翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『ジョゼフ・バルサモ』 44-3

アレクサンドル・デュマ『ジョゼフ・バルサモ』 翻訳中 → 初めから読む

「そりゃあ暑いし喉も渇いているでしょうね。木陰で一日を過ごせば、たいそう疲れたでしょうとも。それで時たましゃがんで植物を摘むのが仕事とはね! この人も植物採集かい。そんなのは暇な人の仕事ですよ」

「この人はね」とジャック氏は少しずつしっかりとした声を出していた。「親切で正直な青年だよ。一日中一緒に過ごしてくれたんだ。だからテレーズも友人のようにもてなしてくれると信じている」

「二人分しかないよ」テレーズがもごもごとこぼした。「三人分はない」

「わたしもお客さんもあまり食べないから」

「ええ、はいはい。あまり食べないのはわかってますよ。あまり食べない人たち二人に食べさせるだけのパンも家にはないんですよ。三階下まで買いに行く気はありませんし。第一、こんな時間じゃパン屋は閉まっていますからね」

「ではわたしが行くよ」眉をひそめてジャック氏が言った。「扉を開けてくれないか、テレーズ」

「だけど……」

「そうすると言っているんだ」

「わかりましたよ!」テレーズは口答えしたものの、反論するたびに強くなっているジャック氏の口調に押されていた。「あなたの気まぐれに付き合ってられませんよ……あるもので足りると思いますから。ご飯にしましょう」

「わたしの隣にお坐りなさい」ジャック氏はジルベールを隣室の食卓まで案内した。卓子の上には食器が二人分、巻かれたナプキンが二人分並べられており、一つは赤い紐、一つは白い紐で縛られていて、どちらが誰の席なのかがわかるようになっていた。

 小さく四角いこの部屋には、白い模様のついた水色の壁紙が貼られていた。大きな地図が二枚、壁に飾られている。ほかには椅子が六脚(桜木製と藁椅子)、前述の食卓、繕った靴下の詰まった洋箪笥。

 ジルベールが席に着くと、テレーズがその前に小皿を置き、使い古されたナイフやフォークを添えた。最後に、よく磨かれた錫のコップを用意した。

「階下には行かないのかい?」ジャック氏がテレーズにたずねた。

「必要ありませんからね」ぶっきらぼうな調子からは、やり込められたことをいまだ根に持っているのがわかる。「戸棚の中にまだ半切れありましたから。一リーヴル半はありますから、それで満足してもらわなくっちゃね」

 テレーズはそう言いながらポタージュを卓子に置いた。

 初めにジャック氏によそい、次がジルベールだった。テレーズは鍋から直接口にした。

 三人とも食欲旺盛だった。ジルベールは二人が家計のことで言い合っているのを聞いてすっかり怖じ気づいてしまい、懸命に食い気を抑えていた。それでも皿を空にするのは一番早かった。

 早くも空っぽになってしまった皿に、テレーズが怒ったような視線を投げた。

「今日は誰か訪ねて来たかい?」テレーズの気持を逸らそうと、ジャック氏がたずねた。

「ええ、いつものように国中からね。お約束していたんでしょう、マダム・ド・ブフレには四作品、マダム・デスカルに二曲、マダム・ド・パンチエーヴルには伴奏付四重奏曲。ご本人もいらっしゃれば、使いの方もいらっしゃいました。だけどどうですか! あなたは植物採集の真っ最中。人間、趣味と仕事を同時には出来ませんからね、ご婦人方は楽譜を持たずにお帰りになりましたよ」

 ジャック氏が何も言わないことに驚いて、てっきり腹を立てているのだろうとジルベールは思っていた。だが今回問題になったのは自分のことだけだったからだろうか、ジャック氏は表情を変えなかった。

 スープの次に出されたのは一切れの牛肉の煮物で、それが包丁で擦り傷だらけの陶製の皿に載せられている。

 テレーズが睨んでいるのでジャック氏は控えめにジルベールに肉を取り分け、自分にも同じだけ取り分けてから、皿をテレーズに回した。

 テレーズはパンを一切れジルベールに分け与えた。

 それがあまりに小さかったため、ジャック氏は赤面した。テレーズがジャック氏の分と自分の分を取り分けるのを待ってから、ジャック氏はパンを手に取った。

「ご自分で切り分けなさい、お好きなだけ構いませんよ。お腹の空いている人に合わせるべきですからね」

 その後には、バターと塩胡椒で味を付けた莢隠元が出て来た。

「青々としているでしょう。これは保存食なんですよ、こうして美味しいままでいただけるんです」

 そう言ってジルベールに皿を回した。

「ありがとうございます。たっぷりいただいたのでもうお腹は一杯です」

「お客さんは保存食がお気に召さないようだね」テレーズの声には棘があった。「おおかた新鮮な隠元の方がよかったんでしょうけど、取れたてなんて手が出ませんからね」

「違うんです。とても美味しそうだし、いただきたいのはやまやまなんですが、今まで一皿以上食べたことがないものですから」

「水はお飲みになりますか?」ジャック氏が壜を差し出した。

「いつでもいただきます」

 ジャック氏の方は自分のコップに生のワインを注いだ。

「ところでテレーズ」と卓子に壜を戻し、「この方の寝床を用意してやってくれないかな。随分と疲れているだろうから」

 テレーズはフォークを落とし、あっけに取られて夫を見つめた。

「寝床? 気でも違ったんですか! 寝床を貸しに連れて来たっていうんですか! だったらあなたの寝台に寝かせればいいでしょう? どうやらすっかりいかれちまったみたいね。これから宿屋でも始めるつもりなんですか? だったらあたしは当てにしないでおくれ。料理女と女中でもお探し下さい。あなたの世話だけで目一杯ですよ、他人の世話まではとてもとても」

「テレーズ」ジャック氏が重々しく強い口調で答えた。「テレーズ、どうか聞いてくれ。一晩だけだよ。この方はパリに来たのは初めてでね。わたしが案内して来たんだ。旅籠で寝かせたくはないんだ、お前の言うようにわたしの寝台で寝かせることになってもいい」

 きっぱりと言い返してから、返事を待った。

 テレーズは顔の動きを確かめてでもいるように、話中の夫をじっと見つめていたが、今は争いを避けるべきだと判断したらしく、突然戦術を変えた。

 ジルベールを敵に回すのは得策ではない。ジルベールの味方に付くことにした。意に背く同盟なのは間違いない。

「お客さんが一緒に帰って来たのは確かなんだし、あなたもお客さんのことをよく知っているようだから、ここで休ませてあげた方がよさそうですね。何とか書斎に寝台を用意しますよ、紙の束の横にでも」

「それはいけない」ジャック氏が慌てて口を入れた。「書斎は寝るような場所ではないからね。紙に火が付いてしまうかもしれない」

「参ったね!」とテレーズはぼやいてから、「だったら、控え室の戸棚の前はどう?」

「それもいけない」


 続く。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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