翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『ジョゼフ・バルサモ』 32-2

アレクサンドル・デュマ『ジョゼフ・バルサモ』 翻訳中 → 初めから読む

 夜が訪れた。

 部屋が暗いのは苦手なので、明かりを付けた。

 だがそれ以上に一人が苦手だった。

「十五分後には馬を。そうだ、後十五分やろう。それ以上は待てぬ」

 ルイ十五世は暖炉の前にある長椅子に寝そべり、十五分つまり九百秒が過ぎるのをやむなく待つことにした。

 青い象に乗った薔薇色のトルコ王妃の描かれている柱時計が、百分の四打った頃、国王は眠りに落ちていた。

 ご推察の通り、馬車の準備が出来たと報せに来た従僕は、国王が眠っているのを見て、起こしてしまわぬよう気を遣った。その結果、国王が目覚めた時には目の前にデュ・バリー夫人がいて、ほとんど眠っていないような様子で、大きな瞳で国王を見つめていた。扉の陰ではザモールが命令を待っている。

「おや、あなたですか、伯爵夫人」国王は横になったまま身体だけを起こした。

「もちろん。それもずっと前からいましたのに」

「はて、ずっと前というのは……」

「もう! 一時間は経ってますわ。こんなに熟睡なさってるんだもの!」

「これはしたり。そなたはおらぬし、あまりに退屈だったのだ。それに夜にあまり眠っておらぬ。もう帰るところだったのだぞ?」

「存じてます。陛下の馬が繋いでありましたもの」

 国王は振り子時計に目を向けた。

「まさか、十時半だと! 余は三時間近くも眠っていたのか」

「リュシエンヌじゃ眠れないって仰りたいみたい」

「その通りだ。だがあれは何だ?」国王はザモールを認めて声を挙げた。

「リュシエンヌの領主です」

「まだ違うぞ」と国王は笑い出した。「任命される前から制服を着ておるのか。すっかり余の言葉を当てにしているらしい」

「陛下のお言葉は神聖ですけど、それを当てにする権利くらいは誰にでもありますもの。でもザモールは陛下のお言葉よりいいもの、ううん、お言葉ほどではないものを手に入れたんです。委任状です」

「何だと?」

「副大法官が送ってくれましたの。ほら。もう就任に必要な手続きは宣誓だけ。早く誓いを済ませて、任せてあげて下さいな」

「来給え、領主殿」

 ザモールが進み出た。襟には刺繍、大尉の肩章をつけ、短いキュロット、絹靴下、細長い剣を佩いている。大きな三角帽を腕に抱え、足取りは硬くぎこちない。

「しかし誓い方はわかるのだな?」

「もちろんよ。やってご覧になって」

「前へ」国王はこの黒人形をしげしげと眺めた。

「跪きなさい」伯爵夫人が命じた。

「誓いを述べよ」

 ザモールは胸に手を置き、もう片方の手を国王の手に重ねた。

「我が主人及び夫人に対する忠誠と崇敬を誓います。拝命いたしましたこの城館を命尽きるまで守ることを誓います。攻撃を受けた暁には降伏する前にジャムを最後の一壜まで残らず空にすることを誓います」

 ザモールがあまりに鹿爪らしい口を聞くものだから、国王は笑い出した。

「誓いと引き替えに」その場に相応しい厳めしさをすぐに取り戻し、「宮殿の空、地、火、水に棲まうものの名に於いて、そなたに領主権、上級及び下級裁判権を授ける」

「ありがとうございます、ご主人さま」そう言ってザモールは立ち上がった。

「よし。では、その立派な服を台所に、我々をそっとしておいてくれ。さあ行け!」

 ザモールは立ち去った。

 ザモールが扉から出たところに、別の扉からションが入って来た。

「おおそなたか、ション。よく来た」

 国王はションを引き寄せ口づけした。

「さあション、真実を話してくれるね」

「あら、お気をつけ遊ばせ。間の悪い。真実ねえ! あんなことは初めての経験だったかも。真実がお知りになりたいのなら、ジャンヌにお聞きになって。嘘をつけないひとですから」

「そうかね?」

「今のはションのお世辞。今までは今までですし、それに今晩からは伯爵夫人らしく嘘をつこうと決めているんです。口にすべきじゃない真実については」

「ははあ、どうやらションは何か隠しているようだな」

「まさか、とんでもありません」

「いったいどれだけの公爵、侯爵、子爵に会いに行くことになるだろうな?」

「そんなことにはなりません」伯爵夫人が答えた。

「ションはどう思うね?」

「二人ともそんなことにはならないと思ってますわ、陛下」

「その点については警察に報告書を作らせねばなるまい」

「警察とはサルチーヌの? あたくしたちの?」

「サルチーヌの方だ」

「どれだけ出してやるつもりですの?」

「知りたいことを教えてくれるのであれば、値切るつもりはない」

「ではあたくしの方の警察をお取りになって。報告書もこっちを。お役に立ちますから……絶対に」

「自分を売るつもりかね?」

「お金で秘密が買えるんじゃあ仕方ありませんでしょう?」

「まあよい。報告書を見よう。だが嘘はなしだ」

「まあ馬鹿にして」

「率直に話してくれと言いたかったのだ」

「わかりました! お金のご用意を。報告書はここです」

「ここにある」国王は懐中で金貨をじゃらじゃらと鳴らした。

「ではまず、デュ・バリー夫人は午後二時頃パリで目撃されています」と伯爵夫人が読み上げた。

「余が知りたいのはその後だ」

「ヴァロワ街に」

「否定はせぬ」

「六時頃、ザモールが戻って来ました」

「あり得ぬことではない。だがデュ・バリー夫人はヴァロワ街に何をしに行ったのだね?」

「自宅に行ったんです」

「それはわかる。だが何のために自宅に?」

「代母に会うために」

「代母か!」思わず顔をしかめていた。「では洗礼をしてもらうのか?」

「ええ、ヴェルサイユの大洗礼盤で」

「いや、それは違う。洗礼などされなくとも素晴らしい女性だぞ!」

「どうしてです? 諺はご存じでしょう、『人は自分にないものを欲しがる』」

「代母を見つけようとしたらどうなる?」

「見つかりました」

 国王は驚いて肩をすくめた。

「この展開には満足してますの。陛下がグラモン、ゲメネー、そのほか奥さま方の失敗を見たがらないってことがわかりましたから」

「どういうことだ?」

「この方々と組んでいらっしゃるんでしょう!」

「余が?……伯爵夫人、一ついいかね。王たるものは王としか手を組まぬ」

「わかってます。でも陛下の仰る王様はみんなショワズールのお友達じゃありませんの」

「代母の話に戻ろう」

「あたくしも賛成です」

「では無事に一人でっちあげたという訳か?」

「でっちあげなんかじゃありません。しかも上仕立て。ベアルン伯爵夫人と言って、君主だった一族の方ですわ。そういうこと。これならスチュアート家とお近づきの方の名誉を傷つけることもないと思うんですけど」

「ベアルン伯爵夫人?」と王が驚きの声をあげた。「一人だけ知っている。ヴェルダンか何処かに住んでいたはずだ」

「当たり! 大急ぎで飛んでいらっしゃったんですから」

「そなたに手を貸すというのか?」

「それも両の手を!」

「いつ?」

「明日の午前十一時に、内々で謁見を許しました。その時もしご無礼でなければ、日取りのことで陛下にお願いを申しますの。なるべく早めの日に決めて下さいな。構いませんでしょ?」

 国王は笑いに囚われたが、わざとらしいものだった。

「まあ大丈夫だろう」伯爵夫人の手に口づけした。

 が、ふと「明日の十一時だと?」

「ええ、昼食の時間に」

「いや、無理だ」

「無理ですって?」

「ここで昼食は取らぬ。今夜戻るからだ」

「いったい何が?」デュ・バリー夫人は心臓がぎゅっと凍りつくのを感じた。「行ってしまいますの?」

「やむを得ぬのだ。緊急の用件でサルチーヌと約束していたのでね」

「お好きなように。でも夜食はご一緒出来ますでしょ」

「ああ、夜食なら……うむ、腹も減っている。夜食を取ろうか」

「用意させて、ション」と言って、恐らく予め決めてあったのだろう、二人にだけわかる合図を送った。

 ションが立ち去った。

 国王は鏡に映った合図を見て、意味はわからぬながらも何らかの企みがあるのは悟った。

「いやはや! 駄目だ駄目だ。夜食も取れぬ……今すぐにでも出なくては。しなくちゃならん署名がある。今日は土曜日だった」

「仕方ありませんわ! では馬を用意させましょう」

「ああ、頼む」

「ション!」

 ションが戻って来た。

「陛下の馬を!」

「了解」ションは微笑み、再び立ち去った。

 やがて玄関で叫ぶ声が聞こえた。

「陛下の馬を!」

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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