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翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』59-6

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「何てむごい」

「きっと今ごろは、パリとヴェルサイユの貴族はみんな殺されているか火あぶりにされているに違いありません」

「非道い!」カトリーヌが呟いた。

「非道い? どうして? ビヨさん、あなたは貴族じゃないのに」

「ピトゥさん」カトリーヌが力を振り絞って「パリに行く前はそんなに残忍じゃなかったはずなのに」

「前より残忍だなんてことはありません」ピトゥは激しく狼狽えた。「でも……」

「だったらパリの人たちのやった犯罪を自慢しないで。キミはパリの人間じゃないんだし、罪を犯したわけでもないんでしょ」

「ほとんど何も出来ませんでした。ビヨさんとボクはベルチエさんを守って殺されそうになったんです」【※第42章参照。】

「やっぱりパパは勇敢だったんだ」

「あの人らしいよ」ビヨ夫人が目を潤ませた。「それで、あの人はどうなったんだい?」

 ピトゥはグレーヴ広場の惨劇やビヨの絶望やヴィレル=コトレに帰りたがっていたことを語った。

「どうして帰って来ないの?」カトリーヌの声の響きがピトゥの心を抉った。占い師に不吉な予言を告げられたように、胸に深く突き刺さった。

 ビヨ夫人が両手を合わせた。

「ジルベールさんにそのつもりがないんです」

「ジルベールさんはうちの人が死んでもいいっていうのかい?」ビヨ夫人がしゃくり上げた。

「うちが滅茶苦茶になってもいいっていうの?」カトリーヌも悲痛な声をあげた。

「そんなことはありません! ビヨさんはジルベールさんと同意のうえで、もう少しだけパリに残って革命を最後までやり遂げるつもりなんです」

「二人だけでそんなことを?」ビヨ夫人がたずねた。

「ほかにラファイエットさんとバイイさんも」

「ほんとかい!」ビヨ夫人が感嘆の声をあげた。「ラファイエットさんとバイイさんも一緒なら……」

「いつ帰って来るつもりなの?」カトリーヌがたずねた。

「ボクにはわかりません」

「だったらキミが帰って来た事情は?」

「フォルチエ神父のところにセバスチャン・ジルベールを連れて行き、ここにビヨさんの言伝をお伝えしに来たんです」

 そう言うとピトゥは立ち上がった。公使めいた威厳が見え隠れしていることに、使用人連中はともかく主人格なら気づくことが出来た。

 ビヨ夫人も立ち上がって人払いした。

 カトリーヌは坐ったまま、ピトゥが口を開く前に頭の奥の奥まで見透かそうとしていた。

 ――パパからはいったいどんな話があるのだろう?

 
 
 第59章終わり。第60章に続く。

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『アンジュ・ピトゥ』59-5

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 ファン・オスターデ(Van Ostade)やブラウエル(Brauwer)の絵画に描かれたフランドル人のように、カトリーヌはだらだらと階段を降りて来た。【※Adriaen Van Ostade(1610-1685)、フランドルの画家。Adriaen Brauwer(1605-1638)、フランドルの画家。いずれも同門でオランダの農民の日常を描いた画家であり、flegme という作風ではない。】

「あら、ピトゥじゃない」一階に降りたカトリーヌが声をあげた。

 ピトゥが顔を赤らめて身体を震わせ、お辞儀した。

「兜をかぶってたんですよ」女中がカトリーヌに耳打ちした。

 その言葉を聞いたピトゥは、反応を確かめようとしてカトリーヌの顔を窺った。

 愛らしい顔が若干青ざめはしたものの、相変わらずふくよかでつやつやとしていた。

 だがピトゥの兜に対してはまるっきり感心した様子は見せなかった。

「兜? 何で?」

 今回ピトゥの胸に渦巻いたのは憤りの感情だった。

「兜と刀を持ってるのは――」ピトゥは胸を張って答えた。「どうしてかと言うと、龍騎兵やスイス人衛兵と戦い、やっつけたからです。お疑いならお父上に聞いてみて下さい。簡単なことです」

 何かに気を取られているようなカトリーヌの耳に届いたのは、ピトゥの返事の終盤だけのようだった。

「パパはどうしたの? どうして一緒に帰って来てないの? パリはいま非道い状態なの?」

「とても非道い状態です」

「全部うまく行っていると思っていたのに」

「うまく行きました。でも何もかもが混乱しているんです」

「国民と王様の話はまとまらなかったの? ネッケルさんは復帰しなかったの?」

「ネッケルさんのことは順調に行ってます」ピトゥは誇らしげに答えた。

「それでもみんな納得しなかったの?」

「納得したからこそ、復讐に励んで敵対者を殺しているところなんです」

「敵対者?」カトリーヌが驚きの声をあげた。「誰が国民(peuple)の敵だっていうの?」

「そりゃ貴族のことですよ」

 カトリーヌの顔から血の気が引いた。

「どんな人が貴族だというの?」

「決まってるじゃないですか。広い土地を持っていて――立派な城館を持っていて――国民(nation)を飢えさせて――ボクらは何も持っていないのに何でも持っている人たちのことです」

「ほかには?」カトリーヌが急かした。

「ボクらが歩いているというのに立派な馬と立派な馬車を持っている人たちです」

「そうなんだ」カトリーヌの顔色は土気色にまで変わっていた。

 ピトゥも顔色の変化に気づいた。

「あなたたちの知り合いも貴族ですよ」

「わたしの知り合いが?」

「あたしたちの知り合いが?」ビヨ夫人も声をあげた。

「誰のことよ?」カトリーヌが問いただした。

「例えばベルチエ・ド・ソーヴィニーさんです」

「ベルチエ・ド・ソーヴィニーさんが?」

「イジドールさんとダンスした日につけていた金の耳飾り(les boucles d'or)をくれたじゃありませんか」

「それで?」

「心臓を食べられているのを見ました。ボクのこの目で」

 恐怖の絶叫がほとばしり、カトリーヌが坐っていた椅子に崩れ落ちた。

「実際に見たのかい?」ビヨ夫人が恐ろしさに震えながらたずねた。

「ビヨさんも見ました」

『アンジュ・ピトゥ』59-4

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「わかったよ、じゃあ続きを」

「続きを話すのはカトリーヌさんが来てからにします。長い話なので」

 何人かが洗濯場まで走ってカトリーヌを捜した。

 だが誰もがあちこちと走り回っている間に、ピトゥは何気なく二階に通ずる階段に目を向けた。階下から吹き上げる風が二階まで空気の流れを作り出し、扉が開くと、窓を見ているカトリーヌが見えた。

 カトリーヌは森の方を見ていた。言い換えるならブルソンヌ(Boursonne)の方を。

 カトリーヌは見つめるのに夢中で、階下の騒ぎにもまったく慌てていなかったし、屋内のことにもとんと気を留めずに、家の外で起こっていることだけに目を注いでいた。

「ああ」ピトゥは溜息をついた。「森の方、ブルソンヌの方、イジドール・ド・シャルニーの方、つまりそう言うことだ」

 そして再び溜息をついた。先ほどよりもずっとつらそうな溜息だった。

 その時、探しに行っていた者たちが洗濯場をはじめカトリーヌのいそうなところから戻って来た。

「どうだった?」ビヨ夫人がたずねた。

「見当たりません」

「カトリーヌ!」

 ビヨ夫人の声は娘には届いていなかった。

 ピトゥが思い切ってビヨ夫人に伝えた。

「ビヨおばさん、カトリーヌさんが洗濯場で見つからないのは当然です」

「どうしてだい?」

「洗濯場にはいないからです」

「居場所を知ってるのかい?」

「はい」

「何処だい?」

「二階です」

 ピトゥは夫人の手をつかんで階段を何段か上り、カトリーヌが朝顔と木蔦で囲われた窓縁に坐っているのを見せた。

「おや髪を結ってるよ」

「それどころか完璧に結ってますよ」ピトゥが苦しげに声を出した。

 ビヨ夫人はピトゥの苦悩には気づかず、大きな声で呼びかけた。

「カトリーヌ!」

 カトリーヌは吃驚して身体を震わせ、慌てて窓を閉めた。

「何?」

「早くおいで」ビヨ夫人は自分の言葉がもたらすであろう効果を疑いもしていなかった。「アンジュがパリから帰って来たよ」

 ピトゥはカトリーヌの返事におそるおそる聞き耳を立てた。

「そう」カトリーヌは素っ気なかった。

 ピトゥの胸が締めつけられ打ちのめされた。

『アンジュ・ピトゥ』59-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「王様は?」ビヨ夫人がたずねた。

 ピトゥは首を横に振って、国王には屈辱的なことに舌打ちをした。

「お后様は?」

 今度は返答すらしなかった。

「そうなのかい!」ビヨ夫人が声をあげた。

「そうなのか!」居合わせた人々も同じく声をあげた。

「いろいろ話しておくれ」ビヨ夫人が改めてピトゥに言った。

「何でも聞いて下さい」ピトゥは注目を浴びるような話をカトリーヌのいないところで口にしたくはなかった。

「何で兜をかぶってるんだい?」ビヨ夫人がたずねた。

「戦利品です」

「戦利品?」

「そうなんです」ピトゥは大人が子供に説明して聞かせる時のような笑みを見せた。「ご存じないかもしれませんが、戦利品っていうのは敵を倒した時のものです」

「あんたが敵の一人を倒したっていうのかい?」

「一人ですって?」ピトゥが教え諭すように言った。「そうかビヨおばさんは知らないんですもんね、バスチーユを占拠したのはボクたち二人、ビヨさんとボクなんです」

 その言葉を聞いた者たちは魔法に打たれたようになった。昂奮した人々の息がピトゥの髪にかかり、椅子の背に何人もの手が掛けられた。

「話しとくれよ、うちの人のことを」ビヨ夫人が誇りと不安の入り混じった声を出した。

 ピトゥはカトリーヌが戻ってやしないかと改めて確かめたが、まだ姿はない。

 こうしてピトゥが最新の情報を持ち帰っているというのに、洗濯物から離れないでいるとは許しがたい。

 ピトゥは首を振った。不機嫌になりかけていた。

「話すのにはだいぶ時間がかかります」

「お腹が空いてる?」

「そうですね」

「水は?」

「いただけますか」

 馬丁や下男下女がすぐに行動に移った。ピトゥの頼みを考えて理解するよりも先に、水差しやパンや肉やあらゆる果物をピトゥに届けていた。

 現地の言い方に倣うならば、ピトゥは熱い胃袋を持っていた。つまりどれだけ食べても消化できた。だがいくら消化が早くとも、アンジェリク伯母の鶏肉を消化しきるのには早すぎた。まだ三十分も経っていない。

 望みが叶えられるのに思ったほど時間がかからなかったせいだ。それだけ食べ物の出て来るのが早かった。

 これは頑張らねばならないとわかり、ピトゥは食事に取りかかった。

 だが気持だけは強かったものの、すぐに手は止まってしまった。

「どうしたんだい?」ビヨ夫人がたずねた。

「おばさん、実は……」

「飲み物を持って来ておくれ」

「林檎酒がありますから」

「でもきっとブランデーの方がいいんだろうね?」

「ブランデー?」

「パリではしょっちゅう飲んでたんだろう?」

 無邪気なビヨ夫人と来たら、ピトゥが地元を離れていた十二日の間に悪習を身につけて来たと考えていたのだ。

 ピトゥは胸を張ってそんな勘ぐりを退けた。

「ブランデーなんて飲みません!」

PROFILE

東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 本好きが高じて翻訳小説サイトを作る。
  • 翻訳が高じて仏和辞典Webサイトを作る。

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