アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
ピトゥは息が詰まるほどきつくセバスチャンを抱きしめ、手をつかむと、ヴュアラ(Wuala)谷に沿って伸びる近道を走り始めた。あまりの速さに百歩も行くとセバスチャンが息を切らしてこう言ったほどだった。
「速すぎるよ、ピトゥ」
ピトゥは足を止めた。ピトゥにとってはいつもの速さだったから気づきもしなかった。
ところがセバスチャンに目をやれば、真っ青になって喘いでいた。
ピトゥはイエスを抱きかかえる聖クリストフォロスのようにセバスチャンを抱きかかえて先に進んだ。【※信仰のため川の渡し守になったレプロブスは、あるとき男の子を背負って川を渡った。男の子はみるみるうちに重くなった。それは罪の重さを背負ったイエスだった。以後「キリストを背負う者」という意味のクリストフォロスと呼ばれる。】
こうしてピトゥは望み通りの速さで進むことが出来た。
ピトゥがセバスチャンを運ぶのはこれが初めてではなかったので、セバスチャンも黙って運ばれていた。
こうしてラニー(Largny)に到着した。ピトゥが胸を波打たせていることに気づいたセバスチャンは、もう充分に休んだからいつでもピトゥの歩く速さについていけると話をした。
優しいピトゥは歩みを遅らせた。
半時間後、ピトゥはアラモン(Haramont)村の入口に立っていた。大詩人の歌の調べに従えば、麗しの生まれ故郷に。けだし音楽の力は言葉よりも強い。【フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンによる小説『アバンセラージュ家末裔の恋(Les Aventures du dernier Abencerage)』(1826)より。「うるわしの我が故郷。素晴らしきフランスの日々。我が祖国よ永久に愛さん。/思い出さぬか、囲炉裏端の我らが母を。共に二人、胸に寄りかかり、白き髪に口づけしていたことを?/……」】
二人はアラモンに着くと、辺りを見回し其処が目的地に間違いないか確かめた。
初めに目に留まったのは十字架像だった。信仰の表れとしてよく村の入口に設置されているものだ。
だがパリで進行しつつある無神論の波はアラモンにさえ影響を及ぼしていた。キリストの右手と両足を十字架に打ちつけていた釘が、錆びついて折れていた。キリストは左手だけで磔にされていたというのに、あれだけ触れ歩かれていた自由と平等と友愛の象徴を、ユダヤ人に突き上げられた場所に戻そうとするような敬虔な心の持ち主はいないようだった。
ピトゥは信心深い方ではなかったが、子供の頃から説き聞かされていたので、打ち捨てられたキリスト像には心を痛めた。茂みの中から針金のように細く丈夫な蔓草を見つけると、兜と太刀を草の上に置き、十字架を上って殉死した神の子の右腕を結び直し、両足に口づけをしてから下に降りた。