翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『ジョゼフ・バルサモ』24-5

「ああ、もう! これだけじゃどうにもならないのかしらね、サルチーヌさん」

「無論ですが、あなたのお考えが……」

「あたしの考え? あなたはかばってくれやしない。それだけよ。それどころか、あたしのことなんか見殺しなんでしょう!」夫人はかっとなって叫んだ。

「落ち着いて下さい。見殺しになんかさせませんし、かばってあげますとも。だから……」ルイ十五世がなだめた。

「だから?」

「だから、ジャンを襲った人間はそれなりのつけを払うことになりますよ」

「ええそうね。物を壊して、仲直りってわけね」

「罪を犯した人間から、つまりこのタヴェルネ氏からその機会を奪うのは公平【?】ではないでしょう?」

「そうかしら。公平だとしか思えませんけど。今あたしにしてくれていることも、劇場で兵士に殴られたサン=トノレ街の第一商人にだっておんなじことをなさるでしょう。他人と同じなんて真っ平です。目を掛けている者にも無関係の者にも同じ振舞をなさるというんでしたら、いっそ孤独と闇を選びますわ。暗殺される危険のない分、ましですから」

 ルイ十五世は悲しげに答えた。「伯爵夫人。目が覚めた時、余はたいへん気分よく幸せで満ち足りていた。その素晴らしい朝が台無しだ」

「素晴らしいですって! じゃああたしも素敵な朝を過ごしてたとでも? 家族が殺されそうになったというのに?」

 周囲で蠢いているらしい嵐を感じ、国王は内心では恐れを覚えたものの、殺されるという言葉に微笑む余裕は失わなかった。

 伯爵夫人は怒りを爆発させた。

「そう? そんなふうに同情なさるのね?」

「まあまあ、そう怒らずに」

「怒らずにはいられません」

「それは良くない。あなたには笑顔が似合うのに。怒っていては台無しです」

「それで? 可愛ければ苦しまなくて済むというのなら、いくらでも可愛くしますけど?」

「落ち着いて下さい」

「嫌です。お選び下さい。あたしか、それともショワズールか」

「無理な事を仰る。二人とも大事な人間だ」

「ではあたしが引き下がります」

「あなたが?」

「ええ、向こうの好きにさせてあげます。あたしは口惜しくて死んじまいますわ。でもショワズール殿は満足なさるでしょうし、それであなたも気が晴れますでしょ」

「いいですか、伯爵夫人。ショワズールはあなたのことを少しも憎んではいない。好感を抱いていますよ。要するに紳士なのだ」この最後の言葉がサルチーヌによく聞こえるように注意しながら、王は答えた。

「紳士ですって! 馬鹿にしないで。紳士が人を殺そうとしますか?」

「まだ決まったわけではないでしょう」

「それに――」と、サルチーヌが勇気を出して口を挟んだ。「剣士たちが喧嘩するのはよくあることですし、得てして激しくなるものでございます」

「サルチーヌ、あなたもですか!」

 総監はこの「お前もか!」の意味を悟り、伯爵夫人の怒りに恐れをなした。

 不吉な沈黙が訪れた。

 この沈鬱な雰囲気を打ち破ったのは王だった。「ション、そなたのせいですよ」

 ションは申し訳のように目を伏せた。

「伯爵夫人が心痛の余り無礼にも取り乱したのだとしたら、お詫びいたします」

「姉妹思いだな」王は呟いた。「伯爵夫人、どうか許しておくれ」

「ああ、陛下! もちろんでございます……ただ、あたしリュシアンヌに参ります。それからブローニュに」

「シュル=メールの方ですか?」

「ええ、臣下が国王を怖がらせるような国にはいたくありません」

「伯爵夫人!」この侮辱にルイ十五世が声をあげた。

「まだこれからも陛下を尊敬申し上げたいので、発つことをお許し下さい」

 伯爵夫人は立ち上がりながら、国王の反応を横目で探った。

 ルイ十五世は疲れたように溜息をついた。溜息の意味は明らかだった。

 ――もうこれにはうんざりだ。

 ションは溜息の意味を悟った。これ以上喧嘩の話を進めるのは利口ではない。

 伯爵夫人の服に触れて思いとどまらせ、王のもとに向かった。

「陛下、伯爵夫人は子爵を思う気持がちょっと強すぎたんです……過ちを犯したのはあたしなんですから、償いもあたしがいたします……一臣下として申し上げますが、兄に対して公正なる裁きをお願いいたします。あたしは誰も告発いたしません。賢明なる国王陛下なら見定めて下さいますでしょう」

「余も同じことを考えていました。裁き。それも公正なる裁きです。罪を犯していないのなら非難されず、罪を犯したのなら罰せられるのです」

 しゃべっている間も伯爵夫人を見つめていた。出来ることなら、惨めに終わってしまった健やかな朝を、一時なりとも取り戻したいと思いながら。

 伯爵夫人は心立ての優しい人だった。この部屋を離れたところでは、国王はもてあました心を悩ませ心を痛めているのかと思うと、申し訳なく感じた。

 既に戸口に歩き出していたために、振り返るような形になった。

「ほかのお話をしますか?」愛らしく白旗を振った。「でもあたしが疑問を持っている限りは、疑いは消えませんわ」

「あなたの疑いは尊重しますとも」国王は断言した。「それに少しでも確信に変わればぴんと来るのでしょう。だがもっと簡単な方法がありはしませんか」

「といいますと?」

「ここにショワズールを呼べばよい」

「まあ、来るわけがないのはご存じのくせに! あの方は愛妾の部屋に入ることなんて拒みむでしょう。妹の方は別ね。あの人はそれが望みですものね」

 王が笑い出した。

 それに力を得て伯爵夫人は続けた。「ショワズール殿は王太子殿下を真似てらっしゃるのね。誰だって評判を落としたくはありませんから」

「王太子は信心深いのですよ」

「ショワズール殿は偽善者ね」

「ありがたいことにここでショワズール殿に会えますよ。今から呼びましょう。国の仕事だと言えば来ざるを得まい。すべてを目撃したションの目の前で、説明してもらおうじゃありませんか。裁判でいうところの対質と行こうか、どうだね、サルチーヌ? ショワズールを呼びにやってくれ」

「じゃああたしは尾巻猿を呼ぼうかしら。ドレ、尾巻猿! 尾巻猿を!」

 化粧室に控えていた小間使いにかけられたこの言葉、控えの間にもしっかり聞こえていた。というのも、扉を開けて使いの者をショワズールの許に送り出した時、喉を鳴らすようなしゃがれ声が聞こえて来たからだ。

「伯爵夫人の尾巻猿とは、私のことですね。今行きます、さあお待たせしました」

 こうして絢爛豪華な服装をした傴僂が颯爽と現れた。

「Tresmes 公!」伯爵夫人は苛立って声をあげた。「でもあたしが呼んだのはあなたじゃありませんの」

「尾巻猿をお呼びになったではありませんか」言いながら公爵は、国王、伯爵夫人、サルチーヌの三人にお辞儀をした。「廷臣の中で私ほど醜い猿はおりませんぞ。ですから駆けつけたのです」

 そう言って公爵は尖った歯を剥き出して笑って見せた。これには伯爵夫人も笑わずにはいられなかった。

「ここにいて構いませんか?」それが生涯かけて望んでいた恩寵だとでも言わんばかりであった。

「陛下におたずねなさいな。ここの主なんですから」

 公爵は頼み込むように王の方を向いた。

「ここにいなさい、公爵」気晴らしが増えることを喜んで、王は答えた。

 その時、取次の者が扉を開けた。

「おや」飽いたように王がたずねた。「もうショワズールが?」

「いいえ、陛下。王太子殿下がお話しになりたいそうです」

 王太子は自分側だと思っていた伯爵夫人は躍り上がったが、抜かりのないションの方は眉をひそめた。

「そうか。王太子は何処に?」国王が苛立たしげにたずねた。

「陛下のお部屋に。お戻りになるのを待っていらっしゃいます」

「落ち着く暇などあるわけがないであろう」と叱りつけた。

 だが王太子と接見すれば一時的にでもショワズールとまみえることを避けられると気づき、考え直した。

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