翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『ジョゼフ・バルサモ』25-2

 だが確かめるには大きな振り子が邪魔だった。

 そこで銅口から指を巧みに滑らせ、振り子を外した。

 それも空振りだった。あらゆる場所をくまなく調べた以上は、時計が止まった原因は目に見えないところにあるのだ。

 とすれば、時計係がネジを巻くのを忘れたために、自然に止まってしまったのではないだろうか。王太子は台座に引っかけてある鍵を取り、慣れた手つきでゼンマイを巻き始めた。ところが三巻きしか出来ない。どうやら原因不明の不具合があるのは間違いない。巻きはしたものの、それ以上ゼンマイは動かなかった。

 王太子はポケットから鼈甲柄のナイフを取り出し、刃先で歯車を叩いた。刹那、機械は軋みをあげると、止まってしまった。

 ここに来て時計の不調は深刻なものに変わった。

 王太子ルイはナイフの先で部品を外し、卓上にネジを慎重に広げていった。

 なおも心を奪われたように、複雑な機構箇所の分解に移り、さらに精妙な部品に取りかかった。

 と見る間に快哉を叫んだ。ゼンマイを止めているネジがゆるみ、駆動輪が止まっているのを見つけたのだ。

 そこで王太子はネジを締め始めた。

 やがて左手で歯車、右手にナイフを持ち、再び機械に頭を突っ込んだ。

 こうして夢中になって機械仕掛けをいじっている最中、扉が開き声があがった。

「国王陛下です!」

 だがルイには手の下でチクタクと鳴る美しい音しか聞こえていなかった。名医の手で甦った心臓の鼓動の如き音である。

 国王は辺りを見回したが、王太子を見つけるのに時間がかかった。というのも見えたのは一つ両足だけで、上半身は時計で隠れ、頭は時計の中に埋もれていたのだ。

 国王は笑顔を浮かべて歩み寄り、孫息子の肩を叩いた。

「そこで何をしているのだね?」

 ルイは慌てて身体を引っこ抜いたが、それでも、修理しようとしていた時計を壊してしまわぬよう細心の注意を払うことは忘れなかった。

「陛下もご覧の通り」作業中のところを見つかって真っ赤になりながら王太子は答えた。「お待ちしている間、暇つぶしをしていたところです」

「ああ、時計を壊してかね。何て暇つぶしだ!」

「あべこべですよ、直していたんです。大歯車が動かなくなっていましたから。ご覧の通りこのネジのせいでした。ネジを締め直したので、もう動き出しました」

「だがそんなところで調べていたら目が悪くなってしまうぞ。余であれば、この世の黄金をすべてやると言われても、そんな巣箱には頭を入れぬがの」

「心配はいりません。ちゃんとわかっていますから。十四歳の誕生日に陛下から賜った時計、分解するのも組み立てるのも手入れするのも、この私がやっているんです」

「それはそうと、時計のことは置いておこう。余に話があったのではないかね?」

「私が?」王太子は赤くなった。

「違うかな。ここで待っていると使いを寄こしたではないか」

「その通りです」王太子は目を伏せた。

「よかろう! 何が望みだ? 言いなさい。何も言うことがないのなら、余はマルリーに出かけるが」

 ルイ十五世はいつもの癖でとうに立ち去ろうとしていた。

 王太子がナイフと部品を椅子に置いた。夢中になっていた作業を中止した以上は、これこそが重大な話があるという証拠にほかならなかった。

「お金かね?」国王はぴしゃりとたずねた。「それなら待っていなさい。あとで届けよう」

 ルイ十五世は扉に向かってさらに一歩踏み出した。

「違うんです。まだ年金が千エキュあります」

「倹約家だな。ラ・ヴォーギヨンは倹約しろとよく言っていたが。あの男には余に欠けている美徳が備わっていたのだろうな」

 王太子は勇気を奮い起こした。

「陛下、妃殿下はまだ遠いのですか?」

「それは余よりもそなたの方がよく知っておろう」

「私が?」王太子はまごついてみせた。

「さよう。昨日、報告書を聞かせてもらったところ、月曜日にはナンシーを超えたと言っておった。今頃は巴里から四十五里ほどであろう」

「随分とゆっくりだとはお思いになりませんか?」

「そんなことはあるまい。むしろ早いのではないかな。ご婦人であること、それに祝宴やもてなしを受けていることを考えれば。いろいろ考え合わせれば、二日で十里がいいところだ」

「それでは遅すぎます」王太子がこわごわと口にした。

 これほどまでに待ちこがれているのかと思うと、ルイ十五世は驚きを深め、まったく疑いもしなかった。

「ほほう!」からかうような笑みを浮かべ、「随分と急いておるな?」

 王太子はかつてないほど真っ赤になった。

「そうではないんです」と呟いた。「陛下が想像なさるようなことではありません」

「そうか。そうであって欲しかったのだがな。そなたは十七歳だ。可愛い皇女だと聞くぞ。待ちきれなくとも仕方あるまい。心配せずともそなたの妃はやって来る」

「途中の儀式をちょっとくらい端折ることは出来ないのですか?」

「無理だ。立ち寄っておかねばならぬ町があったのだが、既にいくつか素通りしている」

「それではきりがありません。一つ思っていることがあるのですが」王太子はこわごわと洩らした。

「何だね? 言い給え!」

「手配が至らなかったのではないでしょうか」

「何の手配だね!?」

「旅の手配です」

「馬鹿げたことを! 各駅には三万頭の馬、三十輛の馬車、六十輛の貨車を送っているし、どれだけの運搬車があるのかわからぬくらいだ。運搬車、貨車、馬車、馬が揃っておれば、パリからストラスブールまでは充分だろう。これだけ揃っていて、なぜ手配が至らぬと思うのだ?」

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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