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 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 19-2

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

 ジルベールを含めて、八人の囚人が救出されていた。

 ジャン・ベシャード、ベルナール・ラロッシュ、ジャン・ラコレージュ、アントワーヌ・ピュジャード、ド・ヴィート、ソラージュ伯爵、タヴェルニエ。

 最初の四人はさして重要ではない。手形偽造で告発されていたが、如何なる証拠が挙げられたわけでもないので、恐らく告発は虚偽であったのだろう。バスチーユにはまだ二年しかいなかった。

 残りはソラージュ伯爵、ド・ヴィート、タヴェルニエ。

 ソラージュ伯爵は三十前後の陽気で激しい人物だった。解放者を抱きしめ、勝利を讃え、囚人生活を物語った。父親が手に入れた封印状によって、一七八二年に逮捕され、ヴァンセンヌに入れられた後、バスチーユに移送され、判事に会うことも一度も取り調べを受けることもなくそこで五年を過ごした。二年前に父親が死んだが、誰にも思い出してはもらえなかった。バスチーユが占拠されなければ、誰からも忘れ去られたままだった可能性もある。

 ド・ヴィートは六十歳の老人だった。取り留めのない言葉をおかしな抑揚で発音していた。飛び交う質問に答えて、逮捕されたのがいつのことだったか、何の罪で逮捕されたのかわからないと言った。覚えているのはサルチーヌ氏の親戚だったということだけ。牢番のギヨン(Guyon)もその言葉を裏書きした。サルチーヌ氏がド・ヴィートの独房に入り委任状に署名させたのを見たことがあったのだ。だが本人はそのことを完全に忘れていた。

 タヴェルニエは一番の年寄りだった。サント=マルグリット島に十年幽閉され、バスチーユに三十年囚われていた。御年九十、髪も髭も真っ白。目は闇に慣れてしまい、今ではぼんやりとしか見えなかった。人が入って来ても、何が起こっているのか理解できなかった。自由なのだと言われても首を横に振り、バスチーユが陥落したのだと言われてようやく口を利いた。

「はてさて、ルイ十五世やポンパドゥール夫人、ラ・ヴリリエール公爵は何と言うでしょうなあ?」

 タヴェルニエはド・ヴィートのように頭がおかしくなったわけですらなく、惚けていたのだ。

 解放された囚人たちが喜んでいるのは見るも恐ろしい風景だった。喜びの声は復讐を叫び、怯えにも似ていた。十万人の怒号ひしめく喧噪を浴びて息も絶え絶えになっている囚人もいた。バスチーユに入れられてからというもの、二人以上の人間の話し声を同時に聞くことは絶えてなかったので、見えないところから聞こえる柱時計のチクタクする音や怯えた鼠が引っ掻いたり走り抜けたりするカリカリする音を伴った、湿気でたわむ木材や巣を張る蜘蛛の目立たないゆったりとした音にしか耐性がなかったのだ。

 ジルベールが姿を見せた時には、熱狂した人々の提案で、囚人たちを担ぎ上げようという流れになっていた。

 ジルベールは嫌がったが、逃れる術はなかった。ビヨやピトゥと同じく、既に有名人となっていたのだ。

「市庁舎へ!」という声が響き渡り、ジルベールは二十人近い男たちに持ち上げられた。

 ジルベールがいくら抗おうと、ビヨとピトゥがいくら勇敢に拳を振り回そうと、役には立たなかった。喜びと熱狂のせいで何も感じなくなっていた者ばかりだった。拳で殴られようと槍の柄で殴られようと銃床で殴られようとも、勝者にとっては穏やかな愛撫に等しく、陶酔を強めただけに過ぎなかった。

 そんなわけだからジルベールは御輿に担がれざるを得なかった。

 この場合の御輿とは真ん中に槍の突き立てられた卓子のことであり、この槍にもたれかかれるようになっていた。

 バスチーユからサン=ジャン拱廊まで波打つ人の頭の海をジルベールは見下ろした。人の流れは、槍、銃剣、あらゆる種類、あらゆる形状、あらゆる時代の武器のただ中に、囚人たちを運んでいた。

 だがこの荒海に流されていたのは囚人たちだけではなかった。固まって島のように見える別の集団がいた。

 ローネーを連れ出した集団だ。

 囚人たちを囲んだ集団と同じように熱に浮かされたような叫び声が聞こえていたが、こちらは歓喜の叫びではなく殺意の叫びだった。

 ジルベールのいた高さからは、この残酷な光景がはっきりと見えた。

 解放された囚人のうちでただ一人ジルベールだけが正気を保っていた。五日間の捕囚生活など物の数ではなかった。バスチーユの暗がりに於いても目の光が消えることも衰えることもなかった。

 戦いが辛いのは続いている間だけだ。命からがら炎から逃げ出して来た人間は、敵に寛容になるものだ。

 だがこうした大きな暴動が起こると、フランスではジャックリーの乱から今日に至るまで、戦いを恐れて遠く離れている群衆や、騒ぎに刺戟された群衆が、真っ向から戦いに参加しようとはしなかった癖に、勝利がもたらされてから血を求めてこそこそと自分の役割を見つけようとしていた。

 見つけたのは復讐という役回りだった。

 バスチーユを出てからの司令官の歩みは拷問の始まりだった。

 エリーがローネーの命を預かり先頭を歩いていた。制服を着ていたことと真っ先に火に飛び込んだことが認められていた。手にした剣の先には、ローネー氏がバスチーユの銃眼から差し出し、マイヤールが手渡した手紙が突き刺さっている。

 エリーの後ろには国税の番兵が鍵を持ってついて来た。次に旗を持ったマイヤール。そして一人の若者が銃剣の先に突き刺して誰からも見えるようにしているのは、勅令の名のもとに多くの涙を流させたバスチーユの制札である。

 その後ろには司令官が、ユランを含め三、四人に付き添われていたはずだが、怒れる拳やきらめく剣や揺れ動く槍に隠れて見えなかった。

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