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『ジョゼフ・バルサモ』26-2 「ペトー王の宮廷」 アレクサンドル・デュマ

アレクサンドル・デュマ『ジョゼフ・バルサモ』 翻訳中 → 初めから読む

「王太子妃とジャン・デュ・バリーか。奇妙な取り合わせだ。よかろう、説明してくれぬか、ショワズール。隠し立ては無用だぞ。デュ・バリーに傷を負わせたのが妃だったとしてもだ」

「妃殿下ではございませんが」ショワズールは態度を変えなかった。「護衛の者がやったことでございます」

 王は再び顔を曇らせた。「その者を知っているのか?」

「私は存じ上げませんが、勲臣一人一人を胸に刻んでいる陛下ならご存じのはずです。父君の背負っているその名はフィリップスブルク、フォントノワ、マオンに響き渡っておりました。タヴェルネ=メゾン=ルージュです」

 王太子はその名を記憶に刻もうとでもしたのか、部屋の空気諸共この名も吸い込んだように見えた。

「メゾン=ルージュ? もちろん知っておる。それがどうしてジャンの奴と喧嘩なぞを? 余がジャンを寵しているからか……馬鹿げた妬み、不服申し立てのきっかけ、叛乱の趣すらあるのでは!」

「陛下、話をお聞き下さいますか?」

 この問題を切り抜けるには感情的な真似をするしかない。ルイ十五世はそれを承知していた。

「要するにこれは、余の平穏を乱す陰謀の始まり、余の家族を貶める嫌がらせではないか」

「王太子妃殿下をかばうおつもりから、この青年を非難なさるのでしょうか?」

 王太子が立ち上がって腕を組んだ。

「私はその男に感謝していますよ。二週間後には妻になる皇女の為に、命を賭けてくれたんですから」

「命を賭けた、か!」王が呟いた。「何の為に? それが知りたい。いったい何の為に?」

「ジャン・デュ・バリー子爵は旅を急ぐあまり、妃殿下が到着予定の宿駅で、馬を奪おうとしたのです。恐らくさらに先を急ぐ為に」

 国王が口唇を噛み、顔色を変えた。先ほど感じていたのと同じような不安が幽霊の如く迫り来るのを悟ったのである。

「そんなことはあるまい。余にはわかっている。そなたは良く知らぬのだ」ルイ十五世は時間を稼ごうと、ぼそぼそと洩らした。

「いえ陛下、良く知らぬはずはありません。名誉に賭けて、陛下に申し上げることは掛け値ない真実でございます。ジャン・デュ・バリー子爵は確かに、王太子妃殿下の為にご用意してあった馬を入手せんとして妃殿下を侮辱され、宿駅の主に乱暴を働いて力ずくで馬を連れ出そうとしていたところ、妃殿下に遣わされたフィリップ・ド・タヴェルネ殿が相手を立てた鄭重な警告を行った後……」

「うむ、うむ!」王がうめいた。

「相手を立てた鄭重な警告を行った後、でございます、陛下……」

「そう、私も保証しますよ」王太子が言った。

「そなたも知っているのか?」たまげてしまった。

「何もかも知ってます」

 ショワズールが感謝するように頭を下げた。

「殿下がお話しなさいますか? 恐らく私の言葉などより、殿下のお言葉の方が陛下も信頼なさるでしょうから」

「うん、そうしよう」ショワズール大臣としては、懸命に大公女をかばっていることに当然のこと某かの感謝を期待していたところだが、王太子はそんな素振りは一切見せずに話を続けた。「私も事情は知っているし、ここに来たのも陛下にそれを伝えるためです。デュ・バリー氏は馬の用意を妨げて妃殿下を侮辱しただけでなく、務めを果たしただけの聯隊員に対しても礼儀を欠いた行動を取って暴力に及んだのです」

 王は首を横に振った。

「まだ何とも言えぬ」

「私には断言出来ます」王太子がしめやかに口を開いた。「デュ・バリー氏が剣を取ったのです」

「先に、ということかね?」引き分けに持ち込む機会が出来たことに喜んで、王はたずねた。

 王太子が顔を赤らめショワズールを見遣ると、王太子が困っているのを見て慌てて助けに入った。

「つまり陛下、一人は妃殿下を侮辱し、一人は妃殿下を守るために剣を交したのでございます」

「うむ、先に手を出したのはどちらだね 余はジャンを知っている。子羊のようにおとなしいぞ」

「飽くまで私の判断ですが、先に手を出したのは間違いを犯していた方ですよ」王太子は控えめに断じた。

「何とも言えぬな。先に手を出したのは間違いを犯していた……だが将校が無礼な態度を取ったのだとしたら?」

「無礼ですと!」ショワズールが声をあげた。「妃殿下の馬を持ち去ろうとしていた人間を止めることが無礼だなどと、まさかそんなことが?」

 王太子は無言だったが、顔が青ざめた。ルイ十五世は二人の強硬な態度を見て取った。

「興奮していたのではないかと言いたかったのだ」国王は言い直した。

「それに――」相手が譲歩したと見るや、ショワズールが前に出た。「忠臣が間違いを犯したりはしないことを陛下はよくご存じのはずです」

「それより、そなたはどうやって事情を知ったのだ?」目はショワズールから逸らさぬままに、国王が王太子にたずねた。不意に声をかけられた王太子はひどく慌ててしまい、動揺を隠そうと努めたものの、狼狽えているのは誰の目にも明らかだった。

「手紙が届いたのです」

「誰からだね?」

「妃殿下に関わりがあり、侮辱などもってのほかと感じている者からでしょう」

「ああ、また秘密の手紙に悪だくみか。また余を困らせようと企んでいるのだな。ポンパドゥール夫人の時と同じだ」

「違います、違います」ショワズールが口を挟んだ。「そんなややこしいことではなく、第二級不敬罪に過ぎません。然るべき罰を犯人に下せば済む話でございます」

 この罰という言葉に、伯爵夫人が柳眉を逆立てションが色をなして食ってかかるのが、目に見えるようだった。家庭の平和が飛び去ってしまう。それはルイ十五世が生涯を通して求めながら果たせないものであった。爪を立て、目を涙で真っ赤に腫らし、内紛が始まるのが目に見えた。

「罰か! まだ当事者から話も聞いていないし、どちらの言い分が正しいのか判断もしようがないではないか! クーデターやら封印状でもあるまいし! そなたはそんな提案をして、余をどんな厄介ごとに引きずり込むつもりなのだ?」

「ですが陛下、初めが肝心です。妃殿下を侮辱した者に制裁を加えておかなければ、これから先、いったいどうなるでしょうか……?」

「中傷が飛び交いますよ」王太子が後を引き取った。

「制裁に中傷だと? では我々を取り巻く中傷にいちいち制裁を加えるがいい。余は封印状に署名して一生を終えねばなるまい! ありがたいことに、もう飽きるほど署名はしてしまったよ!」

「必要なことです、陛下」ショワズールが言った。

「私からもお願いいたします、陛下……」王太子も重ねて言った。

「怪我をしたことでとうに罰せられているとは思わぬのか?」

「そうは思いません。タヴェルネ殿を傷つける可能性もあったのでございますから」

「だとしたら、そなたの望みはいったい何なのだ?」

「子爵の首を」

「だが、アンリ二世を殺したモンゴムリーにもそれほどひどいことはしなかったではないか」

「モンゴムリー伯は偶然から国王を殺してしまいましたが、ジャン・デュ・バリー殿は侮辱しようとして王太子妃殿下を侮辱したのでございます」

「ではそなたも――」と、ルイ十五世は王太子に問いかけた。「ジャンの首が望みなのか?」

「いいえ、私は死刑には反対ですから」そう言ってから控えめにつけ加えた。「ですから、私のお願いは追放刑に留めるつもりです」

 王は身震いした。

「旅籠の喧嘩に追放だと? ルイ、博愛主義のわりには厳しいではないか。そなたはやはり、博愛主義者である以前に数学者なのだ。そして数学者とは……」

「続きを承っても構いませんか?」

「数学者はものごとすべてを数字で考えたがるものだ」

「陛下、私はデュ・バリー殿個人を恨んでいるのではありません」

「では誰を?」

「妃殿下の襲撃者を」

「夫の鑑ではないか!」王が皮肉った。「ありがたいことに、そう簡単には騙されぬぞ。非難されているのが誰かもわかっているし、余にどう思わせたくて大げさに騒ぎ立てているのかもわかっている」

「陛下、大げさではございません。民衆はあまりの無礼に心から憤っているのです」ショワズールが言った。

「民衆だと! そなたは自分を、いや、余をとんでもないことに巻き込んでおるな。民衆に耳を傾けろと? 中傷、諷刺、小唄の作者や陰謀家が口を揃えて、王様は盗まれ騙され裏切られていると言っているのに? くだらん。勝手に言わせて笑っておけばいい。余に倣え、耳を閉じよ。そのうち疲れてしまえば、民衆も叫ぶのをやめるだろう……。ははあ、そなたは不満そうな素振りをしておるな。ルイはすねたような顔をしておる。まことに不思議なものだな! 半端者のためになら出来ることも余のためには出来ぬし、生きたいように生きることも許さずに、余が好きと言えば嫌いと言い、嫌いと言えば好きと言う。余はまともかうつけか? 余は君主や否や?」

 王太子がナイフをつかみ、振り子時計に戻った。

 ショワズールは先ほど同様に頭を垂れた。

「そうか、答えはなしか。何でもよいから何か答えぬか! そなたたちは余を苦しめて死なせたいのか? さえずったかと思えばだんまりを決め込み、憤ったかと思えばびくつきおって」

「私はデュ・バリー殿に憤っているのではありません」王太子が笑顔で答えた。

「私も子爵にびくついているわけではございません」ショワズールはつっけんどんだった。

「揃いも揃ってひねくれおって!」国王は立腹を装い声をあげたが、胸に湧いていたのは悔しさであった。「そなたたちは余をヨーロッパ中の笑いものにしたいのか? プロイセン王から馬鹿にされればよいと思っておるのか? あの忌々しいヴォルテールのペトー王の宮廷よろしく、揃いも揃って王様になるつもりなのか? とんでもない! そうはさせぬぞ。そうは問屋が卸さぬ。余は自分なりに名誉をわきまえておるし、自分なりにそれを守るつもりだ」

「陛下――」王太子の声は飽くまで穏やかだったが、妥協の構えは見えなかった。「恐れながら申し上げますが、問題になっているのは陛下の名誉ではなく、王太子妃の尊厳が侮辱されたのです」

「殿下の仰る通りでございます。陛下から一言仰っていただければ、繰り返す者はおらぬでしょう」

「誰が繰り返すというのだ? まだ何も起こってはいないというのに。ジャンは愚かだが、悪意があったわけではない」

「愚かなことだったといたしますと、タヴェルネ殿に謝罪することになるのでは」

「その話はもうよい! この目で見たわけではないのだ。ジャンには謝罪する自由もあるし、謝罪しない自由もある」

「事件を成り行きに任せますと、騒ぎになりましょう」ショワズールが口を添えた。「それを前もって陛下にお知らせ出来るのはありがたいことでございます」

「結構だな! ではそうしてみるがよい。余は耳を塞いでおこうか。そなたたちのたわごとはもうたくさんだ」

「では陛下は――」ショワズールはぴしゃりと言い放った。「デュ・バリー殿が正しいとお認めになったと考えていいのでしょうか?」

「余が認めたと? インクほども真っ黒な事件の渦中にいる人間のことを、正しいと認めたというのか? どうも余を怒らせたいらしいな。気をつけるがいい、公爵……ルイ、そなた自身のためにも、よく覚えておけ……余の言ったことは、後はそなたたちで考えてくれ。余はもう疲れた。限界だ。もう構わぬ。ご機嫌よう諸君、余は娘たちのところに寄ってからマルリーに避難するとしよう。あそこなら少しは落ち着けるだろう。そなたたちがついてこなければの話だがね」

 国王がそう言って戸口に向かったところ、扉が開いて取次が姿を見せた。

「陛下、ルイーズ王女殿下がおいとまのご挨拶をするため、お部屋でお待ちしていらっしゃいます」

「いとまの挨拶だと?」ルイ十五世は仰天した。「何処に行くつもりなのだ?」

「宮殿を離れる許可を陛下からいただいたとおっしゃっていましたが」

「また事件か! 今度やらかしたのはお祈り娘か。余は世界一不幸な人間に違いあるまい!」

 そうして国王は走り去った。

「置き去りにされてしまいましたな」公爵は王太子にたずねた「殿下はどうなさいますか?」

「おっ、鳴っている!」振り子時計が元通り動き出した音を耳にして、本気なのかふりなのか、王太子は喜びの声をあげた。

 大臣は眉を寄せ、後ずさるようにして部屋を出た。振り子時計の間に残ったのは王太子一人だった。

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