第六十五章 戦術家ピトゥ
前章では野心を抱いていたピトゥがどのように転がり落ちたかをお伝えした。
何しろ深いところまで落ちていた。天国から地獄に叩き落とされ転がり落ちたルシフェルも計り知ることの出来ないほどの落差であった。それでもルシフェルは地獄で王となっていたが、フォルチエ神父に叩き落とされたピトゥはただのピトゥになってしまった。
ピトゥを代表に選んだ人たちの前にこれからどうやって出ればよいというのか? あれだけ安請け合いしておいて、実は指揮官は法螺吹きのペテン師だったと伝えなければならないのか? 頭に兜を乗せ、腰に剣を差しながら、老神父から鞭で尻を叩かれてすごすごと戻って来るような人間だったと。
神父のことは任せておけと大見得を切っておきながらそれに失敗するとはとんだ失態だ。
気づけばピトゥはどぶの向こう側にいて頭を抱えて考え込んでいた。
ギリシア語とラテン語を話せばフォルチエ神父の機嫌も取れると思っていた。生来のお人好し故、美文という蜜を使えばケルベロスを懐柔できると自惚れていた。だがピトゥの蜜は苦かったし、ケルベロスは蜜を飲み込みもせず手に咬みついた。目論見はすべて灰燼に帰した。
フォルチエ神父には巨大な自尊心があったのに、ピトゥはその自尊心を見誤っていた。神父が腹を立てた最大の理由は、武器庫から銃を三十挺持ち出そうとしたからではなく、ピトゥが神父の言葉に間違いを見つけたからであった。
若者は善良なるが故に、他人にもそうした長所があると信じ込んでしまう間違いを犯す。
ところがフォルチエ神父は熱狂的な王党派であり、何よりも誇り高い言語学者であった。
ルイ十六世や「
今となってはすべきだったことを確かめるだけだ。
言葉を駆使して自分が国王派だということをフォルチエ神父に証明すべきだった。何よりも文法間違いに気づかずやり過ごすべきだった。
アラモンの国民衛兵は革命主義者ではないことを説明すべきだった。
この衛兵隊は国王の助けになるのだと断言すべきだった。
就中「
そうすれば必ずや神父も宝物庫と武器庫を開放したことだろう。勇猛な軍隊と雄々しい指揮官の援助を君主制が確実に受けられるように。
嘘も方便というではないか。ピトゥはじっくりと内省してから、歴史上の出来事を様々に思い浮かべた。
マケドニア王ピリッポス(Philippe de Macédoine)のことを考えた。あれだけ偽りの誓いをしておきながら偉人と評されている。【※マケドニアにはピリッポスという国王は複数いるが、偉人と呼ばれたのはアレクサンドロス大王の父親であるピリッポス二世(BC382-BC336)のことか?】
ブルトゥス(Brutus)は白痴を演じて敵を油断させたが、偉人と評されている。【※初代執政官ブルトゥス(?-BC509)は、暗殺されるのを逃れるため愚者を演じた】
テミストクレス(Thémistocle)は生涯を通じ同国人を欺いて尽くしたが、やはり偉人と評されている。【※テミストクレス(BC520?-BC455?)はアテナイの政治家】
一方、アリステイデス(Aristide)は不正をよしとしなかったが、やはり偉人と評されている。【※アリステイデスの名は第64章にも見える。アリステイデス(B.C.530-B.C.468)はアテナイの政治家であり、「正義の人」と呼ばれた(*a)。貴族主義的傾向にあったため、民衆派で「民衆を(中略)駆り立てて(中略)新機軸を打ち出そうとする」テミストクレスとは性格も正反対であり、対立した。※『英雄伝』プルタルコス。】
この矛盾をどう判断すればよいのか。
それでも熟慮の末に結論を出した。アリステイデスは運が良かった。何となればアリステイデスの生きていた時代は善意だけで勝利できるほどペルシア人がお人好しだったからだ。
そしてまた熟慮の末に結論づけた。結局のところアリステイデスは追放されたのである以上、その追放がどれだけ不当なものであろうと、マケドニア王ピリッポスやブルトゥスやテミストクレスに分があると言える。
そこで現代の例に戻って熟考した。ジルベールやバイイやラメット(monsieur Lameth)やバルナーヴやミラボーがピトゥの立場だったなら、果たしてどのように行動するだろうか。そしてまたルイ十六世がフォルチエ神父だったとしたら。
三十万から五十万人のフランス国民衛兵に武装させるには、国王にどう働きかけただろう?
まさしくピトゥと正反対のことだ。
きっとルイ十六世に説明しただろう。フランス人の望みはフランス人の父を救い守ることだけであり、確実にそうするためには三十万から五十万挺の銃が必要であると。
そして間違いなくミラボーなら上手くやったはずだ。
ピトゥは巷間に流布する小唄のことを考えた。
悪魔に何かをねだるなら、
様付けせんとなりませぬ。
斯くしてピトゥは総合的に結論づけた。アンジュ・ピトゥは超がつくほどの大馬鹿者でしかなく、手柄を立てて有権者たちの許に戻るには自分がやってしまったことと正反対のことをしなくてはならなかったのだ。