翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 03-4

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 一週間の間は水たまりや密猟どころではなかった。冬になっていたし、冬には鳥は何処ででも水を飲む。それに雪が降ったばかりの日には、ピトゥは罠を張ろうとはしなかった。雪に足跡が残るので、敷地内を荒らしていた盗っ人が何者なのかを、二十四時間のうちにラ・ジュネス氏に知られる危険を残してしまう。

 一週間の間にアンジェリク嬢は爪を研ぎ直していた。ピトゥが目にしているのはかつてのアンジェリク伯母だった。ピトゥを怖がらせ、金銭欲をすべての原動力にしていつでも爪を隠すことの出来る人物だった。

 期限が近づくにつれ、老嬢はぴりぴりし始めた。ついに五日目になると、ピトゥは伯母がさっさと仕事を決めてくれないかと思い始めた。今までのように老嬢のそばで虐げられるような仕事でなければ、職種など何でもいい。

 不意に神々しい考えが老嬢の動揺した頭に飛来し、六日前から失われていた落ち着きを取り戻した。

 フォルチエ神父の教室に無償で入れてもらえるようお願いしてみてはどうだろうか。ドルレアン公殿下から神学校設立のために賜った基金をピトゥのために手に入れられないだろうか。見習いであればアンジェリク伯母の懐はこれっぽちも痛まないし、フォルチエ神父にしたところで、六か月前から鶫や兎を贈っていたのは別にしても、教会の椅子を貸し出している人間の甥っ子に対してはほかの人間より礼遇して然るべきではないか。こうしてガラス蓋の下で大事にしておけば、アンジュは蜜をもたらしてくれるし、将来の利益も約束してくれる。

 こうしてアンジュはフォルチエ神父のところに無償で預けられた。私欲のない神父は、貧しい心には科学を、貧しい肉体にはお金を授ける誠実な人間だった。ただし妥協できない点が一つだけあった。文法の誤りと破格には容赦がない。ことこのことに関しては、友も敵も貧も富も、有料の生徒も無料の初学者もなかった。公平なること土地配分の如く、厳格なることスパルタの如く、力強い腕で、力強く鞭をふるった。このことを知らぬ親はいなかったので、フォルチエ神父の許に我が子を預けるか預けないかも、ひとたび預けてしまえば神父のやり方に従うことになるのも、承知のうえだ。母親からどんな苦情が寄せられても、神父は一つの標語で答えた。へらの腹や鞭の柄に彫られた「愛を尊ぶ者、即ち罰を尊ぶ」という言葉である。

 こうしてアンジュ・ピトゥは、伯母に勧められるがままにフォルチエ神父の生徒の一人となった。伯母は入学が認められたことに気を良くしたものの、ピトゥにはありがたくない話であった、というのも、気ままで自由な生活に終わりを告げられることになったからだ。アンジェリク伯母はニゲ氏を訪ね、つい今し方ジルベール医師の意向を汲んだどころか、それ以上のことをして来たばかりである、と報告した。ピトゥには立派な職業に就いてもらいたい、と医師が言付けていったのは事実である。アンジェリク伯母は言われた以上のことをやってのけた。ピトゥに優れた教育を受けさせたのだから。しかも教育を受ける場所は? 五十リーヴルを支払って教育を受けているセバスチャン・ジルベールと同じ寄宿舎なのだ。

 現実にアンジュは無料で教育を受けていたのだが、ジルベール医師に知らせる必要は微塵もなかった。知らされていたところで、フォルチエ神父の無私と公平さはもとより誰もが知るところであった。神父は良き教師として、両腕を広げて「子供たちよ来たれ」と公言していた。ただし父性愛に満ちた両手の先は、教科書と鞭で武装されていた。つまり幼き子らを涙で迎えて慰めで送り返したイエスとは違い、フォルチエ神父は怯えてやって来る子らを見つめ涙にくれる子らを送り返していたのである。

 新入生となったピトゥは、腕に古い長持を抱え、角製のインク壺を手に、耳にお古の羽根ペンを二、三本挟んで、教室に入った。長持は窮余の策の机代わりである。インク壺は食料品店の店主からのいただきものだったし、羽根ペンはアンジェリク伯母が前日ニゲ氏を訪問した際に拝借して来たものだ。

 アンジュ・ピトゥは子供たちの間で生まれ大人になっても消えることのない温かいもてなしで迎えられた。即ち野次によって。授業が終わるまでピトゥの見た目をからかう声はやまなかった。黄色い髪をからかったために二人の生徒が居残りを命じられ、別の二人の生徒は先述した膝をからかった。この二人はピトゥの足を見て、井戸の縄を結んだ結び目かと思った、と言ったのだ。この表現は的を射ていたために瞬く間に広がって爆笑を誘い、フォルチエ神父の怒りを引き起こすこととなった。

 こうして正午、つまり授業の四時間後に、誰にも話しかけずに長持の陰で欠伸をしながら教室を出た時には、ピトゥには六人の敵がいた。この六人は、ピトゥには非がないだけにいっそう執念かった。暖房を故郷の祭壇に見立て、ある者は黄色い髪を毟り取ることを誓い、ある者は碧い目を煮ることを誓い、ある者は曲がった膝を真っ直ぐにしてやることを誓った。

 ピトゥはこうした敵意にまったく気づいていなかった。だから教室から出がけに、隣にいた生徒に、みんな帰っているのにあの六人が帰らずにいるのはどうしてなのかとたずねた。

 少年はピトゥから目を逸らすと、告げ口屋と罵り、話したくないと言って立ち去った。

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コメント

東様

ああ、もうこんな素晴らしい地図をありがとうございます~(≧▽≦)!!
実はグレーヴ広場についても一体どこのことだ?って思っていたんですが、市役所前広場が当時その名前だったんですね~!!そしてヴァレンヌの逃亡からパリに帰還した時にアンドレがオリヴィエの消息を尋ねて、テュイルリーに向かった時に今の地図ではわからない通りがあって、それもこの地図に載っていて、場所が分かりました!!もうViva,京大!本当にありがとうございます~<(_ _)>!!やっぱり視覚的&空間的にとらえると理解が違ってきますので、本当に大感謝です!いつも本当にすみませんです!!
【2013/02/17 13:09】 URL | マトリョーシカ #-[ 編集]
東様

私は本日『シャルニー伯爵夫人』を読了しました!!読書中は本当に色々な質問を投げかけてしまい、本当に申し訳ありませんでした。しかし、東様のご親切なご回答のおかげで、納得しながら読み進めることができました。この小説を自力で読むと決めたのはひとえに東様の『ジョゼフ・バルサモ』のおかげです。本当にありがとうございました。これで心置きなく、東様の『アンジュ・ピトゥ』を毎週楽しみに読めます!!

それでまたしても質問なのですが、実はエピローグの最後にピトゥのフルネームが出て来たんですけど、それが「ピエール・アンジュ・ピトゥ」だったんです!東様が現在翻訳されている『アンジュ・ピトゥ』では「ルイ・アンジュ・ピトゥ」となっていたかと思います。これは一体・・・?デュマももう適当状態になっていたってことなんでしょうか(苦笑)?

それと別件ですが、『アンジュ・ピトゥ』の翻訳サイトのタイトルが『ジョゼフ・バルサモ』になっております。修正された方がよろしいかと・・・

では、取り急ぎお礼まで。
【2013/02/20 22:35】 URL | マトリョーシカ #-[ 編集]
マトリョーシカさま

 『シャルニー』読了おめでとうございます。そしておつかれさまでした。
 デュマのような大ロマンは読み終えたときの充実感と達成感もひとしおですよね。
この面白さを翻訳してほかの人にも伝えたい……と思っていただけると嬉しいのですが(^^。
時間がいくらでもあれば全作品を訳したいくらいなんですけれどね。

 それから、「アンジュ・ピトゥ」のタイトルの件、ご指摘ありがとうございます。
訳し始めてから3か月も経つのにまったく気づいていませんでした。該当箇所はすみやかに訂正いたしました。

 私のようなつたない訳でも何かのお役に立てたかと思うと嬉しいです。
【2013/02/23 12:41】 URL | 東 照《あずま・てる》 #-[ 編集]
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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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  • 本好きが高じて翻訳小説サイトを作る。
  • 翻訳が高じて仏和辞典Webサイトを作る。

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