翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 14-3

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「俺がどうにかするさ。案内してくれればいい」

「ビヨさん、バスチーユには連れは入れません」

「結構だ!」

「一人で入ったが最後、二度と出られはしないでしょう」

「ますます結構!」

「通行許可証をお渡しします」

「ありがたい」

「ただし一つ条件がある」

「条件とは?」

「月に行く許可証をくれと言われても困る。あそこには知り合いがいないんです」

「フレッセル!」背後からうなり声が聞こえた。「二つの顔を使い分けるのはいい加減やめてもらいましょう。貴族に笑いかける一方で、庶民に微笑みかけるような真似をすれば、明日までには地獄行きの許可証に署名してもらうことになりますよ」

 市長はぎょっとして振り返った。

「誰だ?」

「マラーと言います」

「哲学者マラー、医師マラーだって?」ビヨが声をあげた。

「その通り」

「そうだ、哲学者マラー、医師マラーだ」フレッセルもうなずいた。「医師として気違いを治療して然るべき人間。となれば今日は山ほど患者がいただろうに」

「フレッセル殿、こちらの勇敢な市民は、ローネー氏宛ての通行許可証を所望しているのではありませんでしたか? 待っているのはこの方だけじゃない。三千人の人間が待っているんです」

「ああ、今渡しますよ」

 フレッセルは卓子に歩み寄り、額を拭うと羽根ペンを取って、さらさらと文章をしたためた。

「さあどうぞ」フレッセルはビヨに書類を手渡した。

「読み上げて下さい」マラーが言った。

「俺は字が読めないんだ」ビヨが答えた。

「読みますから貸して下さい」

 ビヨはマラーに書類を手渡した。

 許可証にはこのように書かれてあった。

「司令官殿、
 ここにパリ市長はビヨ氏を派遣するところと為す。即ち件の市益について貴殿と協議せんがためなり。
 一七八九年七月十四日、ド・フレッセル」

「いいじゃないか! 返してくれ」

「この許可証を、良いと思うのですか?」マラーがたずねた。

「良くないか?」

「市長殿に追伸を書いてもらえば、もっと良くなります」

 マラーはフレッセルに近づいた。フレッセルは立ったまま卓子に手をつき、劣ったものを見るような目つきで二人を睨んでいたが、さらには戸口に現れた三人目の人物を見つめていた。裸も同然の恰好で、小銃を肩に担いでいる。

 ビヨを追いかけて来たピトゥであった。どんな命令であろうと従う準備は出来ていた。

「市長殿、追伸を書き加えて下されば、この許可証ももっと良くなるのですが」マラーがフレッセルに声をかけた。

「どのような? マラーさん」

 マラーは卓子の上に許可証を置き、追伸を書くべき場所を指さした。

「市民ビヨは、休戦交渉使節として、その安否を貴殿の名誉に委ねることとする」

 フレッセルはマラーを見つめた。指示に従うくらいならその横っ面を張り飛ばしてやろうと思っているのがありありとわかった。

「お嫌ですか?」マラーがたずねた。

「まさか。あなたの要求はごもっともです」

 フレッセルは言われた通りに追伸を書き足した。

「だがね、ビヨ氏の安全は保証できません」

「心配ご無用」マラーは許可証を奪い、「あなたの自由はビヨ氏の自由に懸かっているし、あなたの首はビヨ氏の首に懸かっているんですから。さあビヨさん、許可証です」

「ラブリ! ラブリ!」フレッセルが呼ばわった。

 お仕着せを着た従僕がやって来た。

「馬車は?」

「中庭でお待ちしております」

「では行こう。ほかにご要望はありませんね?」

「ない」ビヨとマラーが答えた。

「このまま行かせてしまうのですか?」ピトゥがたずねた。

「お若い方、失礼だが人の部屋の戸口に立つには見苦しい姿ではありませんか。ここにいたいと思うのなら、弾薬で前を隠し、壁に背中をつけておいてもらいましょう」

「このまま行かせてしまうのですか?」フレッセルを見つめる目つきからすると、からかわれたのがお気に召さなかったようだ。

「ああ」ビヨが答えた。

 ピトゥは脇によけた。

「行かせるべきではないのかもしれない。捕まえて人質にすべきなのかもしれない。だがいずれにせよ、また何処かでお目にかかれることでしょう」マラーが取りなした。

「ラブリ、これから火薬が持ち出される」市長が馬車に乗り込みならが命じた。「市庁舎の爆発に巻き込まれたくはない。安全なところまで行ってくれ」

 馬車が天蓋を抜け広場に現れると、四、五千人もの人間が不満のうなりをあげていた。

 フレッセルは危惧していた。このように外に出ては勘違いされて逃亡と取られかねない。

 窓から身体を乗り出し、御者に向かって叫んだ。

「国民議会まで行ってくれ!」

 その言葉は群衆からの喝采を引き起こすに充分であった。

 露台に出ていたマラーとビヨにもフレッセルの言葉は聞こえていた。

「もし違っていたら首を交換してもいい。市長は国民議会ではなく国王に会いに行くつもりです」

「止めないのか?」

「止めませんよ」マラーが嫌らしい笑みを浮かべた。「まあ見ていて下さい。どんなに早く走られようと、もっと早く走ればいいんです。今はそんなことより火薬です」

「そうだ、火薬だ」

 二人は階段を降り、ピトゥもそれに倣った。

 
 第十五章に続く。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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