アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
第五十五章 朝
一人の男が二つの部屋の境で王妃を待っていた。
血塗れのシャルニー伯爵であった。
「国王は?」マリー=アントワネットは血に染まった服を見て絶叫した。「国王を助けると約束したではありませんか!」
「国王はご無事です」シャルニー伯爵が答えた。
王妃が開けたままにしておいた扉の向こうを覗き込んだシャルニーは、王妃の寝室から繋がっている牛眼の間(l'Œil-de-Bœuf)に王妃、マリー=テレーズ王女(Madame royale)、王太子、それに衛兵が何人かがいるとわかり、王妃と目が合うまではアンドレの行方をたずねようと考えていた。
王妃と目が合うと言葉は引っ込んだ。
だが王妃の眼差しはシャルニーの心の奥まで深く穿っていた。
言葉にされるまでもなく、王妃はシャルニーの考えを見抜いた。
「いらっしゃいましたよ。心配なさらないで」
そう言うと王妃は王太子に駆け寄り抱きしめた。
その言葉に違わずアンドレが最後の扉を閉め、牛眼の間に入って来た。
アンドレとシャルニーは言葉を交わさなかった。
微笑みに対し微笑みを返す、それで充分であった。
不思議なもので、久しく離ればなれになっていた二人の心が、呼応して打ち交わし始めた。
その間に王妃は周囲に目を走らせ、シャルニーの不実を見つけて勝ち誇ったかのようにたずねた。
「国王は? 国王は何処です?」
「あなたを捜しておいででした」シャルニーは冷静に答えた。「廊下からあなたの寝室に向かったのと入れ違いに、別の廊下からあなたが出ていかれたのです」