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 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』58-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 先述した通り、ピトゥは腹を空かせていたが、それが今は顔色が変わるまでになっていた。

 一刻も無駄には出来ない。ピトゥは真っ直ぐパン入れ櫃と食器棚に向かった。

 かつて――ピトゥの旅立ちから三週間しか経っていないにもかかわらず「かつて」という言葉を使ったのは、時間というものは長さではなくどんな出来事が起こったかで計るものだと考えているからだ――かつてのピトゥなら、強い悪心か余程の空腹という抗い難い点ではよく似た二つのものに襲われでもしない限り、閉ざされた戸口の前に坐り込んでいただろうし、アンジェリク伯母が戻って来るのをおとなしく待っていただろう。伯母が戻って来たら優しい笑顔で出迎えたであろうし、自ら進んで立ち上がって道を開けたであろう。伯母が家に入ったら自分も家に入ったであろうし、家に入ったらパンとナイフを取りに行き自分の分を計って貰っていたであろう。そして自分の分が切り分けられたら、貪欲な目つきを注いだであろう。馬鹿正直に潤んだ動物磁気を帯びた目つき――食器棚に仕舞われたチーズか砂糖菓子を出さずにいられないほど抗い難いと本人は思っている目つきを注いだであろう。

 磁力が功を奏することは滅多になかったが、上手く行くことも時にはあった。

 今やピトゥも一人前に成長し、以前のような行動には出なかった。落ち着いてパン入れ櫃を開けると、ポケットから大型のナイフを取り出し、新しく採用された単位に従えば一キロほどパンを四角く切り出した。【※フランスにおいてメートル法は1795年に制定され、1840年より義務化された。『アンジュ・ピトゥ』の舞台は1789年であり、作品発表は1851年。】

 それからパンを櫃に戻して蓋を閉めた。

 その後、慌てることなく食器棚を開けに行った。

 一瞬、アンジェリク伯母の唸り声が聞こえたような気がした。だが食器棚の蝶番が軋んだため、現実の音という圧倒的な力が、想像力の賜物でしかない唸り声を掻き消した。

 ピトゥが家の一員になってからというもの、吝虫しわむしな伯母はご馳走を引っ込めていた。ご馳走というのは例えばマロワール・チーズやキャベツの脂身巻きのことだ。ところがこの大食漢が地元を離れてからというもの、伯母は一週間休まず食べ応えのあるものを作ったり、欠かさず贅沢したりしていた。

 ある時は前日から油に漬け込んでいた人参と玉葱を添えた牛肉の煮込みブッフ・ア・ラ・モード。またある時は子供の頭や長い南瓜ほどもある馬鈴薯の入った羊肉のシチュー。またある時は葱を入れ酢漬けのエシャロットで風味を高めた仔牛の脚肉。またある時は浅葱アサツキとパセリで彩りしたり、老嬢の食事としては腹を空かせた日でも一つで充分なほどの脂身を幾つも並べたりした、大きなフライパンで作った巨大なオムレツ。

 こうして一週間休まず、アンジェリク伯母は慎ましく食事を愛でていた。貴重なご馳走を中断するのはやむを得ぬ必要に迫られた時だけだった。

 毎日毎日、美味しい料理を一人で楽しみ、この三週間というもの甥であるアンジュ・ピトゥのことを考えたのは、皿を手に取り料理を口に運ぶほどの回数であった。

 ピトゥは運が良かった。

 ピトゥが到着した日は月曜日、つまりアンジェリク伯母が米と鶏肉を火に掛けていた日であった。しっかり煮込まれた鶏肉は柔らかい生地に囲まれてはいるものの、骨が剥がれてすっかりとろとろになっていた。

 素晴らしいご馳走が深皿に入っている。ただの黒い皿だったがぴかぴかに輝いて見えた。

 湖上の小島のように、ご飯の上に肉が散らばり、ジブラルタル海峡にあるセウタの尾根のように、肉の峰々の中に鶏の鶏冠が聳えていた。【※ジブラルタル海峡はスペイン-モロッコ間の海峡。セウタはモロッコ側にあるスペイン領の飛び地であり、アチョ山はヘラクレスの柱の一対と考えられている。】

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『アンジュ・ピトゥ』58-2

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 フォルチエ神父のところから辞したピトゥを、二十人ほどの集団が待ち構えていた。ピトゥがどんな恰好をしているのかという噂はもう村中を駆け巡っていたので、そのおかしな恰好はこの集団にもある程度は知られていた。ピトゥが暴動のあったパリから戻って来たのを見て、ピトゥも暴動に参加したものだと考え、最新の情報を知りたがっていた。

 ピトゥは情報を例の如く厳かに伝え、バスチーユ襲撃のことや、ビヨやマイヤールやエリーやユランの偉業を語った。如何にしてビヨがバスチーユの堀に嵌ったか。如何にしてピトゥが引っ張り上げたか。そして一週間ほど囚われていたジルベール医師を如何にして助けたか。

 ピトゥの話はほとんどがとうに知られていた内容だったが、詳しい話を何処で知ったかといえば新聞を読んだからであった。新聞記者がどれだけ興味深い記事を書こうとも、目撃者がじかに語る話には勝てない。遮られても続きを話すことが出来るし、質問されれば答えることも出来る。

 而してピトゥは話を続け、質問に答えた。遮られればにこやかに応じ、愛想良く答えを返して、詳しい事情を伝えた。

 こうしてソワッソン街には人が押し寄せ、フォルチエ神父の門前で話を聴いていた。一時間もした頃、一人がピトゥの顔に不安らしきものが浮かんでいるのに気づいて、言葉を発するまでに至った。

「この子は疲れてるじゃないか、可哀相に。こんなところに引き留めてないで、アンジェリク伯母さんのところに行かせてやろう。ピトゥが帰ったらあの婆さんも喜ぶぞ」

「疲れてるわけじゃありません。お腹が空いてるんです。疲れたことなんてないのに、何でお腹は空いてばかりなんでしょうね」

 このように正直に打ち明けられると、人々はピトゥの食慾に感心して、鄭重に道を開けた。斯くしてピトゥは人一倍好奇心の強い者たち数人にまとわりつかれたまま、プリューへの道――即ちアンジェリク伯母の家まで道をたどった。

 アンジェリク伯母は不在だった。ご近所づきあいのさなかと見えて、扉は閉まっていた。

 家まで食べに来いと言ってくれる人も何人もいたが、ピトゥは毅然として辞退した。

「でもピトゥ、伯母さんの家は閉まってるよ」

「伯母の家の扉であれば、飢えた素直な甥っ子を前にして閉じたままでなんかいないのです」ピトゥは仰々しく応えた。

 太刀を抜いたピトゥを見て女子供が後ずさったが、ピトゥは錠前の舌と受座の間に切っ先を入れて力を加えた。すると扉が開き、感嘆の声があがった。老嬢の怒りを恐れず敢行するのを見ては、誰もがピトゥのやったことを認めないわけにはいかなかった。

 家の中はピトゥがいた頃のままだった。例の革椅子が王様のように部屋の真ん中にましまし、脚の取れた数脚の椅子(chaises)や腰掛け(tabourets)がちんばの宮廷を作り出していた。奥にはパン入れ櫃(la huche)があり、右には食器棚、食器棚の向かいには暖炉があった。【※「例の椅子」…第2章参照。アンジェリク伯母は金貨を椅子のクッションの中に隠している】

 ピトゥはにこやかな微笑みを浮かべて家に足を踏み入れた。みすぼらしい家具には不満などない。それどころかどれも少年時代の友人たちだった。なるほど確かにアンジェリク伯母と同じくらい手強い相手ではあったが、戸棚をひとたび開けば中にはめぼしいものが入っている。アンジェリク伯母の中身を開いたところで心の中はいっそう冷たく厳しいのとは大違いである。

 こういったことが間違いないということを、すぐさまピトゥは実演して見せた。ピトゥを追いかけて来た人々は、そうした様子を窺い、アンジェリク伯母が帰って来たら何が起こるか知りたくて外から眺めていた。

 しかもこのうち何人かがピトゥに心から共感していたのは明白であった。

『アンジュ・ピトゥ』58-1

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

第五十八章 語形間違い一つと構文間違い三つのせいで伯母に罵られ追い出されたピトゥが、今度は鶏飯(volaille au riz)のためにまたもや罵られ追い出された次第

 ピトゥはフザンドリ(la Faisanderie)と呼ばれている狩り場を通って緊張もせずヴィレル=コトレに足を踏み入れ、舞踏場を通り抜けた。三週間前にカトリーヌを連れ出した舞踏場もその週には無人になっていた。【※第7章、ダンスの日は1789年7月12日(日)。】

 この三週間の間、ピトゥにもフランスにもあまりにたくさんのことが起こっていた。

 西洋栃マロニエの並木道をたどり、城館前の広場に至った。ここに来たのはフォルチエ神父の学校(collège)の裏門(la porte de derrière)を叩くためだ。

 ピトゥがアラモンを去ったのは三年前のことだったが、ヴィレル=コトレを離れたのはほんの三週間前のことだった。だからアラモンに一人の知り合いもなくヴィレル=コトレにはいるのは単純明快なことである。

 情報は瞬く間に村中に広まった。ピトゥがセバスチャン・ジルベールと一緒に帰って来たことや、二人が学校の裏口から入ったことや、セバスチャンがほとんど変わっていないことや、ピトゥが兜と太刀を身につけていること。

 然るが故に正門(la grande porte)に人が群がっていた。ピトゥがくぐり戸(la petite porte)から招き入れられたのであれば、ソワッソン街(la rue de Soissons)の正門から出て来るのではないかと考えたからだ。

 その道の先にプリュー(Pleu(x))がある。【※プリュー/プルー(Pleux)には伯母が住んでいる。】

 実際のところピトゥがフォルチエ神父のところにいたのは、医師の手紙とセバスチャン・ジルベールと宿代の大型ルイ五枚を神父の姉(sa sœur)に預ける間にしか過ぎなかった。

 巨大な兵士が庭の門をくぐって来るのを見て、初め老姉は恐怖に囚われた。だが龍騎兵の兜の下から穏やかな真面目顔が覗いているのに気づいて、不安はだいぶ和らいだ。

 そして大型ルイ五枚を見るに及んで不安は完全に吹き飛んだ。

 老嬢が恐れを抱いたのもやむを得まい。フォルチエ神父が生徒(ses élèves)を連れて散歩に出てしまい、家には自分一人きりだと気づいてしまったのだから。

 ピトゥは手紙と大型ルイ五枚を預けると、セバスチャンを抱きしめ、軍人のように勇ましく兜をかぶって立ち去った。

 セバスチャンはぼろぼろと涙を流した。長い別れになるわけでもあるまいし、人づきあいが楽しくないわけでもあるまいに。それでもピトゥの笑い声や優しさや心遣いがジルベールの心には温かかった。ピトゥには大きなニューファンドランド犬のようなところがあった。時にうんざりさせられるものの、ぺろぺろと舐められると怒りも解けてしまうような存在。

 セバスチャンの悲しみを和らげたのは、何度も会いに来るというピトゥの約束だった。ピトゥの悲しみを和らげたのは、セバスチャンの感謝だった。

 ではここらで我らが主人公に倣い、フォルチエ神父の家からプリューの外れにあるアンジェリク伯母の家に移動しよう。

『アンジュ・ピトゥ』57-5

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 その間セバスチャンは十字架の足許にひざまずいて祈りを捧げていた。誰のために祈っていたのかは知るべくもない。

 恐らくは、森の木々の下に見つかればいいと願っていた幼少期の景色のために。恐らくは、見たことのない見知らぬ母のために。何となれば母なるものは、実際に乳を与えることがなくとも、九か月にわたって血で子を育てたのだから。【※血で子を育てた=母胎で育てた】

 ピトゥは神聖な行為を終えると、兜を頭に戻し、太刀をベルトに留めた。

 セバスチャンは祈りを終えると、十字を切ってからピトゥの手を取った。

 そうして二人は村に足を踏み入れ、ピトゥが生まれセバスチャンが育った藁葺きの家に向かった。

 アラモンをよく知っていたピトゥだったが、藁葺きの家を見つけられずにいた。仕方なく人にたずねてみると、教えられたのはスレート屋根のある石造りの小屋だった。

 庭は塀で囲われていた。

 アンジェリク伯母は妹の家を売り払っていたのだ。新しい所有者は当然ながら家をすっかり滅茶苦茶にしてしまった。以前なら壁は上から下まで何度も塗り直されていたし、以前なら扉には猫用の出入口が付けられていた。以前なら窓の半分にはガラスが嵌められ、もう半分に貼られた紙にはピトゥが棒で書いた拙い字が並んでいた。藁葺き屋根には緑の苔と、花を咲かせたサボテンが育っていた。

 それがすべてなくなっていた。何もかも。

 閉じた扉の敷居の上で太った黒猫がピトゥに牙を剥いた。

「ねえセバスチャン」ピトゥの目には涙が浮かんでいた。「行きましょう。あそこならきっと何も変わってませんよ」

 そう言ってピトゥは母の眠る墓地にセバスチャンを連れて行った。

 確かに何も変わっていなかった。雑草がはびこっていること以外は。雑草が墓地中にはびこっていたので、母の墓を見つけることさえ難しかった。

 墓地には幸いなことに雑草だけでなく枝垂れ柳の枝も生えており、枝は三、四年で大きく育っていた。ピトゥは柳に向かって進み、影の落ちている地面に口づけした。無意識に畏敬を覚えてキリストの両足に口づけしたように。

 立ち上がると、柳の枝が風に揺れてまとわりつくようにたなびいていた。

 ピトゥは腕を伸ばして枝を胸に掻き抱いた。

 それはまるで最後に抱きしめていた母の髪のようだった。

 二人がしばらく墓地で安らいでいるうちに、日は傾いていた。

 墓を後にしなくてはならない。ピトゥのことを忘れずにいたのはこの墓だけだろうというのに。

 ピトゥは立ち去る前に柳の枝を折って兜に挿そうとしたが、直前で思い留まった。

 この柳の根はきっと、遺体の眠っている剥げた樅の棺を包み込んでいる。その枝を折れば母が痛がるような気がした。

 だから改めて地面に口づけをしただけで、セバスチャンの手を取って墓地を後にした。

 誰もが畑や森で働いていたから、ピトゥの姿を目にした人自体が少なかったうえに、兜と太刀ですっかり変わって見えたから、気づいた者も皆無だった。

 ピトゥはヴィレル=コトレに向かった。道の大半が森を貫いているので、つらいことから気持を逸らすような生き物や動く物には事欠かなかった。

 セバスチャンも同じように物思いに耽りながら無言でついて行った。

 ヴィレル=コトレに到着したのは夕方の五時頃だった。

 

 第57章おわり。第58章に続く。

PROFILE

東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 本好きが高じて翻訳小説サイトを作る。
  • 翻訳が高じて仏和辞典Webサイトを作る。

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