アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
そこで助役は書記を連れて憲兵二人について行き、憲兵はピトゥたち三人について収蔵品庫(musée)に向かった。ピトゥは何処で曲がればいいのかよく知っていた。
セバスチャンが若獅子のように身体を躍らせ、愛国者たちの足取りをたどった。
ほかの若者たちは呆然として見つめていた。
神父は収蔵品庫の扉が開かれたのを見て、怒りと不名誉のあまり死ぬほど打ちのめされて手近の椅子に倒れ込んだ。
中に入ると補佐官二人はそっくり奪いたがったが、正直者ピトゥのわきまえ心がまた顔を出した。
ピトゥは指揮下の国民衛兵数を勘案し、三十三人いるのだから三十三挺の銃を持ち出すよう命じた。
ところで場合によっては銃を撃たなくてはならない状況が訪れるかもしれない。ピトゥにはそんな時に銃後に納まるつもりはさらさらなかったので、自分用に三十四挺目の銃を手に取った。紛うことなき将校用の銃であり、ほかの銃と比べて短く軽めだったが、小口径とは言え兎に鉛玉をお見舞い出来るのと変わらぬように、愛国者もどきや根っからのプロイセン人に弾丸をお見舞い出来よう。
さらにピトゥはラファイエットのような長剣(une épée droite)を選び取った。フォントノワかフィリップスブルクで戦った何処かの英雄の剣を、ピトゥは腰に差した。
補佐官二人がそれぞれ十二挺の銃を肩に担いだ。大変な重さにもかかわらずびくともしないのは、重さを感じぬほど喜びの絶頂にあったからだ。
ピトゥが残りの銃を担いだ。
騒がれるのを避けて、ヴィレル=コトレを通り抜けずに狩猟場(le parc)を歩いた。
第一、それが一番の近道だ。
しかも近道には反対派に遭遇する危険を回避するという利点もあった。ピトゥは争いを恐れてはいなかったし、口先だけの勇気でないことは争いに備えて自ら選んだ銃が証明していた。だがピトゥは冷静に考えるすべを身につけていたし、冷静に考えるようになってからは、一挺の銃が身を守るための方便だとしても十挺の銃ではそうとは言えないことに気づいていた。
三人は戦利品を担いで狩猟場(le parc)を駆け抜け、空き地(un rond-point)まで来たところで足を止めた。憔悴しきって汗だくではあったが、栄えある疲れだった。信頼されたわけではないのかもしれないがとにかく祖国から委ねられた大切な預かりものをピトゥの住まいまで運んだのだ。
その晩の国民衛兵の集会で、司令官ピトゥは兵士一人一人に銃を手渡し、スパルタ人の母が息子に伝えたというあの楯に関する言葉を伝えた。
「楯を持ちて帰れ、さもなくば楯に乗りて帰れ」【※「楯に乗る」とは遺体となって楯に乗せて運ばれること。勝って帰って来い、さもなくば勇ましく戦死して来い、くらいの意味になる。】
斯くしてピトゥという才能によって変えられたこの小さな村では、地震のあった蟻塚のような騒ぎが起こっていた。
庶民たちは根っからの密猟者であり、狩りへの欲望を長いこと森番に抑えつけられていたので、銃を手にした喜びから、ピトゥを地上の神に祭り上げることとなった。
ピトゥの長い足も長い腕もごつい膝もごつい頭も、果ては数奇な経歴も人々の頭から抜け落ちていた。輝ける太陽神ポイボス(Phœbus)が美しき女神アムピトリテ(Amphitrite)の宮殿を訪れていた夜の間中、ピトゥは村の守護神となり村を守り続けた。【※ポイボス(Phœbus)はアポロン・ヘリオスと同一視されたギリシア神話の神、太陽・光の象徴。アムピトリテ(Amphitrite)はポセイドンの妻であり海の女神。
ヴィレル=コトレ出身の作家ドムスチエの『Les Lettres à Émilie sur la mythologie』第32章「NAISSANCE D'ADONIS」によれば、「ポイボス(アポロン)が夜毎アムピトリテの宮殿に降り、夜が明けるまで出てこなかったと報告された」とある。本文については、“太陽神が女のもとに通っているせいで闇に閉ざされている夜のあいだは、ピトゥが太陽神に代わって村を守護していた”、ということであろう。ドムスチエについては第63章の註1を参照。】
翌日、人々は直感に導かれるままに武器をいじったり直したり磨いたりして一日を過ごした。壊れていない撃鉄に当たった者は上機嫌で過ごし、ポンコツな武器が当たった者は運命の不平等を是正すべく考えながら。
その間ピトゥはテントに陣取るアガメムノンのように部屋に引っ込み、ほかの者が武器を磨いている間、ものを考えていた。部下たちが手を擦り剥いている間、ピトゥは脳みそを振り絞っていた。
ピトゥは何を考えていたのか?と、ピトゥに共感している読者ならたずねるだろう。
人々の羊飼いとなったピトゥは、この世の栄光が如何に空虚かを考えていたのである。
果たしてその瞬間は訪れていた。かろうじて建っていた栄光という塔が、聳えるのをやめようとしていた。