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 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『ジョゼフ・バルサモ』 第39章「コンピエーニュ」

アレクサンドル・デュマ『ジョゼフ・バルサモ』 翻訳中 → 初めから読む

第三十九章 コンピエーニュ

 翌日、コンピエーニュは陶酔と熱狂のうちに目を覚ました。いやむしろ、一睡もしなかったと言うべきであろう。

 前日から国王親衛隊の前衛が、町で宿営に就いた。士官たちが持ち場を確認している間、有力者たちは台所番と協力して、来たるべき栄誉を迎え入れる準備をしていた。

 緑で覆われ、薔薇とリラで飾られ、ラテン語とフランス語とドイツ語で詩と文が書かれた凱旋門に、ピカルディの職員が日中までかかりきりだった。

 慣例に従い白い服を着た娘たち、黒い服を着た参事官たち、灰色の服を着たフランシスコ会修道士たち、もっとも豪華な服装をしていた聖職者、持ち場に就いたばかりで真新しい制服に身を包んだ駐屯部隊の兵士や士官たち、その誰もが、大公女到着の合図と共に歩き出す用意をしていた。

 前夜のうちに発っていた王太子は、夜十一時頃にはひそかに到着していた。弟二人も一緒だ。朝早くに馬に跨ったところは、一私人と言われても何ら違うところはなかった。十五歳のプロヴァンス伯と十三歳のダルトワ伯を引き連れて、王太子妃が現れるはずのリブクール方面の道に向かって、馬を走らせ出した。

 付言しておこう。この細やかな思いつきは若王子のものではない。傅育完ラヴァンギヨン(Lavanguyon)が、前夜ルイ十五世に呼び出され、これからの二十四時間必要となるであろう務めのすべてを生徒に教え込むよう命じられたのだ。

 そこでラヴァンギヨンは、君主制のさまざまな栄光を教え込む代わりに、ブルボン朝歴代の王たちの例しを話して聞かせた。アンリ四世、ルイ十三世、ルイ十四世、ルイ十五世は、未来の妻をその目で確かめることを望んだ。装身具もつけず、装いもままならぬ状態の妻を、路上で値踏みすることを選んだのである。

 疾駆する馬に乗って、半時間で三、四里を駆けた。出かける際には王太子は重苦しい面持ちで、弟二人は笑っていた。八時半には町に戻っていた。王太子は変わらず重苦しげだったが、プロヴァンス伯は不機嫌で、ダルトワ伯だけが早朝よりも機嫌が良かった。

 まったく同じものに対し、ベリー公は不安に駆られ、プロヴァンス伯は嫉妬に駆られ、ダルトワ伯は魔法をかけられていた。即ち王太子妃が美しいという事実に。

 それぞれの生真面目な性格、嫉妬深い性格、暢気な性格が、三人の顔にまざまざと浮かんでいた。

 コンピエーニュの市庁舎から十時の鐘が聞こえた時、クレーヴ村の鐘楼の上で、監視兵が白い旗を翻しているのが見えた。王太子妃が視界に入ったという報せだ。

 すぐに合図の鐘が鳴り、シャトー広場から放たれた砲声がそれに答えた。

 その合図だけを待っていたかのように、国王が八頭立ての四輪馬車でコンピエーニュに登場した。親衛武官が二重に取り囲み、後ろには臣下の馬車が無数に連なっている。

 国王を見たがる者たちと王太子妃を迎えに行きたがる者たちの群れを、近衛騎兵と竜騎兵が大急ぎで分けていた。一方にはまばゆさがあり、一方には関心があったのである。

 四頭立ての四輪馬車が一里ほどの距離を埋め尽くし、フランスでも有数の四百人の貴婦人と大貴族を運んでいた。馬丁に召使い、伝令に小姓が、この百台の馬車を護衛している。親衛隊の貴族は馬に跨って陣形を取り、馬が巻き上げる埃の中を、天鵞絨や黄金、羽毛や絹のようにきらきらと流れて行った。

 彼らはコンピエーニュで一休みしてから、並足で町を後にして目的地に向かった。マーニュの町にある路上に十字架が立てられているのだ。

 フランス中の若者が王太子を取り囲み、フランス中の老貴族が国王の周りに侍っていた。

 王太子妃の方は馬車を替えずに、時間を見計らいながら目的地に進んだ。

 二つの集団がついに合流した。

 馬車はあっという間に空っぽになった。いずれの貴族たちも降り立った。人が乗っているのは二台の馬車だけだった。一つには国王、もう一つには王太子妃。

 王太子妃の馬車の扉が開き、若き大公女が地面にふわりと飛び降りた。

 それから国王の馬車の方へ歩いて行った。

 ルイ十五世は嫁御を目にすると扉を開けていそいそと馬車から降りた。

 王太子妃は上手く間合いを取って歩いた。国王の足が地面に着いたと同時に、妃は跪いていた。

 国王は王女に口づけをして立ち上がらせると、優しく抱擁した。国王の眼差しに包まれて、王女は我知らず赤面していた。

「王太子です!」国王がマリ=アントワネットにベリー公を紹介した。王太子はまだ気づかれる前から、少なくとも公式に目を向けられる前から、妃の後ろに控えていた。

 王太子妃に優雅なお辞儀をされて、今度は王太子の方が赤くなった。

 王太子妃は二人の王子、三人の王女に淑やかに言葉を掛けた。

 紹介が進むにつれて、デュ・バリー夫人はじりじりしながら王女たちの後ろに立って待っていた。自分の番になったら? 無視されたら?

 三人目の王女マダム・ソフィーの紹介が終わると、誰もが息を呑んだように、ふっと間が空いた。

 国王は躊躇っているようだった。王太子妃は予め知らされていた新たな出来事を待っているようだった。

 国王は周りを見回し、伯爵夫人を見つけると、手を取った。

 すぐに人垣が引いて、国王は王太子妃と共に輪の中央にいることになった。

「デュ・バリー伯爵夫人、余の一番の友人です!」

「こんな素敵なご友人がいて陛下はお幸せでございます。情熱をかき立てられるのももっともだと存じます」

 誰もが驚きに打たれ、茫然として見つめ合った。王太子妃がオーストリア宮廷の指示に従い、恐らくはマリア=テレジア自身の言葉を繰り返しているのは、明らかだった。

 ここが自分の出番だ、とショワズールは直感した。そこで紹介に預かろうと前に出たが、国王は首を振って合図をした。太鼓が打ち鳴らされ、喇叭が吹き鳴らされ、大砲が轟いた。

 国王に手を取られて馬車に向かう王女が、ショワズールの前を通り過ぎた。口を聞くのは不可能だった。だが確かなことがある。手を動かすことも、頭を動かすことも、挨拶らしき身振りは何一つなかったということだ。

 王女が国王の馬車に乗り込むと、町の鐘がことのほか厳かに鳴るのが聞こえた。

 デュ・バリー夫人は嬉しそうに自分の馬車に戻った。

 国王が馬車に乗り、コンピエーニュの道に戻るまで、十分ほどの間があった。

 その間、敬意や昂奮で押し殺した声が、うなるように広がっていた。

 ジャン・デュ・バリーが義妹の馬車に近づいた。デュ・バリー夫人は微笑みを浮かべ、祝福の言葉を待っていた。

「ほら、ジャンヌ」子爵は、王太子妃のお付きの馬車の一つに向かって話しかけている騎士を指さした。「あの若い男が誰だかわかるか?」

「知らないわ。それより、陛下が紹介して下さった時、王太子妃が何と言ったと思う?」

「知るもんか。あの男はフィリップ・ド・タヴェルネなんだ」

「あなたを怪我させた人?」

「ああそうだ。それから、あいつが話しかけている別嬪がわかるか?」

「あの青白くてプライドの高そうな人?」

「ああ、国王が見ているだろう。王太子妃に名前をたずねている可能性が大だな」

「それで?」

「それで、だって? あれは奴の妹だ」

「ああ!」

「いいか、ジャンヌ。はっきりした理由がある訳じゃないが、兄がおれの敵であるように、妹はお前の敵になりそうな気がするんだ」

「冗談でしょう」

「いたって真面目さ。とにかくおれは奴の方を見張るつもりだ」

「じゃああたしは妹の方を」

「静かに! リシュリュー公だ」

 確かに、リシュリュー公が首を振りながら近づいて来た。

「ご機嫌如何?」伯爵夫人は飛び切りの笑顔でたずねた。「何だかご不満そうね」

「伯爵夫人、わしらは随分と重苦しく見えませんか? こうした喜ばしい状況の中では、陰気と言ってもいいくらいだと? かつて、同じくらい魅力的でお美しい王女様をお迎えしたことがありました。王太子のご母堂です。わしらは随分と騒いだものです。それもわしらが随分と若かったからなのでしょうか?」

「違いますぞ」公爵の後ろから声がした。「王権がそれほど老いてはいなかったからでしょう」

 この言葉を聞いて、誰もがおののきを感じた。公爵が振り返ると、優雅な物腰の老紳士が立っていた。厭世的な笑みを浮かべて、公爵の肩に手を置いている。

「おおまさか! タヴェルネ男爵ではないか。伯爵夫人、わしの旧友です。どうかお目をかけて下さいますよう。バロン・ド・タヴェルネ=メゾン=ルージュです」

「父親か!」ジャンと伯爵夫人は、お辞儀をしようと頭を下げながら、二人同時に呟いていた。

「馬車に! 馬車に!」親衛隊長が護衛に命じているのが聞こえた。

 老人二人は伯爵夫人と子爵に挨拶をしてから、久方ぶりの再会を喜んで、二人一緒に同じ馬車に向かって進んで行った。

「何てことだ! 一つ言ってもいいか? あの親父は息子娘と同じくらい気に入らんな」

「残念ね。ジルベールの小熊ちゃんに逃げられていなければ、何でも教えてもらえたでしょうに。男爵の家で育てられたんでしょう」

「ふん! また見つけるしかあるまい。今やれるのはそれくらいだ」

 馬車が動いたために会話はそこで途切れた。

 コンピエーニュの夜が明けた翌日、一つの時代の日没と新しい時代の日の出という二つの流れが、渾然一体となってパリを目指していた。大きく口を開いたその深淵は、やがて何もかもを貪り喰らうことになっていたのである。
 

 第39章完。

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