たれていた。王妃にとっては目に麗しく、国王にとっては心安まる光景であったはずだ。

 ではどうしてこの不幸な国王と哀れな王妃はこの歓迎会に臨席しなかったのだろう?

 お節介な信奉者(serviteurs/partisans)たちがその場を離れてマリー=アントワネットの許へ走り、目にしたことを大げさに注進した。

 生気の消えていた王妃の目に光が戻り、王妃は身体を起こした。フランス人の心にもまだ忠誠心と愛情は残されていたのだ。

 つまりまだ希望はある。

 周囲を見回した王妃の目には悲嘆の色は薄かった。

 部屋の前を歩く人々の数が増えて来た。王妃の参列を求めている。二千人の歓声が君主制を祝福している宴会のさなかに顔を見せるだけで良いからと。

「国王陛下が不在ですから、わたし一人になってしまいます」王妃は残念そうに応じた。

「王太子殿下とご一緒下さい」おめでたい者たちは諦めなかった。

「どうかここにお留まり下さい」という声が王妃の耳に届いた。

 振り返って見ると、シャルニーだった。

「どうしたんです。この方々と下にいたのではないのですか?」

「戻って参りました。下は騒ぎが過ぎますがゆえ、想像以上に陛下のお心を苦しめてしまいます」

 その日のマリー=アントワネットはひねくれてわがままな気分だった。シャルニーの希望とは正反対のことをしたい気持があった。

 王妃はシャルニー伯爵に軽蔑の目を向け、心ない返事で傷つけてやろうとしたが、恭しい仕種で待ったをかけられた。

「どうか国王陛下に確認なさってからでお願いします」

 シャルニーが考えていたのは、時間を稼ごうということだった。

「国王陛下だ!」幾つかの声があがった。「陛下が狩りからお戻りになったぞ!」

 その通りだった。

 マリー=アントワネットは立ち上がって、まだ泥だらけの長靴を履いたままの国王を迎えに急いだ。

「陛下、下の様子をご覧下さい。あれこそフランス国王に相応しい光景です」

 王妃は国王の腕をつかんで連れ出した。怒りの爪を胸に仕舞い込んだシャルニーには見向きもしなかった。

 左手で息子の手を引き階段を降りた。廷臣の波にもまれて、オペラ劇場の戸口までたどり着くと、その日ちょうど何十回目かの、グラスの空けられる声が聞こえた。「国王万歳! 王妃万歳!」



 第47章終わり。第48章に続く

『アンジュ・ピトゥ』 47-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 十月一日木曜日。この日の祝宴は残酷にも王権が先も読めず目も見えないという事実を歴史のページに刻むことになる。

 国王は狩りをおこなっていた。

 王妃は部屋に閉じ籠もり、悲嘆に暮れて物思いに沈んで、グラスのぶつかる音の一つもはじける声の一つも聞くまいとした。

 腕には息子を抱き、傍らにはアンドレがいた。二人の女が部屋の片隅で仕事をしている。これが周りにいる人間たちだった。

 羽根飾りときらめく剣を身につけたきらびやかな将校たちが、続々と宮殿に集まって来た。馬が厩舎でいななき、喇叭が鳴り響き、フランドル聯隊と親衛隊の楽音が一斉に空気を満たした。

 敷地の外では、くすんだ顔色の野次馬たちが暗い目を向け、ざわめきや楽曲に対して観察や分析や解説をおこなっていた。

 嵐のような風に吹かれて遠くから、開いた扉を通って歓談のざわめきと匂い立つ料理の湯気が漂っていた。

 こんな飢えた者たちに肉と酒の匂いを嗅がせ、陽気な者たちに歓喜と希望を喫わせるとは、考えが足りないと言わざるを得ない。

 だが祝宴は滞りなく進んでいた。まずは控えめに、軍服の下に敬意を満たした将校たちが、小声で言葉を交わしてちびちびと酒を飲んでいた。初めの十五分間は予定通りに進んでいた。

 二皿目が運ばれて来た。

 フランドル聯隊長(colonel du régiment)のリュジニャン氏(M. de Lusignan)が立ち上がり、四者の健康を願って乾杯の音頭を取った。国王と王妃と王太子と王家の四者だ。

 四人分の喝采が円天井まで届き、屋外まで擦り抜けて、待ちあぐんでいた野次馬たちの耳を打った。

 一人の将校が立ち上がった。恐らく智恵と勇気と、一連の出来事の結果を予想できるだけの判断力の持ち主であり、たったいま盛大に祝われていた王家を心から愛する者なのだろう。

 挙げられた祝杯の中に、忘れられているものがあることに思い至ったようだ。

 将校は国民(la Nation)の健康を願って乾杯を提案した。

 しばらく囁きが交わされた後で、一斉に声があがった。

「却下!」

 斯くして国民の健康は退けられた。

 斯くて祝宴は取るべき舵を取り、奔流は流れるべき傾斜を流れることとなった。

 祝杯を提案した将校が反対派の工作員なのではないか、という噂は今に至るまでなくなってはいない。

 いずれにしても先ほどの提案は痛ましい結果しか生まなかった。国民のことを忘れていただけなら見過ごされただろうが、侮辱したとあっては行き過ぎだったので、国民も声をあげた。

 この瞬間からまるで堰が切られ、控えめな沈黙に代わって喚声と放談が生じたように、慎み深さなど絵に描いた規律でしかなくなって、龍騎兵や擲弾兵やスイス百人隊や果ては宮殿の兵卒に至るまでがなだれ込んだ。

 酒が回され、何度となくグラスを満たしたかと思えば、出されたデザートが奪い合いになった。誰も彼もが酔っ払い、兵士たちも上官と酌み交わしていることを忘れていた。それこそ上も下もない宴会だった。

『アンジュ・ピトゥ』 47-2

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 若者たちは互いに見分けがつくように制服を決め、危険を察知したか未来を読んだかしてヴェルサイユに引き寄せられた役なしの将校たちやサン=ルイ勲章の受勲者たちと合流し、そこからパリに広がって行った。呆気に取られて目を瞠られるほどに、この新たな敵たちは若々しく傲慢で、守る気のない秘密に胸をふくらませていた。

 この直後なら国王も抜け出すことが出来ただろう。味方に守られて移動し、まだ何も知らず準備不足のパリからも見逃されていたことだろう。

 だがオーストリア女を守護する魔神は目を開いて見ていた。

 リエージュが皇帝に反旗を翻したため、その対応に追われたオーストリアはフランス王妃のことに心を砕いている暇がなかった。

 もっとも王妃はこうした場合には慎重な行動を取るべきだと考えていた。

 だがその時には弾みのついていた事態は怒濤のような勢いで動き続けていた。

 フランドル聯隊が喝采で迎えられたので、親衛隊もフランドル聯隊の将校を晩餐に招待する決定を下した。

 歓迎会は十月一日に決まった。街中の名士が招待された。

 何が問題だというのか? フランドルの兵士たちと交流を図ることが? 地区と州が交流を図っていたのに、兵士たちが互いに一切の交流を図ってはならない理由があろうか?

 殿方が交流を持つことが憲法で禁止されていたとでもいうのか?

 国王は今でも聯隊の主人であり、国王だけが命令を出すことが出来た。ヴェルサイユ宮殿(son château de Versailles)の所有者は国王だけであった。国王に相応しいと思える者を宮殿に招き入れる権利を持っているのも国王だけであった。

 ドゥエー(Douai)でおとなしくしていた勇敢な兵士にして立派な殿方を宮殿に招き入れない理由があろうか?

 おかしなところは何もない。誰一人として驚くべきことだとは考えていなかったし、ましてや不安に感じるべきことだとはさらさら考えてはいなかった。

 同じ席で晩餐を摂ることで、自由と王権を守らねばならないフランスの軍隊に必要な愛情を互いに固め合うことになるはずだった。

 もっとも、国王は決められたことを知らされていただけかもしれない。

 暴動があって以来、言い分を聞いて退いた国王は、もう何にも患わされることはなかった。仕事という重荷は取り払われた。代わりに統治してくれるのだから、また改めて統治しようとは思わなかったが、それで一日じゅう退屈になってしまうと言い張るつもりもなかった。

 国民議会の面々が好きなように剪定をおこなっている間、国王は狩りをしていた。

 貴族や司教の面々が八月四日に鳩小屋や封建的特権、鳩や文書を放棄していた間、国王も同じように犠牲を厭わず狩猟権を廃止したものの、だからといって狩りをやめたりはしていなかった。

 斯くしてフランドル聯隊の兵士たちが親衛隊と晩餐を摂っている間、国王はいつもと同じく狩りをおこなっていたので、戻る頃には食事も下げられてしまうはずだった。

 それでは国王も困るので、宮殿(le château)で祝宴を開くよう王妃に頼んでおくことにした。

 王妃にはフランドル聯隊を歓待しない理由など見当たらなかった。

 王妃は劇場の使用を認め、その日のために床を張らせて、兵士や招待客が入れるだけの広さを確保した。

 いやしくも王妃たる者がフランスの貴族をもてなすのだから手は抜けない。

 これで会食場は用意できたが、応接室が足りないので、ヘラクレスの間を使わせることにした。

PROFILE

東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 本好きが高じて翻訳小説サイトを作る。
  • 翻訳が高じて仏和辞典Webサイトを作る。

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