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翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』60-2

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「こういうことです。ビヨさんはおばさんには苦労させまいと決意していました」

「じゃあ誰に?」カトリーヌは良くも悪くも心を高ぶらせて身体を震わせた。

「ビヨさんが選んだのはもっと強い人間、ビヨさん本人とほかならぬあなたです。ビヨさんはカトリーヌさんに決めたんです」

「カトリーヌが家を切り盛りするのかい?」ビヨ夫人が不審と何らかの嫉妬から声をあげた。

「わたしはママの言う通りにする」カトリーヌが慌てて口を挟んだ。

「駄目です、いけません」飛び込んだからには最後まで突き進んだ。「ちゃんと言伝は伝えますからね。ビヨさんはカトリーヌさんに家業と家事すべてを代理として委譲し認可したんです」

 真実に裏打ちされた言葉の一つ一つが、ビヨ夫人の心に突き刺さった。生来の人の良さゆえに、嫉妬や怒りに燃えるどころか夫が間違うはずがないと確信して、立場を明け渡すこともすんなりと受け入れていた。

 ビヨを裏切ることが出来ようか? ビヨに逆らうことなどあり得ようか?

 ビヨ夫人の行動原理はその二つだけだった。

 だから反論するのはやめた。

 娘の目を見つめてみたが、そこにあったのは謙虚さと信頼感とやる気と優しさと変わらぬ敬意だけであった。ビヨ夫人は完全に身を引くことにした。

「あの人が正しいんだ。カトリーヌは若いし、頭も良くて、芯がある」

「もちろんです」ピトゥは確信した。鋭い評価を投げつけられた瞬間にカトリーヌの自尊心がくすぐられたことを。

「カトリーヌならね」ビヨ夫人が話を続けた。「あたしよりずっと簡単に旅が出来るだろうし、一日通してずっと上手く農夫たちを見ていられるだろうさ。商売だってずっと上手くやれるよ。上手に人を使える子だろうからね」

 カトリーヌが微笑んだ。

「まったくねえ」ビヨ夫人が呟いた。溜息を押し殺すまでもなかった。「このカトリーヌが畑を見て回ったり、財布の紐を締めたりすることになるとは思わなかったよ。この子が一日じゅう外に出て、男の子みたいになるなんて……」

 ピトゥがさも偉そうに口を挟んだ。

「カトリーヌさんのことなら心配いりません。ボクがいますから。ボクは何処までもついて行きますから」

 この気障な申し出にピトゥも何らかの効果を期待していたであろうが、カトリーヌから送られて来たのが奇妙な眼差しだったものだからピトゥも面食らってしまった。

 カトリーヌの顔は赤く染まっていたが、それは歓喜に染まったご婦人の顔ではなかった。その赤い色合いは相反するしるしの表れであり、カトリーヌにとって第一の規範である魂の働き、即ち怒りと苛立ち、口を開きたい気持と閉ざさざるを得ない状況という、相反する働きの表れであった。

 野暮なピトゥにはこの顔色の違いには気づかなかった。

 それでもカトリーヌが赤面したのはピトゥの伝言を完全に受け入れたわけではないからだということはわかった。

「どうしたんです?」ピトゥはとっておきの笑顔になり、ぶ厚い口唇を開けて立派な歯を見せた。「どうして黙ってるんですか?」

「馬鹿なことを言ったってのがわからないの?」

「馬鹿なことですって?」

「そりゃそうだよ」ビヨ夫人も同意した。「カトリーヌに護衛を付けるつもりかね!」

「でも森の中は……」ピトゥはどうやら心の底から真面目に話しているようだった。笑い事ではなさそうだ。

「それもうちの人の指示かい?」ビヨ夫人が皮肉の才を見せつけた。

「そんなぬくぬくした仕事、パパがピトゥさんに勧めるわけないし、ピトゥさんだって承知しないでしょう?」カトリーヌも言った。

 ピトゥはカトリーヌからビヨ夫人に怯えた目を彷徨わせた。今や足場ががらがらと崩れてしまっていた。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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