翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 03-6 終わり

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 フォルチエ神父は生徒の父母に対して、精神面はもちろん肉体面も保証していたので、三家族から抗議の三重奏を聞かされることになった。罰を受けるのは免れ得ず、ピトゥは三日間の居残りを命じられた。一日は目の分、一日は鼻の分、一日は歯の分である。

 三日間の居残りと聞いて、アンジェリク嬢には閃いたことがあった。フォルチエ神父がピトゥに帰宅を禁じたように、昼食を禁じてはどうか。そうすればピトゥの教育にいい影響を与えるに違いない。今回は二つの罰を受けることになったが、今後は過ちを犯す前によく考えるようになるはずだ。

 ただしピトゥには、一言もしゃべっていないのに告げ口屋と言われた理由も、殴りかかって来た人間を殴ったからといってどうして罰せられなければいけないのかも、決して理解できないだろう。だがこの世の理をすべて理解することなど、謎と偶然という人生の大事な楽しみを失うことに等しい。

 居残りさせられた三日間、ピトゥは朝食と夕食だけで腹を満たした。

 腹を満たした、というのは正確ではない。ピトゥはちっとも満ち足りていなかったのだから。だが我々の言語には限界があるし、アカデミーは寛容ではないので、我々としては既にある言葉で満足せねばなるまい。

 ところが、買わざるを得なかった喧嘩だということには一言も触れずに、甘んじて罰を受けたことで、ピトゥは同級生たちの尊敬を勝ち得た。見事な拳を三発入れたのを目撃されたことがこの敬意の理由であると見て、まず間違いはない。

 この日からピトゥの日常はほかの生徒と変わらなくなった。一つだけ違う点を挙げれば、ほかの生徒の試験の結果がその時々の運次第だったのに対し、ピトゥはビリから五、六番目の順位を守り抜き、ほかの生徒の優に二倍は居残りをさせられていた。

 ただし言っておくと、ピトゥの気質、最初に受けた――というか、受けなかった教育による気質、居残りの三分の一はその気質のせいだと見積もっておかなくてはなるまい。即ち動物に寄せる偏愛である。

 アンジェリク伯母が畏れ多くも机と名づけ給うた例の長持は、広い内部にピトゥが幾つも仕切りを作ったために、さながらノアの方舟の如く、様々な虫や小動物がよじ登ったり這ったり飛んだりしていた。蜥蜴、蛇、蟻地獄、黄金虫、蛙たちが、厳しい罰の原因となればなるほど愛おしさも増すのであった。

 これは一週間にわたる散策の賜物であった。ピトゥは前々から山椒魚火蜥蜴が欲しかった。フランソワ一世の紋章であり、暖炉という暖炉に彫られていた火蜥蜴は、ヴィレル=コトレではことのほか人気があったのだ。それをようやく手に入れることが出来た。しかしながら一つだけ気になったことがあり、それも最終的には理解の範疇を越えている幾多の物事と一緒くたに放り投げてしまったのだが、それは即ち、詩人たち曰く火中に生きるというこの爬虫類がいつも決まって水中で見つかったという事実である。これによって生真面目なピトゥに詩人への軽蔑が芽生えた。

 二匹の山椒魚を手に入れたピトゥは、次に避役カメレオンを探し始めた。だが今度はいくら探しても無駄であり、如何なる努力も実らなかった。仕方なくピトゥは結論づけた。カメレオンは存在しない。存在するとしてもこの辺りの緯度には棲息していないのだ。

 この点がはっきりするや、ピトゥは敢えてカメレオンを探そうとはしなくなった。

 居残りの残り三分の二の理由は、文法の破格と誤りである。これがピトゥの作文の中に、麦畑の毒麦の如く芽を出していた。

 木曜と日曜は休みだったので、これまで通り水たまりに通って密猟を続けていた。ただしピトゥも大きくなり、身長五ピエ四プス【約170cm】、十六歳になっていたために、習慣を変えるある事態が起こった。

 ブリュイエール=オー=ルーの途上に、恐らくはフランソワ一世の愛妾アンヌ・デイリーの名にあやかったであろうピスルーという村があった。

 この村にビヨという農家があり、この農家の戸口に、たまたまピトゥが行き来する際に、決まって十七、八の美しい娘が立っていた。瑞々しく、色っぽく、朗らかで、カトリーヌという洗礼名で呼ばれていたが、父親の名からビヨットと呼ばれることの方が多かった。

 ピトゥは初めこのビヨットに会釈していたが、やがて大胆にも会釈に加えて笑いかけるようにもなった。そしてついにある日、会釈と笑顔を送ってから立ち止まり、顔を赤らめながら大胆にも次のような言葉をかけた。

「こんにちは、カトリーヌさん」

 カトリーヌは良い子だった。ピトゥを旧知のように受け入れた。事実、二、三年前から週に一度は家の前を通り過ぎるのを見ていたという限りに於いて旧知であったのだ。ただしカトリーヌはピトゥを見ていたが、ピトゥはカトリーヌを見ていなかった。何となればピトゥが通り始めた頃、カトリーヌは十六歳だったが、ピトゥはまだ十四歳でしかなかったからだ。だが今回の出来事が起こった時には、ピトゥの方が十六歳になっていた。

 カトリーヌは少しずつピトゥの才能を理解し始めた。ピトゥが肥えた鳥や兎をお土産にして才能の一端を明らかにしていたこともあって、カトリーヌはピトゥにお礼を言うようになった。ピトゥの方は言われ慣れていないお礼を言われれば言われるだけどぎまぎし、経験したことのない気持ちよさにとろけ、いつものようにブリュイエール=オー=ルーの道を進むこともやめて途中で立ち止まり、ブナの実を集めたり罠を仕掛けたりすることもやめてビヨ家の周りをうろついて時間を潰し、ほんの一瞬でもカトリーヌを見たいと願っていた。

 結果、作る兎革の量が目に見えて減り、駒鳥と鶫に至ってはほぼ無くなってしまった。

 これにはアンジェリク伯母が黙っていなかった。ピトゥが答えて言うには、兎も用心深くなったし、鳥も罠に気づいて葉の窪みや木のうろで水を飲むようになったのだそうだ。

 だがアンジェリク伯母には一つの慰めがあった。兎に智恵がついたのも鳥の気が回るようになったのも哲学が進歩したせいだが、甥がいずれは奨学金を手に入れ、神学校に入り、そこで三年間を過ごし、神学校を出て神父になる。神父の家政婦となることは、アンジェリク嬢の長年の夢であった。

 この夢が叶えられるのは間違いない。アンジュ・ピトゥが神父になれば、伯母を家政婦にせざるを得まい。何しろそれまで散々ピトゥのために尽くして来たとなれば。

 一つだけ、きらめく夢を揺るがす気がかりがあった。フォルチエ神父にその話をした時に、神父から首を振ってこう言われたのだ。

「ピトゥさん。神父になろうと思ったら、甥御さんは博物学への興味を抑えて、『偉人伝(De viris illustribus)』や『Selectae e profanis scriptoribus(historia)Jean Heuzet、1660-1728』にもっと関心を持たなくてはなりません」

「どういうことでしょうかね?」

「文法の誤りと破格が多過ぎるんですよ」

 その答えを聞いて、アンジェリク嬢は悲しみの波間に漂うに任せていた。

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コメント

東様

こんにちは。
いよいよカトリーヌの登場ですね(≧▽≦)!そしてカトリーヌとピトゥとの年齢差を知ることができて、うれしいです。『シャルニー伯爵夫人』では「年上の友人」という表現があったので、ピトゥより年上なのだなとは思っていたのですが。

そして、子供を苗字をもじって呼ぶということがあるのですね。実はご存知の通り『シャルニー伯爵夫人』でアンジェリク伯母さんの隣人のファゴ母さんが自分の息子をファゴタンと呼んでいて、「これは?」と思っていたんですよね。今日のお話を読んで、なるほど~と思いました。
【2013/03/02 11:23】 URL | マトリョーシカ #-[ 編集]
マトリョーシカさま

 いつもありがとうございます。

カトリーヌはほんとうにいよいよというか、ようやくという感じです。
この章と次章はまだちらっとしか出番がありませんが、第五章以降、少しずつ、ほかの登場人物たちも登場してきます。

 ジョゼフ・バルサモを訳すときには登場人物の口調を、俳優や漫画のキャラをイメージして訳していたのですが、そういえばカトリーヌにはまだ特定のイメージを思いついていないんですよね。考えておかないと。
【2013/03/02 12:55】 URL | 東 照《あずま・てる》 #-[ 編集]
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