翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『ジョゼフ・バルサモ』 31-2 

アレクサンドル・デュマ『ジョゼフ・バルサモ』 翻訳中 → 初めから読む

「いや、まだ手はある」ジャンが言った。

「ほかにも?」

「ええ」

「ご迷惑をかけないような?」

「凄いじゃない、お兄様! 詩人になったらどう? ボーマルシェだってこれほど手だてを思いつきはしないわよ」

 老婦人はその手だてとやらを聞きたくてたまらなかった。

「からかうのはよせ。ダロワーニ夫人とは懇意だったな?」

「そんなこと!……知ってるでしょ」

「代母の役を出来なかったら気を悪くするかな?」

「多分ね」

「代母役を担うには家格が足りないと陛下が口にしたことはわざわざ伝えなくてもいい。ただ、いい子だから機転を利かせて、別の言い方をするんだ」

「要するに何を?」

「協力を惜しまず財産を作る機会をベアルン伯爵夫人に譲るということをだ」

 伯爵夫人は身震いした。今度の攻撃は単刀直入だった。曖昧な返答を許さない。

 それでもやがて答えは見つかった。

「その方をご不快にさせたくはありませんよ。人間には敬意が必要でございますから」

 デュ・バリー夫人はむっとするような素振りを見せたが、兄になだめられた。

「聞いて下さい、マダム。何かしろと言っている訳ではありません。間もなく始まる訴訟がある。それに勝ちたいのは当然のことです。ところが負けそうなので絶望してらっしゃった。僕はその絶望の真っ直中に出くわして、心の底からお気の毒に思ったんです。それで自分には無関係なこの訴訟に興味を持ちました。既に首まで嵌っていたあなたを見て、どうにか事態を好転させたいと思ったのですが。間違っていました、もうこの話はやめます」

 そう言ってジャンは立ち上がった。

「そんな!」この悲痛な叫びは、デュ・バリー兄妹にも伝わった。それまでは無関心だった訴訟に、二人とも関心を寄せ始めた。「そんなことはありませんよ、ええそうです、ご親切にどれほど感謝していることか!」

「おわかりだと思いますが」ジャンは見事なまでに無関心を演じていた。「誰に紹介してもらっても構わないんですよ。ダロワーニ夫人にでも、ポラストロン夫人にでも、ベアルン夫人にでも」

「でもそうでしょうけど」

「ただですね、陛下のご親切を興味本位に利用し、僕らを前にした途端に妥協してしまうような卑しい人には我慢ならないんです。それしきのことで陛下のご威光は揺るぎないと分かってはいるのですが」

「ふうん! ありそうなことね」デュ・バリー夫人が合いの手を入れた。

「一方、自分から名乗り出たわけでもなく、僕らもあなたのことは殆ど知りませんが、大変な気品を備えていらっしゃるし、あらゆる点から見てあなたこそこの状況をものにすべきだと思うんです」

 恐らく老婦人は、子爵に讃えられたその善意に逆らって抗おうとしたのだろう。だがデュ・バリー夫人がその暇を与えなかった。

「確かに、そうすれば陛下はお喜びになるわ。そんなご婦人を拒むことは絶対にないでしょうね」

「陛下はお拒みにならないと仰るのですか?」

「むしろ陛下の方からあなたの望みを掘り返しますよ。ご自分の耳で、陛下が副大法官にこう仰るのを聞けるでしょう。『ベアルン夫人のために何かしてやりたいと思うが、いいかね、モープー?』。でも、そうはいかないと思ってらっしゃるようですね。わかりました」と言って子爵が頭を下げた。「どうか僕の誠意をわかっていただけませんか」

「まあそんな。私には感謝の気持しかありませんよ!」

「何の疑いもないんですね!」

「でも……」

「何です?」

「でも、きっとダロワーニ夫人が許して下さいませんよ」

「それでは最初の話に戻るだけです。どっちみちあなたは機会を得て、陛下は感謝することになるでしょうね」

「でもダロワーニ夫人が引き受けたとしたら――」ベアルン夫人は最悪の結果を覚悟し、事態を見極めようとしていた。「その恩恵を取り上げることなんて出来ないでしょう……」

「陛下はご親切を惜しんだりなさらないわ」デュ・バリー夫人が言った。

「ふん! サリュース家には災難だな。知ったこっちゃないが」

「私がお役目を申し出たとしても――」もともと気になっていたところに斯かる喜劇が演じられたせいもあり、ベアルン夫人もだんだんと思いを固め始めた。「訴訟に勝つとは思えませんよ。今日までは誰が見たって負けていたのに、明日には勝っているなんてとても無理ですもの」

「そんなのは陛下のお気持ち次第です」またもや老婦人が躊躇っているのを見て、子爵は急いで言葉を継いだ。

「待ってよ。ベアルン夫人の言う通り。あたしも同感ね」

「何だって?」子爵は目を見開いた。

「つまりね、予定通りに訴訟が進んだとしても、ベアルン夫人のように由緒ある家柄の方には結構なんじゃないってこと。陛下のご厚意やご親切の障碍にはならないわ。何しろ高等法院とは今みたいな状況だから、もしかすると陛下も裁判の流れを変えたくないかもしれないけど、その時は賠償してくれるんじゃない?」

「そうだな」子爵もすぐに同意した。「その通りだ!」

「でもですよ」ベアルン夫人が辛そうに口を聞いた。「二十万リーヴルもの負債を、どうやって賠償して下さるんでしょうか?」

「まずはそうね、国王からのご下賜金が十万リーヴル、とかかしら?」

 デュ・バリー兄妹は食い入るようにかもを見つめていた。

「私には息子がいます」

「あら素敵! 王国にまた一人、陛下に忠実な臣下が増えるんですよ」

「息子にも何かしていただけると思いますか?」

「僕が答えましょう。最低でも近衛の副官は見込めます」とジャンが言った。

「ほかにもご親戚はいらっしゃいますの?」デュ・バリー夫人がたずねる。

「甥が一人」

「そうですか。甥御さんにも何か考えておきますよ」

「それはあたなに任せるわ。いくらでも思いつくみたいだし」デュ・バリー夫人も笑いながら同意した。

「よし。陛下がホラティウスの教訓に従いあなたのために手を尽くし、解決を図って下さるなんて、賢明ななさりようではありませんか?」

「思っても見ないほど寛大ななさりようですとも。それに伯爵夫人にもお礼を申し上げます。寛大な計らいもみんなあなたのおかげでございますから」

「それじゃあ」デュ・バリー夫人がたずねた。「この話を真剣に考えて下さるのね?」

「ええ、真剣に考えます」こう約束したベアルン夫人の顔は真っ青だった。

「じゃあ陛下にあなたのことをお話ししても構わないわね?」

「ありがたく存じます」ベアルン夫人は一つ溜息をついた。

「すぐに実行するわ。遅くとも今晩にはね」と言ってデュ・バリー夫人は腰を上げた。「これで手に入れられたかしら、あなたの友情を」

「ご友情などとはもったいないことでございます」老婦人はお辞儀をして答えた。「本当のことを申しますと、夢でも見ているようでございますよ」

「ではまとめましょうか」すべて無事に終わらせるためには、夫人に気が変わってもらっては困る。「まずは報償金十万リーヴルが、訴訟費用、旅賃、弁護士費用などに……」

「ええ」

「息子さんである伯爵には副官の地位を」

「きっと素晴らしい経歴の第一歩ですよ」

「甥御さんにも何かを、でしたね?」

「何かですか」

「何か見つけてもらうと申し上げた通りです。僕に任せて下さい」

「ところで今度はいつお会い出来るのでしょうか、伯爵夫人?」

「明日の朝、四輪馬車を迎えに行かせて、陛下のいるリュシエンヌまでお連れします。明日の十時にはお約束を果たしますわ。陛下にはお知らせしておくので、すぐにお会い出来ますよ」

「お送りいたしましょう」ジャンが腕を差し出した。

「とんでもございません。どうかそのままで」

 ジャンは引き下がらなかった。

「せめて階段の上まで」

「是非にと仰るのでしたら……」

 そう言ってベアルン夫人は子爵の腕を取った。

「ザモール!」

 デュ・バリー夫人が呼ぶと、ザモールが駆けつけた。

「玄関までご案内差し上げて。それから兄の車を回すように」

 ザモールは閃光のように立ち去った。

「本当にお世話になりました」ベアルン夫人が口を開いた。

 二人は別れのお辞儀を交わした。

 階段の上まで来ると、ジャン子爵は腕を放し妹の許に戻った。ベアルン夫人は大階段を厳かに降りていった。

 先頭を歩いているのはザモール。その後から、二人の従僕が明かりを手に続き、それからベアルン夫人、三人目の従僕がやや寸足らずな裾を持って従った。

 デュ・バリー姉妹は窓越しに、ベアルン夫人が馬車に着くまで見守っていた。細心の注意と一方ならぬ苦労の末にやっと見つけ出した代母なのだ。

 ベアルン夫人が玄関の石段を降り切った時のことだった。馬輿が中庭に乗り入れられ、若い婦人が扉から声を張り上げた。

「おや、ションさま!」ザモールがぶ厚い口唇を開いた。「お晩でございます」

 ベアルン夫人が空中で足を止めた。到着を告げた声に聞き覚えがあったのだ。フラジョ氏の偽娘ではないか。

 デュ・バリー夫人は大急ぎで窓を開け、妹に向かって賢明に合図したが、気づかれずに終わった。

「ジルベールのお馬鹿ちゃんはここ?」ションは伯爵夫人に気づかぬまま従僕に声をかけた。

「いいえ、一度も見かけておりません」

 ションが目を上げ、ジャンの合図に気づいたのはその時だった。

 伸ばした腕の先に目をやると、ベアルン夫人がいた。

 ションは悲鳴をあげて帽子コワフを引き下げ、玄関に転がり込んだ。

 老婦人は気づいた様子を微塵も見せずに馬車に乗り込み、御者に行き先を告げた。

スポンサーサイト

コメント

Page Top▲

コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

Page Top▲

トラックバック

Page Top▲

PROFILE

東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 名前:東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
  • 本好きが高じて翻訳小説サイトを作る。
  • 翻訳が高じて仏和辞典Webサイトを作る。

  • ロングマール翻訳書房
  • RSS
  • 09 | 2017/10 | 11
    S M T W T F S
    1 2 3 4 5 6 7
    8 9 10 11 12 13 14
    15 16 17 18 19 20 21
    22 23 24 25 26 27 28
    29 30 31 - - - -

    SEARCH

    RECENT ENTRIES

    CATEGORY

    RECENT TRACKBACKS

    RECENT COMMENTS

    ARCHIVES

  • 2017年10月 (2)
  • 2017年09月 (5)
  • 2017年08月 (4)
  • 2017年07月 (5)
  • 2017年06月 (3)
  • 2017年05月 (5)
  • 2017年04月 (4)
  • 2017年03月 (4)
  • 2017年02月 (4)
  • 2017年01月 (4)
  • 2016年12月 (5)
  • 2016年11月 (4)
  • 2016年10月 (5)
  • 2016年09月 (4)
  • 2016年08月 (4)
  • 2016年07月 (5)
  • 2016年06月 (4)
  • 2016年05月 (4)
  • 2016年04月 (5)
  • 2016年03月 (4)
  • 2016年02月 (4)
  • 2016年01月 (5)
  • 2015年12月 (4)
  • 2015年11月 (4)
  • 2015年10月 (5)
  • 2015年09月 (4)
  • 2015年08月 (5)
  • 2015年07月 (4)
  • 2015年06月 (4)
  • 2015年05月 (5)
  • 2015年04月 (4)
  • 2015年03月 (4)
  • 2015年02月 (4)
  • 2015年01月 (4)
  • 2014年12月 (4)
  • 2014年11月 (5)
  • 2014年10月 (4)
  • 2014年09月 (4)
  • 2014年08月 (5)
  • 2014年07月 (4)
  • 2014年06月 (4)
  • 2014年05月 (4)
  • 2014年04月 (4)
  • 2014年03月 (5)
  • 2014年02月 (4)
  • 2014年01月 (3)
  • 2013年12月 (4)
  • 2013年11月 (5)
  • 2013年10月 (5)
  • 2013年09月 (5)
  • 2013年08月 (4)
  • 2013年07月 (4)
  • 2013年06月 (5)
  • 2013年05月 (5)
  • 2013年04月 (4)
  • 2013年03月 (5)
  • 2013年02月 (4)
  • 2013年01月 (4)
  • 2012年12月 (5)
  • 2012年11月 (3)
  • 2012年10月 (4)
  • 2012年09月 (5)
  • 2012年08月 (4)
  • 2012年07月 (4)
  • 2012年06月 (5)
  • 2012年05月 (4)
  • 2012年04月 (4)
  • 2012年03月 (6)
  • 2012年02月 (4)
  • 2012年01月 (2)
  • 2011年12月 (4)
  • 2011年11月 (5)
  • 2011年10月 (6)
  • 2011年09月 (5)
  • 2011年08月 (5)
  • 2011年07月 (5)
  • 2011年06月 (4)
  • 2011年05月 (4)
  • 2011年04月 (5)
  • 2011年03月 (5)
  • 2011年02月 (7)
  • 2011年01月 (5)
  • 2010年12月 (5)
  • 2010年11月 (4)
  • 2010年10月 (5)
  • 2010年09月 (5)
  • 2010年08月 (4)
  • 2010年07月 (5)
  • 2010年06月 (4)
  • 2010年05月 (5)
  • 2010年04月 (5)
  • 2010年03月 (9)
  • 2010年02月 (5)
  • 2010年01月 (5)
  • 2009年12月 (5)
  • 2009年11月 (5)
  • 2009年10月 (5)
  • 2009年09月 (4)
  • 2009年08月 (5)
  • 2009年07月 (4)
  • 2009年06月 (4)
  • 2009年05月 (5)
  • 2009年04月 (4)
  • 2009年03月 (5)
  • 2009年02月 (3)
  • 2009年01月 (5)
  • 2008年12月 (4)
  • 2008年11月 (5)
  • 2008年10月 (4)
  • 2008年09月 (4)
  • 2008年08月 (3)
  • 2007年06月 (5)
  • 2007年05月 (3)
  • 2007年04月 (3)
  • 2007年02月 (4)
  • 2007年01月 (3)
  • 2006年12月 (1)
  • 2006年11月 (2)
  • 2006年10月 (1)
  • 2006年09月 (6)
  • 2006年08月 (13)
  • 2006年07月 (6)
  • 2006年06月 (10)
  • 2006年05月 (2)
  • 2006年04月 (4)
  • 2006年03月 (3)
  • 2006年02月 (11)
  • 2006年01月 (10)
  • 2005年12月 (14)
  • 2005年11月 (17)
  • 2005年10月 (3)
  • 2005年09月 (27)
  • 2005年08月 (3)
  • 2005年02月 (3)
  • 2005年01月 (8)
  • LINKS

    SEARCH

    SEARCH