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翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』64-5

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「ピトゥ、ピトゥ、諺を思い出し給え。ピトゥエウス・アンゲルスハ愚カナリPitoueus Angelus asinus est

「諺くらい誰にでもありますよ。通りすがりにヴァリュ(Wualu)の葦がボクに囁いた諺をご存じですか?」

「知らん。だが知りたいところだね、ミダス殿」【※「王様の耳は驢馬の耳」で知られる神話より。ミダス王はアポロンの演奏に異を唱えたため耳を驢馬のものにされた。ミダス王は耳を隠していたが髪を切る時それを見た理髪師が、秘密に耐えきれず穴を掘って真実をぶちまける。やがて穴の周りの葦がそれを口にし始めた】

フォルチエルス院長ハ偶サカニ強シFortierus abbas forte fortis

「巫山戯おって!」フォルチエ神父が声をあげた。

「意訳してみます。フォルチエ神父は常に優れているとは限らない」

「幸いなことに、告発だけではなく、証明する必要がある」

「そんなの簡単なことです。先生は生徒に何を教えていますか?」

「いったい……」

「論証を続けます。先生が生徒に教えているのはどんなことですか?」

「自分の知っていることだ」

「いま仰ったことを忘れないで下さい。自分の知っていることですね」

「もちろん自分の知っていることだ」神父は狼狽えていた。どうやらピトゥはパリに行っている間に新たな攻撃を学んだらしい。「確かにそう言った。それで?」

「自分の知っていることを生徒に教えるというのでしたら、そもそも何をご存じなのですか?」

「ラテン語、フランス語、ギリシア語、歴史、地理、算術、代数、天文学、植物学、古銭学」

「まだありますか?」

「いったい……」

「考えて下さい」

「図画」

「ほかには?」

「建築学」

「ほかには?」

「力学」

「それは数学の一分野ですが、まあいいでしょう。ほかには?」

「はてさて、目的地は何処かな?」

「単純明快です。先生はいま知っていることをたくさん数え上げましたが、今度は知らないことを数え上げて下さい」

 神父は震え上がった。

「そうですね、お手伝いしなくてはなりませんよね。先生はドイツ語とヘブライ語とアラビア語とサンスクリット語という四つの祖語が出来ません。派生語族は無数にあるので言い切れませんが。先生は博物学と化学と物理学が出来ません」

「ピトゥ君(Monsieur Pitou)……」

「まだ話は済んでません。先生は物理学と平面三角法が出来ません。医学と音響学と航海術を知りません。運動競技(sciences gymnastiques)に関して何も知りません」

「何だって?」

「運動競技と言ったんです。ギリシア語で『gymnaza exercæ』、『gymnos』即ち『裸の』に由来します――というのも、古代ギリシアの陸上競技は裸でおこなわれたからです」【※「gymnaza exercæ」というギリシア語は見つからなかった】

「どれもこれも私が教えたことではないか」神父もようやく立ち直りかけて来た。

「仰る通りです」

「事実を認めるのは良いことだ」

「ありがとうございます。でも今は先生が知らないことを……」

「もうよい。出来ぬこと以上に知らぬことが多いのは間違いなかった」

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『アンジュ・ピトゥ』64-4

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「此処にいた頃にはどうして今のような返答が出来なかったのだ?」

「だって此処にいた頃には、先生のせいでちゃんと考えられなかったからです。先生が高圧的だったせいで、自由になったら外側に出て来たものもみんな、頭脳や記憶の中に押し込められていたからです。自由ですよ、わかりますか?」ピトゥは調子に乗って続けた。「自由です!」

「愚か者め!」

「先生」ピトゥの声には警告の色が含まれていたし、脅迫の色さえ皆無ではなかった。「侮辱はやめて下さい。『Contumelia non argumentum』。辯論家も言っています、侮辱には論拠がないと」

「どうも此奴は自惚れているようだな。自分の言葉をわざわざ私のためにラテン語から翻訳する必要があると思っているらしい」神父が激怒して声をあげた。

「このラテン語はボクじゃなくてキケロの言葉です。先生だってキケロに鑑みればご自身の語形間違いに気づくはずです。ボクが先生のラテン語に照らして間違いに気づくように」

「私が君と議論するとは思わないで欲しいものだ」

「何故ですか? 議論によって閃きが生まれるのでは。燧石ノ徙移シメシ隠サレシAbstrusum versis silicum」【※ウェルギリウス「silicis venis abstrusum(燧石の石目に隠されし)」を誤って「Abstrusum versis silicum(複数の燧石の移された隠された)」としている。『農耕詩』1-135より、人間が経験によって技術を身につけてゆく描写】

「情けない!」フォルチエ神父が叫んだ。「此奴が行っていたのは革命家の学校か」

「そんなことありません。先生は革命家が愚かで無智だと仰ってるんですよね」

「その通りだ」

「その理屈は間違ってます。三段論法の立て方が間違ってるんです」

「間違っているだと? 三段論法の立て方が間違っているだと?」

「そうです。ピトゥは論理的に考えて話すことが出来る。ピトゥは革命家の学校に通っていた。ゆえに革命家は論理的に考えて話すことが出来る。こんなの無理があります」

「人でなしのけだものの低脳めが!」

「言葉の暴力はやめて下さい。誹謗即チ閑カナル心ヲ明ラカニスObjurgatio imbellem animum arguit。怒るのは弱い証拠です」【※Objurgātiō[Objurgatio](叱責:f・単・主格/呼格)、imbellem(平和的な:m/f・単・対格[~を])、animum(心・魂・勇気・意思:m・単・対格)、arguit(示す・主張する・叱る・非難する:三・単・直説法・能動態・現在形)=「叱責は平和的な心を示す・非難する」 フランス語の意味とは逆になるか?】

 神父は肩をすくめた。

「答えて下さい」ピトゥが言った。

「革命家は論理的に話すことも考えることも出来ると言ったな。だったら教えてくれぬか。その連中の中から、読み書き出来る者を一人でよい」

「ボクです」ピトゥは安心して答えた。

「読みについては目をつぶろう。だが書くのはどうだ?」

「書けますとも!」

「正しい綴りでなければ書けるだろうとも」

「正しく綴れます」

「賭けるかね? これから口述する一節を四つ以上間違わずに書き取れると」

「賭けますか? ボクが口述する半節を二つ以上間違わずに書き取れると」

「やってみ給え」

「わかりました。いま分詞と再帰動詞を見繕いますから。そこにボクの知っている『que』を幾つか加えて、賭けに応じましょう」

「時間があればそうしたいところだが」

「どうせ負けますよ」

『アンジュ・ピトゥ』64-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 セバスチャンはフォルチエ神父が二日前から誰彼構わずにピトゥのことを話していたのを知っていたので、遠からず勃発するに違いない言い争いには居合わせぬが吉だと考え、そっと退出した。

 ピトゥはセバスチャンが立ち去るのを見て心を痛めた。強固な同盟関係ではなかったにしろ、同じ党派の子供だった。

 だからセバスチャンが戸口から姿を消すと、ピトゥは溜息をついて神父に向き直った。

「先生、なぜ革命家だなんて呼ぶんですか? 革命のきっかけがボクだとでも?」

「革命を起こした者たちと一緒にいたではないか」

「先生」ピトゥは「どんな考えを持つかはその人の自由です」

「そうだが?」

意思ト理性ヲ司ルハ人ナリEst penes hominem arbitrium et ratio

「ほう、ラテン語がわかるのか?」

「先生に教わったことはわかります」ピトゥは控えめに答えた。

「そうだな、語形間違いに改められ、歪められ、悪化させられ、彩られていたが」【Est penes hominem arbitrium et ratio. est(~である:三人称単数現在)、penes(~に支配されて/~で/~に関して:前置詞[対格と共に用いる])、hominem(人:単数対格[~を]) arbitrium(思惑:単数主格)、et(と)、ratio(理性:単数主格)。「意思と理性は人の支配下にある」。単数形「est」となっているが正しくは複数形「sunt」か。】

「でも先生、誰にだって間違いはあるじゃありませんか」

「何だと?」神父は目に見えて傷ついた顔をした。どうやらピトゥは拡大解釈しようとしているらしい。「この私も語形間違いをすると考えているのか?」

「先生よりもラテン語に明るい人から見たらそうだと思います」

「それがどういうことかわからぬか?」怒りのあまり神父の顔から血の気が引いたが、理性という確かな力のおかげで落ち着きは失わずにいた。

 フォルチエ神父はうんざりしたように説いた。

「一言で言うと、ならず者の論理というやつだ。誰のために暴れているのか、自分でもわかっておらぬ。見も知らぬ誰かのためだ。いいかね落ちこぼれ殿、正直に言い給え。私よりもラテン語に明るい人間を誰か知っておるのか?」

「知りません。でもいるかもしれない。ボクが知らないだけで――ボクは何にも知りませんから」

「それにはクソほど同意する」

 ピトゥが十字を切った。

「何の真似だ?」

「先生が悪態をついたので十字を切ったのです」

「ほう、私を指弾するために此処に来たのか?」

「指弾するですって!」

「ほらわからぬだろう」

「そんなことはありません。先生のおかげで語根もわかります。『指弾するtympaniser』とは、ラテン語で『太鼓tambour』を意味する『tympanum』、ギリシア語の『tympanon』、即ち『太鼓』『撥』『鐘』由来です」

 神父は呆気に取られて何も言えずにいた。

「語根は『typos』、即ち『印』『痕跡』。ランスローが『ギリシア語根の庭(Jardin des Racines grecques)』で書いているところによれば、『typos:残された形』。この語を遡れば明らかに『tupto』即ち『叩く』にたどり着きます。以上です」

「たいしたものだ」神父はいよいよ仰天した。「まだいろいろ知ってそうだな。知らないことまで知ってそうだ」

「はあ」ピトゥはうわべだけ謙遜してみせた。

『アンジュ・ピトゥ』64-2

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 だが何よりもまず、この場面について説明しよう。他の箇所であれば冗長のそしりを免れ得ぬであろうが、この箇所であれば不自然とは言われまい。

 この説明によって、フォルチエ神父の家に三、四十挺の銃があることが明らかになるであろう。ピトゥと共犯者二人が欲しがっている銃のことである。

 以前お伝えする機会のあった通り、かつて城館の所属司祭もしくは副司祭だったフォルチエ神父は、時と共に、そして長く根を張るという聖職者の習いによって、舞台構成的に家の付属物と呼ばれるものの唯一の管理者となっていた。【※第1章によればフォルチエ神父は chapelain du château(城館の礼拝堂所属司祭)である】

 聖器、蔵書(la bibliothèque)、家具(le garde-meuble)に加えて、国王フィリップの父であり後にエガリテと呼ばれたドルレアン公ルイ=フィリップ二世の狩猟用具を預かっていた。この古い狩猟用具の幾つかはルイ十三世やアンリ三世にまで遡る。こうした道具類が神父によって城館の回廊に整然と並べられていた。そのために城館を任されていた。ひときわ見る者の目を惹くように、周りには円楯、狩猟槍、短刀、短剣、カトリック同盟時代に象嵌が施されたマスケット銃が散りばめられていた。【※Louis-Philippe II Joseph, duc d'Orléans, Philippe Égalité(1747-1793)は革命時にフィリップ・エガリテを自称した。その息子 Louis-Philippe(1773-1850)は7月王政で国王ルイ=フィリップとなる】

 回廊の扉はルイ十四世が王弟ムッシューに授けた銀張りの青銅の大砲二門にしっかりと守られている。

 さらにはウェサンの戦い(combat d'Ouessant)でジョゼフ=フィリップが戦勝記念に持ち帰った五十ばかしの小銃ムスクトンが、町に寄贈されていた。先述したようにフォルチエ神父に無料で宿を貸していた町としては、このマスケット銃の扱いにあぐねて神父の家(la maison collégiale)の寝室に預けたというわけであった。【※ジョゼフ=フィリップ。上記ルイ=フィリップ二世のこと。1778年のウェサンの海戦にて、当時シャルトル公だったルイ=フィリップは、司令官の命令を聞き逃し、退却するイギリス艦隊をみすみす逃してしまうというミスを犯した。必死で弁明したものの容れられず】

 これこそがフォルチエという名の龍が守りアンジュ・ピトゥという名のイアーソンが狙っている財宝であった。

 この城館の小さな武器庫は、労せず武器を持ちたいと願う者にとってはよく知られたところとなっていた。

 だが眠らぬ龍たる神父には、このヘスペリデスの黄金の林檎を、如何なイアーソンにも易々と明け渡すつもりはないようだった。

 そういうわけで、ピトゥの話に戻ろう。

 ピトゥは愛想良くフォルチエ神父に挨拶しながら、咳払いをした。放心したり没頭したりしている人間の注意を引くように。

 フォルチエ神父が新聞から顔を上げた。

「ほう、ピトゥか」

「お役に立てることがあれば仰って下さい」ピトゥは恭しく応じた。

 神父は新聞を折り畳んだ。より正確に言えば二つ折りの書類入れのように新聞を閉じた。古き良きこの当時にはまだ新聞は冊子の形であったのだ。

 神父は閉じた新聞をベルトに通した。九尾鞭とは反対側だ。

「そうか。だが生憎だな」神父はからかうように言った。「役には立てまいよ」

「先生!(l'abbé !)」【※この行と次の行は、底本・初出にはなし】

「聞こえぬか、語形間違い(barbarismes)の名人よ?」

「先生!」

「聞こえぬか、偽善者殿?」

「先生!」

「聞こえぬか、革命家殿?」

「ちゃんと聞こえてますとも。話を始めてもいないのに怒り出して。そういうのは、拙い出だしなんじゃないですか」

『アンジュ・ピトゥ』64-1

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

第六十四章 フォルチエ神父による君主制の本質とピトゥによる革命の本質を目の当たりにする次第

 その夜ピトゥはたまたま巡って来た栄誉に心を奪われていたせいで罠を見に行くのをすっかり忘れていた。

 翌日、ピトゥは兜と剣を身につけてヴィレル=コトレに向かった。

 村の大時計が朝六時を告げた時、ピトゥは城館広場(la place du Château 第1章参照)に到着し、庭に通じている門を控えめに叩いた。

 叩いた音は心を落ち着かせるには充分な強さであり、家まで届かぬには充分な小ささであった。

 出来うるなら十五分の余裕が欲しかった。フォルチエ神父を説得するため用意して来た演説を辯論の花で彩りたかった。

 ぎょっとしたことに、あれだけそっと叩いたというのに門が開いた。だがすぐに恐怖は止んだ。門を開いた人物の顔にセバスチャン・ジルベールを認めたからだ。

 セバスチャンは庭を歩きながら曙光の下で勉学に励んでいたところだった。正確に言えば励んでいるような行動を取っているところだった。というのも開いた本は手の先にぶら下がり、好きなことを考えて思いはあちこち駆け巡っていたからだ。

 ピトゥを目にしたセバスチャンが喜びの声をあげた。

 抱き合った後でセバスチャンがたずねた。

「パリから便りは?」

「何も。セバスチャンは?」ピトゥもたずねた。

「父から手紙が届いたよ」

「よかった」

「君にも託けがあるよ」

 セバスチャンは胸元から手紙を取り出しピトゥに見せた。

『追伸 ビヨからピトゥへ忠告がある。農場のみんなを困らせたり気が散るようなことをしたりしないこと。』

「嗚呼」ピトゥは溜息をついた。「無意味な忠告だな。農場の人たちに苦労をかけたりよそ見させたりすることなんてもうないのに」

 ピトゥは小声で呟いてから、さらに大きな溜息をついた。

「そんな言葉はイジドールさんに掛けてあげればいいんだ」

 だがすぐに元気を取り戻してセバスチャンに手紙を返した。

「神父は?」

 セバスチャンが耳をそばだたせた。中庭(la cour)と庭大半(une partie du jardin)の分だけ階段から離れているにもかかわらず、司祭の足の下で階段が軋んでいた。

「ほら、降りて来た」

 ピトゥが庭から中庭に進むと、その時になって初めて神父の重い足音が聞こえた。

 神父(Le digne instituteur)は新聞を読みながら階段を降りて来た。

 例の九尾鞭を将軍が太刀を佩くように腰から吊るしている。

 階段の段数も古い家の凸凹の場所も身体に染み込んでいたので、神父は紙面から顔を上げぬままアンジュ・ピトゥに向かって来た。ピトゥは精一杯堂々とした態度で臨もうとした。

PROFILE

東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 本好きが高じて翻訳小説サイトを作る。
  • 翻訳が高じて仏和辞典Webサイトを作る。

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