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 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』67-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 ピトゥは小屋に足を踏み入れてにこやかに挨拶をした。

「今晩は、クルイースさん」

「誰だ?」

「ボクです」

「ボク?」

「ピトゥです」

「ピトゥだって?」

「アラモンのアンジュ・ピトゥですよ」

「アラモンのアンジュ・ピトゥだったらどうだって言うんだ?」

「ご気分を害されましたか、クルイースさん。こんな時間に起こしてしまって」ピトゥがおもねるように話しかけた。

「まったくだ。非道い時間だな」

「どうすべきでしょうか?」

「一番いいのは失せることだ」

「ちょっとだけ話をさせてくれませんか?」

「何の話を?」

「力を貸していただきたいんです」

「只では貸さんよ」

「力を貸してくださった方にはきちんとお支払いします」

「だろうな。だがもう力を貸すことは出来ん」

「なぜですか? これまで」

「もう殺生はしない」

「もう殺生はしない? これまで散々して来たのにですか。信じられません」

「失せろと言ったんだ」

「お願いです、クルイースさん」

「迷惑だ」

「話を聞いて下さい、無駄な時間は取らせません」

「よし、だったらすぐに済ませろ……何が望みだ?」

「兵士の経験がおありですよね?」

「それがどうした」

「それがその、お願いしたいのは……」

「さっさと言え!」

「銃の扱い方を教えて欲しいんです」

「狂ったのか?」

「それどころか頭はしっかりしています。銃の扱い方を教えて下さい。値段は話し合いましょう」

「そうかい。やっぱりいかれてるな」クルイース親父は冷たく吐き捨て、干しヒースの寝台の上で身体を起こした。

「クルイースさん、教えてくれるんですか、くれないんですか。軍隊でやっているような十二段式(en douze temps)の銃の扱い方を教えて欲しいんです。お望みのものを仰って下さい」

 クルイース親父は膝を立て、ピトゥに貪るような目を向けた。

「望むものだと?」

「そうです」

「だったら、欲しいのは銃だ」

「ちょうど良かった。銃なら三十四挺あります」

「三十四挺?」

「その三十四挺目はボクが自分用に持って来たものですから、クルイースさんにはぴったりだと思います。小さな将校用の銃で、銃尾には金で王家の紋章が入っているんです」

「どうやって手に入れたんだ? 盗んだわけじゃないんだろう?」

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『アンジュ・ピトゥ』67-2

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 だがそれよりも狩人や森番を激しく嫉妬させていたのは、クルイース親父が年に三百六十五発しか撃たず、その三百六十五発で百八十三羽の野兎と百八十二羽の白兎を仕留めているという事実であった。

 ドルレアン公に招かれて城館で数日を過ごしたパリの貴族たちは、一度ならずクルイース親父の物語を聞かされていたので、一ルイや一エキュを施しに来て、三百六十五回の射撃で三百六十五回の機会を成功させた人間の秘密を探ろうとしていた。

 だがクルイース親父には次のような説明しか出来なかった。軍隊では同じ銃に銃弾を込めて人間を撃ち殺して来た。銃弾を用いて人間にして来たことを、散弾を用いて白兎や野兎にするのはずっと簡単なことだと気づいた。

 それを聞いて笑みを浮かべた人々に、クルイース親父はたずねた。

「確実に命中しないのに撃つ理由なんてあるかい?」

 クルイース親父が射撃の名手でなければ、ラ・パリス氏の碑文に連なっていてもおかしくはない言葉だった。
 【※Jacques II de Chabannes, Jacques de La Palice(La Palisse)、1470-1525。シャルル八世~フランソワ一世時代の大将軍として知られる。その死を悼む小唄「Hélas La Palice est mort, /Il est mort devant Pavie, /Un quart d'heure avant sa mort, /Il faisait encore envie, 」の「envie」が「en vie」と誤読され、「死の十五分前までまだ生きていた」という「自明の理」を表す言葉となった。】

「それにしたってドルレアン公のオヤジさんはけちではないんだ、どうして一日に一発しか撃たせてもらえないのだ?」

「それ以上は余分だ。ちゃんとわかってくれてるんだよ」

 そうした珍しい光景と突飛な理論のおかげで、クルイース親父は年に十ルイほどを手に入れていた。

 兎の革と自分で作った祭りでこれだけの金額を儲けたうえに、巻脚絆一組――正確に言うと五年で巻脚絆半足と十年で服一着にしか使わなかったので、親父は貧乏とは程遠かった。

 噂によればそれどころかへそくりを隠していたし、相続人がひどく困窮することはないだろうという話だった。

 ピトゥが真夜中に会いに来たのはこうした特徴のある人物であった。この人物なら絶体絶命の状況から引き上げてくれるに違いないと閃いたのである。

 だがクルイース親父と会うにはかなりの手際を要する。

 ネプチューンの老牧者であるプロテウスよろしく、クルイース親父は易々と捕まえられるような相手ではなかった。何ももたらさない邪魔者(l'importun improductif)とそぞろ歩いている金持ち(du flâneur opulent)を的確に見分け、金満家の方を少なからず見下していたので、飛び切りの厄介者をどれだけ荒々しく追い出していたかも察せられるほどであった。
 【※「ネプチューンの老牧者であるプロテウス」の原文は「Tel que le vieux pasteur des troupeaux de Neptune」であり「プロテウス」の名は見られないが、ルソーの詩により補った。詩人・劇作家のジャン=バプティスト・ルソー(Jean-Baptiste Rousseau,1671-1741)の詩「Ode au comte de Luc」には、「Tel que le vieux pasteur des troupeaux de Neptune, Protée, à qui le ciel, père de la fortune, Ne cache aucuns secrets, Sous diverse figure, arbre, flamme, fontaine, S'efforce d'échapper à la vue incertaine Des mortels indiscrets」という一節がある。「ネプチューンの畜群の牧人」とはプロテウスのこと。プロテウスは「海の老人」と呼ばれ、ポセイドン(ローマ神話のネプチューンに該当)の従者としてアザラシの番をしていた。予言を能くするが、さまざまに変身するので捕まえるのは困難だった。】

 クルイース親父が寝ているのはヒースで出来た寝台だった。九月の森がもたらす馥郁たる香りの寝台は、翌年の九月まで替える必要がない。

 刻は夜の十一時頃、空気は澄んでひんやりとしていた。

 クルイース親父の小屋に行くためには、どうしたってぶ厚いどんぐりの敷物や密集した荊の茂みから抜け出なくてはならず、そうなると枝やどんぐりの折れたり割れたりする音で誰かが来たことが筒抜けだった。

 ピトゥは普通の人間の四倍も音を立てた。クルイース親父が顔を上げて目を向けた。眠ってはいなかったのだ。

 その日のクルイース親父は気が立っていた。非道い事故があったせいで、愛想のいい近所の者でも近寄りがたいほどだった。

 本当に非道い事故だった。五年にわたって銃弾を放ち、三十五年にわたって散弾を放って来た銃が、野兎を撃った時に暴発したのである。

 三十五年の間、仕留め損ねたのは初めてのことだった。

 だが不愉快極まりないのは野兎に無傷で逃げられたことではなかった。左手の指が二本、暴発でズタズタになってしまったのだ。指は草を噛んで紐で縛って治したが、銃を直すことは出来なかった。

 別の銃を手に入れるために財産を掘り返さなくてはならなかったし、多大な犠牲を払い新しい銃に二ルイという大金を費やしたところで、暴発してしまった銃と同じく百発百中の精度を持つものかどうかわからないではないか?

 この通りピトゥが訪れたのは最悪の時機だったと言っていい。

 だから掛け金に手を掛けた瞬間にクルイース親父が発した唸り声を聞いて、アラモン国民兵司令官ピトゥは後じさった。

 狼か出産中の猪がクルイース親父と入れ替わってしまったのではないか?

 ピトゥは赤頭巾を読んだことがあったので、中に入る勇気を持てずに外から声をかけた。

「クルイースさん!」

「何だ?」

 ピトゥはほっとした。よく知っている声だった。

「よかった。いらっしゃるんですね」

『アンジュ・ピトゥ』67-1

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

第六十七章 クルイース親父とクルイーズ岩、或いはピトゥが如何にして戦術家となりて気高さを身につけしか

 斯くしてピトゥは三十分近くにわたって走り続け、どんどん草深い森の奥まで分け入って行った。

 すると樹齢三百年にはなろうかという大樹の聳える中、巨大な岩を背にするようにして、荊の茂みに囲まれた、四十年ばかり前に建てられた掘っ立て小屋があった。そこには個人的な理由から人に知られぬすべを身につけた人物が閉じ籠もっていた。

 小屋の半分は地面に沈み、残り半分は節くれ立った枝や幹に絡みつかれていたために、屋根に斜めに空いた穴からしか日光や空気は通らない。

 アルバイシン(l'Albaycin)のジプシー(Bohémiens)小屋にも似たこの掘っ立て小屋は、屋根の上から青い煙の洩れるのが見えることもある。

 そうでもなければ森番や狩人や密猟者や近隣の農夫以外には、まさか人が住めるとは思われないような代物だ。

 ところがそこには引退した老兵が四十年前から暮らしていた。ルイ=フィリップの父ドルレアン公(monsieur le duc d'Orléans, père de Louis-Philippe)の許しを得て、森に住み、制服を着たまま、日毎に兎を撃っていた。

 鳥と大型獣は許可されていない。

 この物語当時の年齢は六十九歳。初めはクルイース(Clouïs)とだけ呼ばれていたが、後に年齢に合わせてクルイース親父と呼ばれるようになった。

 小屋の裏にある巨大な岩は、親父の名前から洗礼を授かってクルイーズ岩(la pierre Clouïse)と呼ばれていた。

 クルイース親父はフォントノワで受けた傷が元で足を切断しなくてはならなかった。若くして退役し、ドルレアン公の恩恵を受けているのにはそうした事情がある。

 都会には決して足を踏み入れなかったし、ヴィレル=コトレに来るのも年に一回しかない。火薬と散弾を三百六十五発分、閏年には三百六十六発分、購入するためだ。

 同じ日、ソワッソン街の帽子業者コルニュ氏のところに三百六十五ないし三百六十六枚の革を運んで来る。白兎と野兎が半々のその革を、帽子業者は銀貨七十五リーヴルで買い取っていた。

 平年なら三百六十五枚、閏年なら三百六十六枚と記したが、これには一切間違いはない。クルイース親父には一日に一回銃を撃つ権利があり、一発で野兎か白兎を仕留めるすべを心得ていた。

 平年なら三百六十五発、閏年なら三百六十六発、許された数より多く撃つことも少なく撃つこともなかったので、平年にはきっかり百八十三羽の野兎と百八十二羽の白兎、閏年には百八十三羽の野兎と百八十三羽の白兎を仕留めていた。

 クルイース親父は獲物の肉で命を繋いでいた。食べることもあれば、売ることもあった。

 先述したように、革で火薬と散弾を買い、資本を作っていた。

 そのうえ年に一回、ささやかな投資をおこなっていた。

 小屋の裏にある岩は屋根のような斜面になっていた。

 斜面の表面は十八ピエの広さがあった。

 上端に何かを置けば下までゆっくりと転がってゆく。

 クルイース親父は、野兎や白兎を買いに来るお内儀さんの口を通して、近隣の村々に少しずつ広めていた。それはサン=ルイの日にこの岩を何度か滑り降りた若い娘が年内に結婚するという話であった。【※le jour de la Saint-Louis。la fête de la Saint-Louis とも。8月25日におこなわれる、聖ルイを記念した祝祭。】

 最初の年はたくさんの若い娘が訪れたが、滑り降りる者は一人もいなかった。

 次の年には三人の娘が挑戦した。二人は年内に結婚した。残った三人目の娘のことを、クルイース親父は恥ずかしげもなく切り捨てた。夫が見つからなかったのは滑る時の信心がほかの二人より足りなかったせいだと。

 その翌年には近所の娘がこぞって駆けつけ滑り降りた。

 娘の数に対して男が足りないが、滑り降りた娘の三分の一、つまりより信心深い娘たちが結婚できると、クルイース親父は断言した。

 その言葉に違わず多くの娘が結婚した。それ以来、クルイーズ岩には縁結びの加護があるという評判が立ち、毎年サン=ルイの日には二つの祭りがおこなわれるようになった。村の祭りと森の祭りだ。

 そこでクルイース親父は権利を主張した。一日中飲み食いせずに滑っているわけにはいかないのだから、八月二十五日に飲み物や食べ物を若い男女に売る独占権が自分にはあるという主張である。男女、というのはつまり、岩の霊験を確実にするためには二人一緒に――それも同時に――滑らなければならないと、若い男たちが若い娘たちを掻き口説くようになっていたからだ。

 三十五年にわたってクルイース親父はこうして暮らして来た。地元ではアラブ世界で聖人が受けるような扱いを受け、もはや伝説として生きていた。

『アンジュ・ピトゥ』66-5

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 銃は前日のうちに配られていたし、この日の昼間は銃を使える状態にすることに費やされていた。明日には兵士たちに銃の取扱方(exercice)を見せなくてはならないというのに、ピトゥは十二段式弾込め(la charge en douze temps)の第一令(le premier commandement)も知らないのだ。

 いずれにしてもピトゥは正しい手順を踏まずに装填していたし、それで出来ていたのである。

 演習を指揮する(la manœuvre)に至っては銃の扱いどころではない。

 十二段式弾込めのやり方もわからないうえに演習の指揮も出来ない国民衛兵の指揮官など、いったい何者だというのか?

 筆者はそんな人間を一人だけ知っていた。その人間がピトゥと同郷であったのは間違いない。【※ピトゥと同じヴィレル=コトレ出身のデュマ自身が1847年に Saint-Germain-en-Laye の国民衛兵司令官になっている。そのことか? 『アンジュ・ピトゥ』は1850~1851年にかけての連載。】

 とにもかくにもピトゥは頭を抱え、虚空を見つめ、身動きもせずに考え込んでいた。

 草深いガリアの藪を分け入ったカエサルも、雪深いアルプスの尾根で道に迷ったハンニバルも、そして未知の洋上で進路を見失ったコロンブスも、この長い一日の間にピトゥがしたほどには、知らないものを前にして重々しく考えたりはしなかっただろうし、生と死の秘密を知るあの恐ろしい知られざる神々Dis ignotisにどっぷりと思いを捧げたりはしなかっただろう。

「どうしよう」とピトゥは口に出していた。「時間は進み、明日が来る。明日になれば惨めったらしくボクの無能が晒されるんだ。

「明日になればバスチーユを攻め落とした勇将(le foudre de guerre)もアラモン中の人たちからぼんくら扱いされるんだ。ちょうど……何とかいう人がギリシア中の人たちからされたように。

「明日は非難の的か。今日は英雄だったというのに!

「そんなのない。そんなのあり得ない。カトリーヌに知られたら、ボクの面目丸潰れじゃないか」

 ピトゥはひと息ついた。

「どうすればそんな状態から抜け出せる?

「勇気だろうか?

「違う違う。勇気なんて一分間しか持ちやしない。プロイセン式の射撃訓練は十二段階もあるのに。

「考えてみればおかしな話だな、プロイセン式の訓練をフランス人に教えるんだもの。

「ボクみたいな愛国者にはフランス人にプロイセン式の訓練を教えるなんてこと出来やしないし、もっとこの国独自の訓練方法を編み出すと言っていたらどうなっていたろうか?

「いや、そんなの頭がこんがらかってしまうに決まってる。

「ヴィレル=コトレの市場で猿を見たことがあったっけ。あの猿は銃をいじっていた(faisait l'exercice)けれど、たぶん猿のことだからでたらめにいじっていたんだろうな。

「そうか!」ピトゥは突然声をあげた。

 コンパスのように長い足を伸ばして空き地を横切ろうとしたが、ふと思いついて足を止めた。

「急にいなくなったらみんなびっくりするかな。知らせておかなくちゃ」

 ピトゥは扉を開けてクロードとデジーレを呼び、指示を伝えた。

「銃の訓練は明後日が初日だと告知しておくように」

「明日じゃ駄目なのか?」二人がたずねた。

「二人とも疲れてるだろう? それに兵卒に教える前に上官に教えておきたいんだ。それからもう一つ」ピトゥは凄みのある声を出した。「反論したりせず命令に従う癖をつけるように」

 部下は二人とも敬礼した。

「よし。では周知させておくように。訓練は明後日の朝四時だ」

 二人は再び敬礼してから立ち去った。夜の九時だったので寝みに行くのだ。

 ピトゥは二人が角を曲がるまで見送ると、反対方向に走り出し、五分後には森深く鬱蒼とした木立に分け入っていた。

 では人民解放のためのピトゥの思いつきが如何なるものかをご覧いただこう。

 

 第66章おわり。第67章につづく

PROFILE

東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 本好きが高じて翻訳小説サイトを作る。
  • 翻訳が高じて仏和辞典Webサイトを作る。

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