翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『ジョゼフ・バルサモ』 139-2

アレクサンドル・デュマ『ジョゼフ・バルサモ』 翻訳中 → 初めから読む

「ええ、戻って来たのを祝ってみんな花火を打ち上げてるわ。とっくにご存じでしょうけれど……」

「何も存じ上げませんが」元帥は子供のように無邪気に答えた。

「花火の火の粉のせいで鬘は焦げているし、帽子は杖でくしゃくしゃよ」

 公爵は鬘に手を伸ばし、帽子を見つめた。

「そらご覧なさい。何にしても戻って来てくれたのはありがたいわ。デギヨンさんが仰ったように、嬉しくて仕方がないの。どうしてだと思います?」

「まだ意地悪をなさいますか」

「ええ、でもこれが最後」

「では謹んでお聴きいたしましょう」

「どうして嬉しいのかというと、あなたが戻って来たのは晴天の報せだからよ」

 リシュリューはぺこりと頭を下げた。

「そうなの。あなたと来たら嵐の終わりを告げる叙事詩の鳥と一緒。あの鳥は何と言ったかしら、デギヨンさんは確か詩をお書きになるのよね?」

「アルキュオネです」

「それだわ! 素敵な名前の鳥に喩えたからと言ってお怒りにならないでね、元帥殿」

「それどころか――」とリシュリューはにやりと笑った。それは満足している印であり、満足しているということは何か企んでいる印であった。「それどころか、譬えが適切であるだけに腹は立ちませんな」

「そうなの?」

「と言いますのも、素晴らしい朗報を携えておりますので」

「まあ!」

「いったいどのような?」デギヨンもたずねた。

「慌てないで、デギヨン公爵さん。元帥にもお話をさせてあげて」

「何の。すぐにお話し出来ますぞ。何せもうとうに済んだことですからな」

「そんな。ぽんこつ情報を教えていただいても……」

「こちらは一向に構いませぬぞ。取るか取らぬかです」

「いいわ、いただきましょう」

「どうやら国王は罠に嵌ったようですな」

「罠ですって?」

「まさしくその通り」

「どんな罠ですの?」

「あなたが掛けた罠です」

「あたくしが国王に罠を仕掛けたと仰いますの?」

「はてはて! よくご存じでしょうに」

「まさか。誓って存じませんわ」

「おや、誤魔化すとはお人が悪い」

「本当に存じませんの。どうか説明して下さいな」

「お願いします、伯父上」とデギヨンも言った。元帥が曖昧な笑みを浮かべているのを見て、何か企んでいることに気づいていたのだ。「伯爵夫人が期待と不安を抱いていらっしゃるじゃありませんか」

 老公爵が振り返った。

「うっかりしておったわ! 伯爵夫人がお前に打ち明けぬわけはないからのう。しかしそうなると、思っていた以上に根深いようだな」

「私がですか?」

「デギヨンさんが?」

「さよう、お前が、デギヨンが、じゃ。いいですか、伯爵夫人、率直に言って、陛下に対するあなたの陰謀の多くには……こやつが大きな役割を担っているのではありませんか?」

 デュ・バリー夫人が真っ赤になった。まだ朝が早く、頬紅もつけぼくろもしていなかったので、真っ赤になることもあり得たのだ。

 だが赤くなるのは危険な徴候でもあった。

「そんなに吃驚した目で見つめなさるところを見ると、ずばり言い当てたに違いありませんな?」

「図星ですとも」デギヨン公爵と伯爵夫人が口を揃えて答えた。

「となると賢明なる国王はすっかりお見通しで、不安を抱えていらっしゃることでしょうな」

「何を見抜いていると仰いますの? あなたと来たら人を焦らすのがお上手ね」

「しかしどうしたって甥と示し合わせているように見えますからな……」

 青ざめたデギヨンが伯爵夫人に向かって、「ご覧なさい、思っていた通りの嫌味っぷりですよ」と言いたげに目配せした。

 こうした場合には女の方が男よりも度胸が据わっている。伯爵夫人は直ちに臨戦態勢に入った。

「あなたにスフィンクス役となって謎々を出されるのは御免蒙りたいわね。きっと遅かれ早かれ食われちゃうに違いないもの。どうか怖がらせないで。冗談だというのなら、生憎だけど悪い冗談だと云わせてもらいます」

「悪い冗談ですと! それどころか良い報せですぞ。無論わしではなくあなたにとって、です」

「ちっともそうは思わないんですけど」デュ・バリー夫人は口唇を咬んだ。小さな足をぴょこぴょこ動かして、見るからに焦れている。

「まあまあ。プライドは捨てて下され。国王がド・タヴェルネ嬢に惹かれているのではないかと心配なのでしょう。いやいや、何も仰いますな。わしならすべてお見通しです」

「ええその通りです。何一つ隠し立ていたしませんわ」

「それを不安に感じたからこそ、あなたとしては出来るだけ陛下に食い下がりたかったはずですな」

「否定はいたしません。それで?」

「結構、結構。しかし歯を立てるには陛下の皮膚はちと硬い。かなり鋭いエギヨンではないと……おや失礼! つい嫌味な語呂合わせを申してしまいました。どうかご理解を」

 そう言って元帥はけたたましく笑った。少なくとも表向きは笑っているように見せていた。哄笑に引きつりながらも、不安そうな二人の顔をよく確かめたかったのだ。

「語呂合わせとは?」最初に我に返ったデギヨンが無邪気を装ってたずねた。

「わからんか? まあ毒が強いから、わからんならわからん方がよいかものう。伯爵夫人が王に嫉妬心を起こさせたいと思い、顔と頭のいい名門貴族を選んだと言いたかったまでのこと」

「誰がそんなことを?」と怒る様は、後ろめたい権力者そのものだった。

「誰が?……みんなそう言っておりますよ」

「みんな言ってるなんていうのは誰も言っていないのと同じじゃありませんか」

「何の。みんなと言えば、ヴェルサイユだけで十万人。パリなら六十万。フランスなら二千五百万ですぞ! これでも、パリの噂はもちろん新聞も手に入るデン・ハーグ、ハンブルク、ロッテルダム、ロンドン、ベルリンは数には入れておりませんからな」

「ヴェルサイユ、パリ、フランス、デン・ハーグ、ハンブルク、ロッテルダム、ロンドン、ベルリンで話題になっていると……?」

「さよう、あなたはヨーロッパでもっとも機知に富み、もっともお美しい女性だという噂ですぞ。そして今回の独創的な企みのおかげで愛人を手に入れたという噂です……」

「愛人ですって! いったいどんな根拠があって、そんな馬鹿な非難をされなくてはいけませんの?」

「非難と仰いますかな? 感嘆ですよ、伯爵夫人! 非難などしても無意味だと承知のうえで、この企みには誰もが一様に感嘆しておりました。いったい何処に感嘆し、熱狂していると思われますかな? あなたの機知に富んだ振舞と巧妙な戦術に感嘆しておったのです。夜を水入らずで過ごしたように見せかけた見事な手際に感嘆しているのですよ。わしがいて、国王がいて、デギヨンがいて、わしが最初に部屋を出て、次に国王が、三番目にデギヨンが出て来た夜のことです……」

「続けて頂戴」

「まるで愛人のようにデギヨンと二人きりで過ごしたように見せかけたことや、朝になって本物の愛人らしく密かにリュシエンヌを発たせたこと、さらにはそれを、わしのような馬鹿やお人好しに見せるようにして言いふらせようとし、そうなれば国王がそれを知って不安になり、あなたを失うまいとして大慌てでタヴェルネの嬢ちゃんの許を去るだろうという計画に感嘆しておったのです」

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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