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 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』54-1

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

第五十四章 十月五日から六日にかけての夜

 夜は穏やかに過ぎた。会議は夜明け前の三時まで続いた。

 三時になると、議員たちが解散する前に、議会から二人の守衛を派遣してヴェルサイユを巡回させ宮殿周辺を見回らせ庭園をさせた。

 すべてが穏やかであった。もしくは穏やかに見えた。

 王妃は真夜中にトリアノンの門から出ようとしたことがあったが、国民衛兵に阻まれていた。

 不安なのだと事情を訴えたものの、ほかの何処よりもヴェルサイユにいれば安全なのだと言われた。

 そこで部屋に引き返し、忠実な衛兵に見守られているのを実際にその目で確かめ、安心していた。

 戸口でジョルジュ・ド・シャルニーを見つけた。ジョルジュは衛兵(les gardes)が騎兵隊のように携えている短銃に身を預けていた。これは異例のことだった。衛兵が室内で見張りに就く時にはサーベルしか身につけないものだからだ。

 王妃はジョルジュに近寄った。

「あなたですか、男爵」

「そうです、陛下」

「変わらずに忠実でいてくれるのですね」

「私の務めではありませんか」

「誰に任されたのです?」

「兄に」

「兄上はどちらに?」

「国王のおそばに」

「なぜ国王のおそばに?」

「家長だからです。そういう立場で、国家の長である国王のために死ぬ権利を持っている人間です」

「そうですね」マリー=アントワネットの言葉には棘があった。「あなたには王妃のために死ぬ権利しかありませんから」

「そうなれば大変な名誉です」ジョルジュは深々と頭を下げた。「神がその務めを果たさせてくれれば良いのですが」

 王妃はきびすを返しかけたが、ふと心に疑いが兆した。

 そこで立ち止まり、顔だけ向けてたずねた。

「ところで……シャルニー伯爵夫人はどうなりましたか?」

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『アンジュ・ピトゥ』53-4

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 足音が聞こえ、ラファイエット氏が戸口に現れた。

 その姿を目にして沈黙が支配する中、王妃側の集団から声があがった。

「このクロムウェルめ」

 ラファイエットは笑みを浮かべた。

「クロムウェルはチャールズ一世の許に一人では行きませんでしたよ」

 助けに駆けつけて来た男を敵扱いするような残念な味方たちに、ルイ十六世は顔を向けた。

 それからシャルニーに向かって、

「伯爵、余は留まる。ラファイエット殿がここに来たからには、もう何も恐れるものはない。ランブイエに引き上げるよう部隊に伝えてくれ。国民衛兵は郊外の、護衛隊は城内の守りにつく手筈だ」

 それからラファイエットに向かって言った。

「話がある」

 するとジルベールが退出しようと足を運びかけたので声をかけた。

「席を外す必要はないよ、先生。来給え」

 国王はラファイエットとジルベールを書斎(un cabinet)に案内した。

 それを目で追っていた王妃は、扉が閉まると呟いた。

「逃げるなら今日でなくては。今日ならまだ間に合う。明日では遅すぎる!」

 そして王妃も部屋に引き上げた。

 その間も火事のような大きな光が宮殿の窓ガラスに映っていた。

 それは殺した馬の肉を焼いている、巨大な竈であった。

 
 第53章おわり。第54章につづく。

『アンジュ・ピトゥ』53-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 五分後、王妃が訪れ国王のそばに並んだ。

「何の用だね?」ルイ十六世がたずねた。

「あなたと死にに参りました」王妃が応えた。

 シャルニー伯爵が呟いた。――これだから王妃は美しいのだ。

 王妃が身体を震わせたのは、シャルニーの呟きが耳に届いていたからだ。

「だってわたしは、生きるよりは死んだ方がいいんです」王妃はシャルニーを見つめて言った。

 この時である。国民衛兵の足音が宮殿の窓の下に響いて来た。

 素早く入室して来たジルベールが国王に告げた。

「陛下、もう何の心配もございません。ラファイエット将軍が下にいらしてます」

 国王はラファイエットを好いていなかったが、好かぬだけで留めていた。

 王妃は王妃でまた別だった。ラファイエットをはっきりと憎んでいたし、憎しみを隠していなかった。

 だからジルベールとしてはいま伝えられる最高の報せだと考えていたのに、幾ら待っても返事はなかった。

 だがジルベールは国王夫妻の沈黙に怯んだままでいるような人間ではなかった。

「お聞き下さいましたか? ラファイエット将軍が下にいらして、陛下のご命令をお待ちです」

 王妃は沈黙を貫いた。

 国王は自制に努めた。

「感謝をしている、余の方から上がって来てもらいがっている、と伝えてくれ」

 将校の一人が礼をして退出した。

 王妃が何歩か後じさった。

 だが国王が有無を言わせぬ仕種で押しとどめた。

 廷臣たちは二つに分かれた。

 シャルニー伯爵とジルベールは国王のそばに残った。

 ほかの者たちは王妃に倣って後方に下がり、王妃の後ろに並んだ。

PROFILE

東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 本好きが高じて翻訳小説サイトを作る。
  • 翻訳が高じて仏和辞典Webサイトを作る。

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