アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
「何てむごい」
「きっと今ごろは、パリとヴェルサイユの貴族はみんな殺されているか火あぶりにされているに違いありません」
「非道い!」カトリーヌが呟いた。
「非道い? どうして? ビヨさん、あなたは貴族じゃないのに」
「ピトゥさん」カトリーヌが力を振り絞って「パリに行く前はそんなに残忍じゃなかったはずなのに」
「前より残忍だなんてことはありません」ピトゥは激しく狼狽えた。「でも……」
「だったらパリの人たちのやった犯罪を自慢しないで。キミはパリの人間じゃないんだし、罪を犯したわけでもないんでしょ」
「ほとんど何も出来ませんでした。ビヨさんとボクはベルチエさんを守って殺されそうになったんです」【※第42章参照。】
「やっぱりパパは勇敢だったんだ」
「あの人らしいよ」ビヨ夫人が目を潤ませた。「それで、あの人はどうなったんだい?」
ピトゥはグレーヴ広場の惨劇やビヨの絶望やヴィレル=コトレに帰りたがっていたことを語った。
「どうして帰って来ないの?」カトリーヌの声の響きがピトゥの心を抉った。占い師に不吉な予言を告げられたように、胸に深く突き刺さった。
ビヨ夫人が両手を合わせた。
「ジルベールさんにそのつもりがないんです」
「ジルベールさんはうちの人が死んでもいいっていうのかい?」ビヨ夫人がしゃくり上げた。
「うちが滅茶苦茶になってもいいっていうの?」カトリーヌも悲痛な声をあげた。
「そんなことはありません! ビヨさんはジルベールさんと同意のうえで、もう少しだけパリに残って革命を最後までやり遂げるつもりなんです」
「二人だけでそんなことを?」ビヨ夫人がたずねた。
「ほかにラファイエットさんとバイイさんも」
「ほんとかい!」ビヨ夫人が感嘆の声をあげた。「ラファイエットさんとバイイさんも一緒なら……」
「いつ帰って来るつもりなの?」カトリーヌがたずねた。
「ボクにはわかりません」
「だったらキミが帰って来た事情は?」
「フォルチエ神父のところにセバスチャン・ジルベールを連れて行き、ここにビヨさんの言伝をお伝えしに来たんです」
そう言うとピトゥは立ち上がった。公使めいた威厳が見え隠れしていることに、使用人連中はともかく主人格なら気づくことが出来た。
ビヨ夫人も立ち上がって人払いした。
カトリーヌは坐ったまま、ピトゥが口を開く前に頭の奥の奥まで見透かそうとしていた。
――パパからはいったいどんな話があるのだろう?
第59章終わり。第60章に続く。