アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
先述した通り、ピトゥは腹を空かせていたが、それが今は顔色が変わるまでになっていた。
一刻も無駄には出来ない。ピトゥは真っ直ぐパン入れ櫃と食器棚に向かった。
かつて――ピトゥの旅立ちから三週間しか経っていないにもかかわらず「かつて」という言葉を使ったのは、時間というものは長さではなくどんな出来事が起こったかで計るものだと考えているからだ――かつてのピトゥなら、強い悪心か余程の空腹という抗い難い点ではよく似た二つのものに襲われでもしない限り、閉ざされた戸口の前に坐り込んでいただろうし、アンジェリク伯母が戻って来るのをおとなしく待っていただろう。伯母が戻って来たら優しい笑顔で出迎えたであろうし、自ら進んで立ち上がって道を開けたであろう。伯母が家に入ったら自分も家に入ったであろうし、家に入ったらパンとナイフを取りに行き自分の分を計って貰っていたであろう。そして自分の分が切り分けられたら、貪欲な目つきを注いだであろう。馬鹿正直に潤んだ動物磁気を帯びた目つき――食器棚に仕舞われたチーズか砂糖菓子を出さずにいられないほど抗い難いと本人は思っている目つきを注いだであろう。
磁力が功を奏することは滅多になかったが、上手く行くことも時にはあった。
今やピトゥも一人前に成長し、以前のような行動には出なかった。落ち着いてパン入れ櫃を開けると、ポケットから大型のナイフを取り出し、新しく採用された単位に従えば一キロほどパンを四角く切り出した。【※フランスにおいてメートル法は1795年に制定され、1840年より義務化された。『アンジュ・ピトゥ』の舞台は1789年であり、作品発表は1851年。】
それからパンを櫃に戻して蓋を閉めた。
その後、慌てることなく食器棚を開けに行った。
一瞬、アンジェリク伯母の唸り声が聞こえたような気がした。だが食器棚の蝶番が軋んだため、現実の音という圧倒的な力が、想像力の賜物でしかない唸り声を掻き消した。
ピトゥが家の一員になってからというもの、
ある時は前日から油に漬け込んでいた人参と玉葱を添えた
こうして一週間休まず、アンジェリク伯母は慎ましく食事を愛でていた。貴重なご馳走を中断するのはやむを得ぬ必要に迫られた時だけだった。
毎日毎日、美味しい料理を一人で楽しみ、この三週間というもの甥であるアンジュ・ピトゥのことを考えたのは、皿を手に取り料理を口に運ぶほどの回数であった。
ピトゥは運が良かった。
ピトゥが到着した日は月曜日、つまりアンジェリク伯母が米と鶏肉を火に掛けていた日であった。しっかり煮込まれた鶏肉は柔らかい生地に囲まれてはいるものの、骨が剥がれてすっかりとろとろになっていた。
素晴らしいご馳走が深皿に入っている。ただの黒い皿だったがぴかぴかに輝いて見えた。
湖上の小島のように、ご飯の上に肉が散らばり、ジブラルタル海峡にあるセウタの尾根のように、肉の峰々の中に鶏の鶏冠が聳えていた。【※ジブラルタル海峡はスペイン-モロッコ間の海峡。セウタはモロッコ側にあるスペイン領の飛び地であり、アチョ山はヘラクレスの柱の一対と考えられている。】