アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
「なるほど」神父はピトゥの微笑みを見て、まばらな頭髪が逆立つのを感じた。「なるほど海軍の銃か」
「つまりお持ちの武器の中で、歴史的価値がなくて戦いに使えそうなものだけです」
「ほう」神父は軍人(un capitaine)が剣の
「お願いです先生」ピトゥの声は凄むような調子から懇願するようなものに変わっていた。「海軍の銃三十挺を渡して下さい」
「去ね!」神父がピトゥに一歩詰め寄った。
「自慢できますよ」ピトゥは一歩後じさりながら言った。「圧制者から国を解放することに貢献できるんですから」
「私と家族に弓引くための武器を差し出せというのか! 私を撃つための銃を手渡せというのか!」
神父はベルトから鞭を引き抜くと、「冗談ではない」と言って頭上で鞭を振り回した。
「プリュドムさんの新聞にお名前が載りますよ」【※プリュドム(Prudhomme)の名は第62章にも見える。Louis Marie Prudhomme(1752-1830)はフランスのジャーナリスト。『パリの革命』発行人。バスチーユ襲撃を報じた。】
「プリュドムの新聞に名前が載るだと!」
「模範的な市民として」
「むしろ待っているのは首枷とガレー船だ」
「どうして? お断わりになるんですか」猶も訴えるピトゥの声は弱々しかった。
「断るとも。出て行ってもらおう」
神父は門を指さした。
「そんなことをしたら非道いことになりますよ。意識が低いだの不実だの言って罵られます。先生、どうかそんな真似はよして下さい」
「私を殉教者にするがいい、ネロめ! 喜んでなってやろう」神父の目は赤々と燃え上がり、受刑者というよりもむしろ死刑執行人のようだった。
効果は絶大だった。ピトゥはさらに後じさった。
「先生」ピトゥは後じさりながら言った。「ボクは平和を愛する使者として、秩序をもたらす大使として、此処に来たんです……」
「君が此処に来たのは武器をくすねるためだ。お仲間が廃兵院からくすねたのと変わらぬ」
「あの人たちのしたことは称讃するに相応しいことでした」
「そして君には鞭の百叩きが相応しかろう」
「フォルチエ先生!」ピトゥは既知の道具を見て声をあげた。「そんな風に人間の権利を侵害することなんて出来ませんよ」
「余裕があるのも今の内だ、ろくでなしめが」
「先生、大使には手を出せませんよ」
「見ておれ!」
「先生! 先生!! 先生!!!」
ピトゥは神父と向かい合ったまま門までたどり着いた。だが其処で追いつめられてしまい、後は戦うことを受け入れるか逃げるかするしかなくなった。
だが逃げるには門を開けなくてはならず、門を開けるには後ろを向かなくてはならない。
後ろを向けば、鎧に充分には覆われていない部分を神父に晒すことになる。
「銃が欲しいだと……銃を探しに来ただと……銃か死を選べと言うつもりか……?」
「そんなこと言うつもりはありません」
「銃の在処は知っているのだ、喉を掻っ切って奪って行けばよかろう。死体を乗り越えて運び出せばよい」
「出来るわけないでしょう」
ピトゥは掛け金に手を掛け、神父が掲げている腕に目を注いだ。勘定していたのはもはや銃の個数ではなく、鞭の先の革紐がうなるかもしれない回数だった。
「では銃を渡して下さるつもりはないんですね?」
「そうだ、渡すつもりはない」
「そうする気はないんですね? もう一度確認します」
「ない」
「もう一度」
「ない」
「三度目の正直です」
「ないと言ったらない!」
「わかりました。だったら仕舞っておいて下さい」
ピトゥは大急ぎで後ろを向いて、開いた門の隙間から擦り抜けた。
だがそれでも間に合わなかった。唸りを上げて鞭がしなやかに振り下ろされ、ピトゥの臀部をしたたかに打ち据えると、勇敢なバスチーユの勝者と雖も思わず悲鳴をあげてしまった。
この悲鳴を聞いて隣人たちが顔を出し、目を瞠った。兜と剣を身につけたピトゥが一目散に逃げ出し、門口に立ったフォルチエ神父が燃え立つ剣を振りかざす殺戮の天使のように鞭を振りかざしていたのである。
第64章おわり 第65章につづく