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 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』63-2

 実際ピトゥはこう考えていた。人一人が食事をするのに三リーヴルやら十八スーやら掛ける必要はない。ルクッルス(Lucullus)ではないのだ。野兎代の十八スーがあればまるまる一週間は暮らしていける。

 つまり週の初めに野兎一羽を捕えたとするなら、残り七日で三羽は捕えられる計算になる。正確に言うなら七日ではなく七夜である。ということは一週間で一か月分の食料が手に入るということだ。

 その計算で行けば、四十八羽いれば一年を賄える。残りはまるまる純利益だ。

 ピトゥは仔兎を食べながらそんな計算結果をはじき出していた。仔兎は十八スー儲かるどころかバター代一スーと脂身代一スー掛かってしまった。玉葱は村有地から拾って来たものだ。

 食事の後は暖炉か散歩、と諺にある。ピトゥは食事を終えると心地よい寝床を探しに森に出かけた。【※「「Après le repas, le feu ou le pas.」または「Après le repas, le feu, le lit ou le pas (le mouvement). (食事の後は暖炉か寝床か散歩)」。古い諺】

 言うまでもなく、政治の話が済んでまた一人きりになるとすぐに、イジドールがカトリーヌといちゃついていた光景が脳裡に浮かんで来た。

 木楢と椈がピトゥの溜息に震えた。普段なら満腹した胃袋に微笑みかける自然も、ピトゥには当てはまらなかった。それどころか真っ暗で広大な砂漠のようにしか見えず、白兎と野兎とノロジカを除いて何もいないように感じられた。

 祖国の森の大樹の下に寝そべると、木陰の涼しさにいざなわれて、きっぱりと決意を固めた。カトリーヌの目の前から姿を消そう、カトリーヌを束縛するのはよそう、選ばれなかったからといって馬鹿みたいに悲しんではいけない、イジドールと自分を比べてむやみと卑屈になるのはやめだ。

 もうカトリーヌと会わない(ne plus voir)ためには身を切るような努力がいる。だがそれでも、男たるものは男でなければならないのだ。

 もっとも、問題はまったく別のところにある。

 正確に言うなら問題なのはカトリーヌをもう見つめない(ne plus voir)ことではなく、カトリーヌからもう見つめられなくなる(n'être plus vu)ことだ。

 何となれば、巧みに身を潜めた執念き男が通りしなにつれない想い人を時折り目にすることは誰にも防げまい。

 アラモンからピスルーまでの距離は? たった一里半。ほんのひとっ飛びだ。

 ピトゥからしてみればあんな場面を目撃した後でなおもカトリーヌを追いかけ回す勇気はない一方で、カトリーヌの様子や言動を把握し続けることには抜け目がなかった。そのために身体を動かすのはピトゥのような健康児にはうってつけだった。

 そのうえピスルーの向こうに広がる森林一帯は、ブルソンヌに至るまで野兎の宝庫だった。

 夜には罠を仕掛けに行き、翌朝には丘の上から平地を眺めてカトリーヌが出て来るのを待てばよい。それがピトゥの権利であったし、ビヨ氏直々の代理人であるピトゥにとって、ある意味では義務であった。

 こうして自分で自分を励ませば、溜息もやむと考えた。持ち歩いていたパンをたっぷり一切れ食べ、夕方になると罠を十個ばかり仕掛け、陽射しの温もりが残るエリカ(des bruyères)の上に寝転がった。

 そこでピトゥはあらゆる希望を失った人間のように眠った。つまり死んだように眠ったのである。

 夜の冷え込みに目が覚めると、罠を見に行ったが、まだ何も掛かってはいなかった。だがピトゥが当てにしていたのは朝狩りの方だった。今はとにかく頭が重いので、ねぐらに帰って翌日戻って来くることにした。

 だがこの日は、ピトゥにとっては何の異変も騒ぎもなく過ぎた一日であったが、村人にとってはいろいろと考えて様々に頭を巡らして過ごした一日であった。

 この日の中頃、即ちピトゥが森の中で夢を見ていた頃、木樵がまさかりに凭れ、農夫が殻棹を振り上げたまま固まり、建具師が板を削る鉋の手を止めた。

 こうした無為な時間の原因はピトゥにあった。ピトゥこそ雑然と揺らぎ始めた麦わらの中に投じられた波瀾の一吹きだった。

 ところが騒ぎの大元たるピトゥはそんなことをすっかり忘れていた。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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