翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『ジョゼフ・バルサモ』 139-3

アレクサンドル・デュマ『ジョゼフ・バルサモ』 翻訳中 → 初めから読む

 デュ・バリー夫人もデギヨンも落ち着いてはいられなくなった。

 だがリシュリューは目立った目つきも身振りもせず二人を放っておいた。それどころか好奇心を嗅ぎ煙草と胸飾りに吸い取られてしまったようだった。

「結局」と言って元帥は胸飾りを指ではじいた。「確かに国王はお嬢ちゃんの許を去りましたな」

「公爵さん、あなたの空想は一言も理解できませんわ。国王は人からそんなことを言われようと絶対に信じようとなさいません」

「そうですか!」

「ええ、そうですとも。あたくしが腹を立てているとあなたは思っておいでのようですし、世間はあなた以上にそんな空想を信じているみたいですけれど、仰ったような方法で陛下の嫉妬心をつつこうなんて思ったこともありません」

「伯爵夫人!」

「誓います」

「見事なお手並みです。女ほど優れた外交官はおりませんな。無駄に智恵を働かすということがない。わしも大使でしたからな、政治に関するこんな箴言を知っております。『成功の秘訣を他人に教えてはならない。そうすれば二度目の成功を手に入れられる』」

「ですけど公爵……」

「成功した秘訣と申しておるのです。国王はタヴェルネ家と仲違いなさいました」

「ですけど公爵、あなたにはあなたなりのやり方がございますでしょう」

「というと、国王とタヴェルネの間の不和をお信じにならないのですか?」リシュリューは巧みに口論を避けた。

「あたくしが言いたいのはそんなことじゃありません」

 リシュリューは伯爵夫人の手をつかもうとした。

「あなたは鳥ですな」

「あなたは蛇ね」

「ごもっとも。あなたに感謝してもらうためにいつかは良い報せを運んで来ることもあるのでしょうな」

「伯父上、お待ち下さい」デギヨンが慌てて割って入った。リシュリューの巧みな弁舌の力をありありと感じ取っていたのだ。「伯爵夫人ほどあなたを大事に思っている方はいらっしゃいません。あなたの話が出るたびいつもそう仰ってますよ」

「わしが友人を大事に思っているのも事実です。ですからあなたが勝利を収めたという報せを真っ先に伝えたいのも当然ではありませんかな。タヴェルネ男爵が娘を国王に売ろうとしていたのはご存じでしたか?」

「もう売ってしまったのではなくて?」

「伯爵夫人、あやつほど狡賢い奴はおりません! あれこそ蛇です。このわしが、友情だとか戦友だとかいうたわごとに丸め込まれておったのですからな。まんまとわしの心を捕えおって。あの田舎版アリスティデスがジャン・デュ・バリーという才人を出し抜こうとわざわざパリに出向くなどとは思わんではありませんか? ささやかな良識や洞察力を取り戻すのに、あなたのため全力を傾けなくてはなりませんでしたぞ。悲しいかな、わしは盲目でした……」

「取りあえずあなたの仰りたいことは済んだかしら?」

「これで全部です。あの唐変木にはきつく言っておきましたから、恐らく今ごろは心を決めているでしょう。そうなればこっちのものです」

「国王はどうなるの?」

「国王ですか?」

「ええ」

「陛下からは三つのことを聞き出しました」

「一つは?」

「父親について」

「二つ目は?」

「娘について」

「三つ目は?」

「息子について……まず、陛下は父親のことをおべっか使いだと判断なさり、娘のことは高慢だとお考えになり、息子のことは何とも思ってないどころか覚えてさえいらっしゃいませんでした」

「いいわ。じゃああの一家のことはすっかり片づいたのね」

「そう思います」

「田舎にとんぼ返りさせられるのかしら?」

「そうは思いません。一時的なものでしょう」

「確か陛下は息子さんに聯隊の言質を与えているとか……?」

「国王よりも記憶力が優れてらっしゃいますな。フィリップ殿があなたに魅力的な流し目を送っていた美青年であることは間違いありませんからな。もはや聯隊長でも中隊長でも寵姫の兄弟でもありませんが、あなたに覚えていただいてはいたというわけですか」

 こんな台詞を言って老公爵は甥の心を嫉妬の爪で引っ掻こうと試みた。

 だが差し当たってデギヨンの心を占めていたのは嫉妬ではなかった。

 デギヨンはどうにかして老元帥の狙いを読み取り、戻って来た真の理由を探ろうとしていたのだ。

 しばらく考えてみたが、或いは寵愛の風向きが変わってリシュリューをリュシエンヌに押し戻しただけなのかもしれない。

 老元帥が暖炉の鏡を覗いて鬘を直しているのを見て、デギヨンが合図を送ると、デュ・バリー伯爵夫人はすぐにリシュリューをチョコレートに誘った。

 デギヨンは伯父に恭しい素振りでいとまを告げ、リシュリューも挨拶を返した。

 デギヨンが去ると二人の前にザモールが円卓を運んで来た。

 老元帥は伯爵夫人の手際を見ながら独白していた。

 ――二十年前に柱時計を見ながら「一時間後には大臣になれそうだ」と呟き、その通りになっていればのう。人生とは何と愚かなものか。第一の段階では肉体を精神の使用人にしておいて、第二の段階になると精神だけが生き残って肉体の下僕となる。馬鹿げたことじゃわい。

「元帥さん」伯爵夫人が元帥の物思いを破った。「もう仲直りしたんですし、二人しかいないんですから、どうしてこれほど苦労してあの小娘ちゃんを国王の寝床に潜り込ませたのか教えていただけないかしら?」

「実はですな」リシュリューがチョコレートの器に口をつけた。「わしもそれが知りたいのです。わしにもとんとわかりません」

 
 139章終わり。

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