アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
世の中には相手を魅了したり射すくめたりするような目を持った人間がいる。幻惑と恐怖というこの二つの感覚に囚われた動物は、抵抗など考えることも出来なくなる。
危険もわからず微笑みかける子供のことを暗い目つきでしばらく見つめている牡牛を見たことがないだろうか? あれは憐れんでいるのだ。
同じ牡牛が逞しい農夫に暗く怯えた視線を注いでいるのを見たことがないだろうか? 農夫からじっと見つめられ、動くなという無言の圧力をかけられているのを。牡牛は頭を低くして、戦いに備えているようにも見えるが、四肢は地面から微動だにしない。あれはおののいて眩暈を起こし、恐懼しているのだ。
カトリーヌが周りにいる動物たちに及ぼしていたのも、この二つの力のうち一つだった。カトリーヌは静粛にしてなお毅然としたところもあり、心も広く意思も強く、迷いも恐れも皆無と言ってよかったので、目の前にいる動物も邪な考えを抱こうという気を起こさなかった。
ましてやこの力が理性のある生き物に与える影響は言わずもがなである。この乙女の魔力には逆らいがたく、カトリーヌと話をしていて微笑まぬ人間はこの国にはいなかったし、下心を持つような青年はいなかった。恋心を持つ者は妻に欲しいと願い、恋心を持たぬ者でも妹に欲しいと願ったことだろう。
ピトゥはうなだれて両手を垂らして放心したまま、確認を続ける母娘に機械的について行った。
言葉をかける者はいなかった。悲劇の舞台の衛兵のように佇んでいるだけのピトゥは、兜のせいで紛れもなく異様な風体を晒していた。
備品や動物の確認を終えると、今度は農夫や女中たちの番だった。
ビヨ夫人は自分の前に扇形になるように並ばせた。
「いいかいあんたたち。うちの人はまだパリから帰って来てないけど、代わりに家長(maître)を選んでくれた。
「ここにいる娘のカトリーヌだ。若くてしっかりしてる。あたしは歳を取っているし頭も良くない。うちの人は有能だったからね。この家の今の主人(patronne)はカトリーヌだ。お金の受け渡しはカトリーヌがおこなう。指示があればあたしが真っ先に聞いて実行する。文句があるようならカトリーヌが相手をするよ」
カトリーヌは一言も発さず、愛おしげに母親に口づけした。
この口づけはどんな言葉よりも大きな結果をもたらした。ビヨ夫人は落涙し、ピトゥは心を揺さぶられた。
使用人たちも新しい家長(domination)に喝采を送った。
カトリーヌは直ちに仕事に取りかかり、使用人に務めを割り振った。指示を受けた使用人は、新体制の始まりに相応しくいそいそと退出した。
一人だけ残されたピトゥも、やっとのことでカトリーヌに近寄って声をかけた。
「ボクは?」
「ん? 指示するようなことなんてないよ」
「じゃあ何もせずにここにいろというんですか?」
「何をするっていうのよ?」
「それはもちろん出発前にすべきことをです」
「出発前にママのもてなしを受けてもらうでしょうね」