翻訳連載ブログ
 「ロングマール翻訳書房」より、翻訳連載blog

『アンジュ・ピトゥ』 20-5

アレクサンドル・デュマ『アンジュ・ピトゥ』 翻訳中 → 初めから読む

「この女は何者だと思う、セバスチャン?」

「お母さんなのではないでしょうか?」

「母親だって?」ジルベールの顔から血の気が引いた。

 ジルベールは止血する時のように胸に手を押し当てた。

「いいや、これは夢なんだ。私の頭もおかしくなってしまったらしい」

 セバスチャンは何も言わず、物思わしげに父を見つめた。

「何だったかな?」ジルベールはたずねた。

「あれはですね、夢だとしても、実体は存在していたんです」

「どういうことだい?」

「聖霊降誕祭の後半、ヴェルサイユに近いサトリー(Satory)の森に散歩に連れて行かれた時も、僕一人だけは夢を見ていたんです……」

「同じ幻覚を見たんだね?」

「そうなんですが、今回は立派な四頭の馬に曳かれた馬車に乗っていたんです……しかも今回は現実でした。生きていたんです。気が遠くなりそうでした」

「どうしたんだ?」

「わかりません」

「今度の亡霊を見てどう思った?」

「夢で見たのはお母さんではなかったのだと思いました。今度のひとは亡霊と同じ姿をしていましたし、お母さんは死んでいるのですから」

 ジルベールは飛び上がって額を叩いた。異様な眩暈に襲われていた。

 セバスチャンもそれに気づき、真っ青になった顔を見てぎょっとした。

「ああ、お父さん、こんな馬鹿げた話をするんじゃありませんでした」

「そんなことはない。もっと話してくれ、会うたび話してくれ。二人して快復させようじゃないか」

「どうして快復しなくちゃならないんです? 僕はもうこの夢に馴染んでしまいました。もはや生活の一部なんです。このひとに恋してしまいました。避けられても、時には拒まれたように感じても。だから快復なんてさせないで下さい。お父さんはまた出かけるかもしれないし、またしても旅に出るかもしれないし、アメリカに戻るかもしれないじゃありませんか。この亡霊と一緒なら、独りぼっちというわけじゃありませんから」

「そうか」

 医師は呟き、セバスチャンを抱き寄せた。

「今度会う時には二度と離れるもんか。旅立つ時は一緒だ、何とかするよ」

「お母さんは綺麗な人でしたか?」

「ああ、綺麗だよ!」医師は喉を詰まらせた。

「僕がお父さんを愛しているのと同じくらい、お母さんのことを愛していたんですね?」

「セバスチャン! 母親のことは二度と口にしないでくれ!」

 医師は最後にもう一度額に口づけするや、庭から飛び出した。

 セバスチャンは後を追いもせずに、がっくりと打ちひしがれてベンチに坐り込んだ。

 ジルベールは中庭でビヨとピトゥに合流した。二人ともすっかり良くなり、バスチーユ攻略の様子をベラルディエ院長に話している最中だった。ジルベールはセバスチャンについて新たに助言してから、二人を伴って辻馬車に乗り込んだ。

 
 第20章終わり。第21章に続く。

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東 照《あずま・てる》(wilderたむ改め)
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