アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
「ピトゥ、ピトゥ、諺を思い出し給え。
「諺くらい誰にでもありますよ。通りすがりにヴァリュ(Wualu)の葦がボクに囁いた諺をご存じですか?」
「知らん。だが知りたいところだね、ミダス殿」【※「王様の耳は驢馬の耳」で知られる神話より。ミダス王はアポロンの演奏に異を唱えたため耳を驢馬のものにされた。ミダス王は耳を隠していたが髪を切る時それを見た理髪師が、秘密に耐えきれず穴を掘って真実をぶちまける。やがて穴の周りの葦がそれを口にし始めた】
「
「巫山戯おって!」フォルチエ神父が声をあげた。
「意訳してみます。フォルチエ神父は常に優れているとは限らない」
「幸いなことに、告発だけではなく、証明する必要がある」
「そんなの簡単なことです。先生は生徒に何を教えていますか?」
「いったい……」
「論証を続けます。先生が生徒に教えているのはどんなことですか?」
「自分の知っていることだ」
「いま仰ったことを忘れないで下さい。自分の知っていることですね」
「もちろん自分の知っていることだ」神父は狼狽えていた。どうやらピトゥはパリに行っている間に新たな攻撃を学んだらしい。「確かにそう言った。それで?」
「自分の知っていることを生徒に教えるというのでしたら、そもそも何をご存じなのですか?」
「ラテン語、フランス語、ギリシア語、歴史、地理、算術、代数、天文学、植物学、古銭学」
「まだありますか?」
「いったい……」
「考えて下さい」
「図画」
「ほかには?」
「建築学」
「ほかには?」
「力学」
「それは数学の一分野ですが、まあいいでしょう。ほかには?」
「はてさて、目的地は何処かな?」
「単純明快です。先生はいま知っていることをたくさん数え上げましたが、今度は知らないことを数え上げて下さい」
神父は震え上がった。
「そうですね、お手伝いしなくてはなりませんよね。先生はドイツ語とヘブライ語とアラビア語とサンスクリット語という四つの祖語が出来ません。派生語族は無数にあるので言い切れませんが。先生は博物学と化学と物理学が出来ません」
「ピトゥ君(Monsieur Pitou)……」
「まだ話は済んでません。先生は物理学と平面三角法が出来ません。医学と音響学と航海術を知りません。運動競技(sciences gymnastiques)に関して何も知りません」
「何だって?」
「運動競技と言ったんです。ギリシア語で『gymnaza exercæ』、『gymnos』即ち『裸の』に由来します――というのも、古代ギリシアの陸上競技は裸でおこなわれたからです」【※「gymnaza exercæ」というギリシア語は見つからなかった】
「どれもこれも私が教えたことではないか」神父もようやく立ち直りかけて来た。
「仰る通りです」
「事実を認めるのは良いことだ」
「ありがとうございます。でも今は先生が知らないことを……」
「もうよい。出来ぬこと以上に知らぬことが多いのは間違いなかった」