アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む。
だがそれよりも狩人や森番を激しく嫉妬させていたのは、クルイース親父が年に三百六十五発しか撃たず、その三百六十五発で百八十三羽の野兎と百八十二羽の白兎を仕留めているという事実であった。
ドルレアン公に招かれて城館で数日を過ごしたパリの貴族たちは、一度ならずクルイース親父の物語を聞かされていたので、一ルイや一エキュを施しに来て、三百六十五回の射撃で三百六十五回の機会を成功させた人間の秘密を探ろうとしていた。
だがクルイース親父には次のような説明しか出来なかった。軍隊では同じ銃に銃弾を込めて人間を撃ち殺して来た。銃弾を用いて人間にして来たことを、散弾を用いて白兎や野兎にするのはずっと簡単なことだと気づいた。
それを聞いて笑みを浮かべた人々に、クルイース親父はたずねた。
「確実に命中しないのに撃つ理由なんてあるかい?」
クルイース親父が射撃の名手でなければ、ラ・パリス氏の碑文に連なっていてもおかしくはない言葉だった。
【※Jacques II de Chabannes, Jacques de La Palice(La Palisse)、1470-1525。シャルル八世~フランソワ一世時代の大将軍として知られる。その死を悼む小唄「Hélas La Palice est mort, /Il est mort devant Pavie, /Un quart d'heure avant sa mort, /Il faisait encore envie, 」の「envie」が「en vie」と誤読され、「死の十五分前までまだ生きていた」という「自明の理」を表す言葉となった。】
「それにしたってドルレアン公のオヤジさんはけちではないんだ、どうして一日に一発しか撃たせてもらえないのだ?」
「それ以上は余分だ。ちゃんとわかってくれてるんだよ」
そうした珍しい光景と突飛な理論のおかげで、クルイース親父は年に十ルイほどを手に入れていた。
兎の革と自分で作った祭りでこれだけの金額を儲けたうえに、巻脚絆一組――正確に言うと五年で巻脚絆半足と十年で服一着にしか使わなかったので、親父は貧乏とは程遠かった。
噂によればそれどころかへそくりを隠していたし、相続人がひどく困窮することはないだろうという話だった。
ピトゥが真夜中に会いに来たのはこうした特徴のある人物であった。この人物なら絶体絶命の状況から引き上げてくれるに違いないと閃いたのである。
だがクルイース親父と会うにはかなりの手際を要する。
ネプチューンの老牧者であるプロテウスよろしく、クルイース親父は易々と捕まえられるような相手ではなかった。何ももたらさない邪魔者(l'importun improductif)とそぞろ歩いている金持ち(du flâneur opulent)を的確に見分け、金満家の方を少なからず見下していたので、飛び切りの厄介者をどれだけ荒々しく追い出していたかも察せられるほどであった。
【※「ネプチューンの老牧者であるプロテウス」の原文は「Tel que le vieux pasteur des troupeaux de Neptune」であり「プロテウス」の名は見られないが、ルソーの詩により補った。詩人・劇作家のジャン=バプティスト・ルソー(Jean-Baptiste Rousseau,1671-1741)の詩「Ode au comte de Luc」には、「Tel que le vieux pasteur des troupeaux de Neptune, Protée, à qui le ciel, père de la fortune, Ne cache aucuns secrets, Sous diverse figure, arbre, flamme, fontaine, S'efforce d'échapper à la vue incertaine Des mortels indiscrets」という一節がある。「ネプチューンの畜群の牧人」とはプロテウスのこと。プロテウスは「海の老人」と呼ばれ、ポセイドン(ローマ神話のネプチューンに該当)の従者としてアザラシの番をしていた。予言を能くするが、さまざまに変身するので捕まえるのは困難だった。】
クルイース親父が寝ているのはヒースで出来た寝台だった。九月の森がもたらす馥郁たる香りの寝台は、翌年の九月まで替える必要がない。
刻は夜の十一時頃、空気は澄んでひんやりとしていた。
クルイース親父の小屋に行くためには、どうしたってぶ厚いどんぐりの敷物や密集した荊の茂みから抜け出なくてはならず、そうなると枝やどんぐりの折れたり割れたりする音で誰かが来たことが筒抜けだった。
ピトゥは普通の人間の四倍も音を立てた。クルイース親父が顔を上げて目を向けた。眠ってはいなかったのだ。
その日のクルイース親父は気が立っていた。非道い事故があったせいで、愛想のいい近所の者でも近寄りがたいほどだった。
本当に非道い事故だった。五年にわたって銃弾を放ち、三十五年にわたって散弾を放って来た銃が、野兎を撃った時に暴発したのである。
三十五年の間、仕留め損ねたのは初めてのことだった。
だが不愉快極まりないのは野兎に無傷で逃げられたことではなかった。左手の指が二本、暴発でズタズタになってしまったのだ。指は草を噛んで紐で縛って治したが、銃を直すことは出来なかった。
別の銃を手に入れるために財産を掘り返さなくてはならなかったし、多大な犠牲を払い新しい銃に二ルイという大金を費やしたところで、暴発してしまった銃と同じく百発百中の精度を持つものかどうかわからないではないか?
この通りピトゥが訪れたのは最悪の時機だったと言っていい。
だから掛け金に手を掛けた瞬間にクルイース親父が発した唸り声を聞いて、アラモン国民兵司令官ピトゥは後じさった。
狼か出産中の猪がクルイース親父と入れ替わってしまったのではないか?
ピトゥは赤頭巾を読んだことがあったので、中に入る勇気を持てずに外から声をかけた。
「クルイースさん!」
「何だ?」
ピトゥはほっとした。よく知っている声だった。
「よかった。いらっしゃるんですね」